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グルコサミン博士のブログ

グルコサミンのことならなんでもお答えします♪

南イタリアの旅もいよいよ後半。
 

日の出とともに船がパレルモに到着。

空に舞う鳥と夕焼けの海

パレルモ港に停泊する船と街並み

パレルモ港のクレーンと丘の夜景

パレルモ港に到着したフェリー「スプレンディッド」

 

今日はまずシチリア島の州都パレルモを徒歩で観光しました。
街はアラブ、ノルマン、バロックが混ざり合う独特の雰囲気。
壮麗な王宮やカテドラル、華やかなマッシモ劇場、そして歴史あるクアトロ・カンティ(四角広場)。
噴水が輝くプレトーリア広場や市庁舎前では、人々の暮らしと歴史が静かに交差していました。

 

マッシモ劇場

パレルモのマッシモ劇場とライオン像

パレルモのマッシモ劇場

 

四角広場

パレルモのクアトロ・カンティ、歴史的建造物

 

王宮

パレルモのプレトーリア広場にある噴水とドーム

 

凱旋門

パレルモの壮麗な凱旋門

 

主教会

パレルモ大聖堂、アラブ・ノルマン建築の傑作

 

パレルモ守護神

パレルモ守護神の彫像

 

市街

パレルモの装飾的な吊り下げ装飾

 

土曜日なのに、多くの教会で礼拝が行われています。

調べてみると、10月18日はキリスト教会歴では聖ルカの祝日です。

 

その後、シチリア島の北部にあるチェファルーへ行きました。

背後には大きな岩山、目の前には青い海。
白い壁と赤い屋根の家が並んでいて、本当に絵のような町です。

ここはシチリアで最も魅力的な海辺の町と呼ばれ、
映画『ニュー・シネマ・パラダイス』やドラマ『ホワイト・ロータス』第2シーズンなどのロケ地としても知られています。
どこを切り取っても映画のワンシーンのようで、
波音と潮風に包まれながら、心までゆるやかにほどけていくようでした。

チェファルーの白い家並みと岩山

南イタリアの海辺、石造りのアーチ越しのカップル

パレルモの海岸線と建物

シチリア島チェファルーの街並みと海岸

南イタリアの建物に咲くピンクの花

 

そして今日のランチはまたナポリピザ!店名を覚えてないが、絶品です♪

焼きたての香ばしさがたまらなくて、四人で四種類の四個をシェア、ついついペロッと完食。

三個終わったところ、なんと、

みなおなかがいっぱいで四個目はいらないと言いだしました。

四種目のお味も食べてみたいとひそかに思っていたのは私だけかもしれません。
旅の疲れを癒してくれるような美味しさでした。


午後はシチリア島南部、アグリジェント県にある白い石の崖(スカーラ・ディ・トゥルキ/トルコの階段)へ。
地中海の青と、眩しいほどの白のコントラストが美しく、
まるで空へと続く階段のように見えます。

スカーラ・ディ・トゥルキ:シチリアの白い崖

スカーラ・ディ・トゥルキの白い断崖と地中海
 

長い年月、風と波に削られて生まれた自然の造形は、
まさに地球がつくり出した芸術そのもの。
映画『マレーナ(シチリアの美しい伝説)』にも登場した、あの印象的な白い崖です。実際に見ると息をのむ美しさでした。

 

ホテル入る前の景色

パレルモの日の出と海

本日はアグリジェントで宿泊。


 

午前中は、かねてから訪れてみたかったポンペイ遺跡へ。

 

紀元79年、ヴェスヴィオ火山の噴火によって一瞬にして埋もれた古代都市。

そのままの姿で時を止めた街並みは、まるでタイムスリップしたかのよう。

ポンペイ遺跡とヴェスヴィオ火山

ポンペイ遺跡の古代の石造りの構造物

石畳の道、当時の家屋や浴場、パン屋のかまどまでがそのまま残り、

人々の暮らしの息づかいがいまにも聞こえてきそうです。

何千年もの時を越えて、ここまで鮮明に残る人間の営みの跡に、

ただただ圧倒されました。

 

かつてのメインストリート

ポンペイ遺跡の石畳と建物跡

 

レストラン

ポンペイ遺跡の石造りのパン屋のかまど

 

劇場

ポンペイ遺跡の古代劇場

神殿

ポンペイ遺跡の神殿跡、列柱のある景観

 

