こんにちは、フォトグラファーの森藤ヒサシです。
総集編です。
明治神宮での挙式!
まっきーが日本に帰ってきた頃と、
前後するのですが、
印画紙研究会という、集まりの話です。
ということで、
今日は、写真の話。
まっきーの話はありません。
あしからず・・・
まあ、なぜ、私が写真をやっているか、
というテーマで、ブログ書いているので、
そもそも、写真の話を伝えているのですが、
そのバックグラウンドには、
まっきーとの出会いも大きく関わってきているので、
というか、
まっきーと出会っていなかったら、
今の自分はなかったので、
まっきーの話も直々、書いているのです。
とはいえ、
まっきーの写っている写真を、
無断使用していることには、反省。
反応は多いので、
私的にはうれしいのですが・・・・
日本には、写真館の数が約15000軒あります。。
いわゆる写真館と言っても、
自社のスタジオをメインに撮影しているところもあれば、
ホテルの写真室で撮影しているところ、
学校アルバムをメインで撮影しているところ、
観光写真をメインでやっているところ、
ブライダルスナップをやっているところなど、
いろいろなスタイルがあるんですよねー。
そして、
全国で、いろいろなグループもあります。
ただ、いい写真を撮るための少人数のグループから、
経営や店作りを中心のグループ、
写真館業界の組合的なグループ、
若手の経営者のグループなど、
めっちゃ、グループ数も多い。
そして、各都道府県には、
それぞれの老舗写真館がり、
その、メジャーどころが集まっている
写真の団体があります。
それが、印画紙研究会(現ポートレートアカデミーオブジャパン)
です。
1996年、私が、日本に帰ってきた当初、
ブルックス大学を卒業していた先輩が多く、
この印画紙研究会に所属していたため、
この会に、参加させていただくことができました。
印画紙研究会とは、なんぞや??
この難しいネーミングを不審に思いながらも、
母親からは、
お父さんは、印画紙研究会に入ることができなかったから、
ヒサシ頑張って!
と、訳わからない感じの期待。
そうなんです。
誰でも入会することができない会なのです。
写真に関する、研究論文、
作品の提出
そして、推薦人2名が必要。
があって、
その審査が通って、ようやく入会できるのです。
父親は、あまり写真がうまくなかったので、
入会できてなかったんですよね。
そんなに、すげー会なの?
と、思いながら、
恐る恐る参加。
2回目の参加、さて私はどこでしょう??答えは最後。
でも、この会、
超敷居が高いと思いつつ、
ブルックス出身である、
岡本昇さん(現会長)、鈴木観さん、伊藤基さん、森田一弘、堤あこさん
などの先輩から、秋葉くんなど、
知ってるメンバーたくさんいて、
個人的には、楽しく、参加させていただきました!
印画紙研究会、という名前の通り、
自分たちの研究を発表する会なので、
すっごく面白い。
ブルックスで勉強してきたことを発表できたり、
自分の写真展を発表したり、
新しいスタジオを作ったのを発表したり、
日本に帰ってきたばかりの私としては、
超、刺激的でした。
この1年後、
無事に審査も通り、
印画紙研究会に入会が決まるのです。
この印画紙研究会では、
業界では、最新の情報が入ってきていました。
そのおかげで、どこよりも先に、
新しいことにも挑戦したり、
日本の有名フォトグラファーの大先生に写真を見てもらったり、
その先生の写真を見ることで、
写真の勉強になりました。
ブルックスを卒業したおかげで、
気軽にこの会に入らせていただき、
感謝感謝なのです。
この会も、入って今すでに20年以上がすぎ、
印画紙もなくなった今、
印画紙研究会から、名前も
ポートレートアカデミーオブジャパン(PAJ)
に変更されました。
そして、現在PAJの
副会長をやっているのです。
PAJも、今の私がある一部分。
ちなみに今は、
入会基準は、もっとゆるゆるになってます。
時代が時代だからね。
でも、めっちゃおもろいと思うんだけどなー。
自分で、発表したい人にとっては特に。
昨日今日は、創立60周年、
120回大会なのでした。
PAJ120回大会です、2020,2,20
ちなみに、集合写真の中の私は、
左側後ろから3列目、左から3番目でした!!
