皆さま、おばんです!
今晩は徳島線・麻植塚(おえづか)駅の訪問記です。
こちらの駅、一見するとどこにでもありそうな無人駅ですけど、
ちょっとだけ気になる歴史があったのですよ。
麻植塚駅は昭和9年に開設された駅でしたが
昭和16年に一旦営業を休止、
16年後の昭和32年に再度営業を開始したのでした。
約16年間も営業を休止していたわけですけど
その理由が気になりません?
自分、ここ数日間はずっとことことばかり考えてたのですけど。
この理由について書籍やネットを調べてみたのですが、
そのことに触れた記事は見当たらず。
そこで今回は自分なりに推測してみました。
真偽はわかりませんが、ぜひ最後までお付き合い下さいませ。
先ずは麻植塚駅の様子からです。
駅舎は無く、単式ホームが1本あるだけの停留所タイプの駅でした。
戦前に造られた国鉄駅(当時は鉄道省の時代です)というと、
大抵は駅員さんが配置されてましたけど、
麻植塚駅は開業当時からこの仕様だったようですね。
駅の周辺を眺めます。
この辺りは伊予街道(国道192号線)からも近い場所。
駅の周りには住宅地が広がってましたよ。
それではホームに入ります。
ホーム上に待合室は無く、雨を凌ぐための上屋があるだけの駅でした。
ここでの注目は上屋の下にあるこのベンチです。
4人掛けのベンチが備わっているのですが…
なぜに中央は子供用なの?
これってJR四国が思い描く理想の家庭像ってヤツ?
そもそも駅で子供用のベンチを見たの初めてなんですけど。
家族向けに用意したベンチなのかもしれませんが、
ここは大人用ベンチ×4脚でも良かったのでは?
恋人同士で座ると離れ離れになっちゃうし、
ご夫婦+子供1人の家族では子供がご夫婦のどっち寄りかがバレちゃうし、
いろいろと問題が起きそうなベンチでしたわ。
ホームの向かい側には麻植塚駅開業80周年を祝う
「無人駅」なるタイトルの歌碑がありましたよ。
「小さなプラットホームには椅子が五つある…」
椅子が五つ?
麻植塚駅は謎が多すぎます。
さてさて、冒頭にも書きました、
昭和16年から32年にかけて麻植塚駅が休止されてた理由について。
その期間に駅は撤去されてたかというと、そうではないみたいで、
16年もの間、ホームは放置されてたようです。
下は昭和22年に撮影された航空写真ですが、
放置されたままのホームが写真にしっかりと写り込んでいました。
それではなぜ、麻植塚駅が昭和16年に営業を休止したのか、
その答えはコレだったのではないかと。
今では全国各地で見ることが出来る気動車(ディーゼルカー)ですけど、
その始祖はガソリンを燃料として動くガソリン動車(ガソリンカー)で
国鉄では昭和7年に量産形式(キハ41000形)が誕生しております。
麻植塚駅の開業年である昭和9年は、
徳島線内で同様の停留所タイプの駅が4駅開業してますが、
これらはガソリンカー用専用駅として開設されたのではないでしょうか?
ホームが短すぎて客車列車は停車出来なさそうですし。
機関車に牽引される従来の客車と違い、
客車自体が自走可能なガソリンカー。
旅客輸送の期待の星として誕生したのですけど、
残念なことに、日中戦争(昭和12年)の勃発後は
ガソリン不足から次々と運行を中止。
ガソリンカーを取り巻く時代背景は
麻植塚駅の休止(昭和16年)とほぼ一致しているのですよ。
その後のガソリンカーですが、
昭和30年代に入ると新鋭のディーゼルカーが全国各地に投入されると同時に、
運行を休止していたガソリンカーもディーゼル車に改造されて
再び姿を現しました。
そして昭和32年に麻植塚駅の駅業が再開…
ガソリンカーの動きと麻植塚駅の歴史が
ものの見事に一致してますよね!
麻植塚駅の休止理由は国鉄内の車両事情…
あながち間違いではないでしょうか?
最後にどうでもいい話ですが、
麻植塚駅のすぐそばには謎のオブジェが立ってました。
作品タイトルは「風の舟」だそうですけど、う~ん、なんざんしょ?
凝視すれば舟に見えなくもないですけど、
芸術センスゼロの自分にとって、
作品の理解は麻植塚駅の歴史を紐解くよりも難しかったです。
以上、駅の歴史、風の舟、そしてベンチのこと等々、
謎だらけの徳島線・麻植塚駅でした。
地元の利用者は、
そんなの謎だとはこれっぽっちも思ってないでしょうけど。
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麻植塚駅(平成27年9月2日)
↓(佐古駅方面)
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