こんにちは、フォトグラファーの森藤ヒサシです。
東日本大震災から2週間。
タイから奇跡的に戻り、
その翌日には、
関西からのお客様のブライダルの撮影をし、
水戸と東京を行ったり来たりしながら、
3/20頃には、
北海道にセミナー&観光に出かけていました。
現実に向き合うと、
不安に押しつぶされそうだったのです。
3月末になり、
雪崩のように、棚から落ちた荷物を、
2週間かけて片付け、
ようやく、仕事できる状態になりましたが、
今度は、福島第二原発の放射能漏れ問題が!!
震災後のスタジオ
東京の友人たちは、
関西方面に逃げたり、
沖縄に逃げたりしました。
私たちも、大阪の友人からは、
"避難しておいでよ!"
と言われたのですが、
茨城にいるスタッフを置いて、
社長が逃げるわけにはいきません。
東京から茨城に向かうのは、
放射能汚染の方向に近づいていくということ。
心の中では、
みんなみたいに、気軽に逃げられるわけじゃないんだよ!
と、苛立っていました。
今思うと、その苛立ちも、
自分の不安から来ているものだったのですが・・・
私は、会社とスタッフを守るために、
とにかく必死でした。
卒業シーズンでしたが、
卒業式の記念写真は全てキャンセル。
結婚式の写真も全てキャンセル。
うちの中で、まあまあ売上があった取引先の結婚式場の一つは、
建物が崩れ、
そのまま、廃業してしまいました。
にもかかわらず。
それでも、毎月のお給料支払いや、
銀行返済はしなければなりません。
(2020年の3月、今の状態と同じですね。)
あー、これからどうしたらいいんだ!!
写真ではない、新たなビジネス展開をした方がいいんじゃないか?
そんなことも考え、
一緒にタイに行った友人のところに、
九州まで相談に行きました。
また、今後のビジネスや、
これからの生き方について、
本田健にも相談をしたいので、
八ヶ岳の研修センターでの、
2泊3日のセミナーに参加させていただきました。
そこでは、
今の現状を俯瞰してみたり、
自分の感情と向き合ってみたり、
ビジネスの専門家である本田健からも
アドバイスをもらったりしていました。
その時八ヶ岳から見た富士山!
また、広島にいる私の慕っている古神道の先生にも会いに、
2泊3日で広島まで行ってきました。
そのときの広島の桜
とにかく、
4月中旬まで、
水戸で片付けをしたり、
これからの事業計画を立てたりする他は、
全国のメンターや友人に相談しに、
飛び回っていたのです。
そして、4月15日朝、
私たちが広島に滞在している時、
携帯に1本の電話がなったのです。
それは、うちの会計士からの電話でした。
(震災以前の会計士です)
会長(父親)から伝言です。
あなたに会社は任せていられません!
会長がまた代表取締役社長をするそうです。
こんな大事な時期に、
会社にいない人には、
会社を任せられないそうです。
今は会長が大株主なので、
株主の決めたことには、
従わなければなりません!
はぁーーー????
何を言っているのか、よく理解できません。
要は、私が必死に頑張って大きくしてきた会社から
私を追い出して、父親がまた実験を握るというのです。
私の頭の中は混乱しっぱなし。
声は怒りに震え、
そのまま電話を切ったのです。
ちなみに、私の父は、
私よりも経営者としての能力は低く、
人を育てることもできません。
(と、当時は思っていました)
ありがとう、ということもありませんし、
電話をすると、何も言わずに電話を切ってしまうくらい、
礼儀もわきまえていません。
スタッフに対しては、
トップダウンの命令しかできず、
スタッフは自分で考えることもなく、
お客様を見ずに、父親の方向ばかり見ていました。
マーケティングもわからず、
人の悪口ばかり言っている、
そんな人だったのです。
私は、そんな父を反面教師に、
スタッフ教育に力を入れ、
私がいなくても、
自分で考えて行動できるように育ててきました。
広告やwebを使いながら、
お客様のニーズを聞きながら、
今の半歩先をいく、経営をしてきました。
それをわからずに、
私を追い出そうとしているのです。
私は怒りを抑えきれないまま、
広島の先生のところに行きました!
すると、その先生は、
おめでとうございます!!
と言ったのです!
