マサミのブログ Road to 42.195km

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走る・観る・聴く・読む・歩く・食べる・楽しむブログ

9/17(木)は、ここにいました。

 

 

東京メトロ「東陽町」。駅や街の名前は知っていたけど、降りるのは初めてでした。降りてみたら…

 

 

このあたりは「江東区」の中心地のようですね。大きな建物は、左から江東区役所、江東区防災センター、そして防災センターの向こうに見えるのが…

 

 

私の目的地、江東区文化センターです。この日は、これを↓観に行きました。

 

 

国立劇場が主宰する文楽(人形浄瑠璃)。国立劇場の建物は建て替えのために休館中なので、各地のホールを借りての公演が続いています。この日の演目は『二人三番叟(ににんさんばんそう)』と『仮名手本忠臣蔵』の2つ。

 

 

江東区文化センターのホールは、小ぶりですが見やすくて良かったです。(以下、舞台上の画像はすべて借り物)

 

 

第一部の『三番叟』↑は、平穏な日常と豊かな実りを祈ってお祝いの場などで演じられる、音楽と舞が中心の舞台。特にストーリー的なものはないようです。

二人の翁(おじいさん)が舞いますが、途中で片方が躍り疲れて、舞台の隅に座りこんでしまい、布で汗を拭いたり扇で顔をあおいだりしてサボります。それに気がついたもう一人の翁が「真面目にやれっ!」と頭をポカリ。客席からはどっと笑いが起きます。

観ている人は「ここは笑うところ」と知っているんですね。私は「文楽にも滑稽な、笑いを取る場面があるんだなぁ」と面白く思いました。

 

続いて、太夫(語り)、三味線、人形を担当する方々による「文楽の魅力」の解説がありました。文楽では、主役級の人形は1体を3人で操りますが、誰がどの部分を動かすかなど、詳しく説明して頂いて勉強になりました。

 

そして第二部の『仮名手本忠臣蔵』は、もちろん「赤穂浪士」「四十七士の討ち入り」で知られる物語ですが、今回はその中のサブストーリー「おかる勘平」の物語が演じられました。あらすじはザックリ、こんなふうです。

 

赤穂藩士だった早野勘平は自身の不手際から藩をクビになり、侍の身分も失ってしまった。奥さんのおかるの実家に住み込んで猟師をやっていた勘平は、ある日の夜、暗闇のなかでイノシシと間違って人を撃って死なせてしまう。相手が誰かは分からなかったが、ふところに大金が入った財布があるのを見つけて、ついつい持ち帰る。

しかしひょんなことから、その金は勘平の養父が、娘のおかるを祇園の店に身売りして、勘平が討ち入りに加わるための資金にするつもりだった金だと分かる。養母や藩の上役から責め立てられた勘平は、ついに覚悟を決めて…

 

 

 

 

私は「おかる勘平」という名前だけはずっと前から知っていました。「ロミオとジュリエット」とか「ハムレットとオフィーリア」、「トリスタンとイゾルデ」「オデット姫とジークフリート王子」「安珍清姫」「徳兵衛とお初」みたいな、有名な恋人同士のことだろうなとは思っていましたけれど、忠臣蔵の登場人物だということはこの舞台を観て初めて知りました。お恥ずかしいかぎり。

 

国立劇場の公演は、詳しい解説と、太夫の語りがすべて紹介されているのでとても分かりやすく、助かります。映画やお芝居でいえば、すべての登場人物のセリフがきっちり記録されたパンフレットのようなものがあって、無料で配ってくれるんです。さすが国立劇場。

また、劇場によっては字幕が出るところもありますが、この日の江東区文化センターのホールのような字幕システムが無い劇場では、スマホの画面にセリフが投影されるアプリがあるんです。明るく光ったりしないので便利。私もお世話になりました。

 

「おかる勘平」の面白さは、観客は「何が起きたのか」を知っているけれど、舞台上の登場人物は全員がひどい勘違いをしていて、勘平は結局、失わなくても良い命を失ってしまうという設定です。だから観ている側は「ああ、そうじゃない、そうじゃないんだよ!」とやきもきしつつ、悲劇に向かって進む物語に付き合うしかありません。

 

最後の最後、勘平の無実は明らかになるのでそこは救いといえば救いです。とはいえ、なんとも後味は重くて暗いストーリーですね。決して「スカッと気持ち良く終わる」話ではない。

そして前にも書きましたが、バレエやオペラと違って文楽には「カーテンコール」というものがないので、幕が降りると同時に場内はパッと明かりがついて、ズーンと重くなった気持ちを抱えながら席を立つしかありません。うーん泣き笑い

