こんにちは、フォトグラファーの森藤ヒサシです。
みなさん、
何かに真剣に取り組み始めて、
急激に技術が上達した経験って、
ありませんか?
野球で、急にヒットを量産できたり、
ゴルフで、100を切れない時期が続いていても、
ある瞬間から、普通に90台が出るようになったり、
マラソンで、サブ4を出せなかったのに、
急にサブ4を出せるようになったり。
何か、ある瞬間から、
壁を乗り越えられることって、
あるんですよね。
私が急激に、写真が上手くなった話を、
お伝えします。
2001年秋ごろ
写真館をやっていて、
茨城県内でお世話になった、
大好きな二人の先輩がいます。
それが、
以前お伝えしたことのある、
牛久の吉田和正先輩、
そしてもう一人、
古河の猪瀬一也先輩。
まあ、二人とも、
普通ではない人。
はっきりいうと、
どこかネジが一本外れているような人。
変態!!
だからこそ、
他の人とは、全く違う世界観を作り上げているし、
写真も上手いし、
めっちゃ面白い。
私自身が、超普通な人に思えてしまう、
そんな刺激を受けた人たちです。
特に、古河のミトベ写真館の猪瀬さんが撮影する女性の写真は、
エロさと妖しさの中に、
女性の美しさ、可愛らしさを写します。
撮影している時は、
ほとんどコミュニケーションをとらない。
女性にまかせてしまう。
カメラで会話をする、
コミュニケーション。
んー、変態です。
この猪瀬さんと一緒に、
PGCという若手写真館経営者の集まりで、
写真集プロジェクト
というものを立ち上げました。
写真集用の写真を撮るための勉強会です。
(他にブライダルフォトグラファーで、元アニソン歌手の
鈴木健治さんと一緒に立ち上げたのですが、
この鈴木健治さんとは、色々と繋がっているので、
また別の回でお伝えします。)
それまでの、写真館における撮影のスタイルは、
1ポーズ、1ポーズを、
しっかりとライティングと、
きれいなポージングをして、
撮影するものでした。
いまだに、
その印象がありますね。
でも、
ちょうど、デジタル一眼レフが出始めたころ、
様々なシチュエーションで、
ちょっとスナップっぽい、
写真集スタイルの撮影をするところが、
流行り始めたのです。
この写真集プロジェクトが、
めっちゃ、この後の、
私の撮影スタイルを変えることになったのです。
作品1
写真集プロジェクトでは、
ハウススタジオを借りて、
モデルさんを、少人数のカメラマンで、
撮影しまくります。
今までは、1枚1枚の完成度を高くするために、
時間をかけて撮影していましたが、
まったく違う撮影スタイルなのです。
モデルさんが素敵に見える、
光のある場所を見つけ、
そこで、自分の思ったようなポーズをしてもらう。
写真集なので、
バリエーションも多くなければ、
面白くありません。
場所を変え、
構図を変え、
アングルを変え、
色を変え、
カメラ目線だけではなく、
寂しい表情から、
楽しい表情まで、
1冊の写真集を仕上げるために、
今までではやってこなかった撮影をするようになったのです。
作品2 バリエーション
一人のモデルに対して、
2、3名のカメラマンで、ずっーと何時間も撮るので、
めっちゃ大変です。
とにかく、自分の引き出しの中から、
自分の持っているアイデアを引っ張ってきて、
撮影をするのですが、
撮影しているうちに、
自分の引き出しも空っぽになってしまうのです。
モデルさんを、
どのように撮影したらいいか、
まったくイメージがわかなくなってしまいます。
でも、ある瞬間、Zoneに入って、
上からイメージが降りてくるのです。
自分の中の引き出しからアイデアがなくなった瞬間、
ある意味、全て出し尽くされた時に、
イメージが降ってきたのです。
ドラゴンボールで言うと、
精神と時の部屋に入った感じ。
もうダメだと思った死の間際、
次の段階の強さを身に付ける感じ。
人は、限界に達すると、
ステップアップできるように、
プログラムされているんですよね。
モデルさんをどのように撮ったらいいか?