八ヶ岳の上で、これから頑張ろうと誓う
私は、古神道で慕っている先生が広島にいます。
この先生は、以前100億近い会社の社長をしていた人。
ビジネスにも、人材育成にも優れています。
さらにスピリチュアル能力も高く、
すごくすごく素敵な人なのです。
和氣先生ご夫妻と
この先生のところでは、
ご先祖様をお祀りし、
ご先祖様から応援をいただいたり、
守護霊(基本的には先祖)からのエネルギーをもらったりします。
こう書くと、なんか怪しいと思う人もいるかもしれませんね。
ただ、みなさん、お墓参り行きますよね。
基本的には、それと同じこと。
料金も信じられないくらい、良心的な価格。
そのせいか、今はお願いしても1年待ちだそうです。
震災後、その広島の先生のところに、
これからどうして行ったらいいか、
相談に行きました。
経営者としての相談だけではなく、
ご先祖様からのメッセージも聞くためです。
この時、私が質問したことは、こんな感じ。
東日本大震災で、
お客様も来られる状態ではなく、
この後どうやって、経営していけばいいのでしょうか?
さらに、以前からお伝えしているように、
私は自分のライフワークとして、
"写真の素晴らしさを全国に広めていきたい"
と思っていますが、
土台である㈱小貫写真館のビジネスがうまく回らないと、
その活動もやっていけないために、
まずは㈱小貫写真館をうまくスタッフに任せたいと思っています。
どうすればいいでしょうか?
私は会社を留守にすることも多いので、
スタッフたちが自分たちで考え行動できるように、
スタッフ教育をしてきたつもりです。
とは言え、まだまだ誰かを会社のリーダーとして立たせられるほど、
育っているわけではありません。
40名いるスタッフの中で、優秀なリーダー候補が3名いますが、
何か一つ欠けているような気もしていました。
お祭りをし、
ご先祖様からいただいたメッセージは、
第三者が現れる!
と言うことでした。
意味はよくわかりません。
経営を任せるのに、
第三者が現れると言うことなのでしょうか?
それは、私が思っているその優秀な3名のスタッフではなさそうです。
また、私と性格が真逆の15才上のいとこが専務として働いているのですが、
彼でもなさそうです。
先生は、
誰かわかりませんが、
第三者が助けてくれる
とご先祖様が言っている、
と言うのです。
私は、とりあえず、
今はやるべきことをやって、
誰かが現れるのを待てばいい、
と受け取りました。
そして、そのメッセージを受けた翌朝、
会計士から電話があったのです。
実は、この会計士と私は、
折り合いが悪く、
私もあまり信頼していませんでした。
この会計士は、
父親と同じロータリークラブの仲間で、
元税務署上がり。
茨城弁がひどく、
何を言っているのかよくわからないだけではなく、
夜のお店が好きな、助平な人。
私よりは、父親である会長派の人間です。
その彼から電話で、
あなたに会社は任せていられません!
会長がまた代表取締役社長をするそうです。
こんな大事な時期に、
会社にいない人には、
会社を任せられないそうです。
今は会長が大株主なので、
株主の決めたことには、
従わなければなりません!
と言われたのです。
私は、わけわからなくなりましたが、
とにかく、頭にきてしょうがありません。
また、なぜ、父親ではなく、
会計士の彼が私に電話をしてきたのか、
それに対しても怒りが爆発し、
その電話を切り、
広島の先生のところに行き、
会計士から電話があった内容を説明しました。
すると、先生は、
おめでとうございます!
と言ったのです。
私は、怒りで頭がおかしくなりそうな状態な中、
先生の言った意味がわかりませんでした。
昨日、ご先祖様からのメッセージで、
第三者が現れる、
と言っていましたが、
まさか、引退したはずの
お父さんだったんですね。
これで、ヒッキーは、
自分のライフワークにも進めますね!
と、先生は言いました。
先生は、私と父親の確執も知っています。
それでいて、おめでとうございます、
と言うのです。
私は、
確かにそうかも、
ご先祖様のメッセージ、すげー!
と思い始めました。
しかし、そうは言っても、
私が今まで、会社を大きくしてきて、
スタッフを育ててきたのに、
それを、経営者としての能力がかけている父親が、
うまく会社を経営できるはずがない、
とも思っていました。
また、社員たちも、
私と会長である父親であったら、
私の側についてくれるに違いない!
とも確信していました。
(これも、わたしが勘違いしていたのですが・・・)
とにかく、すぐに帰って、
父親と話さなければ!
と思い、広島を出たのです。
帰りの新幹線の中では、
まだまだ、イライラは続き、
そうは言っても、
頭の中で割り切れませんでいました。
父親がまた社長をするとして、
私が父親に謝罪し㈱小貫写真館に残るか、
もしくは、
㈱小貫写真館から離れて東京でイチからスタートするか!
