Twilight Express 瑞風 / 岩国駅にて -②
恒例の月末 日曜日のトワイライトエクスプレス瑞風です。
12月の最後の日曜日と言うことは、2025(令和7)年の最後の日曜日です。
企業や業種によっては、既に年末年始の連休に入っている人、年末商戦の追い込みに多忙を極めている人。
大晦日まで仕事よって言う人など。
それぞれな年末をお迎えなのだと思います。
昼夜の寒暖差が13℃もあった先日、ついに私は風邪を引いてしまいました。
私は発熱が始まると、内蔵の活動が著しく低下するので、風邪薬を飲んでも胃に留まってしまって。
腸へ降りていかないから、効かないんですよねぇ。
風邪を引いたかな?って位の、早 めな対応をしているのに、体が早めの対応を拒絶しているので、もうアウトです。
軽い吐き気の中で睡魔に襲われて寝落ち。
目が覚めると体が軽かったので、助かりました。
みなさまも、体調には十分気をつけて、年末年始をお過ごし下さいね。
と言うことで、トワイライトエクスプレス瑞風です。
撮影したのは岩国駅です。
天気が芳しくないところが残念なのですけど。
実は1回、違う撮影日の瑞風をUPしているので、先月は西広島駅停車中の写真でしたが。
実は10月の写真と同じ日の続きで、枚数も一気にたくさん貼ってしまいました。
あと何回、普段撮影ができるのだろう?と思いつつ、9月14日に撮った瑞風をUPしています。
なぜテレコにしたかと言えば、227系レッドウイング10周年記念ラッピングと、瑞風が一緒に撮れたから(笑)
なので先に出したかったんですよねぇ。
しかも9月14日は雨上がりで、最初は陽も射し始めてていたのに、再び曇り始めてな写真です。
来年3月にJRグループではダイヤ改正が予定されているのですけれど、そうするともう瑞風は普段撮影できなくなりそうです。
わざわざ撮りに行く列車になってしまいます。
どういうダイヤで走るのかは、まだ公式発表されていないので、ホントにそうなるのか?は不明なものの。
今は京都を発車して初日は岡山県内、2日目は山口県内の観光で、広島は午前中に2往復するスジとなっています。
また、かつては京都へ行く列車は宮島へ立ち寄っていたので、岩国~西広島間は上下列車ともに、広島の街を駆け抜けていました。
宮島観光から防府観光へと移り、上り列車の広島通過は夜間となったので、今は下り列車だけが•••••••。
瑞風デビュー以来のダイヤで走っています。
で、瑞風が呉線へ入らなくなる事が決まった途端、呉線の今後のあり方協議を沿線地元へ要請 ── ですからね(笑)
しかもJR西日本には正当な言い分があって、冷たく突き放せるんですよ。
誰かに精神的ダメージを与えて心を折りたい時には、JR西日本の施策を真似したら宜しいかと感じます(爆)
まぁ呉線の利用者数は2000人を切ってしまったので、防衛省のファクトリーを中心にした都市の再構築を計画しているのなら。
呉線の利用促進も含めて、包括的な計画を構築して欲しいと言うお話しなんですけどね。
広島はね、他県に比べて国鉄の路線が多かったのですけれど、民営化後も鉄道活用に全く関心が無かった県だったんですよ。
なので宇品線そして可部線、三江線と廃線が続き、今は芸備線の存廃が協議中となっています。
JR西日本は呉線存廃の話しが出る前に 、大規模プロジェクトの中へ鉄道も組み入れて下さいねと言う、そういうお話し。
恐らく他県 他都市では、鉄道事業者から申し入れがある前に、これだけの大プロジェクトなら自治体からJRへ打診があるのでしょうけれど。
広島県も沿線自治体も、根底には意識の中に鉄道が無いんですよ。
と、瑞風から話は逸れてしまいましたが、県民そして市民の生活を支えている行政には、意識改革が必要なのだろうと。
そう感じざるを得ない現状なので、ちょっと苦言を呈しての、年末でした。
▼本日限定!ブログスタンプ □今年1番がんばったことぁ何なん? |
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| やっぱねえ25周年記念かねぇ 1年間毎日寝不足との闘いでしたわ 来年はまったりするけぇねぇ(笑) |
ということでですよ。
10月の記事へ貼った、かぐみ社長の秘書さんがUPする、インスグラムの続きも貼らせて頂きました。
かぐみ社長とは、才津香果(さいつ かぐみ)さんと言う富裕層向けの会員制コンシェルジュサービス「アルカディア (ARKADEAR)」の代表取締役を務める実業家です。
早稲田大学卒業後、リクルートを経て起業し、複数の事業を売却後、自身のラグジュアリーな旅の経験を活かして。
現在のコンシェルジュ事業を立ち上げ、世界のセレブリティの要望に応えるサービスを提供しているそうです。
若くて美しい才女には憧れますが、憧れるだけではダメなんですよね•••••••って、才女と恋をしたいって意味ではないですよ(笑)
ポバティとセレブの違いって、閃きと行動力があるかないか?だけで、何かにつけてできない理由を並べる人は!
あぁ、芸備線のワードを使いましたが、甲立駅の有人きっぷ売場が、年内で営業終了にて閉鎖されるようですよ。
Twilight Express Mizukaze |
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Favourite of celebrities, Cruising hotel train |
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SLやまぐち号 D51200 / 夜の新山口にて
2025(令和7)年の快速 SLやまぐち号、最終日に何とか1回だけ行くことができました。
12月の運転なので、もうすっかり夜となってしまった時間帯に、新山口駅への到着。
夜行列車のような雰囲気に、魅了させられてきました(笑)
暗くなった新山口駅でのお迎え撮影は、これまでで2回目となりますが、以前とは違う撮り方で。
でも似たような感じで•••••••,と、思案しながらのD51-200号機でした。
冒頭の写真は、ピントが甘いのであんまり使いたくなかったのですけれど、レールの反射がね(爆)
手ブレも少しあるのですが、その前に、なぜピントが合っていないのに、シャッターが切れるのだろう?