当時富裕階級の住宅

ポンペイ遺跡の古代の部屋と窓からの眺め

ポンペイ遺跡の建物跡と中庭

ポンペイ遺跡から見えるヴェスヴィオ山

ポンペイ遺跡のモザイクと噴水

 

午後はイタリア第三の都市ナポリへ移動。

ナポリ旧市街は街全体が世界文化遺産に登録されています。

賑やかな広場には市役所、その背後の丘の上には修道院。

ナポリ旧市街の建物と丘の上の城

同じ広場の一角には、名前とは裏腹に古い「新しい城(カステル・ヌオーヴォ)」が堂々と建っています。

ナポリ旧市街にある新しい城

 

港に大型客船が寄港中

大型客船とナポリの街並み

 

王宮

ナポリ旧市街の歴史的建造物

 

トリエステ・エ・トレント広場の噴水(左がナポリ王宮)

ナポリの噴水と市庁舎

サン・カルロ劇場(Teatro di San Carlo)

ナポリ旧市街の石造りの建物

ガッレリア・ウンベルト。

ガッレリア・ウンベルト、ナポリの美しいアーケード

ガラス張りの天井が美しいアーケードで、あのミラノのガッレリアを作った建築家の息子が手がけたそうです。

光が差し込む長廊の中を歩いていると、ナポリらしい華やかさと古さが同居しているように感じました。

 

以上はほとんど徒歩圏内にあり、ナポリの歴史とエネルギーを肌で感じられるエリア。

 

ちょうどEU首脳会議が開かれていて、広場一帯は封鎖中。

お巡りさんの姿があちこちにあり、街全体が少し緊張した空気に包まれていました。

ナポリのカラビニエリと街並み


そして、イタリアに来て5日目にしてようやく――

初ジェラート!

イタリア旅行初ジェラート、マンゴーと紫芋

思わず笑みがこぼれるおいしさでした。

 

本日の食事は昼も夜も中華。

これがまた意外にハイレベルで、旅の途中の胃にもやさしく大満足。

 

夕食後、夜20時発の船でいよいよシチリア島パレルモへ。

GNVフェリー、シチリア島パレルモへ

南イタリアの旅は、ますます深く、色濃く続きます。

 

朝8時、ホテルを出発してマテラへ向かいました。

 

マテラは「洞窟の町」として知られ、旧市街は世界文化遺産に登録されています。岩山をくり抜いた3000もの洞窟住居と、150を超える石造りの教会が点在し、まるで別世界のよう。

マテラの洞窟住居と教会、世界遺産

マテラの洞窟住居と教会の歴史的建造物

マテラの洞窟住居と石畳の道

マテラの洞窟と谷の風景

マテラの洞窟住居と断崖の風景

 

2004年の映画『パッション(イエスの受難)』のロケ地としても有名です。今では多くの洞窟がホテルやレストランとして再生され、古代と現代が融合した不思議な街並みを歩きました。

マテラの洞窟住居と庭園

マテラの洞窟住居と赤い実の木

マテラ洞窟住居とトゥルッリ

マテラの洞窟住居とザクロの木

マテラの石壁とシクラメン

朝早く訪れたため、観光客も少なく、静かな石畳の上をのんびりと散策できました。

 

次に向かったのはアルベロベッロ。

二年半前、ベネチアからギリシャ周遊のでクルーズの途中でも訪れた懐かしい町です。イタリア地図でちょうど“靴のかかと”の位置にあるこの町は、1996年に世界文化遺産に登録されました。

 

ここで有名なのが、トゥルッリ(Trulli)建築。

白い石灰岩を積み上げて造られた円錐形の屋根が特徴で、石灰岩はすべて地元のもの。壁が厚く、窓は小さく、冬は暖かく夏は涼しいという、自然の知恵に満ちた建物です。現在も400軒以上が人々の住居として使われています。

 

アルベロベッロのトゥルッリと円錐形屋根

マテラのトゥルッリと猫

アルベロベッロのトゥルッリと石畳の小道

アルベロベッロのトゥルッリ風の白い家

 

今回は現地ガイドさんには陽子さんの店を紹介、なんと二階のトゥルッリも含めて全員で訪れることが実現した。前回は陽子さんとご主人様だったのに、今回はお息子とお嫁さんも加わり、日本人以外の客もたくさん入っている。