Zoneに入ると、
アイデアは尽きても、
次から次へと、
アイデアが湧いてくるのです。
そうなると、
撮影がめっちゃ楽しくなってくるのです。
自分の中で、
次の次元に上昇した感じでした。
作品3
撮影後、みんなで撮影したものを、
互いに見せ合います。
これがまた面白い。
同じシチュエーションで、
同じモデルを撮影しているのに、
まったくみんな違う撮影をしているのです。
特に、猪瀬さんは、格別でした。
よーもまー、
こんな雰囲気で撮影できるわなー!
と、感動するようなものばかり。
お互いが刺激を受け、
切磋琢磨をし、
そして、またステップアップしていく
のです。
めっちゃ、写真が楽しくなってきました!
この楽しくなるってことが、
1番の上達の秘訣!!
自分の引き出しの中を全部出し切り、
限界に達して、Zoneの状態に入る。
さらに、仲間と刺激し合う。
こんな状況を作ることができると、
自然と上達していくんですよね。
写真に限られたことではありません。
なんでもそうだと思うのです。
自分の中で、勝手に限界を作って、
できることだけやっているうちは、
ある程度までしか上手くなりません。
自分の限界を超え、
なおかつ楽しんでやることが、
上達の秘訣なのです。
今その頃を思い出しただけでも、
きつかったけど、楽しかった思い出しかありません。
こんなプロジェクトを立ち上げてくれた、
猪瀬さんには、感謝なのです。
この、写真集スタイルの撮影は、
今では、写真スタジオでは、
あたりまえのスタイルになっています。
まあまあ、うちらは早い時期から、
取り組んでいたんですよね。
自分で言うのもなんですが、
すごいわー。
実は、
この写真集プロジェクトのやり方が、
ベースとなって、
現在私がやっている、
があるのです。
午前中講義をして、
午後はワークショップ、
そして、モデルを使った実技撮影、
撮影したもののクリティーク、
そして、次回の撮影のイメージを作る。
写真集プロジェクトで学んだものを
自分のセミナーに取り入れることで、
受講生が、短期間でも、
急激に上達するのです。
まあ、
パクリですけどね。
サンタバーバラでまっきーと出会い、
日本に戻って、結婚をし、
と言う、サンタバーバラにちなんだ
スタジオをオープンしました。
でも、
スタッフはサンタバーバラ という場所に
行ったこともなければ、
よく知りもしません。
私たちの大好きなサンタバーバラに
スタッフたちを連れて行きたい!
そんな思いを持ちながら、
数年後、
スタッフの中から希望者を募り、
サンタバーバラに一緒に行くことになるのです。
私が28才の時に、
水戸の写真館に戻った時、
両親、姉、いとこを含め、
スタッフは、約10名でした。
時代とともにスタッフも増え、
パセオヌエボをオープンし、
スタッフも20名近くになっていました。
うちの会社では、
毎年のように、
どこかにみんなで、
社員旅行に行くのですが、
一度、私たちの住んでいたサンタバーバラに、
みんなを連れて行きたい、
と思うようになっていました。
2000年くらいの社員旅行
しかし、
海外に行くには、
お金がかかる。
会社で、
スタッフの旅費を賄えるほど、
お金があるわけではありません。
もちろん全員は無理。
なので、
会社で補助をしつつも、
自腹でもサンタバーバラに行きたい人
を募ったところ、
数名のスタッフが手を挙げてくれて、
彼らをサンタバーバラに連れて行くことになったのです。
わずか,
5泊7日の小旅行。
海外旅行をしたことのないスタッフもいます。
もちろんみんな英語も無理!
私は、今まで、
自分の家族を連れて、
アメリカをドライブ旅行したことはありますが、
他人をアメリカに連れて行くのは初めて。
でも、
大好きなスタッフと一緒に
サンタバーバラに行けるのは、
ワクワクドキドキ
なのでした。
もちろんスタッフたちも、
初めてのサンタバーバラに、
ワクワクしている様子が、
伝わってきます。
8時間30分のフライトで
LAXに到着し、
そこからレンタカーでワンボックスを借りて、
サンタバーバラに向かいます。
ホテルは、
サンタバーバラの海の目の前に泊まりました。
ホテル代は、
今の1/3の料金。
今そのホテルに泊まると、
最低でも3万円以上はします。
当時は1万円くらいだったんですよね。
しかも、一部屋2名なので、
一人5000円くらい。
当時は安かった!!