12月なので新山口駅周辺は、イルミネーションで装飾されているのですが、イルミバックでも数枚。
オートフォーカスが誤作動して、シャッターがピントを合わさずに切れてしまう。
そんな現象に呵まされました。
それ以外には、流し撮りも上手く写っていますし、問題は無かったんですけどね。
それと、私の前の人が、スマホで撮ろうとされていたので、ちょっと撮らせて頂きましたが。
ちょっと風変わりな写真を撮ることができました。
京都で見るデゴイチもいいですが、こうして本線を走る姿も、懐へ入り込まれてしまいます。
さて新山口駅へ行ったのは12月21日でしたが、この日を以て2025(令和7)年の運転は終了しました。
来年も春から運転が開始される予定ですが、JR西日本の公式案内では、いよいよ貴婦人の復活がなされるようです。
来年10月に始まる山口デスティネーションキャンペーン に合わせて復活する予定で、予定通り進めば約6年ぶりの本線営業運転です。
C57-1号機は2020年秋に、ピストン内部の部品が破損したことで、新山口駅行きの運転中に緊急停止。
以来、京都鉄道博物館内の修繕庫で、ピストンやシリンダーを中心に全般的な修理を施されてきました。
まだ万全な状態ではなく、来年9月に試運転を実施した上で、最終的に運行するかどうかが決まるようです。
D51200号機の雄姿も素晴らしいですが、C571号機の美しさも人々を魅了してやみません。
中国新聞には
との、コメントが掲載されていました。JR西日本広島支社の飯田稔督 支社長は22日に山口市で開いた記者会見で 「C57を待ち望んでいる鉄道ファンや地元の方が多数いる。
(復活を) 実現して山口DCの成果を上げたい」と話した。
莫大な予算をかけて、少しずつ修復されゆく蒸気機関車。
JR西日本や修復に携わった関係者の、誠意と心意気を踏みにじらないよう、C57-1号機の復活をお迎えしたいと思います。
私有地•••••••,住居の庭や農地などへ立ち入るばかりか、建物や植木、農作物や工作物を損壊させるような。
鉄道ファンのふりをした犯罪者は、スナイパーが次々と始末していけばいいのにね(笑)
まぁそれだけじゃないけれど、善悪の区別ができない人間が、増えすぎですから強硬な施策は必要な気がします。
以前のイメージだと、到着して客車を切り離したら、転線へと移るのですが。
下関側へ引き込んだら、しばらくそこへいるのですけれど、何かちゃっちゃとバックしてきました。
あぁ、今はこうなのかぁと感じながらも、この方が勝負も早くて好いよねと(笑)
まぁ何の勝負か分かりませんが、テンポ良く入庫して行って、後の余韻が長く堪能できて。
そう言えば客車と同時発車は以前からだったので、山口線または留置線のダイヤの都合なのかも知れません。
来年はもっと、回数が来られるかな?
-安芸もみじ⛩️広島-
クリスマス電車2025 / コイプレイスと西広島駅の天使
メリークリスマス♪
と言う冒頭文のテンションは、私には似合わなかったりするのですけど(爆)
ホーリーナイトだった昨夜は、クリスマス電車を撮りに行きました。
朝4時半出勤で、お昼過ぎに帰宅して、ウトウトしたら。
気づくと16時40分。
16時45分頃、広電車庫を発車するので、西広島駅は17時10分頃の到着だと、広電公式で記されていて。
慌てて西広島駅へと向かいました。






新己斐橋を渡って来る姿を、正面がちに撮った写真は好きなんですけれど。
今年は違う試みで撮ってみました。
コイプレイスに建つコイハウスには屋上テラスデッキがあるのですが、そこへ上がる階段の下辺りから。
到着する姿と、電車を待つ親子連れの風景を•••••••。
と思ったんですけどね。
電車単体だとイルミネーションで明るいものの、風景として撮ったら思ったよりも暗くて。
元々小さい電車が、ますます小さく写って。






ちょっと失敗かな? な写真ですけれど、まぁ数年後にはコイプレそのものが無くなるので。
思い出の記録としては、ヨカッタのカモ?と思うことにしました。
西広島駅への到着は行き止まりな7番ホームで。
停車したら早速たくさんのサンタさんが降りてきました。
コイプレで子どもたちにプレゼントを配るサンタ班は、西広島駅の1番奥からコイプレまで移動。
来年も撮れるのなら、次はホームを渡るサンタ班を撮らせて頂こうかな?
サンタクロースさんもレディースサンタさんも、オヒゲ着けてるから肖像権的には大丈夫だよね?





ってか、コイプレでは記念写真撮るんだものね( 爆)
で、7番ホームにも記念写真のためのレディースサンタさんと、運転士のトナカイさんが。
イベントサービスで笑顔いっぱい。
一昨年はね、もう少し子どもたちが多かったのですけれど、今年は雨が降ったからかな?
ちょっと少な目な人出で、雨上がりで暖かな夜だったのに、かなりもったいない感じでした。
9時から21時が☔マークとなっていましたが、朝は早めに降り始めたので、夕方も早めに上がったのに。
サンタさんたち、遅れて来た子どもたちや、知らずに通りすがりの親子連れさゆに、プレゼントを渡していました。






これねズームの最大望遠で撮ってるのよ。
なのに視線が真っ直ぐ私を見ていたのは、帰ってから気づいたのですけれど、彼女もよくこの距離で(驚)
元ハノーバー市電の200型、クリスマス電車によく似合います。で、出発を撮ろうとしていたら、信号待ちしている電車がいて。
やめてよねぇ~と思っていたらサンフレラッピング電車だったので、そうなると反対にラッキー(笑)
運転本数の多い広島の路面電車ですが、何と離合するかで″被り″か″共演″かに分かれます(爆)
でよく見たら、車内からまた彼女がカメラ目線をくれていました。
ありがとう•••••••,聖夜に孤独な老人に、君が天使に見えましたよ 🙇
| ▼本日限定!ブログスタンプ ☆今年んクリスマスはどう過ごすん? |
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| イブは朝4時出勤しゃったけど 今日は14時出勤じゃけぇね 午前中はノンビリして 後は日付変わる直前迄お仕事よ |

サンタさんネタのインスグラムを2つ、埋め込みリンクしてみました。
たった1人で世界中の子どもたちにプレゼントを配るなんて。
1年に1日しか働かないのは、正当ですよね~。
昨夜もお疲れさまでした。
ゆっくりお休みして下さいね。
日本にはいい温泉もたくさんあるので、是非、起こしくださいね。
-安芸もみじ⛩️広島-
クリスマスバス と イルミネーション2025
クリスマスイブなので、メーテルサンタさんです。
コイプレイスでレディースサンタを作ろうと思い立ち、メーテルにしてみたのですけれど。
残念なコトに、口元がね、何か上手く笑顔にならなかったんですよねぇ。
これはね、AIじゃなくて昔ながらの特撮技法で作ったんですけど、やっぱりヘタにAIを乱用するよりも。
リアリティはSFXの方が高い場合もある気がします。
まぁ動画ではないのでSFXではないのですけれど、そこはCGを駆使した特撮です。
口元の笑顔は残念ですけれど、手足の艶めかしさはバツグンだと感じませんか?
「むぎゅ~」って声が聞こえてきそうですが、重いし寒いし•••••••,だからかな?