どうしたらいいのか、
今後のことを考えていました。
生まれてからずっと、
㈱小貫写真館の後継として生きてきて、
㈱小貫写真館から離れるなんてことは、
考えたことがありません。
会社を出ると言うことは、
㈱小貫写真館から独立し、
すべて、自分で生計を立てていかなければならないということ。
なんで追い出されなければならないんだ!
という怒りと一緒に、
これからの生活の不安、
そして恐怖が襲ってきたのです。
結局、ライフワークとして、
"写真の素晴らしさを全国に広めていきたい"
と言っておきながら、それは、
㈱小貫写真館という後ろ盾があってできていること。
と言うこともよくわかりました。
一番会社にしがみついているのは、
私自身だったと言うことにも気がついたのです。
もしかしたら、父親から、
"あーでも言わないと、お前は毎日会社にいないから、
厳しいことを言ったんだ!
これからは、社長としての自覚を持って、しっかりやれ!"
と怒られ、追い出されることが
撤回されるのではないかと淡い期待をしていました。
そして、水戸に戻り実際に父親と話しました。
父親からは、
この大事な時期に、水戸にいないで、飛び回っているのはおかしい!
社長は、毎日会社にいるものだ!
㈱小貫写真館のお金をブリスで使い込んでいるのではないか?
本田健という訳のわからない奴にそそのかされているからだ!
とにかく、俺がまた社長をやるから、お前はもういい!!
と、ひどい言われようでした。
あらぬ疑いもかけられ、その誤解を説明したり、
私が㈱小貫写真館を思い必死にやってきたことを説明しても、
全く理解をしません。
大喧嘩になり、
私も売り言葉に買い言葉で、
父親に罵詈雑言を投げたのです。
経営者として、才能のないあなたに、
社長としてできるはずがない!
やれるもんならやってみな!!
そして、私たちは、会社を追い出されることになったのです。
後からわかったことなのですが、
この会計士が、
このままだと私に辞めさせられそうなので、
裏から父親に手を回し、
私のやってもいないことを父親に言いふらし、
私を悪者に仕立てたのです。
まんまと会計士の策略が成功し、
私を会社から追い出し、
父親が会社の実権を握ったのです。
まるで映画のようです。
こんなことが自分の身に起こるとは思いませんでした。
今考えると、
私が会社から追い出されたことで、
震災後の大変な時期、
㈱小貫写真館の経営で頭を悩ますことがなく、
東京でイチからフォトグラファーとしてスタートすることで、
自分のライフワークに向かって歩むことができました。
追い出されたことが、
一つの人生の転機になったのです。
しかし、
この時は、まだまだ追い出されたことに対して、
そして親から裏切られたことに対して、
怒りと悲しみの感情に支配され、
全く冷静に考えることができる状態ではありませでした。
震災や災害は、
街や自然を壊すだけではなく、
人の心も壊してしまう、
と、言われます。
うちの両親もその状態だったのだろうと思います。
(もちろん私もですが・・・)
もともと、私と折り合いのよくなかった会計士が、
東日本大震災を機に、
父親に私の悪口を言いふらし、
父親も会計士の言うことを信じてしまい、
私を追い出したのです。
そんなことはつゆ知らず、
私は父親に追い出されたことに対し、
怒りに満ちていました。
しかし、怒りと悲しみは一対。
悲しみがベースにあるからこそ、
怒るのです。
私は今まで、写真館の四代目として、
会社を大きくしようと思い、
一生懸命働いてきました。
しかし、そのことも父親からは理解されていない
と言う怒りと悲しみで、
プッツンと糸が切れてしまい、
4月末、ベッドから起き上がれなくなってしまったのです。
軽い鬱の初期症状。
まさか、自分がそんなに弱い人間だとは、
思ってもいませんでした。
なんとか、起き上がろうとするのですが、
全くやる気も起こりません。
力が入らないのです。
父親に対する怒りはあるものの、
これから、どうやって暮らしていけばいいのか?
貯金は少しあるものの、
将来のことを考えると、
不安でいっぱいになってしまったのです。
私は、
人に挨拶もしない、
写真は上手くないのに、
㈱小貫写真館は水戸で一番の写真館だと自慢している、
常にイライラしている、
そんな父親の性格が嫌いでした。
社長は、毎日会社にいるもんだ、
水戸でだけ頑張っていればいいんだ、
という守りの姿勢の父親と、
水戸のような田舎で写真館のオーナーとしてやるだけではなく、
日本でも活躍できるようなフォトグラファーになりたい、
日本でもメジャーな写真館にしたい、
という攻めの姿勢の私とでは、
性格が真逆。
なので、
私が㈱小貫写真館で一緒に仕事をするようになってからは、
いつものようにぶつかっていました。
だからこそ、
私が社長になってからは、
父親に、
会社に来なくていい!