みなさん、
"マズローの欲求"
って、聞いたことあると思います。
第一段階:生理的欲求
生きていくために必要な、基本的な
「食欲」「排泄欲」「睡眠欲」
など、本能的な欲求
第二段階:安全欲求
安心・安全な暮らしへの欲求
第三段階:社会的欲求
愛情と所属の欲求、
友人や家庭、会社から受け入れられたい欲求
第四段階:承認欲求(尊重欲求)
他者から尊敬されたい、認められたいと願う欲求
第五段階:自己実現欲求
「あるべき自分」になりたいと願う欲求
とあるわけですが、
私は、帰国後、
PGC、PAJと所属することで、
第三段階の社会的欲求も満たされ始めていました。
でも、そうなると、
第一段階や第二段階が満たされていることが、
当たり前のように思えてきて、
感謝がなくなってきていたんですよね。
今日は、そんな時に、出会った、
尊敬する、大先輩の話でーす。
いい睡眠をとり、
食欲も満たされ、
働く場所もあり、
住む家もあって、
安全な日本に住んでいると、
ついつい、
それが、当たり前のようになってしまいます。
そうすると、
家族がいることや、まっきーの存在、
写真を撮っていることができることなどにも、
感謝がなくなっていました。
ゴーマンだねー。
今思うと。
あかん奴です。
ただ、当時は、PGCやPAJと言った、
写真の団体の友人と、
遊んだり、学んだりすることが楽しく、
超エネルギッシュでしたね。
ある時、
PGCの勉強会で、
戦略を立てながら、
マーケティングを学ぶ、
ゲームをすることがありました。
ちなみに、
小学生の頃から、
ボードゲームは得意。
高校の頃も、
麻雀三昧と言うこともあり、
どうやったら、
ゲームに勝つことができるか、
考えるのも好きなので、
そこでも、
1番を取って、いい気になっていました。
まあ、この話は、あまり関係ないのですが、
ここで、出会ったのが、
そのあと、
私の人生に大きな影響を及ぼす大先輩、
親分こと、
佐藤泰博さん
なのです。
佐藤さんが全国PGC議長の時の、全国大会
この、佐藤先輩、
人間力の塊のような人。
出会いを大切にし、
仁義を重んじ、
人生の目的を蕩々と説きながら、
自分自身にも厳しい人。
私は、この佐藤さん(親分)に、
すごく刺激を受け、
佐藤さんのように、人間力をアップしたい
と思い、
自分自身にも厳しくなっていくのです。
ただ、この教え、
一つ間違えると、
超古い、軍隊的な考え方。
でもって、
親分から教えられた言葉で、
印象深かった言葉がこの三つ。
お願い事は、試されごと!
人から、何かお願いされた時は、
その人が、できると信じてお願いしているわけだから、
"そんなこと自分にはできない!"
と思うのではなく、
”挑戦する”
と思って、やることが大事。
人から頼まれたときの返事は、
"Yes"か"はい"しかない。
同じように、頼まれたことを断るのは、
とても失礼にあたること。
自分にできないような頼まれ事は、
やってこない。
できることしか、頼まれないの。
だからこそ、相手の信頼を受け取り、
とにかく、承諾し、やることが大切。
ダイヤモンドを磨くのはダイヤモンド。
人を磨くのは人である。
人を成長してくれるのは、
人と人とのコミュニケーション。
頭で、考えるのではなく、
どんなことでも挑戦し、
そして、人と人との触れ合いで、
成長していくのである。
こんなことを親分から、
めちゃめちゃ、叩き込まれました。
カメラマンの団体、PGCの先輩なのに、
まじ、軍隊みたいでしょ!!
でも、この言葉が、
ずっと心に残り、
親分の言われた通りに、
人から頼まれたことは、
薦んでやり、
そうしていくうちに、
私も成長していくことができたんですよね。
ありがたいです。
そうしているうちに、
親分が、関東PGCの代表をしている時に、
私が副代表をさせていただき、
その後、尊敬する吉田先輩の後を継いで、
私が代表にならさせていただきました。
また、
全国PGCで親分が、トップであるときの議長をしている時は、
法人を作り、そこの代表にならさせていただき、
佐藤議長の後、私が全国PGCの議長に、
ならせていただいた、
と言う経緯があります。
約700名のメンバーのいる、
写真館経営者の団体の、
トップとして、2年間やらせていただいたのは、
今の、自分にも大きく影響しています。
また、この辺りは、
別の機会にも、お伝えしますね。
この先輩の、背中を見て、
育ってきたんですね。
生き方に関してですが。
ただ、この親分。
めっちゃ飲むのです。
グテングテンになるまで。
よく、朝まで付き合いました。
その影響のせいか、
私も、めっちゃめっちゃ、
飲むようになってしまいました。
この後、親分のおかげで、
まだ、日本ではメジャーではなかったコーチングと出会い、
まっきーがコーチの資格を取り、
喜田寛先生と出会って、生き方を学んだりすることができました。
その影響もあり、数年後、
本田健と出会ったり、
色々な人との出会いが、増えていくのです。
今では、年数回しか会うことがないのですが、
現在、写真館協会の理事長をしている佐藤親分。
その影響か、
なぜか私も、写真館協会の理事にも、
ならせていただいているのです。
帰国して、2年が過ぎようとしている時、
まっきーと、
"そろそろ、結婚しようか?"
