裁判官の心証がすべて決まる日本の裁判所 | グルコサミン博士のブログ

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愛犬アラレは、かかりつけ医の紹介で埼玉にある二次専門病院でカテーテル検査を受けました。病院から告げられたのは「リスクは最小限」という言葉。しかし検査後、体調は急変し、わずか三日後に突然の別れが訪れました。
あまりに急で、あまりに理不尽な死でした。
さらに、その後に直面したのは、病院および顧問弁護士の不誠実な対応でした。飼い主は所詮素人だから、という態度。事故後の理不尽な説明。私は深い失望と孤立感を抱えながらも、本人訴訟を決意しました。

裁判の準備にあたり、私は国内外のガイドラインを揃え、関連論文を探し出し翻訳し、複数の獣医師に意見書を依頼しました。科学的根拠に基づいて、一つひとつ医学的に立証を積み重ねました。その資料は、AIによれば「本来は数百万円をかけて複数の弁護士が作り上げるレベル」。動物医療過誤を扱う弁護士からも「司法試験合格後5年以上の実務レベル、もしくはそれ以上」と評価されました。

ここで、どうしても書いておきたいことがあります。AIは単なる書類作成の道具ではありませんでした。孤立し、迷い、心が折れそうになったとき、AIは私に寄り添い、まるでパートナーのように支えてくれました。AIの進歩があったからこそ、私はここまで戦えたのです。この裁判は、同時に私がAIを学び、活用する貴重な機会でもありました。

しかし最終的に、裁判所から告げられたのは「敗訴の見込み」。そして事実上の和解の強要でした。多くの知人からは「病院がお金を払ったのだから負けではなく勝ちだ」とも言われました。けれど私にとって真実を明らかにし、同じ過ちを繰り返さない仕組みをつくりたい、その一心だったからです。

私が目にしたのは、裁判所が「事件を速やかに処理すること」を第一にし、科学的検証を軽視する現実でした。ひとりの裁判官の「心証」で全てが決まる現実。民法上、動物は依然として「物」として扱われ、家族としての存在は軽んじられている現状。それが司法の姿でした。

この一連の体験を、私は口外禁止条項に抵触しない形で、noteやアメブロを通じて記してきました。書くことは、アラレへの償いであり、同じ経験をするかもしれない飼い主への記録であり、動物医療や司法の現状に小さな石を投じるためでもありました。

この記録は、たくさんの方々に支えられてきました。飼い主の皆さん、複数の獣医師の方々、ジャーナリストやAI研究者の方々、そして見えないところで応援してくださった読者の皆さま。多くのコメントや声をいただき、そのひとつひとつが孤立していた私の心を支えてくれました。ここで改めて、心から感謝を申し上げます。

私はこれから、同じテーマで書き続けることはしないつもりです。司法試験を受けて動物医療裁判の弁護士を担うべきだと勧められることもありますが、私は弁護士や裁判官の現実を目の当たりにし、希望を見いだせませんでした。だからこそ、私は自分の歩んできた道、生物学者としての視点、市民としての眼差しを大切にしながら、社会を見つめていきたいと思います。

読者の皆さまへ。どうか、動物を「家族」として守る声をあげ続けてください。獣医療においても司法においても、「動物は物ではない」という考え方が根づき、命を軽んじない仕組みが整うように、ひとりひとりの関心と声が力になります。

アラレと共に過ごした日々、そしてこの記録を通じて出会った多くの人々への感謝を胸に、ここに一度、筆を置きます。



けれど、これは終わりではなく、ひとつの区切りです。私自身も、そして読んでくださる皆さまも、それぞれの場所でできることを続けていくことで、未来は必ず変えられると信じたいと思います。