開けてびっくり、中にはDr.サイクロプロスや佐渡酒造先生もいるかも知れませんね。
ここで大切なことは、一文字タクマ、台場正、古代進といった、イケメン陣は入っていないところです。
劇場版の星野鉄郎は15歳のイケメン君でしたけれど、松本零士さんは「人間性 見た目じゃなく、どう生きるかだ」との信念をお持ちなので。
メーテルもきっと、そんなコトで笑顔ではない訳じゃないのでしょう。、
と言うことで、今年のクリスマスバスです。
去年は撮っていないんですよねぇ。
で、今年はちゃんと撮ろうと思って、一昨日の月曜日に、西広島駅前へ陣取ろうとしたのですけれど。
到着すぐにバスも現れて、とにかくシャッターだけ切りましたって感じでした。
この日は旧市内とジ アウトレット広島を結ぶ路線で運行していましたが、時刻表とは違う時間に表れるんですよ。
ほぼ1時間毎のダイヤなんですが、年末で通行量多くて30分遅れなのか、それともそもそも別仕立ての運行なのか。
クリスマスバスは日没後は走らないらしくて、これが最終便としての営業運転で、アウトレットへ着いたら入庫だったみたいです。
まぁドンピシャで登場してくれたので、ラッキーと言えばラッキーなのですけれど。
もう少し余裕があると、立ち位置とかでね、きっちり撮れたんですけれど。
行った後で、もう現れないというケースも起こり得たので、そこはもう「よかった、ねぇ~」と安心したいと思います。
あ、上の「よかった、ねぇ~」は禰豆子っぽく言って下さいね。
そして今の季節の太陽には、ロケットブースターでも点いているのではないか?と思えるほど、一気に帳りが包みます。
もしロケットブースターなら、間違いなく核融合による原子力エンジンですね(爆)
と、暗くなったらイルミネーションも撮って帰りましょうかと。
巨大なクリスマスツリーは無くなりましたが、儚げな透明感のある空気はその冷たさと相まって。
どこか嬉しく感じながらも、根底に隠れている寂しさや哀しさが、湧水のようにゆらゆらと心に染みてきます。
それは幼少の思い出が甦って、今の自分と融合するからなのかも知れませんね。
過ぎ去った時間は止まることなく、1秒1秒刻々とまだ、過ぎ去り遠くなって行く。
もう手が届かなくて、戻ることもできなくて、それでも今だけ心だけ、あの時の自分と重なり合って。
クリスマスの奇跡は起きなくても、クリスマスの魔法にはかかれます。
それをロマンチックと呼ぶかどうかは、人それぞれですけど。
と言った感じで、写真を撮ってみました。
オーナメントもたくさん架かっていましたが、クリスマスリースもたくさんあって。
LEDに金色が光を放っているので、今年は少し鐘をたくさん撮ってみました。
清しこの夜な聖夜。
撮ったのは22日ですけど(笑)
ところで太陽暦の12月24日を、聖夜と呼称するのはキリスト教圏の国と地域だけで、世界の国々がそう呼ぶ訳ではありません。
キリストとは日本語で救世主のこと。
ナザレのイエスを救世主とする文化圏の人にとっては聖夜ですが、そうではない日本は•••••••。
キリスト系神社(教会ではない)もある、多神教文化なので、そこに問題はありませんよね。
さてクリスマスイブの空模様は。
夜明けは曇り空で気温が下がらず、日中は13℃の予報なので、ホワイトクリスマスは望めません。
が、レイニークリスマスイブとなりそうです。
朝9時頃から降り始めたら、21時まで☔マークが並んでいます。 雪が降るほど寒いよりも、雨が降っても暖かい方が幸せです。
ただ、飲食店や小売店では、どちらも売り上げが下がるので、歓迎できないことは間違いありません(爆)
2025年も終わろうとするこの季節、どんなセイントデーそしてホーリーナイトになるでしょうか?
みなさまにおかれてはハッピー1デーとなりますように。
▼本日限定!ブログスタンプ ☆クリスマスに欲しいもん教えて! |
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| さぁ、何かねぇ もう何があっても仕方ない気がするけぇ 良いことがあったら幸せになれる そんな別の人生かねねぇ |
ジョージ マイケルのラストクリスマス。
永遠の約束。
大切な人と いつまでも一緒にいたいですよね。
みなさまが、大切な人といつまでも一緒にいられますように。
メリークリスマス。
-安芸もみじ⛩️広島-
新クリスマス駅のイルミネーション 2025
12月はクリスマス市となる山口市。
「市内各所で「灯り」や「音楽」、「美術・舞台」、「食」、その他のイベントが開催されています。
歴史に抱かれた山口の街がクリスマス一色に!
期間中はイルミネーションが山口をロマンチックに演出しています。
室町時代に山口の地を治めていた第31代当主の大内義隆が、フランシスコ・サビエルによるキリスト教の布教活動を寛容に受け入れ、その姿勢がこの地でのキリスト教布教活動を後押ししました。
後の1552年旧暦12月9日(西暦12月24日)には、日本で初めての降誕祭(クリスマス)が山口で祝われたと記録されており、山口市がクリスマス発祥の地と言われる由来となっています。」
とは、山口市の公式からの引用です。
旧藩庁門やザビエル記念聖堂へは行けていませんが、新山口駅前のイルミネーションは撮ってみました。
昨日の12月21日は、2025(令和7)年の快速 SLやまぐち号の運転、最終日でした。
到着の18時には間に合うかなぁ?と、頑張って行ってきましたが。
訪れたらやっぱり、イルミネーションは撮りますよね(嬉)
やまぐち号の記事では使わない 写真を、ここで貼ってみましたよ。
山口デスティネーションキャンペーンで、12月まで運転された やまぐち号。
そのお陰で、イルミネーションとD51-200号機を、合わせて撮ることができました。
やまぐち号が転線して入庫してしまったら、帰りの切符を買わなければならないので、改札を出ます。
出たらね、しっかりイルミネーションを堪能です。
まずは2階のテラスデッキから、俯瞰で撮るのですけれど、もうね。
キリが無いほどシャッター切ってしまっていてね(笑)
駄作も多いのですが、何か絵になる写真だけUPしています。
そして地上へ降りたら、ホームから気になっていたハートと天使の羽へ、やっばリ行かないといけません。
行ってみると、ホームからや2階からでは判らなかった、大きなオーナメントもあって。
しかもLED電飾が、思ったよりも過密で。
まるで宇宙空間にいるみたい。
しばし現実を忘れて、心が夢の世界への夜間飛行。
いつかは行きたいなぁと山口県庁やザビエル記念聖堂、そしてローマ法王(現 ローマ教皇)から贈られた、クリスマスツリーのある亀山公園。
クリスマスと関係の無い季節に、昼間に行ったことはあるんですけどね。
そう言えば、ウルトラマンAはどうしてるだろう。
彼はまだ、あそこへ立っているのだろうか?
と懐かしく思い出していつつ、新幹線を降りた時に下りホームから見えた、新幹線口のイルミネーションへと移動。
ピンク色のクリスマスツリーが立っていて、思わず笑顔になってしまう自分がいたのですが、はたから見ていたらきっと。
キモかったろうなぁ(爆)
そして気になっていたもう1つのモニュメント、D51-797号機の動輪。
こちらもしっかり装飾されていました。
蒸気機関車 D51200とD51797に会えましたが、旧0番線の第3動輪は•••••••,そう言えば会ってないわ。
あれは勝手に、厚狭機関区で解体されたD51-777 号機だと、思っていたりしています。
-安芸もみじ⛩️広島-
GREENMOVER-227系 / 西広島駅にて
JR西日本 227系 GREEN MOVER です。
このJR広電コラボの電車で、グリーンムーバーラッピングの227系ほど、巡り合わせの縁が無い電車もありません。
昨年の冬、大雪で積もった日の朝 以外に、カメラを持っている時には、1度も現れたことはありません。
なのでマトモな写真は無いのですが、昨日はRedWing 5101号をUPしたので。
ギリギリ スマホで撮った数枚をUPします。
撮影は全て、西広島駅の外から撮ったグリーンムーバです。
来年もまだ走るとは言ってもねぇ。
これね、3両編成の電車なのですが、2両編成だと可部線や呉線の呉~三原間へ、閉じ込め運用されていたり。
長時間の留置中になっていたりして、なかなかな会えないケースもあるんですよ。
でも3両編成で、山陽本線も頻繁に走るにもかかわらず、これだけ現れないのも不思議です。
運と言いますか、縁と言いますか、そういうのってありますよねぇ。
グレープ•••••••,さだまさしと吉田正美によるフォークデュオを、知っている年代の方いますか?