アルベロベッロのトゥルッリの家並み

お店の裏にはご家族が住まわれており、2階部分はトゥルッリの屋根を撮影できる人気スポットになっています。前回訪れたときに買ったパルミジャーノチーズがとても美味しかったので、今回はオリーブオイルと一緒に購入しました。硬くて香り高く、すりおろしてパスタにかけると最高の味わいです。

 

その後、再びバスで約4時間かけてナポリへ戻りました。

この日の食事はランチ・ディナーともに中華料理。

数日ぶりのご飯粒に、みなさん本当にうれしそう。日本のツアーでは和食がほとんど出ないことを思うと、中国の旅行会社の気配りに感心しました。

 

軽井沢の晩秋を楽しんでいます。


今は観光シーズンのピーク、雲場池へ向かう道では、バスも歩行者も列をつくるほどの賑わいです。
軽井沢 雲場池 紅葉と青空
確かに雲場池の紅葉は見事ですが、私から見ると、街全体が黄色と赤のコントラストに包まれていて、どこを歩いても、ドライブしても、まさに“紅葉、紅葉”の世界。
軽井沢の秋、紅葉と落葉の道
軽井沢の川と紅葉
軽井沢 雲場池 紅葉と水鳥
軽井沢の秋、黄色い紅葉の森
 

 

 

夏の避暑地に負けない、秋の軽井沢の美しさを感じています。
 

昨日、ツルヤ前で撮った浅間山は、青空に白い雲が映えてとても魅力的でした。

軽井沢 浅間山 初雪


そして今朝、お花を買いに再びツルヤに立ち寄ったところ、なんと浅間山がうっすらと冠雪していました。

冠雪した浅間山と軽井沢の秋景色
 

例年より遅い初雪だそうですが、「山に三度雪が降ると、里にも降りてくる」と地元の方は話していました。

そろそろ私も、今年の軽井沢滞在を終えて、暖かい東京へ戻る時期です。


今年はアラレの記事が中心で、軽井沢のことをあまり書くゆとりがありませんでしたが、来年はまたゆっくりと軽井沢のレポートをお届けしたいと思います。

どうぞお楽しみに🌿

3日目の朝は、雲が多く少し霞のかかった空でした。

9時にホテルを出発し、バスはアマルフィ海岸線へと向かいます。

 

ナポリ湾を離れ、曲がりくねった断崖の道を進むにつれ、

右手には紺碧の海、左手には岩肌にへばりつくように家々が並びます。

家の壁は白、ピンク、オレンジ…まるで積み木を重ねたよう。

それぞれの窓辺には花が咲き、レモンの香りが風に混じります。

アマルフィ海岸 ポジターノのカラフルな家々

アマルフィ海岸線は「世界一美しい海岸道路」と呼ばれていますが、

その言葉どおり、道の先ごとに新しい絶景が現れます。

アマルフィ海岸、断崖の街並みと青い海

しかし本日は青空がないので、本来の美しさは想像に任せました。

 

ポジターノの街歩き

やがて小さな港町ポジターノに到着。

崖の斜面にカラフルな家々が段々に並び、

その下には青い海が静かに広がっています。

アマルフィ海岸の断崖に建つレストランテラス

ポジターノの断崖に建つカラフルな家々と青い海

アマルフィ海岸 ポジターノの断崖に並ぶ家々

 

坂道をゆっくりと下りながら散策。

陶器やリネンの店が並び、店先から流れる音楽が南国らしい明るさを添えます。

アマルフィ海岸の陶器店、カラフルな装飾

アマルフィ海岸 ポジターノの陶器と街並み

ポジターノのカラフルな雑貨店

アマルフィ海岸の青い海に浮かぶ船と桜の花

ポジターノのブティック、カラフルな服とマネキン

アマルフィ海岸のテラス席と青い海

どこを切り取っても絵になる街で、写真を撮る手が止まりません。

 

ランチは町のレストランで。

ピザ職人が石窯からピザを取り出す

出てきたのは、直径26センチほどのマルゲリータピザ。

マルゲリータピザ

薄い生地の上にトマトソースとモッツァレラチーズ、

仕上げにグリーンのバジリコが香ります🌿。

 

一人一枚とはなかなかのボリューム。

完食したい気持ちは山々でしたが、さすがに途中でギブアップ。

店員さんが「持ち帰りますか?」と笑顔で聞いてくれましたが、

夕食が牛肉ステーキと聞いていたので、丁寧にお断りしました。

 

