皆さま、こんにちは!
今日は3年前に訪れた予讃線から
国分(こくぶ)駅の訪問記です。
予讃線の前身である讃岐鉄道の駅として明治30年に開業。
明治39年に国有化された駅でした。
鹿児島本線の国分駅、しなの鉄道の信濃国分寺駅等々…
駅名に「国分」が入る駅は
近くに国分寺(もしくは寺址)がある例が多いですけど、
ここもそんな駅でした。
四国八十八箇所の80番目の札所である
「国分寺」の最寄り駅で
国分駅から徒歩4分の場所にあるそうですよ。
ホームに掲げられた観光案内の看板にも
その様子が記されてました。
こちらは駅前広場に立ってた案内看板です。
手書きで作成された看板は文字が薄れるので、
最近はあまり見なくなりましたね。
国分駅から山を越えた先に
琴電琴平線の滝宮駅がありました。
この間を電車で移動すると所要時間は約1時間半、
タクシーで移動すると12分だそうです。
これ、殺人事件のトリックに使えませんかね?
今ある駅舎は国鉄時代の木造駅舎に代わり
昭和53年に竣工したモノとのこと。
駅便(駅の便所)を併設した駅舎です。
現在は無人駅ですけど、
駅舎が改築されてしばらくは
簡易委託駅として営業していた模様。
今は板で塞がれてますが
改築当時は出札窓口があったみたいですね。
待合室にこんなパネルが貼られてました。
日本が発祥で今や世界中に愛好家がいる「盆栽」ですが、
その主たる松盆栽の8割が
高松市の鬼無地区と国分地区で生産されてるそうです。
だから「盆栽の郷」ってことで。
「あんず」は香川県が全国3位の生産地とのことでした。
ちなみに1位は青森県、2位は長野県だそうな。
「あんず」と聞くと駄菓子屋を思い出すのは
自分だけでしょうかね?
続いてはホームにイン。
国分駅は複線上に設けられた
相対式ホーム2面2線構造の駅でした。
2本のホームは跨線橋で結ばれてましたよ。
さてさて、
ブログの表題に書いた国分駅の「大カーブ」についてです。
国分駅は構内のほぼすべてがカーブ上に位置し、
西側の宇多津駅方面には
向きを90度近く変える大カーブが控えてました。
この先にある讃岐府中駅までの区間ですが、
複線化される以前に使われていた旧線が過去に存在し、
廃止されたいまでも遺構(道床)を見ることが出来るのです。
下は国土地理院のサイトから転載した
昭和50年撮影の航空写真。
線路の右側に残る道床に注目ください。
わかりづらいかもしれないので緑線で補足します。
この区間が複線化されたのは昭和43年のこと。
全国的に列車の高速化が実現した「ヨンサントオ」ダイヤ改正
(昭和43年10月に実施した白紙改正)の直前です。
予讃線の本格的な高速化は
特急「しおかぜ」が運行を開始した昭和47年からですけど、
予讃線の複線化も高速運転を前提に施工され、
カーブを緩和するために新線に切り替えられました。
余談ですけど、西隣にある讃岐府中駅はその影響で
駅の場所まで変えられてます。
訪問記にもその旨を書きましたので
チェックいただけるとありがたいです。
ここまでの話には何も疑問はありませんが、
もう一か所、不思議な線路跡(道床)が残されてるのです。
しかも国分駅のすぐ近くに。
下の写真の赤い矢印の先の注目ください。
線路を剥がした道床らしきモノが見えるでしょうか?
この道床の正体はいかに!
…というほど大袈裟な話ではありませんが、
国分駅は昭和45年まで貨物の取り扱いがあり、
貨車の荷役作業を行うための引込線がここにありました。
下は昭和22年撮影の航空写真ですが、
ここに貨車が留置される姿が写ってましたよ。
下の画像に写る上り線ホームの裏側に
昔は貨車の留置線があったわけですね。
それではなぜ
この廃線跡を不思議に思ったのか?
国分駅の構内を眺めていると
不可解な造りと感じる箇所が多数存在してるのです。
まずは駅舎寄りにあるホームの形状から。
ホームの駅舎の位置に注目ください。
駅舎がホームのど真ん中に置かれており並行ではありません。
旧駅舎があった頃からこの位置関係だったようです。
これでは駅舎からホームの見通しは悪く、
しかもホームがカーブしているため
当然ながら列車とホームの間に大きな隙間が生じます。
既存の線路に増設された駅ならわかりますが、
国分駅は予讃線が開通した当時に設けられた駅です。
危険なカーブ上に
最初からわざわざ駅を造らないと思うのですよね。
そしてもうひとつ。
国分駅のホームには讃岐鉄道に造られたと思われる
古い箇所が存在します。
下の画像に写る石積みの部分でしたよ。
長さは20メートルちょっとかな?
いくら明治時代の車両が短いにしても
これでは長さは不十分だと思います。
…以上のことから、
先に書いた貨物の留置線は
実は讃岐鉄道時代の本線だったのではないかと。
国分駅が開通した当時はホームは直線形状でしたが、
明治39年に国有化され
国鉄(当時は鉄道省でした)の車両が乗り入れるため、
カーブの緩和のために
構内が改良されたのではないでしょか?
だとすると、開業当時はこんな線路配置だったのではないかと。
ホームに見える石積みの部分が短いのは
ホームをカーブ状にするために一部が削られたから。
この説、意外に道理にかなっていると思いません?
…などと国分駅の画像を振り返りながら考えてました。
この事実を突き詰めるため、
どなたか早くタイムマシーンを開発してくだされ。
国分駅(令和3年4月12日)
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