ときおり、今はレーズンと言う名前で、活動することもあります。
〽️運がいいとか悪いとか 人は時々 口にするけど そういうことって 確かにあると あなたを見てて そう思う♪
それが幻聴のように耳の奥で流れます。
と言うことで、1枚目は普通列車の下り岩国行きです。
スマホズームなのでヘッドマークは鮮明ではないのですけれど、他の写真は上り広島方面への列車ですが。
もうね、そろそろカンベンして(笑)1回でいいのよ。
1回でいいから、ちゃんと撮らせて(爆)
じゃないと無縁坂を補機付けて登ってもらうよ~ってジョークも、もう言えないんですよねぇ。
EF63もEF67もとうに引退してるし、EF64三兄弟はJR東日本の所有だし•••••••,って、EF67は双頭連結器じゃないじゃん(爆)
-安芸もみじ⛩️広島-
広電 RedWing 5101号 / 西広島駅そして高須駅にて
久しぶりの 5100型 RedWing 5101号です。
ですが、冒頭の写真はつい先日のものであることは、サンタさんの後ろ姿があるので、それはお判りでしょうけれど(笑)
写真全体的には10月頃に撮ったRedWingです。
この広電レッドウイングは、2024(令和6)年9月20日から運行開始しましたが、ではいつまで走るのでしょう。
広島電鉄の公式発表では「当面の間」としており、期間は不明となっています。
JR西日本のグリーンムーバーMAXラッピングの227系は、2026(令和8)年度中との公式発表があるのでダイヤ改正前頃でしょうか。
多分、全く同日と言う訳にはいかないでしょうが、似た時期でコラボ終了となるのだろうと思います。
かつて京浜急行電鉄とのコラボカラーで、3900型が長期間走っていた頃がありましたが。
このレッドウイングカラーの電車も、なかなかな特別感があって見かけたり、自分が乗る電車だったりすると。
ちょっとワクワク感があります。
いつかは終わりが来る限定品ゆえの、特別感なのでしょうけれど、日本人は特別とか 限定とかに弱いですよね(笑)
かくいう私もまさにその通りだったりします(爆)
車両検査などで予告なく運休することもあるでしょうが、来年もしばらくは「わくわくすっぞ~」と、言わせてくれそうです。
と言うことなんですが、冒頭の写真右端や2枚目の左側のこれ見よがしな自販機なんですけど。
踏切向こうで停車中のテールランプが点いているのは下り宮島口行きで、ヘッドライトの点いているのは入線中の上り広島駅行きです。
と言うことで自販機なんですが、レックスラッピングとマックスラッピングが、並べて置いてあります。
で、普通にジュースやコーヒーなどの飲料が売られているのですが、レックスラッピングの自販機には!
最上段には被爆電車の650型のトミカが売られていて、2段と最下段はマスコットキーホルダーが売られています。
多分、西広島駅以外にもこの自販機はあると思いますが、もし己斐の街へ来られることがあれば、勝ってみてくださいな。
ラストは、あの後ろ向きのRedWing 5101号の到着するシーンを、スマホで撮ってみたムービーです。
-追記-
下町のナポレオン″いいちこ″の駅ポスターを入れて撮ってみました。
クリスマス系は早々にUPしておかないと、年が明けてしまいますから(笑)
反射でMerry Christmasの文字が白飛びしてしまうのですが、何とかかわしてそれなりに撮れました(喜)
-安芸もみじ⛩️広島-
厳島神社 / 夕暮れの光と影の夢
2025(令和7)年も、今日を入れて残すところ13日となりました。
クリスマスまであと5日、大晦日まで12日。
ホントにねぇ、毎年思うのですが「臨めば遠く 振り返ると一瞬」な1年です。
確か初日の出を撮りに行ったのは、先週だったような(笑)
「臨めば遠く 振り返ると一瞬」のフレーズは、20代半ばの頃に年賀状へ使ったものでした。
何かいい気の利いた一文って無いかなぁ~と、脳みそをフル回転させた上に、脱水機にかけて絞り出したような感じでした( 爆)
毎年いろいろ考えていたのですけれど、このフレーズだけは気に入っていて、40年弱経ちますが。
こうしてブログでも年に1回ほど、登場します。
まぁ使わない年もあるんですけどね。
と言うことで、帳の降りる夕暮れの中で、厳島神社を撮りました。
さて宮島ですが、2025(令和7)年の来島者数が、2年連続で過去最多を更新するペースで推移しているそうです。
廿日市市のまとめでは490万人に届く勢いなのだとか。
来年は厳島神社と原爆ドームの世界遺産登録30年の節目で、広島県と広島市・廿日市市は国内外の観光客に向けたPR をさらに強める予定です。
なので、これはあくまで個人的な意見なのですが、近平ちゃんにはもう1年、日本への渡航自粛を堅持して欲しいところです(笑)
で、廿日市市観光課によると、来島者数は宮島口からのフェリーと、広島市内からの航路などの乗客数を合わせて集計したそうで、11月末までの速報値は460万4406人で、昨年同期の448万 2910人を上回ってたようで。
月別では3・6・7・10・11月が過去最多となったとデータが示しました。。
早い梅雨明けも夏場の好調につながり、行楽期に好天に恵まれたのも追い風になったとみられ、9月末までの外国人も最多ペースの50万人超となっているそうです。
年間の来島者数は、2019年に約465万人となったものの、コロナ禍で2020年から急減 。
ところが2023年にV字回復し、2024年は約485万人と55年ぶりに最多を更新しました。
インバウンドの旅先として人気が根強い半面、観光業界の人手不足や渋滞、食べ歩きによるゴミ対策などの課題も浮かんでいます。
市は、大阪・関西万博のフランスバビリオンや県外の観光関連イベントなどで、世界遺産として節目を控える厳島神社をはじめ魅力発信を行いました。
廿日市市は「宮島に継続して訪れてもらえているのはありがたい。朝夕や平日など来訪者の分散を図れるような魅力づくりを進めたい」としています。
コロナ前はね、NHK大河ドラマの「義経」や「平清盛」の影響で、爆発的に来島者が増えたのよ。
安芸一ノ宮なので、ただでさえ多い初詣なのに、人の重さで島が沈むよと笑い話が出るほど、初詣客が爆増したんですよねぇ。
インバウンドで日本の魅力が世界へ届くのは嬉しいことですし、ありがたいなぉとも感じるのですけれど。
ふと我に返って「ホントにコレでいいんかねぇ」と思いに更けることもあります。
お日柄も好く、人気の少ない厳島神社も、好きだっんですけど。
もうあのような風情は、無いんだろうなぉ。
-安芸もみじ⛩️広島-
戦艦大和就役記念日 2025
| 被爆2世が語る平和記念日と世界史シリーズ |
| 1925☆☆☆昭和100年記念☆☆☆2025 |
| 1945☆☆☆戦後80周年記念☆☆☆2025 |
大和誕生と歴史の流れ
1941(昭和16)年12月16日、世界最大そして史上最後の戦艦が就役しました。