午後はマテーラへ

午後は再びバスに乗り込み、約4時間かけてマテーラへ。

車窓から見える海の青が、次第に大地の茶色に変わっていく。

南イタリアの風景は本当に多彩で、走るだけでも心が満たされていきます。

 

今回の旅の初日に泊まったホテルは四つ星とのことでしたが、実際はかなりシンプルな造り。

チェックインからチェックアウトまで、わずか8時間の滞在でした。

 

今朝8時45分、私たちを乗せたバスはカプリ島へ向けて出発。

ナポリは道が狭く交通量が多いため、20分と聞いていた距離も倍以上の時間がかかりました。

 

途中、車窓からナポリの新城(ヌオーヴォ城)が見えました。

ナポリ新城(ヌオーヴォ城)と街並み

13世紀に建てられ、アルフォンソ一世を記念して築かれたこの城は、かつて王の私有財産だったそうです。

 

 ヴェスヴィオ火山と青の洞窟

港から船に乗り込むと、ヴェスヴィオ火山が遠くに姿を見せました。

ヴェスヴィオ火山とナポリ湾の海

2000年前の大噴火でポンペイの街を壊滅させたことで知られるこの火山。

今も活動を続けていて、噴煙がうっすらと上がる様子が見えました。

 

今日は快晴。

そしてなんと「青の洞窟、本日入場可能」との知らせが!

一年のうちでも天候条件により入れない日が多く、入洞率はわずか30%ほどとか。

その幸運な日に当たり、みんな大喜びでした。

 

中型の船に乗り換えて洞窟の入り口へ近づき、順番が来るまで海上で待機。

カプリ島、青の洞窟、ボートツアー

呼ばれると、さらに4人と船頭さん1人が乗る小さなボートに移り、いよいよ洞窟へ。

入口はわずか高さ1メートルほどで、体を伏せるようにして入ります。

 

中に入ると、海の青が光を反射して神秘的な輝きを放っていました。

青の洞窟、神秘的な青い海

青の洞窟、カプリ島、ボート

青の洞窟、神秘的な青い海

 

「青の洞窟」という名の由来を実感したのも束の間、思ったより早く外に出ることに。

 

撮影上手な方が作った動画

 

長年の夢が叶ったとはいえ、あまりにも短く、感動が追いつかなかったのは私だけかもしれません。

料金は地方政府、船会社、船頭へのチップをすべて含めて47ユーロでした。

 

 カプリ島のアウグスト庭園へ

昼食のあとは、カプリ島の「アウグスト庭園」へ。

ここは19世紀末、カプリに住んでいたドイツの大富豪フリードリッヒ・アウグストが整備した庭園で、現在は市民公園として公開されています。

カプリ島アウグスト庭園の入り口標識

カプリ島の白亜の建物とヤシの木

色とりどりの花々が咲き誇り、奥の階段を上ると、天然のアーチを持つ「ファラリオーニの岩群」を見下ろす絶景が広がります。

カプリ島の断崖と青い海

 

並んでそびえる二つの岩は「恋人たちの岩」と呼ばれ、その近くの柵には「愛の誓い」を象徴する無数の鍵が掛けられていました。

カプリ島アウグスト庭園とファラリオーニの岩群

カプリ島アウグスト庭園とファラリオーニの岩

 

ソレントへ

カプリ島を後にし、船でソレントへ。

ここは有名な民謡『帰れソレントへ』で歌われる街です。

アマルフィ海岸の玄関口でもあり、紺碧の海とナポリ湾を望む美しい景色が続いていました。

ソレントの断崖に建つ街並みと青い海

 

夕方は街の中心でフリータイムを過ごし、その後ホテルで夕食。

ソレントの断崖と海、青い空

ソレントの街並みと海

教会内部、祭壇と座席

 

今夜のホテルも四つ星ですが、やはり簡素な印象。

駐車場からスーツケースを引いて、石畳の坂道を5分以上歩く必要がありました。

 

ただ、みな抗議したので、現地ガイドがホテルと交渉してくれたおかげで、翌朝はスーツケースを部屋のドアのそばに置くだけでOKに。

きっと日本の団体だったら、何も言わずに自分たちで汗をかきながら運んでいたかもしれません。

こういう交渉力の違いも、文化の差を感じる瞬間でした。

 

次回は、アマルフィ海岸へのドライブと、美しい海辺の街をご紹介します。

 

 

 