日本の経済が20年間停滞している間、
世界は、確実に成長し、
料金も上がっていったのを実感します。
サンタバーバラでは、
私の卒業したブルックス写真大学を見学し、
サンタバーバラの名所を巡り、
夜は、エミさんたちとディナーを食べ、
サンタバーバラの良さと、
私の写真の原点を
スタッフたちにも見てもらったのです。
エミさん宅で!
サンタバーバラピアにて!
サンタバーバラ ミッションにて!
サンタバーバラのパセオヌエボにて
もちろんただの旅行では面白くないので、
LAの写真スタジオも見学しました。
ラヴィLAのYoshiと
Joey Ikemonoさんと
そして、最後は、
自腹を切ってまで参加してくれたスタッフたちに、
サプライズをしたいと思い、
なんと、
グランドキャニオンまで連れて行ったのです。
LAから車で8時間。
みんなには内緒です。
運転中
今日は移動するからといって、
みんなは
車中泊。
私とまっきーで、
8時間ドライブし、
朝起きたら、
グランドキャニオンの
壮大な朝焼けが
そこにある!
日本では、決して味わえない景色を見てもらいたい!!
そんなサプライズ。
みんな、車の中ではぐっすり。
朝、6時(2月なので)
"みんな起きて!"
スタッフは、寝ぼけ眼で、
ここがどこだかわかりません。
"寒いけど、ちょっと外に出てみよう!"
といって、みんなは外に出ると、
"Waoーー、すげーーーー!!"
すんごい景色に
圧倒されます。
"ここはどこ?"
"まじ、グランドキャニオン!"
"行ってみたかった!"
サプライズ、大成功!
グランドキャニオンにて!
この感動を胸に、
日本に帰っても、
お客様に、感動をしてもらえるような写真を撮ってもらいたい!
そんな気持ちで、
グランドキャニオンを後にしたのです。
わずか、5泊の旅。
と言っても、車中1泊。
思い出に残る、
スタッフを連れてのアメリカ旅行をすることができ、
私たちも、幸せなのでした!!
スタッフを連れてのアメリカの旅は、
また、翌年も継続して行くことになります。
しかし、そこから
17年経ち、
会社の経営も厳しくなり、
なかなか、その後がいけていません。
また、みんなを連れて、
サンタバーバラに行きたいものです。
こういう目標も、
頑張れるモチベーションなんですよね。
ちなみに、
私とまっきーは、
毎年、サンタバーバラに帰っています。
パセオヌエボがオープンして、
2,3年が過ぎた頃、
売り上げも順調に伸び、
だいぶ調子に乗ってました。
この調子に乗っている期間は、
長くは続かないのですが、
そんなことも知らず、
謙虚にもならず、
傲慢な自分でした。
この頃は。
自分で言うのもなんですが、
やな奴でした。
どのくらい、調子に乗っていたかというと、
まず、
ブライダル部門で、
カメラマンを育成して、
派遣できるようにしようと思い、
Blissという会社を立ち上げます。
それにも増して、
自分の思い通りにできる、
会社が欲しい、
父親から独立したい、
と思って設立した思いの方が強いかな?