大日本帝国海軍の戦艦大和です。
2025(令和7)年は、昭和100年、終戦80年、被爆80年と、私の平和活動25周年でした。
今年は例年と比べてこういった関係の記事が多かったことは、然るべき成り行きでしたが、この戦艦大和就役記念日が、メモリアルイヤーのラスト記事となります。
大和に関してはこれまでで、歴史関連記事では1番多く記しているため、今日の記事は少し趣向を変えます。
が、そこは戦後80周年の記事でもあるので、あまりカジュアルへ舵は切れませんけれど。
といった感じで先へ進みます。
1940(昭和15)年の8月8日、戦艦大和は竣工して進水式が行われました。
全長263m、満載排水量7万2,800tの世界最大な艦船は、最大速力は27Kt(約50km/h)。
主砲は46cm砲3基9門と副砲4基12門を備え、戦闘力も最強クラスを誇っていました。
主砲は敵の攻撃が届かない距離から、相手を撃破するアウトレイジ用のシステムを新規開発し、副砲は最上型軽巡洋艦の主砲として開発された15.5cm砲を搭載していました。
これは当時としての日本の防衛システムとして設計された所以で、また最上型主砲は高い射撃精度が信頼が厚く、片舷に9門指向可能という強力な火力の防衛力を持っていました。
ところで映画「アルキメデスの大戦」は、史実をベースにしているものの、物語自体は完全なフィクション作品でした。
当時の仮想敵国はアメリカ合衆国でしたが、今の価値観から見ればどちらかと言うと、追いつき追い越すための目標だったといえます。
アメリカと互角に戦える海軍力を持つことは、より強固な国防を維持することができるため、アメリカを敵国とみなして切磋琢磨していた日本でした。
実際に戦艦大和の設計では、外洋へ進出して海戦を行うことを前提としておらず、日本近海•••••••,今で言う排他的経済水域の警邏に主軸が置かれていました。
とは言え、日本内地に対して外地は大きく広がっており、それらをカバー為うる能力は必要とした設計となっていました。
当時の日本の実効支配圏域は、北は樺太南部と千島列島、西は衛星国の満州国と租借地のため日本海全域、南も台湾沖で東は日米共に掌握できていませんでした。
が、日本時間1941(昭和16)年12月8日未明、ハワイ島の真珠湾へ終結していたアメリカ艦隊を日本は襲撃し、日米戦争 = 太平洋戦争が勃発すると。
実効支配の制海権は更に拡大してハワイ ホノルルから2,000km手前のミッドウェー島、ソロモン諸島イサタブ = ガダルカナル島、パプアニューギニア、東ティモール、ジャカルタ、マレーシアとなっていて。
ミャンマーとバングラデシュ国境線辺りまでが日本の領海となっていました。
当時、ハワイは独立国でまだアメリカによって併合されていませんでしたが、上に記した国々は欧米諸国の植民地であって、国は存在していませんでした。
太平洋戦争の開戦からミッドウェー海戦敗北までの期間、日本は資源採掘のために現地へ街を整備し、現地人を雇用して生活の安定に寄与したため。
日本の敗戦によって迎えた戦後は、日本統治下の経験がベースとなり、それぞれが独立国へと成していきました。
中国大陸の租借地は敗戦によって返還は仕方ないとしても、清国時代に中華を支配していた女真族(満洲人)の領土は、漢民族によって逆支配され、領土と主権は奪われて満州国は独立を失いました。
ミッドウェー島は海戦を日本が制したら、 正式に日本領となる予定で、日本名は水無月島と決まっていましたが、日本の敗戦によって現在はアメリカの管理地となっています。
管理地なので領土ではありませんが、自然保護管理の事務所があり、かつての日米の基地は撤去され、自然へと復元されています。
戦艦大和は宝の持ち腐れ?
戦後、戦艦大和は日本海軍の象徴であって、撃沈されると心の支えを失うから、戦闘へ参加させなかった••••••,と言われていますが。
現実を考えて、果たしてそうなのでしょうか。
実際に大和は僚友艦の武蔵と共に、大和ホテル・武蔵旅館と呼ばるほどに、戦時下において停泊が多い艦でした。
しかし泊地のトラック島(ミクロネシア チューク諸島)の位置を考えると、前述した広範囲な外地領海の防衛的には、最適な場所取りとなっています。
ドイツはまだ降伏しておらず、ヨーロッパからの艦船襲来は考えにくく、当時のオーストラリアにはそれほどの海軍力は無く。
敵国はアメリカ海軍の一択で、難攻な日本本土の攻撃よりも、南西諸島エリアへの侵攻が1番現実的な状況でした。
連合艦隊の旗艦は既に武蔵へと移っていましたが、大和と武蔵がそこへいることの戦闘力は計り知れなく、その分、防衛力も高かったと思われます。
しかしその防衛力が瓦解したのが、ミッドウェー作戦で、海戦へ大和を始めとする本隊が間に合わず、完全な作戦負けと言わざるを得ません。
ミッドウェー海戦では、優秀なパイロットだけでなく、有能な指揮官も失い、艦を操り営む優秀な人材も4割失いました。
これが後のレイテ沖海戦で脆弱さとして表面化し、サマール沖海戦では日本海軍の無力さを露見させる要因の1つとなります。
サマール島は現 フィリピンの島で、1944(昭和19)年10月中旬にフィリピンへ大々的に侵攻してきたアメリカ軍に対して。
日本の連合艦隊は総力を挙げて迎撃を敢行したものの、10月20~25日の全面総力戦で空母4隻、巡洋艦10隻、駆逐艦等多数を失ってしまいました。
サマール沖海戦はレイテ沖海戦の一部で、10月25日に日米の正面衝突で行われた史上最大の海戦で、大和は栗田艦隊の旗艦として絶対優位な立場にありました。
が、この戦いで大和の高性能が裏目に出ます。
相手が戦艦や空母などの軍艦だと、まず使用するのは九一式または一式の徹甲弾で、敵艦の装甲を穿通した後に内部で爆発する仕様です。
1発の弾の重さは1,460kgで、少し軽量な普通車と同じ重量の物が、マラソンのスタート位置辺りから飛んで来る訳です。
地球は丸いので42km離れた所から撃たれると、アメリカ艦隊から大和の姿は水平線の下なので、当然ながら見えません。
海の上で敵艦が見えないのに、弾だけが飛んで来る。
そして命中するのですが、その時に参戦していたアメリカ艦は、重装甲の艦では無かったため、大和の徹甲弾は艦腹に留まらずに、貫通して海へ落ちてしまいます。
42km遠くから撃たれた弾は、ほぼ水平に飛んで来て命中するので、弾の当たり方や貫通した側の穴の空き方にもよりますが。
艦体に穴が開いても沈没しませんし、サマール沖海戦では撃沈となっていません。
本来は艦腹へ留まり、その物理的な運動エネルギーで遅延信管が作動して、敵艦内部で炸薬を起爆させることで最大の破壊効果を発揮します。
が、貫通して海へ抜けてしまうと、爆発しなかったり、しても海中なので敵艦へダメージは与えられません。
世界最大の45口径46cm砲が火を噴くも、この海戦では敵艦を撃沈させることがかなわなったものの。
アメリカ軍へ恐怖を与えたことは間違いのないところでした。
