皆さま、こんにちは!
皆さまは「然別」を正しく読むことが出来ますでしょうか?
自分は読めますよ、しかも小学校の時からね。
「然別」と書いて「しかりべつ」と読みます。
自分が「然別」駅の読みを知っていたのは
小さな頃から毎日のように時刻表を眺めていたのが理由。
そんな経験をお持ちの同志も多いのではないでしょうかね?
然別駅は国鉄時代から折り返し列車が設定されていたので
よく記憶してましたよ。
そんな然別駅でしたから、
当然、大きな駅なのだと思っていたのですけど…
無人駅だったんすね。
正しくは、自分が小学生だった昭和57年までは有人駅で
立派な木造駅舎もあったようですが、
その後の昭和63年に現在の駅舎に改築されてしまったんですって。
駅舎にはそれを示す建物財産票が貼られてましたよ。
そんな時代の面影か?
駅前には広い敷地の広場とロータリーがありました。
寂しげな印象の駅名広場でしたが、
かつては賑わいを見せてた時代があったとのこと。
駅の西側では昭和59年に閉山するまで大江鉱業然別鉱山が操業しており、
付近には鉱山住宅もあったそうです。
然別駅からも鉱石列車が運行されてたみたいですね。
駅前に立つと、そんな時代の面影をかすかに見ることが出来ました。
正面に見える家屋も昔は駅前商店だったのでしょう。
商店にはアサヒビールの旧マークが描かれてました。
アサヒビールの「旭日マーク」は昭和60年まで使用されてたらしく。
意外に最近(昭和生まれのオッサンは35年前でも最近なの!)まで
使われてたのには驚きましたよ。
駅前通りではこんな建物も発見!
「然別生活館」の表札が掲げられたこの建物、
おそらく現在は公民館として使われているのだと思いますが…
すぐ隣にプールがあるのですよね。
ひょっとしたら廃校になった小学校の再利用か!?
プールは昭和63年に廃校になった
仁木町立然別小学校のモノで間違いないと思いますが、
建物は校舎ではないかも。
この建物は廃コンテナを備え付けてる”萌え”な仕様でした。
しかもコンテナは国鉄やJRのモノではなくJOT(日本石油輸送)のモノ。
UV1は昭和末期に製造されたC31世代の通風コンテナですが、
倉庫代用に通風コンテナが使われているのは
珍しいのではないでしょうかね?
使用の用途が気になります。
それでは駅舎に入りましょう。
駅舎の大きさに対して待合室はかなり狭めな印象でした。
駅舎の大半が職用のスペースに充てられてますが、
折り返し列車の運転士さんの休憩所として使われてるのでしょうか?
石油ストーブの煙突は待合室じゃないところから伸びてましたわ。
続いてはホームにイン。
先にも書きました通り、然別駅は折り返し列車が設定されているため、
列車の退避が可能な相対式ホーム2面2線構造でした。
2本のホームは千鳥配置されおり構内踏切で結ばれてましたよ。
南側のホームから駅舎方向を見る。
ホームは2本とも見るからに古そうな石積みですけど、
然別駅が開業した明治35年から存在するモノなのでしょうね。
駅舎の脇に残る貨物ホームを眺める。
ここのホームはかなり低めですが、
ひょっとしたら明治時代から姿を変えぬまま残っている?
だとしたら、かなり貴重な代物ではないでしょうか?
明治時代から在るホーム、
手が加えられていないモノは意外に少ないのですよ。
最後は然別駅を発車するキハ40の姿で〆ます。
撮り鉄さんのように気取りながら、ミラー越しに写真を撮ってみました。
ミラーに自分の二の腕が写ってる点はスルーしてください。
現地に着いたら想像してた駅の姿と違っていた…
駅趣味を楽しんでる人あるあるですよね。
小さな頃から北海道の地名をいっぱい覚えたのに、
一度たりとも役に立ったことがないのが悲しい…
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然別駅(平成29年9月27日)
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