と、なかば追い出し、
会うと、言い合いになるので、
父親と会うのも避けていました。
今思うと、
会計士にそそのかされて、
私を追い出した背景には、
父親の中にも、私から追い出された、
という怒りもあったのでしょう。
でも、㈱小貫写真館から追い出された頃は、
怒りと憎しみで頭がいっぱいで、
そんなことも思いもせず、
ただただ、悔しくてしょうがなかったのです。
そんな中でも私は、
業界では全国PGCのリーダーとしても、
会議をしたり、
いろいろなことを決めなければなりませんでした。
PGCの時は元気なふりをしている自分
自分自身の中では、
ギリギリの状態でしたが、
会議の時は、元気なふりをしていました。
この時も、PGCの仲間に、
助けて欲しい!
と言えればよかったのですが、
リーダーは強くなければ
と言う変な観念があり、
弱音も吐けませんでした。
人に弱音を吐ける人って、
本当は強い人なんですよね。
人に弱さを見さられないと言うのは、
自分自身が本当は弱いからなのです。
なので、常に元気なふりをしていると言うのも、
それが逆効果だったのかもしれません。
東北で被災された写真館に対して、
PGCで義援金を出す時も、
私も会社を追い出されて、
それどころじゃないのになー、
なんて思っていました。
なにか、大変なことがあった時、
その人の性格が出るものですね。
私は自分が大変な時に、
まわりのことを本気で心配できず、
自分が被害者だと言うことで、
優しくなれなかったのです。
ちっちゃい人間だなー
なんて、自分でも思い、
さらに落ち込むのです。
この頃は、とにかく変でした。
躁鬱状態と言えばいいのでしょうか?
まわりからは、
落ち込んで見られないように、
明るくしていました。
東北にPGC仲間と泊まり込みで、
ボランティアに行ったり、
本田健のセミナーが沖縄であると言うことで、
一緒に沖縄に行ったりしていました。
じっとしていると、
怒りと悲しみでやられそうになるので、
とにかく、行動していたのだと思います。
そんな私が大変と知ってか、
大阪から友人が駆けつけてもくれました。
大阪の友人
ありがたかったです。
また、沖縄では、
いつも相談に乗ってくれる、あんちゃんとむーちゃんたち、
そして本田健ファミリーと一緒に
ホテルに泊まって遊んだり話したりしました。
そして、
自分の大変さを
まわりに話せるようになり、
少しずつ元気になってきました。
ありがたいですね。
自分は今大変な時だけど、
友人がいてくれる、
家族がいてくれるんだ
と、思えるようになったのです。
そして、自分でできることをやらねばと思い、
その頃、まだあまり広まってなかったFacebookで、
毎日、コラムを書くようになりました。
今、自分でできることは、
今まで学んできたり、
仕事で培ってきた、
写真の知識、技術、考え方などを発信すること。
それを、とにかく毎日やろう、
と決めたのです。
つづく
BLISS応援のお願い
現在ブリスは 5/6まで臨時休業をしております。
私たちも応援いただいている皆様のおかげで、ブランディングフォトや家族写真で、多くの「笑顔」を撮影し、皆さまの幸せの一瞬を写真に残してまいりました。 そしてこれからもずっと皆さまの「最高の思い出になる1枚の写真を残していきたい!」と心より強く思っております。
しかしながら、新型コロナウイルスという目に見えない脅威により、このまま休業が続けば、皆様の心の支えになる写真を撮影させていただくこと自体が難しくなってまいります。皆さまの「笑顔」を撮り続けていくため、みなさまにお願いがございます。
この度、休業期間後から2020年年末まで、ブリスで使用していただける「応援チケット」を3種類ご用意させていただきました。
また、写真集も販売しております。
是非とも皆様には、この写真集の写真とメッセージで、
少しでも心を癒していただけたらと思います。
この写真集は、メッセージと写真の組み合わせになっています。
適当に直感で開いたページのメッセージは、
その時のあなたに響く言葉になっています。
是非ご購入しおていただけると嬉しいです。
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最後まで、お読みいただきありがとうございました。



















