本番まで時間がない。バンドの練習もまだ3回程度しかしていない。サックスもベースもいくらか良くなってきた印象はあるが、小谷野のドラムが追いついていなくあまり練習にならない。

 「感謝の集い」の2週間ほど前になった時、ドラムの講師がブラシにしてみないかと提案してきた。

 本来、ブラシはブラシとしての大事な働きやTPOがあって、ブラシにしか出せない独特な味があるのだが、シンバル・レガートを始めスティックではあまりにも下手さが露呈してしまうのでブラシで何とか誤魔化せないかということだった。

 ブラシは、言わばスネアのヘッド(表面の膜)を擦って音をだすわけで、演奏している本人にはあまり大きな音で聞こえてこない。実際には、それなりの音量で響いてくるものであるが、それには気づかず、小谷野は妙案だと喜んだ。

 ブラシもやり方はいろいろあるようだが、基本は左手でヘッドを左右に擦り、右手はシンバル・レガートと同じリズムでスネアの上で弾ませるのである。ハイハットは、同じように2拍4拍で踏めばよい。小谷野は、意外にもハイハットには自信があり、きちっと安定したリズムを刻むことができたが、レガートがすぐには上手くならなかったのである。

 ブラシで行こう。小谷野は、その後はブラシの練習だけに集中した。

 自宅には電ドラしかない。電ドラのゴムパッドではブラシの練習ができないので、小谷野は段ボールを丸く切り抜いてスネアに見立てて練習を重ねた。

 

 本番の数日前、急遽、バンドとしての最終練習が行われた。

「ブラシ使ってみます」

 小谷野は、バンドのメンバーに断りを入れた。

「別にいいんじゃない」

 小塚は、どちらでもいいという表情だ。

「ブラシもいいかもね。とにかく、今日が最後だからやってみよう」

 細井はフォローしてくれたが、如何せん時間がないのはわかっていた。やはり、この際、どちらでもいいのだろう。

 本物のスネア・ドラムでやるとブラシの感触も音色も段ボールとは違う。感触に慣れてくると、拙い演奏でも段々ジャズっぽい雰囲気になってくるものだ。

 スティックによるシンバル・レガートよりもむしろブラシの方が良く思えてきた。小谷野は、これでなんとかやれそうだとどうにか不安から逃れることができた。

 演奏自体も様になってきたような気がしてきた。小谷野は、これまでとは打って変わって本番が待ち遠しくさえ思えてきたのだった。

 

 いよいよ、本番の日が来た。

小谷野は、約束の時間よりも早く到着した。店は、午前中でCLOSEされ、夕方から始まる「感謝の集い」の準備が始まっていた。

「おお、早いね」

 細井が少し驚きながらも嬉しそうに出迎えてきた。

「じゃ、早速だけど、こっち手伝って」

 椅子やテーブルの配置を変え、楽器や音響のセッティングをしなければならない。マスター兼シェフの豊見城隆も厨房から出てきた。

「ご苦労様です。演奏楽しみにしてますよ」

「今日はよろしくお願いします。あまり期待しないでくださいね」

 豊見城は本心で言ってくれたようだが小谷野はプレッシャーに感じてしまう。

「オーナーは期待していてくれって言ってましたよ」

 笑いながらテーブルの片方を持ちあげると、あ、そっち持ってくださいと小谷野を促す。

 まったく、余計なことをと呆れながら、小谷野がもう片方を持ち上げて壁に寄せる。

 その日は、小谷野が通い始めた音楽教室を主宰する落合が率いるアマチュアバンドも出演するということで、落合らが持ち込むドラムを貸してもらえるとのことである。ドラムセットは、細井の別宅から運ぶ予定だった。小谷野は、自分の使う楽器だからということもあって早く来たのだった。

 偶然にも細井と落合は知り合いで、「感謝の集い」の出演を打診したところむしろ喜んで参加することになったらしい。

 落合バンドが到着すると、ドラムセットやらギター・アンプの搬入やセッティングを手伝った。ドラムセットは、細井の中古のものと違っていかにも高級そうだ。輝きから違って見えた。小谷野のようなど素人が使わせてもらうには恐縮するくらいのもので、それだけで緊張してしまう。

 大方の準備が終わる頃になるとようやく小塚がやってきた。30分の遅刻であったが、少しも悪びれていない。

「ああ、終わっちゃった?バスがなかなか来なくてさ」

 一応、言い訳はするが謝罪の言葉はない。

「落合バンドのメンバーが手伝ってくれたからね」

 小谷野は釈然としなかったが、顔には出さない。

「小谷野は早く来てたの?」

「うん、まあね。準備が大変だろうと思ってさ」

「ああ、そう」

 ああ、そう かよ。遺漏や謝罪の言葉はないのか。一言でもそれらしい言葉があればいいものを相変わらずだなと小谷野は呆れた。

「メンバーが揃ったから、1回練習しておこうや」

 開会の時刻までまだ少し時間があった。細井の声かけで、別宅兼練習場で音合わせをしてみた。これまでの待ち遠しさとは裏腹に段々緊張してきたのだった。

「まあ、忘年会の余興だと思って楽しもうや」

「そうですね」

 小谷野は、ブラシをケースに戻しながら答えたが小塚は無言だった。こいつでも緊張するのか?そう思ったら、逆にいくらか気楽になった小谷野であった。

 

 

 

 

 

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 さて、本日取り上げるアルバムは、OSCAR PETERSONの『PLAY THE COLE PORTER SONG BOOK』(1959年)である。

 



 タイトルどおり、著名な作曲家コール・ポーターの作品を取り上げたアルバムである。この「SONG BOOK」はシリーズ化していて、他にもいくつかあるようである。

 

 コール・ポーターの作品集なので、良く知るスタンダード曲がいくつも入っていて楽しいアルバムである。

 

 抜群のスイング感と超絶テクニックによる演奏は正に「THE JAZZ」って感じのする王道の演奏である。

 オスカー・ピーターソン・トリオとしては、このアルバムでも演奏しているベースのレイ・ブラウンとドラムのエド・シグペンのメンバーがしっくり馴染む。

 

 エルヴィン・ジョーンズも意外にブラシワークが上手いんだとか聞いたことがあるが、エド・シグペンのブラシも結構好き。

 

 

Night and Day - Oscar Peterson Trio - YouTube