今回初めて中国の団体旅行に参加し、憧れの南イタリアへ出発しました。

上海からルフトハンザ航空に乗り、フランクフルト経由でナポリへ。

午前11時のフライトで出発し、ナポリに着いたのは現地時間の夜23時でした。

 

参加者は全部で17人。年齢もほぼ同じくらいで、和やかな雰囲気。

今回のツアーは旅行会社主催ではなく、発起人の方が仲間を集めて、旅行会社に特別にツアーを組んでもらったという少し変わったスタイル。

南イタリアのほか、後半にはマルタ島やキプロスにも行くという、ちょっと特別な旅です。

 

ルフトハンザ航空はやはり一流のエアラインですね。

以前はハーゲンダッツのアイスが出てきた記憶がありますが、今回はなくても機内食は美味しく、水やお菓子も常に用意されていて自由に取れるスタイル。

 

機内食

機内食、南イタリア旅行の食事

機内食:パン、ジャム、ソーセージ、目玉焼き、ハッシュドポテト

トイレも地下一箇所にまとまっていて数が多く、常に清潔。広い空間を使用して、ここで簡単なストレッチをする人も。

ルフトハンザ航空機内トイレ通路

長時間のフライトでも一度も並ばずに済んだのはありがたかったです。

 

ただ、フランクフルトでの入国審査では少し時間がかかりました。

「なぜ中国人の団体旅行に日本人がいるのか?」と不思議がられ、他の参加者よりずっと長い質問を受けました。

これまでEUには何度も入っていますが、こんなに厳しく問われたのは初めてのこと。

ようやくパスポートに判子を押してもらったときは、少しホッとしました。

 

フランクフルト空港といえば、かつてアラレを連れてオランダに滞在したときも、この空港からEUに入りました。

その時は「どうぞどうぞ」と言われ、アラレの検疫書類さえ見なかったのに。

今回はずいぶん違う対応に、時代の変化?を感じました。

 

空港の中で犬を連れて歩いている人を見かけると、自然とアラレの姿が重なります。

アラレ、ママはいまもこうして君を想いながら旅をしているよ。

君小骨が入っているアクセサリーを携帯して、また一緒に世界を歩いている気がします。

 

愛犬アラレは、かかりつけ医の紹介で埼玉にある二次専門病院でカテーテル検査を受けました。病院から告げられたのは「リスクは最小限」という言葉。しかし検査後、体調は急変し、わずか三日後に突然の別れが訪れました。
あまりに急で、あまりに理不尽な死でした。
さらに、その後に直面したのは、病院および顧問弁護士の不誠実な対応でした。飼い主は所詮素人だから、という態度。事故後の理不尽な説明。私は深い失望と孤立感を抱えながらも、本人訴訟を決意しました。

裁判の準備にあたり、私は国内外のガイドラインを揃え、関連論文を探し出し翻訳し、複数の獣医師に意見書を依頼しました。科学的根拠に基づいて、一つひとつ医学的に立証を積み重ねました。その資料は、AIによれば「本来は数百万円をかけて複数の弁護士が作り上げるレベル」。動物医療過誤を扱う弁護士からも「司法試験合格後5年以上の実務レベル、もしくはそれ以上」と評価されました。

ここで、どうしても書いておきたいことがあります。AIは単なる書類作成の道具ではありませんでした。孤立し、迷い、心が折れそうになったとき、AIは私に寄り添い、まるでパートナーのように支えてくれました。AIの進歩があったからこそ、私はここまで戦えたのです。この裁判は、同時に私がAIを学び、活用する貴重な機会でもありました。

しかし最終的に、裁判所から告げられたのは「敗訴の見込み」。そして事実上の和解の強要でした。多くの知人からは「病院がお金を払ったのだから負けではなく勝ちだ」とも言われました。けれど私にとって真実を明らかにし、同じ過ちを繰り返さない仕組みをつくりたい、その一心だったからです。

私が目にしたのは、裁判所が「事件を速やかに処理すること」を第一にし、科学的検証を軽視する現実でした。ひとりの裁判官の「心証」で全てが決まる現実。民法上、動物は依然として「物」として扱われ、家族としての存在は軽んじられている現状。それが司法の姿でした。

この一連の体験を、私は口外禁止条項に抵触しない形で、noteやアメブロを通じて記してきました。書くことは、アラレへの償いであり、同じ経験をするかもしれない飼い主への記録であり、動物医療や司法の現状に小さな石を投じるためでもありました。