業界でも、
いち早くフルデジタル化に移行したいと思い、
めっちゃお金をかけて、
富士フィルムのプロバックと言う、
200万円以上のカメラを購入。
さらにコンピューターなど、
新しいものを購入し、
合計400万円以上投資をして、
数年で役に立たなくなる、
フルデジタル化のシステム化を図る。
どのように、採算を取るか、
計画もなしにね。
スタジオ1店舗での売り上げの限界があると知り、
新しいスタジオを作れば、
さらに、売り上げが上がると、
勝手に誤解し、
その話を強引に進める。
その頃の、決算書もあまり気にせず、
足りなければ銀行から借金すればいいと思っていた。
(実際に、売り上げは上がっていたが、借金が多く、利益がなかったのが事実)
35歳で東京に進出したいと思い、
東京での拠点を探し始め、
月島にマンションを購入する。
(これは35年ローン)
自分で書いていて、
よくもまあ、
色々とやっていたなー、
と、恥ずかしくなります。
計画性もなく、
感謝もなく、
自分の思い通りに進めようとして、
裸の王様になりかけていたんですよね。
まじ、恥ずかしいです。
ちょうど、その頃、
始めたことが二つあります。
一つは、
経営コンサルタントと契約したこと。
もう一つは、
経営者のためのセミナー、
喜田寛総合研究所で、
セミナーを受け始めたこと。
一つ目は、
船井総研の井口章さんと言うコンサルタントの方に、
月1回、コンサルに来ていただき、
今後の経営について、毎回相談していました。
経営については、私はまったくの素人。
事業計画書も書けませんし、
自分の直感でしか、
行動を起こせないタイプ。
井口さんに来ていただき、
ようやく、経営というものが分かり始め、
この頃から、撮影よりも経営の方に力を入れ始めます。
(このことが数年後、亀裂を生む原因になります)
そして、もう一つの
喜田寛総合研究所のセミナー。
これは、経営者のマインドを育てる、
経営塾。
先輩の佐藤泰博さんの紹介で、
喜田先生を知りました。
喜田先生の書
高ーい料金を支払い、
経営者としてのあり方を学びます。
喜田先生は、素晴らしい先生で、
感謝の心を教えていただきました。
しかし、当時、傲慢だった私は、
セミナーを聞いても、
自分が傲慢だと気づかずにいたので、
自分は、できている
と勘違いしていたのだから、
どうしようもありません。
せっかく、高いお金を払っているのに、
セミナーに出ていることに、
満足してしまい、
自分の傲慢さがどんどん増していった感じなのです。
まあ、
今思うと、
30代のイケイケの時代。
恥ずかしいのですが、
そういう時期もあってよかったのかな、
なんて思います。
未来しか見えていない。
過去は見ない。
感情を気にせず、
自分のやりたいことだけを、
強引にやっていく。
自分が正しいと思い、
まわりの方が間違えていると思う。
自分を突き通すので、
社員も離れ、
父親との仲がますます悪くなっていきます。
超自分勝手野郎です。
でも、
こういう時期があって、
その後失敗して、
人生を学ぶことになるのですから、
それはそれで俯瞰してみれば、
OKなんですよね。
もちろん、最初から失敗することがわかっていたら、
傲慢になったり、
自分勝手になったりせずに、
足元をしっかりと見て、
自分の人生を考えながら、
行動できると思います。
でも、
そんなことないんですよね。
行動して、失敗するからこそ、
学びがあるのです。
今だから言えますが・・・
まあ、恥ずかしいのですが、
そんな昔の自分を肯定もしているのです。
話は変わりますが、
子育てにおいても、
同じことが言えるんじゃないかな、
と思います。
最近の親は、
子供が転ばないように、
危なくないように、
あえて、手を差し伸べたり、
子供を守ってあげようしすぎなんじゃないかな?
って思うのです。
子供は、転んで、痛さを知り、
友達と喧嘩して、
心の痛みを知るのです。
それをしないで、
安心安全な場所を作り過ぎていると、
大人になった時に、
ほんの少しの心の痛みをおっただけで、
鬱になってしまったり、
まわりの傷つけるようになってしまったりするのです。
子供を守るということは、
子供を信頼していないことにつながります。
子供が失敗したり、傷ついたりして、
成長していく、
ということを信頼できれば、
その子は、しっかりと成長できるのです。
書いていて、そんなことも思ってしまいました。
まあ、自分が人を傷つけ、
失敗し、
まわりを巻き込みながら、
嵐を吹かせていた時期。
恥ずかしいけど、
それもありなんですよね。
でも、傷つけた人たち、
嵐に巻き込んだ人たち。
本当にごめんなさい。
反省。
28歳でアメリカから戻り、
実家で働き始めるも、
父親との折り合いも悪く、
水戸よりも東京で活躍したい!
