月に飛ばして 第6話「憶えるならボーカルものから」/NICKI PARROTT ②
細井からドラムを薦められたのは、6月頃だった。小塚も含めて集まったのが8月で、バンドとしての練習を開始するころには既に9月に入っていた。 ドラムのレッスンを受け始めたのは10月。これでほんとに12月末に行われる「感謝の集い」でバンドとしての演奏ができるのだろうか。今更ながら、あまりにも無謀だと言わざるを得ない。「大丈夫だよ。みんな素人なんだし、忘年会の余興だから」 細井は相変わらず楽観的だ。小谷野は仮にそうだとしても人前で演奏するからにはそれなりにできないと恥ずかしいと感じる。小谷野は細井よりも自分の方がまともな感覚だろうと思っていた。 一方、小塚もその腕前の割には自信満々で物怖じひとつしていない。しかも、ジャズである。訊けばジャズには特に興味がないんだという。じゃ、なぜサックスを始めたのかと訊きたかったが、それはもうどうでもいいと思えてきた。 尋常ではない二人と接しているうちに小谷野の感覚も徐々に麻痺していった。「そろそろ、曲決めなくちゃね」 細井がなにやる?と二人に訊く。「Fly Me To The Moonなら、やれと言われればすぐにでもできますからそれで行きましょうよ」 小塚はそう言うが“できる”というのは何を持って言えるのだろう。小谷野の頭の中にクエスチョンマークが3つ浮かんで消えた。「いいね。フライ・ミーでいこうか」 細井が賛同すると、それで決まってしまった感がした。「小谷野君もいいかな?」 後付けで訊かれたので些か愉快ではなかったが、特に小谷野にはやりたい曲が浮かばなかった。というか、何が難しくて何が簡単なのかわかるほどの知識も技術もない。小谷野もジャズのスタンダード自体ろくに知らなかったのである。 仮に何か提案できたとしても既に聞き入れてくれる雰囲気でもなかった。「私は何でもいいですよ」 実際、どこまでできるようになるのかわからない段階で、あの曲がやりたいなんて言えるわけもない。よほど特徴のある曲やキメの常套がない限り、4ビートの曲であれば何やっても同じだろう。というか、同じようにしかできないだろうとは容易に想像できた。 小谷野は、子どもの頃から音楽自体は好きであった。洋楽、特にロックやブルース、ソウルやカントリー・ミュージックまで幅広く聴いてきたし、邦楽で言えば、シティ・ポップやニュー・ミュージック、歌謡曲からアイドルまで聴いてきたのだが、ジャズやクラシックには明るくなかった。 若い頃に一時ジャズを聴いていた時期もあったが、何を演奏しているのかその良さもわからず、ただ雰囲気だけ楽しんでいたのである。既にクロスオーバーやフュージョンが流行っていて、メインストリームなジャズよりもそっちの方が聴いていても心地よいと感じていた。 「Fly Me To The Moonか」とりあえずメロディを憶えないとな。小谷野は練習の帰りにTSUTAYAに寄り込んで、その曲の入ったジャズ・ボーカルのCDを探して数枚借りた。 インストでは、メロディがよくわからないことが多い。スタンダード曲を覚えるのであれば、ボーカルものを聴いた方がいいよと細井が教えてくれた。確かにそうだ。コルトレーンやマイルス、ピアニストであれば、オスカー・ピーターソン、このあたりはレコードを持っていたがどれがテーマ(主旋律)なのか聴いていてもわからない曲が多かった。 それに比べてボーカルものであれば、歌詞もあって、一番二番と歌ってくれるのでわかり易い。 さて、「Fly Me To The Moon」のドラミングはどのようにやったらよいのだろうか。プロがどんなふうに演奏しているのか、とにかく、いろいろ聴いてみようとオーディオの電源を入れた。 ффффф ффффф ффффф さて、本日取り上げるアルバムは、A面にちなんでNICKI PARROTTの『Fly me to the moon』(2009年)である。 オーストラリア出身のジャズ・ベーシストでボーカリストでもあるニッキのセカンド・アルバムである。これは、レンタルではない(笑) 前作の『Moon River』は、過去に取り上げたことがあった。 前作のメンバー、HARRY ALLEN(ts)、JOHN DI MARTINO(p)、BILLY DRUMMOND(ds)に加え、MARK SGANGA(g)、ニッキの実姉LISA PARROTT(bs,ss)が参加している。 自らベースを演奏しながら歌うという珍しいスタイルであるが、少しスモーキーながらコケティッシュな声が素敵なボーカリストである。 ハリー・アレンのテナーもエモーショナルでいいムードを引き出しているね。※ベタなスタンダードであるが彼女が歌うと一味違う。Fly Me To The Moon - YouTubeWaltzing Matilda - YouTube