★14年ぶりに訪れたら、
すっかりと観光地化で成功されていた★
場所・ 秋田県横手市増田町増田字七日町・上町・中町など
電話・ 横手市まちづくり推進部 文化振興課へ
竣工・ 明治初期から昭和初期
構造・ 木造2階建て 土蔵造り2階建て
見学・ 主に9〜16時 有料と無料あり
見どころ・ 中に入らないと見れない内蔵
人物・ 「釣りキチ三平」 矢口高雄
最終訪問・ 2024.10 再訪 2025.11 3回目
*国・重要伝統的建造物群保存地区
・保存地区の特徴
増田の重伝建は、旧増田城の東側と北側に展開し、近世から近代にかけて在郷町として繁栄した南北約420m、東西約350m、面積約10・6ヘクタールの範囲とします![]()
保存地区周辺には中世から近世にかけて新田開発に伴って築かれた水路が巡り、町の中に残る水路は、町の形成、発展の過程を伝える要素となっています![]()

元禄16年(1703)の絵図には、城の東と北に町並みが描かれており、遅くとも18世紀初頭には現在の町の骨格が成立していました![]()
その後、町は拡大発展し、現在の町割りはほぼ近世末期の状況を踏襲しています![]()

現在、保存地区にある町並みは、場所により異なった景観を見せます![]()
旧街道沿いでは、切妻造妻入り、正面に下屋庇を持つ商家建築を主とする伝統的主屋が道路に沿って並び、一部の住宅建築などに備わる前庭の樹木および門、塀と合わせて表通りの町並みが形成されています![]()

この旧街道から分岐する路地や、中心部を流れる「下夕堰」と呼ばれる水路からは、主屋や鞘付土蔵などの奥行が見通せる景観が広がり、短冊形の敷地と町家の規模を一望することができます![]()
この路地の長さそのものが、家の敷地の奥行を表しています![]()
路地を抜けると、裏通りの町並みが広がります![]()
表通りに面した家々の敷地の裏口に当たり、外蔵の他附属屋や門塀、裏庭の樹木が並ぶ景観は、表通りとは異なる趣となります![]()
裏通りに向いた裏門

保存地区は、近世期に整備された地割や水路をよく残し、近代になって意匠的に発展した地域特有の切妻造妻入りの主屋に加えて、鞘付土蔵などの特徴的な伝統的建造物がよく残り、近世末期から近代にかけて繁栄した在郷町の歴史的風致を伝えています![]()
・増田の伝統的建造物
敷地は、通りに沿って短冊形に割られ、間口は四間から五間前後、奥行きは50間から70間と長いのが一般的です![]()
通りに面して、店舗兼住宅である主屋を置きます![]()
通り土間の通る屋内
その背後に、主屋と連続する鞘付土蔵(当地方では「内蔵」と呼ぶ)を接続し、敷地の半分以上を連続する建物で覆い、豪雪に対応するための長大な空間を作ります![]()
その背後の庭に独立した当地域で「外蔵」と呼ばれる蔵や附属室が置かれます![]()
敷地背面が裏通りに面する敷地では、通りに面して門、板塀を設けます![]()
主屋

主屋は主として、切妻造妻入、2階建てとし、正面に奥行き1間程度の下屋を設けます![]()
2階正面には庇を張り出し、内縁とします![]()
庇の屋根は凝った造りで、2軒、繁垂木、隅木入のものまで見られます![]()
屋根のけらばを大きく出すのも特徴的で、正面妻に、実際の小屋構造とは関係なく、化粧梁を何度も重ね、壁面から突出する巨大な梁首を飾るものもあります![]()
また、これら切妻造妻入りの主屋の他に店蔵形式の主屋や、入り母屋造り平入の主屋なども見られます![]()
通り土間

平面は一列3室または4室を基本とし、南側に正面より主屋奥まで続く通り土間(土間の廊下)を配し、側面に窓や天窓を設けて採光を確保します![]()
窓に沿って緑を設けるものもあり、明るく特徴ある空間を作ります![]()
主屋背後に接続する鞘付土蔵は、土蔵とそれを覆う鞘からなります![]()
正面と背面に掛子塗りの扉を構え、片引きの裏白戸が付く場合もあります![]()
壁は光沢が出るまで磨き上げられた黒漆喰または白漆喰とします![]()
黒漆喰の内蔵

開口部の扉および腰は、漆塗りの木枠によって養生されており、その繊細な組子の意匠も土蔵を飾る要素となっています![]()
土蔵内部は、1階奥の2間または2間半分を畳敷として、床を構えた座敷とするものが多いです![]()
文庫蔵

土蔵部の内部の形態から、重要な家財道具や什器類、衣類を収納した「文庫蔵」と、座敷を持つ「座敷蔵」に分類されます![]()
鞘は主屋と連続した空間を作り、土蔵を覆うだけでなく、土蔵の周囲に大きな空間を作ります![]()
座敷蔵