尚、アメリカの最新戦艦であるアイオワ級が搭載する50口径40.6cm砲の最大射程は39kmで、アメリカ艦隊の射程距離へ入って来た時、アメリカ兵たちは驚愕します。
日本の兵士が初めて大和を見た時「島かと思ったら戦艦だった。それが大和だった」との思い出を、戦後に語っていますが。
同じ感想を、戦場で交戦中にアメリカ兵は感じた訳です。
今でこそ、同等な大きさの豪華客船やそれ以上の大きさのタンカーが存在していますが、当時としては海上の要塞そのものだったことでしょう。
敗戦へ導いたレイテ沖海戦
実はアメリカの航空部隊はレイテ沖海戦の時、実際に使える対艦兵器をあまり所持していませんでした。
それ故に、雷撃機が突っ込んで来たり戦闘機が甲板を機銃掃射したりといった攻撃を繰り返し敢行していたのですが。
日本側はその派手な攻撃に攻め込まれていると錯覚し、当然ながら魚雷搭載の潜水艦もいるとの警戒心から。
旋回行動をせざるを得ない戦況となり、アウトレイジ時の大和の砲撃以外、近接戦では弾を相手に命中させる精度が落ちていました。
アメリカ艦隊はアメリカ艦隊で、もう自分たちは詰んでいることを分かっており、とにかく何でもいいからと必死だった訳ですが。
特にレイテ沖海戦の中でもサマール沖海戦区域では、大和の登場に度肝を抜かれており、とにかく逃げの一手の艦隊でした。
砲撃をしながらの退避でしたが、攻撃は航空機にほぼ全面的に任せており、まずは戦場を離れることが最優先でした。
追いかける日本の栗田艦隊も、激しい機銃掃射に遭いながら、潜水艦を警戒心しての旋回運動をしながらで、弾が当たるはずも無かった状態でした。
対艦兵器も微量、潜水艦の援護も無いため、必死に逃げるアメリカ軍と、それを知らないで詰め切れない日本軍。
更に、サマール沖海戦の前に栗田艦隊は疲労困憊状態でもありました。
日本連合艦隊は10月22日に出航し、10月23日にはアメリカ軍の潜水艦がパワラン島沖で魚雷攻撃を仕掛け、重巡洋艦2隻を撃沈し、もう1隻を損傷させました。
栗田中将の旗艦だった重巡洋艦の愛宕が撃沈された2隻の内の1隻で、栗田中将は海中へ放り出された後に、駆逐艦 岸波に救助されて。
その後に戦艦 大和へ移乗して将旗を掲げ、栗田艦隊旗艦としてレイテ湾へと向かいます。
10月24日、中央部隊は大規模かつ長時間の空襲を受け、約259回の出撃で攻撃されたために作戦時間に遅延してしまいます。
そこで艦隊は夜通し進撃し、10月25日の早朝にアメリカ護衛空母部隊 タフィ3を攻撃できる位置に到着します。
暗闇の中、警戒しながら一晩中進撃した上に、悪天候で北東の風のスコールに遭い、是れにより戦闘の配置がすべて影響してしまいました。
いくら訓練を積み上げた海軍兵と言えども、睡眠時間が確保できずに悪天候で出会った、サマール島での敵艦隊だった訳でした。
この後、栗田艦隊は戦後以降も議論の的となる「謎の反転」をすることになります。
栗田艦隊の「謎の反転」とは、レイテ沖海戦で、アメリカ軍上陸部隊(輸送船団)を攻撃する直前に。
アメリカ機動部隊との交戦を避けるためと称して反転し、レイテ湾突入を断念した事件です。
この不可解な行動は作戦の成否を分けた最大の謎とされ、結果として日本海軍の敗北を決定づけて、多大な犠牲を全て無駄にした決断でした。
戦後も「臆病だった」「英断だった」など様々な議論を呼びましたが、レイテ沖海戦の時点でのアメリカ軍は、戦力的に完全に日本を下回っていました。
強行に攻撃をしかければ、戦いに絶対は無いと言うものの、アメリカ軍の一掃は果たせたと考える方が自然な状況です。
ミッドウェー海戦で熟練パイロットを多数失ったとは言え、航空戦力もまだアメリカ軍に引けを取っておらず、大和も武蔵も現存でした。
その前後の言動を見ても、栗田中将がアメリカ側へ寝返っていたとは考えにくいものの、結局この反転で日本は敗戦国への道を歩むことになります。
この「謎の反転」は、日本海軍が艦隊決戦で米海軍に勝利する最後の機会を失わせ、太平洋戦争の敗北を決定づける一因となったとされています。
レイテ沖海戦は6日間の海上戦役となり、サマール沖海戦・シブヤン海海戦・スリガオ海峡海戦・エンガノ岬沖海戦といった4つの海域での戦闘でした。
海戦ばかりに目が行きがちですが、その他に基地航空部隊による交戦も頻繁に行われており、神風特別攻撃隊が初めて組織的に運用されて戦いでもありました。
艦艇の数だけ見ればアメリカ軍にオーストラリア軍が加わって、日本軍が手薄に感じられますが、ここは日本の直轄地でした。
外から侵攻して来るアメリカとオーストラリアの共同軍よりも、輸送船団や上陸前部隊が展開する前であれば、陸軍の支配地であるが故に地の利がある分、総合で戦力的に日本が有利な状況でした。
が、栗田艦隊反転後の日本は完全に劣勢へと回り、前述の通り多くの艦船と戦艦武蔵を失いました。
連合艦隊の残存戦力の全てをつぎ込んだこの海戦で、日本海軍はこの海戦を最後にして事実上壊滅し、侵攻した連合国軍の最高指揮官マッカーサーは、25日夜半に同島へ司令部を設置しました。
その結果、テニアン島から日本へ航空機が往復できるようになり、連日、日本列島のどこかで空襲が行われ、やがて人類史上初の核攻撃が実施されます。
大和は日本をしっかり背負った
1934(昭和9)年頃から徐々に設計が始まり、1937(昭和12)年11月4日に呉市の呉海軍工廠で起工された大和。
これはワシントン海軍軍縮条約脱退を前提とした極秘計画(計画名A140F5)で、日本が国力を結集した世界最先端の科学の結晶で、世界最大の戦艦でした。
1940(昭和15)年の8月8日、戦艦大和は竣工して秘密裏に進水式が行われました。
その後、1年余りの艤装期間を経て、太平洋戦争開戦直後の1941(昭和16)年12月16日に就役。
1942(昭和17)年から太平洋各地の戦場へ赴き、国防の守護神として君臨します。
そして1944(昭和19)年10月25日、フィリピンのサマール島沖で発生した海戦で。
日本海軍の栗田健男中将率いる第二遊撃部隊 = 栗田艦隊の旗艦として、戦艦大和は護衛空母部隊 タフィ3を攻撃しました。
大和は、この海戦で初めて敵艦隊に向けて主砲を発射しましたが、これは最初で最後の実戦での砲撃となりました。
この海戦は、大和が直接的に敵艦を撃沈するような戦果は上げられず、レイテ沖海戦の激戦の一部として、その巨大さと威容がアメリカ軍に恐れられました。
この海戦での大和の登場と砲撃は、アメリカ兵に「動く要塞」として恐怖を与え、艦隊も大和の接近に戦意喪失して、撤退に追い込まれました。
まさに、国の威容を世界に示す存在として建造され、その面目躍進した唯一の海戦でした。
軍縮条約の影響で、戦艦 陸奥 以来約20年ぶりの新型戦艦となった大和。
日本の軍事的優位性を保つため、建造にあたっては情報が外へ漏れないよう、軍の最高機密として作業が進められました。