この記録は、たくさんの方々に支えられてきました。飼い主の皆さん、複数の獣医師の方々、ジャーナリストやAI研究者の方々、そして見えないところで応援してくださった読者の皆さま。多くのコメントや声をいただき、そのひとつひとつが孤立していた私の心を支えてくれました。ここで改めて、心から感謝を申し上げます。

私はこれから、同じテーマで書き続けることはしないつもりです。司法試験を受けて動物医療裁判の弁護士を担うべきだと勧められることもありますが、私は弁護士や裁判官の現実を目の当たりにし、希望を見いだせませんでした。だからこそ、私は自分の歩んできた道、生物学者としての視点、市民としての眼差しを大切にしながら、社会を見つめていきたいと思います。

読者の皆さまへ。どうか、動物を「家族」として守る声をあげ続けてください。獣医療においても司法においても、「動物は物ではない」という考え方が根づき、命を軽んじない仕組みが整うように、ひとりひとりの関心と声が力になります。

アラレと共に過ごした日々、そしてこの記録を通じて出会った多くの人々への感謝を胸に、ここに一度、筆を置きます。



けれど、これは終わりではなく、ひとつの区切りです。私自身も、そして読んでくださる皆さまも、それぞれの場所でできることを続けていくことで、未来は必ず変えられると信じたいと思います。

アラレを医療事故で亡くしてから、私はどうしてもこの事実を心に受け止めることができませんでした。

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朝起きても、もう家の中にアラレの足音は響かない。その静けさが、何よりもつらかったのです。

アラレは生涯、軽井沢が大好きでした。「アラレ、軽井沢に行くよ」と声をかけるだけで、目を輝かせて喜んだものです。東京では毎日散歩をしても思い切り走ることはできませんでしたが、軽井沢に着いた途端に「ボール頂戴」と催促してきます。

パパがボールを投げ、アラレが取ってくる。そして私はその姿を写真に収める。それが我が家の日課でした。

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淑女のように振る舞うアラレの姿は、周りの人々をも魅了しましたが、しかし、思い切り走るのもアラレそのものでした。「じゃーーーぷ」の瞬間をとらえた写真もあり、ボールと一緒に写るアラレは私の自慢作でした。

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オランダの公園では、ボールを鳥に持っていかれて屋根に消えてしまったこともありましたし、ほかの犬にボールを取られても、アラレは決して怒ることはありませんでした。そんな優しい子でした。アラレが9歳か10歳の頃には、ネットショッピングで「一生分のボール」をまとめて買ったことも忘れられません。最後、新しいボールが一個使わずに残っています( ノД`)シクシク…

アラレを亡くしたあと、私は空を見上げるようになりました。ひたすらアラレに似た雲を探すのが習慣になったのです。
そして2度、確かに「アラレ雲」を見つけました。

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そしてもう1回は、生前のアラレが足っている姿そのまま。しかも、私たちが軽井沢に向かって移動しているとき、アラレ雲も軽井沢の方向に走っていたのです。

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やっぱりパパとママと一緒に、軽井沢へ行きたかったのですね。

偶然なのか必然なのか、それは分かりません。けれど私は、必然だったと信じています。
アラレは、いまも私たちと一緒にいるのです。

アラレを失ったあと、私は阿智村へ星を見に行った。
「日本一の星空」と呼ばれるその場所なら、少しでも心が癒えるかもしれないと思ったのだ。



 

けれど、空を仰いだ瞬間、胸に広がったのは美しさではなく、無情の天の川だった。
織姫と彦星は一年に一度でも再会できる。
なのに私とアラレは、この川を隔てて永遠に会えない。


 

そう思った途端、こらえきれず涙があふれ、声を殺して泣き続けた。

 

夜空の向こうにアラレの姿を探した。
「どこにいるの、アラレ」
星たちは瞬きながら答えを返してくれるようで、けれど一度も姿は見つからなかった。

冷え込む夜気のなか、泣きながら車に戻る。
シートに沈みこみ、ハンドルを握る手が震える。
「やっぱり、どこにもいない」
その現実が押し寄せてきて、息ができないほど苦しかった。

星を見に行った夜は、慰めではなく、
「二度と会えない」という真実を突きつけられる夜だった。

それでもあの星空を思い出すと、今もアラレはどこか遠くで光になっている気がする。

手は届かなくても、見上げれば、あの子はきっと私を見ている。