アラレを医療事故で亡くしてから、私はどうしてもこの事実を心に受け止めることができませんでした。
朝起きても、もう家の中にアラレの足音は響かない。その静けさが、何よりもつらかったのです。
アラレは生涯、軽井沢が大好きでした。「アラレ、軽井沢に行くよ」と声をかけるだけで、目を輝かせて喜んだものです。東京では毎日散歩をしても思い切り走ることはできませんでしたが、軽井沢に着いた途端に「ボール頂戴」と催促してきます。
パパがボールを投げ、アラレが取ってくる。そして私はその姿を写真に収める。それが我が家の日課でした。
淑女のように振る舞うアラレの姿は、周りの人々をも魅了しましたが、しかし、思い切り走るのもアラレそのものでした。「じゃーーーぷ」の瞬間をとらえた写真もあり、ボールと一緒に写るアラレは私の自慢作でした。
オランダの公園では、ボールを鳥に持っていかれて屋根に消えてしまったこともありましたし、ほかの犬にボールを取られても、アラレは決して怒ることはありませんでした。そんな優しい子でした。アラレが9歳か10歳の頃には、ネットショッピングで「一生分のボール」をまとめて買ったことも忘れられません。最後、新しいボールが一個使わずに残っています( ノД`)シクシク…
アラレを亡くしたあと、私は空を見上げるようになりました。ひたすらアラレに似た雲を探すのが習慣になったのです。
そして2度、確かに「アラレ雲」を見つけました。
そしてもう1回は、生前のアラレが足っている姿そのまま。しかも、私たちが軽井沢に向かって移動しているとき、アラレ雲も軽井沢の方向に走っていたのです。
やっぱりパパとママと一緒に、軽井沢へ行きたかったのですね。
偶然なのか必然なのか、それは分かりません。けれど私は、必然だったと信じています。
アラレは、いまも私たちと一緒にいるのです。