そのため、本来は華々しく行われるはずの進水式も、この世界最大の戦艦は、誰にも見られずにひっそりと実施されました。
しかし広大なソロモン諸島、パプアニューギニア、東ティモール、ジャカルタ、マレーシアを有する海域で、守護神として絶大な存在感を示していました。
日本 外地の国防には、やはり必要不可欠だった艦であり、国際情勢的に短い期間ではありましたが、平和と秩序を堅持させた艦です。
レイテ沖海戦を生き延びた大和は、母港の呉で待機することになりましたが、1945(昭和20)年4月、決戦の舞台である沖縄へ出港します。
沖縄に来襲したアメリカ軍に対しレイテの借りを返すため、そして2度と会えない大切な人たちを守るため、大和は「座礁して砲台となる」命令を受けます。
しかしその行動はアメリカ側に直ぐさま察知され、援護の航空機が1機も与えられなかった中で、薩摩半島沖合でアメリカ軍空母艦載機の波状攻撃を受け。
沖縄にたどり着くことなく4月7日に東シナの海底へ着床し、3000名以上の乗組員と共に永遠の眠りに着きました。
あの戦争で命を失った戦士、生き残り戦後の日本を再建した先人、彼らが守った未来は今私たちが暮らしている現代です。
それを忘れずに日々を生きていかなくては、私たちの未来にいる人たちの、平和な暮らしはまもれません。
ところで、この戦艦大和は2代目で、初代は1883(明治16)年に建造された帆船タイプの海防艦でした。
軍艦から訓練艦そして測量船へと格下げされたものの、初代大和は終戦後まで残り、1950(昭和25)年に解体されました。
太平洋戦争開戦と共に生まれ、敗戦の直前に沈没して逝った2代目大和、明治維新後の近代化の最中に生まれ、戦後まで生きた初代大和。
今日はその両方に日本の運命を背負った2隻の大和へ、想いを馳せてみたいと思います。
ちなみに3代目?となる宇宙戦艦ヤマトは、アニメ放送開始が1974(昭和49)年10月6日でした。
海軍の街 呉が•••••••
日本製鉄呉が撤退し、呉市のみでなくて広島県の経済活動に、悪影響が及び始めていましたが。
防衛省がかつての海軍工廠跡地へ、次世代ファクトリーを展開することに決まり、広島県と呉市は防衛省を中心に据えた街づくりを計画しています。
そこへJR西日本から、広~三原間の不採算路線について、今後の方針を話し合いたいと申し出がありました。
これは同区間が、新たに輸送人員2000人未満の線区として加わったと言う宣言で、JR西日本は、「大量輸送」という鉄道の特性を十分に生かせていないと、広島県と沿線自治体へ連絡したということです。
過去3年の経営状況は「赤字額:約13億7000万円」だと公表され、直ちに存廃協議に入る訳ではないものの、これからのあり方を考えたいとの話しでした。
「公表区間は大量輸送という鉄道の特性を発揮できておらず、赤字額より、まちづくりの役に立てているかどうかが問題だ。利用実態を反映した収支率を指標に、自治体などと議論を深めたい」としています。
呉線沿線は、現在、再構築協議会が進行している芸備線に比べ、有力観光地やアニメの聖地が点在しており、もっと観光事業やまちづくり中心に、活用路があると見ています。
防衛省の再開発事業もあるので、それらを一体として都市計画を建てて欲しいと、今はまだそう考えているようです。
呉市としては寝耳に水だったようですが、JR西日本は35km/hの低速規制がある路線を、どうにかしたい意向が強いのは確かなところです。
高速大量輸送が果たせていないとは、人口減少だけでなく、高速で走れないと言う問題が隠れています。
恐らくJR西日本は、沿線自治体と同じく、国交省の責任も国へ苦言を呈しているのでしょう。
アジア各国や欧米に絶大な人気のある旧 日本海軍と、世界ブランドである戦艦大和を軸にもっと、包括的な観光戦略は築けないものでしょうか。
しかし突然のJRという新たな問題が湧いたことで、呉市はやや迷走気味な施策へ陥っているようです。
まず、呉市中心部の中央公園で例年開催している「イルミネーションロードくれ」が今年、中止となりました。
企画内容を巡り、実行委員会を構成する呉商工会議所と市の考え方の食い違いが生じたことなどが要因とされています。
商工会議所と市によれば、今年は大型クリスマスツリーの電飾を軸にエリアを絞って開く内容だったものの。
市は9月に「エリアを広くした方がいい」との意見を出してきたといいます。
商議所は「企画を途中で否定するのはおかしい」とし「市が直接、事業者に変更の指示を出した」と非難をしました。
市は「事業を良くするために意見は述べた。事業者に指示は出しておらず、認識の相違がある」との態度をとっています。
市は10月、当初の企画内容を受け入れたましたが、実行委会長を務める商議所の若本祐昭会頭は「市と信頼関係を築けない」と今月2日、中止を決めました。
今年は中止となりましたが、来年から再びイベントを催すことができるかどうかは、不透明なところとなっています。
そして、旧海軍ゆかりの施設 「青山クラブ」や呉市立美術館のある幸町地区の在り方を検討する有識者会議が行われて。
その時に、青山クラブの建物の一部を耐震補強して保存し、残りの大部分を解体した跡地に美術館を新築する案を軸に、同地区のエリアデザインを進める方針を申し合わせていました。
青山クラブは鉄筋3階、地下1階の広大な建物で、1 936(昭和11)年に建築され、旧海軍集会所として使われてきました。
保存には大幅な改修、補強が必要で、同会議で全部保存や一部保存、 外壁保存の案を議論してきた経緯があります。
建物の曲線が特徴的なJR呉線側の一部を残して大部分を解体し、跡地と中庭のエリアに2階建ての美術館を新築する方向で進めるとする意見が多く出て。
市の概算では、青山クラブの整備は一部保存が約33億円で、全部保存は約93億円、外壁保存だと約50億円と、比較して一部保存が費用を抑えられるとしています。
また、市は美術館新築費として約24億円、現美術館を歴史展示室や収蔵庫として使うために改修する場合の費用を約7億円と見積もっています。
会議では「市民の中にある青山クラブのイメージを保存し、呉の将来のための場としていくことが重要」 「将来世代の負担にならないよう残すならば、スリム化は避けて通れない」などの意見があります。
会議では「市民の中にある青山クラブのイメージを保存し、呉の将来のための場としていくことが重要」 「将来世代の負担にならないよう残すならば、スリム化は避けて通れない」などの意見があります。
一方、音楽ホールなどがある桜松館について、耐震改修して全体を保存する方向で議論してきていましたが、整備費が約25億円と高額になることや中庭を生かす観点から「無理に保存する必要はない」との意見も見られていました。
市は2018(平成30)年に、青山クラブと桜松館の建物と土地を約2億円で購入。
有識者会議を設け、2023(令和5)年5月から施設活用の方向性などを検討しつつ、会議の議論を踏まえ、2024(令和6)年度中に同地区の整備方針を策定する予定でした。