と言う話になってきました。
とはいえ、この頃は、
仕事がようやく面白くなり始めた頃。
結婚、と言うものに対して、
具体的なイメージはなく、
漠然としていました。
ただ、私も3月で30才。
20年前の時代では、
30才は、そろそろ適齢期。
と言われていました。
なので、私も、
"結婚した方がいいだろうなー"
と感じていたのです。
そもそも、
男性にとって、
結婚とは、
"別にしても、しなくてもいいもの"
と、思っている人が多いのでは
ないでしょうか?
今だからこそ、私は、
"絶対、結婚した方がいい!"
と断言できますが、
30才前後の頃の男子からしたら、
"結婚よりも仕事の方が大事!"
と思っている人も、
多いのではないでしょうか?
だからこそ、
できちゃった結婚などは、
結婚のきっかけとしては、
ありなんですよね。
まあ、結婚に対しては、
それほど焦っていなかった、
と言うのも事実でした。
とはいえ、まっきーとは、
サンタバーバラで付き合い始め、
5年が過ぎようとしているので、
そろそろ、結婚も考えなきゃなー!
とも思っていました。
1月にまっきーの誕生日を迎え、
"まっきーのご両親にも挨拶いかなきゃね!"
という話になり、
まっきーからは、
"会いに行くと言うことは、そう言うことだよ!"
と言われ、
"もちろん、わかってるよ!"
と答えたのです。
ちなみに、
まっきーは、一人っ子。
お父さんは、校長先生、
お母さんも先生、
おじいちゃんも、校長先生、
と言う、先生一家。
自営業のうちとは、真逆。
お父さんは、しっかりした人で、
"挨拶するなら、結婚する時と思っている人だよ”
とマッキーから言われていたので、
今まで、付き合い始めてから、
きちんと挨拶したことはありません。
一人娘を、嫁に出すなんて、
本当に、許してもらえるのだろうか???
脇汗をかきながら、
ちょー、緊張して、
千葉の実家へ、挨拶に行ったのです。
多分、脈拍は100を超えていたんじゃないかと思うくらい。
ドキドキ、
心臓の音が、マジ聞こえてきそう。
"まきさんと、結婚したいと思っています。"
"よろしくお願いします。"
と、言いました。
と言うか、言ったような気がする・・・・
緊張しすぎて、あまり、覚えていませんが。
まっきーのお父さんは、
すっごく、できたお父さんで、
一人娘のまっきーを、
自営業を営んでいる私と結婚することを、
快く?承諾してくれたのです。
私は、殴られることなく・・・・
"よろしくお願いします。"
と、お父さんから言ってもらうことができました。
まっきーは、お父さんのこと大好きであり、
お父さんも、まっきーのことを、
とても愛しています。
それなのに、
いやいや、
それだからこそ、
まっきーの意思を尊重し、
結婚を許してくれたのです。
本当に、本当に、素晴らしいお父さんで、
今でも、優しく、人間的にも器が大きな人で、
私の尊敬する一人でもあります。
数週間後、
うちの両親を連れ、
料亭での結納。
まっきーは、祖父母とも健在だったので、
総勢8名での食事会。
ところで、
2020年の今でも、結納って、やってるの???
you know??
yui nou??
・・・・
おばあちゃんは、厳しい人で、
何か言われたなー?
バシッとね。
でも、何言われたか覚えとらん。
言われたシーンだけは思い出すけどね。
そんなこんなで、
無事、結納も終わり、
結婚に向けて、
準備が始まるのです。
この頃は、
"家族の幸せ"を残すために、
"家族写真を広めよう!"
なんて、まったく思っていませんでした。
まっきーと結婚し、
泰夢が生まれ、
そして、本田健さんと出会ったことで、
その思いが、自分のライフワークになっていくのです。
つづく
welcome board用の写真
森藤ヒサシストーリー
アメリカ編その2(ニューヨーク&エミさん)
アメリカ編その3(ナショナルパーク編他)
幸せになる写真撮りたい方、
BLISSまたは、
パセオヌエボまで、
お問い合わせください!
最後まで、お読みいただきありがとうございました。