と思っていました。
その時は、
実際に、水戸を離れて10年。
東京に6年。
アメリカに4年。
住んでいて、水戸から離れていたので、
どうしても、水戸が田舎に感じてしまっていたんですよね。
そして、
35歳くらいには、
東京に出ていたい!
と、田舎の青年は、
そんな希望を持っていたのです。
東京月島のマンション
夢は人に言うと叶う!
って、言ったりしますよね。
それは、その通りだと思います。
夢と言っても、
所詮、ほとんどの夢は、
今の自分が頑張れば、
その延長上にあるもの。
私が、35歳には、
東京に進出したい!
と言う夢は、
時間とお金さえあれば、
なんとか叶うもの。
ではあったのです。
自分が思ってもいない夢は、
叶うことはありません。
例えば、
急に私が
ミュージシャンになりたい、
とか、
芸能人になりたい、
なんて言うこともないので、
そうなることもありません。
別に
政治家になりたい!
と言う夢もないので、
政治家になることもないし、
ノーベル賞を取りたい!
と言う、夢もないので、
もちろん
ノーベル賞を取ることもありません。
あくまでも、
その頃の、
写真家として、
メジャーになりたい!
と言う大きな夢のために、
35歳には、東京に進出したい!
という、夢を持っていたし、
それを友人に語ってもいました。
自分がやっていることの
延長線上にある夢は、
行動さえすれば、
叶うものなのです。
だからこそ、
35歳の時に、
東京にマンションを購入し、
東京に進出をすることができたのです。
私が、水戸に戻ってきた頃、
運よく、ホテルとか結婚式場から声がかかり、
ブライダルフォトグラファーとして、
活動することができていました。
しかし、
その水戸のホテルや結婚式場に、
メインで入っている写真の業者は、
東京の会社だったのです。
それは、写真だけではなく、
花屋も、美容室も、
すべて東京ブランド。
水戸に住んでいる人たちは、
地元のものを大切にするよりも、
東京ブランドの方が、
かっこよく思えてしまう人が
多かったのです。
東京への憧れのようなものが、
あったんですよね。
今でも、8年連続くらいで、
魅力のない都道府県で一番、
という茨城県。
47都道府県中、
唯一テレビ局もなく、
何か自然の魅力があるわけでもありません。
だからこそ、
自分たちにも、自信がないというか、
東京に憧れてしまうのだと思います。
小貫写真館は、どんなに頑張っても、
地元の業者の一つ。
であれば、東京で活躍し、
それを水戸に逆輸入して持ってきたい!
そんな悔しい思いもあったんですよね!
(でも、そう思っている自分自身が、一番東京への憧れがあったことに、
後から気づくのですが・・・)
そして、そんなモチベーションもあり、
東京で、拠点を探し始め、
35歳の時に、
月島駅徒歩1分の場所で、
新築の高層マンションの物件を契約し、
そこを事務所として、
東京への進出を果たすのです。
思いは叶うもんですね。
夢の東京進出!
マンションが完成した時の感動は、
今でも覚えているくらい、
興奮していました。
ここを拠点として、頑張って成功するぞ!
と誓い、
月島でのビジネスがスタートするのです。
めっちゃ好きな場所でした!!
しかし、
マンションを購入したと言っても、
35年ローン。
70歳まで、
支払い続けなければならないのです。
あー、70歳って
今まで、生きてきた倍じゃん!
そう思い、
先が見えない、
長すぎるローンに、
嫌気をさしていました。
そして、
その前の年にスタートした新会社
も、東京に移転し、
東京で、ブライダルフォトグラファーとして、
活動を始めるのです。
とまあ、ここまではよかったのですが
・・・・
つづく
森藤ヒサシストーリー
3アメリカ編その2(ニューヨーク&エミさん)
4アメリカ編その3(ナショナルパーク編他)
幸せになる写真撮りたい方、
BLISSまたは、
パセオヌエボまで、
お問い合わせください!
最後まで、お読みいただきありがとうございました。




























