カナダ在住から日本に戻った者が遭遇した出来事や文化の違いを綴っています。
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続きものとなっております。
- 救急車を呼ぶべきか?呼ばないべきか?それが問題だ…!1
- 救急車を呼ぶべきか?呼ばないべきか?それが問題だ…!2
- 救急車を呼びました。
- 入院が確定しました。
- 入院に必要なものの説明を受けました。
- 病院で父にパシらされる…
- 検査結果がかなり重篤だった…
- 病院に7時間以上、飲まず食わずでいました…
- カテーテル治療をしました…
- 主治医からカテーテル治療と今後の見通しについて話を聞く…
- カテーテル治療の翌日…
- 日本の医療水準がシレっとめちゃくちゃ高い…ッ!
- 父の救急搬送と受けた医療、米国だったら破産する…ッ!?
- #7119(救急電話相談)は全国共通じゃない…ッ?!
- 日本の医療関連職は激務すぎる…ッ!
- 病院のレビューを見ていて戦慄する…ッ!
- たまたま運がよかったけれど。
- 要介護認定の申請をする…
- 食事、入浴、リハビリ…至れり尽くせり!
救急搬送された父はそのまま入院となりました。
最初は夏バテによる脱水症状だと思っていたので、すぐに出られるだろうと思っていましたが。
心筋梗塞一歩手前というか、マイルドなヤツは既に起きていたのではないか?という程に状態が悪かったのでした。
1週間が過ぎ、2週間が過ぎ…
『あれ?まだ退院できない???』
って感じになってきました。
父が入院生活に辟易としている中…
逆に我々は父がいない生活のリズムを掴んでおりました。
過去にブログに書いていますが、父は頑固でコントロールフリークなところがあり、自分で何でもしたいタイプ。
自分のやり方に反すると罵倒するっていう理不尽な部分がありました。
なので、父のモラハラ発言がない日常が快適でした。
┐(´∀`)┌
入院初日
父が入院して寂しい!
↓
入院数日
父がやってくれていたことなどの有り難さを感じる
↓
入院1週間後
すっかり父抜きの生活リズムが出来上がる
父が嫌がるのでやってなかったことなどをやりだす
(ご飯は炊いたらすぐ冷凍庫!父は炊飯器で保温派)
↓
入院2週間後
とっぷり生活に慣れてきたが「いつ退院なんだろう?」って頻繁に思う。
そして、もうすぐ3週間というところで、退院許可が出ました。
長かった!
しかし、既に父がいない家での生活のリズムを掴んでいたので、また父のモラハラ発言を聞くのはしんどそう。
そして、父の体力や気力がどれくらいあるのかわからず、介護や支援負担があるのかないのかもわかりません。
退院は嬉しいけれど、不安でもありました。
父は「這ってでも家に帰る!」「明日、迎えに来てくれ!」とか無茶を言ってました。
とりあえず、検査の結果が極端に悪くなかったものの、あくまで『自宅で過ごせる程度』。
毎日の面会に行っていたのですが、準備もろもろ、移動時間、面会時間で2時間くらいかかるので、これはちょっとしんどかったです。
面会時間が2時から5時までの3時間枠なので、それに合わせると、仕事や作業の予定を入れられなかったり。
毎日、行く必要はないのですが…
『ただでさえ退屈している入院生活で人と会わないとせん妄が進むのでは?』
と思っていましたし…
『急変とかあったらどうしよう?』
と不安だったこともあります。
なので退院までの毎日、家族の誰かが面会に行くようにしていました。
そして…
車を買っておいてよかったーッ!
この病院、車なら便利な場所にあるのですが、最寄駅からは徒歩20分。
そうなると、電車利用で駅から徒歩だと、1時間くらいかかってしまう!
車だと20分くらいなので助かりました。
あと荷物を運ぶのも便利でした。
改めて田舎の車社会を思い知ったのでした。
入院した当人である父も、我々家族も入院期間は長くて2週間くらいだと思っていましたが。
想像以上に長くなりました。
検査する度に懸念事項がみつかるっていう…
自分が自宅でリモートワークだったのもラッキーでした。
時間の融通がきく仕事だったので。
そんなこんなで、父の退院を喜びつつ、一方でどれだけ救急搬送以前の生活に戻れるか未知数なので不安もありました。
3週間、入院していると、リハビリをしていたとはいえ、足の筋肉などが衰えているのは目に見えてわかっていたのです。