鞘建物は本来の建物でありますが、土蔵本体が鞘建物の支持体となる特殊な構造となっています![]()
土蔵脇には主屋から続く通り土間を通しています![]()
保存地区では、昭和30年代までに建てられた主屋・土蔵(土蔵・鞘付土蔵・店蔵)、附属室、近代洋風建築、社寺建築を建造物として、門、塀、水路の石積護岸等は工作物として、それぞれ伝統的建造物に特定しています![]()
近代和風・洋風建築

このほか、庭や樹木、水路を環境物件として特定しています![]()
・増田の歴史
横手市は秋田県南東部にあり、奥羽山脈と出羽山地に囲まれた横手盆地の中央に位置しています![]()
増田は、市街地南方、奥羽山脈を源とする成瀬川と皆瀬川の合流点の北に位置し、秋田県内有数の豪雪地帯です![]()
現在の小学校および市庁舎が建つのがかつての増田城となります![]()
土日祝のみ公開
増田城は14世紀に小笠原義冬が築いたと伝わります![]()
その後、17世紀初頭に佐竹義賢が一時駐屯しました![]()
元和元年(1615)の一国一城令により廃城となりました![]()
増田は、羽州街道の東側に位置し、羽州街道上の十文字から仙台寒湯へ抜ける小安街道上にあります![]()
17世紀の中ごろには増田で久保田藩公認の定期市が始まり、藩南部の流通拠点として栄えました![]()
増田は、明治維新後も商業地として発展し、明治28年(1895)に銀行が設立されます![]()
増田銀行の頭取だった重文「佐藤又六家」 右

生糸は、明治以降生産が拡大し、大正期に最盛期となります![]()
たばこは明治期に製品の製造まで行うようになりますが、たばこ事業の国営化により、それに代わる産業として明治43年に増田水力電気会社が設立されます![]()
さらに、大正4年に町の東に位置する吉乃鉱山で大鉱床が発見され、十文字駅と吉乃鉱山の間に位置する増田は、鉱山関係者で賑わい、大正期から昭和初期にかけて、その繁栄は最高潮に達します![]()
秋田の別の場所ですが、これが「梵天」と呼ばれるもの
商業規模の拡大に伴い、承認たちは「内蔵」「外蔵」と呼ばれる多くの土蔵を建てるとともに主屋を改築し、大型の店舗を構えていきました![]()
現在残る町並みは、明治期以降のこうした往時の勢いを物語ります![]()
江戸期より今日まで「朝市」が連綿と続き、「梵天行事」や「月山神社神輿渡御行事」、「盆踊り行事」などの伝統行事が人々の暮らしととも伝承されています![]()
(増田町の観光パンフより)
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・感想編
14年ぶりの2度目の増田![]()
前回は2010年に来ましたが、そのときはまだ重伝建にもなっていず、内部見学もできず、観光地ではありませんでした![]()
2010年のときの記事
2013年に重伝建に指定されると、そこから観光地化が始まり、内部公開も始まり、「蔵の駅」「町並み案内所 ほたる」「まちの駅 福蔵」など、無料の観光施設も次々にオープンし、普段はそこまで古い街並みに興味がない方も普通に観光地として訪れるようになりました![]()
「まちの駅 福蔵」

今回は秋の3連休に行ったら、赤ん坊連れの方など、家族連れで観光に来るような場所になっており、驚きました![]()
あんまり重伝建でここまで観光地になっているところは少ないので、横手市としてもかなり億単位のお金を投入してテコ入れしたんだと思います![]()
県内の一大観光地の角館に追いつけ、追い越せ![]()
「町並み案内所 ほたる」

すっかりとにぎやかになり、往時の増田はこんな感じだったのかなと、タイムスリップした気分も味わえました![]()
内部見学ができるお家もたくさんあり、1軒1軒回ると何時間もかかるので、ここを観光するときは4時間は見た方がいいかも知れません![]()
「旧石田理吉邸」

ずっと内部を見てみたかった木造3階建ての「旧石田理吉家」、唯一の今も現役で生活をされている国の重文「佐藤又六家」、増田で1番最後の最高傑作の内蔵のある「山吉肥料店」、土日のみの公開の「旧村田薬局」、
増田で1番美しい内蔵の「日の丸醸造」、町並みの端にある「谷藤家」、増田最大の梁間の内蔵のある「佐藤三十郎店」などその他、無料で内部に入れる「まちの駅 福蔵」、「蔵の駅」、「案内所 ほたる」など計10か所の内蔵を見ることができました![]()
「日の丸醸造株式会社」

重伝建になるまでは、内蔵ということでその存在すらも外観からは秘められており、知られることもなかった内蔵で、まずは大雪から蔵を守るという気候的な問題が根本ですが、秋田の方の控えめで奥ゆかしい県民性もそこにあるような気がします![]()
秋田に新しくできた古い町並みの観光地、あの角館と一緒にいかがでしょうか![]()
内蔵・観光地・重伝建好きの方にもおススメです♪
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★増田の公開内蔵