ところが、市は12月12日、建物すべてを解体する方針を示します。
外観デザインを継承した上で、美術館やホールを含む複合施設を新築することを基本として、2025(令和7)年度中に基本計画をまとめるとしています。
複合施設整備に関連する事業費は約64億円。
内訳は青山クラブの解体費約11億円、大部分が隣接する桜松館の解体費約3億円。
複合施設の新築約50億円とし、現美術館の改修や空中回廊の整備を加えた幸町地区総合整備全体の事業費は約85億円に上るとの試算を示しました。
1936(昭和11)年に建築された旧海軍の遺構を、有識者会議の提言を受けて市が2月にまとめた整備方針では。
建物の印象的な曲線部分のイメージの継承を重視し、建物を一部保存するとし、一方で、保存の範囲や方法は柔軟に設定するとしていました。
市によると、複合施設整備の関連事業費は、 建物の一部を残し美術館部分を新築する場合は約87億円で。
市によると、複合施設整備の関連事業費は、 建物の一部を残し美術館部分を新築する場合は約87億円で。
外壁だけを一部保存した上で施設全体を新築する場合は約68億円になるというものの、「外壁だけ残す工事は難しく新築部分と高さを合わせられない」と市は説明します。
解体方針に委員の一人は「下士官がお金を出し合って建て、空襲にも耐えた『生き証人」だけに残念」と漏らして。
解体方針に委員の一人は「下士官がお金を出し合って建て、空襲にも耐えた『生き証人」だけに残念」と漏らして。
別の委員は「形状を残すだけで本当に歴史をつなげられるのか」と疑問を投げかけました。
市は「建物の床素材などは、 移設できるか調査した上で活用したい」との考えを示しましたが、ここでも文化財の保存について、簡単に解体を選択する文化意識の低さが嘆かわしく感じます。
呉線の問題、人口減少の問題、税収と支出の問題が、目先の利益に飲み込まれていきます。
去日、労働者の最低賃金の改定がありましたが、広島県は1,085円で全国11位となっており、県外流出に歯止めをかけたい施策として65円のベアとなっています。
しかし物価が高い広島で、全国11位の順位は最低賃金の値上げで、余裕は生まれるのか?
地元企業に支払い能力がなければ、会社が倒産してしまうので、あまりムリも言えませんが、人口流出を止められるほどの効果は、無いように感じます。
ただ、芸備線沿線も呉線沿線も、人口が増えればさまざまな問題は少しずつ解決するでしょうけれど、新見市や三原市といった都市が。
もっと力を持たないと、そこを結ぶ鉄道は廃線を余儀なく受け入れざるを得なく、市政都市の衰退は。
財政再生団体に指定され、事実上の財政破綻への道を歩むことになります。
まずは赤字決算でも黒字経営の企業と同等に徴収される、消費税の撤廃か、できないのであれば改正しなければ、国民も企業も持ちこたえられません。
最後に、艦これ大和と森雪ヤマトのインスタを貼っていましたが、小泉進次郎防衛大臣のコメントへ差し替えました。
国民の身体・生命・財産を守る責務を負う日本国家。
85年前と現代と価値観と世界観は異なりますが、国民の人生と安心そして命を守るという国の使命は、高市早苗総理そして小泉進次郎防衛大臣が主張するものと、今も昔も何ら変わりません。
そしてこれからも変わってはならないものです。
☆被爆2世が語る平和記念日と世界史☆
May the world be filled with peace and happiness.
(世界が平和と幸福で満たされますように)
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雨のイルミネーション / KOI PLACE
寒いわ、風ゃぁ吹くわ、雨ゃぁ降るわ(凍)
ナンボ冬じゃ言うても、ちぃと寒ぅ過ぎゃせんか?
はぁどーでもえぇけぇ、命の危険を感じるわ。
あん?まだぁ今から寒ぅなるん?
カンベンしてぇやぁ。
と言うことで、思わず広島弁も出てしまう、心からの嘆きでした。
しかし今日から、晴天の日がしばらく続くそうで、少しだけ救われます。
と言うか、クリスマスまでもう10日を切ったのに、今年はコイプレにクリスマスツリーが!
ないっ!
ハロウィンの飾り付けも近年無くなったし、コイプレ界隈はだんだんショボくなって、少しでも寒さが和らいでいたのに•••••••。
広電、そんなにお金が無いのか?
ところで今年の漢字は「熊」でしたし、流行語大賞は高市早苗総理の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」でした。
そういうトピック的ではなく、そー言えば普通に流通したコトバとして、「〇〇界隈」なる表現も今年はね。
ゆめマートでも「おでん界隈」ってPOPが貼られていて、思わずクスっとしてしまいました。
「アイドル界隈」「アニメ界隈」「コスメ界隈」などSNSを中心に、共通の興味や価値観を持つ人々が交流するコミュニティとして使われていて。
特定の業界や趣味、関心を持つエリアな人々を指して使いますが、それが大人には耳に突くほど10代女子にとっては日常用語になっていたそうです。
「なんでも後ろに界隈をつける」という声があるものの、多様で幅広いニュアンスをもつ“界隈”は若い人にとって使いやすいコトバなのでしょう。
ってか、自分たちも身に覚えがあるでしょ?若い頃にね(笑)
ところでTikTokで「〇〇と検索すると〇〇が出るらしい」というのも流行っていて、インスタでもよくいろんな人がUPしていましたが。
そのTikTokへ「界隈」と検索すると、自分がどのタイプの界隈にいるのかがわかるそうで、「界隈検索」が今年のトレンドへランクインしていました。
もちろん、多くの人が「自分の界隈調べてみた」「界隈検索やってみた」とインスタへの投稿も散見していましたね。
当たっていても、当たっていなくても、個性的な界隈や変わりダネの界隈が出てきて、面白く笑えれば。
楽しいことば時代時代でみんな、いろいろ見つけるものです。
巨大クリスマスツリーが無くても、代わりの楽しいを見つけていかないと、ダメですよねぇ。
アラフィフ & アラカンな方々。
いつからでしょう、流行を追わなくなったのって。
やっぱり自分の″趣味″だけでなく、″推し″や″ハヤり″と多様性を維持することが、ボケ防止(笑)にいいのかも。
しいては認知症予防に繋がるカモしれませんよ(爆)
八木紗季さんのインスタグラムへのリンクを埋め込ませて頂きました。
八木さん•••••••,確か「恋愛こじらせ界隈」って出たはず(笑)
しかも当たっていたらしい(大爆笑)
相変わらず、アイドルらしからぬ大阪女子全開な、八木紗季さんでした。
検証します。
-安芸もみじ⛩️広島-































