 

でも、とっても魅了されたことは確かです。私は物語の本筋から離れたところでも、きっちり「詰め」られている部分に感心しました。たとえば…

●猟に出ていた勘平が、たまたま赤穂藩の先崎弥五郎に会い「自分も討ち入りの仲間に加えてほしい」と告げるが、弥五郎は「討ち入り?そんな計画は無い」としらばくれる。だが「今は供養のための石碑を建てようと御用金を集めているところだ。この意味、分かるな?」と、それとなく討ち入りの計画が進んでいることを言葉と表情で伝える場面。人形なのに「分かるな?」というデリケートなところを見事に演じていて、私はとても感心しました。

 

●祇園の店から「おかる」を迎えに来た一文字屋才兵衛が、勘平の家の前で駕籠を降りて家に入る。二人の「駕籠かき」は家の外で一服しながら「ああ、やれやれ」という風情で汗をぬぐう場面。舞台の片隅で、観客が気がつくかどうかも分からないどうでもいい部分ですが、細かいところまできっちりやるんだなあと思いました。

 

●クライマックス。切腹して身の潔白を訴える勘平。ようやく真実に気がついた藩の上役が、まだかすかに息のある勘平に「分かった。討ち入りの仲間にお前も加えよう」と言って巻物に血判を押させる場面では、藩の上役の一人が「重大な秘密を誰かに聞かれないように」と、家の玄関をそっと閉めるんです。ここも、細かいなぁ!と感心しました。

 

私には人生4回目の文楽観賞でしたが、まぁこんな感じで、勉強にもなったし楽しめたし、良い時間を過ごすことが出来ました。この記事をきっかけに、私のブログの記事に「文楽・歌舞伎・能など伝統芸能」というテーマを新たに設定して、ひとまとめにしますね。よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<おまけ>

第二部の「おかる勘平」の勘平は、本名が「早野勘平」です。それを知った私の頭のなかに、何かがボンヤリ浮かんで来ました。「???」と思って考えるうちに思い当たったのは…

 

 

はい。帽子芸でお馴染みの「早野凡平」さん。「笑点」とか「大正テレビ寄席」とか、昭和の演芸番組によく出ていましたよね。お名前はもちろん芸名ですが「早野勘平」が元ネタなのかな?と思ってしまいました。ちょっと調べてみたけど分かりません。

昔は忠臣蔵の話などは、教養というか一般常識として多くの人が知っていましたから、早野凡平といえば「早野勘平のもじりだよね」と気がつく人がたくさんいたのでしょうね。私は気がつくのに50年以上もかかってしまいましたがてへぺろ こういうことも、長生きする面白さ。

 

「浜なし」の3個目を食べてみました。包丁を入れてみてびっくり!

 

 

この「みつ」の部分の多さ!買ってきて冷蔵庫に入れて5日ほどたっていましたが、冷蔵庫の中でも熟成が進んでいたのかな。

 

 

白っぽく見えるところは普通の梨なんですけど、なんだかクリーム状みたいに見えますよね。とにかく水分量が豊富で瑞々しくて、甘さもかなり強い。美味しく頂きました。3個目が優勝。

 

でも…梨にとって「みつ」というのは必ずしもポジティブなことではないのかも?と思うようになっていたんです。というのも、この「3個2,700円」の浜なしを買った時、袋に入っていた紙には…↓

 

 

「おいしさには変わりがありませんので、ご安心ください」って、なんか言い訳っぽいですよね。「みつが入っているのは美味しい証拠!」みたいな書き方じゃなくて、むしろ逆な感じ。

 

私は気になったので、調べてみました。すると…

 

 

『果樹栽培ナビ』というサイトには、上のように書いてありました。「生理障害」なんだそうです。障害なのか!たしかにシャキシャキ感は失われますけど、元の、梨本来のオリジナルな部分?が半分ぐらい残っていれば、「シャキシャキ部分」と「みつ部分」の両方が味わえて、私はとても美味しく感じましたけどねぇ。私はたまたま、いちばん良い状態で食べたのかもしれませんが。

 

同じ浜なしでも幸水と豊水で違うし、個体差もあるし、買ってから食べるまでの時間にもよるのでしょうね。いろいろ、勉強になりました。まだ間に合うようなら、また別の浜なし、買ってみようと思います。

 

 

ーーー

 

 

「甘い話」をもう一つ。「これ、いつかやってみよう」と思いながらなかなか出来ませんでした。完全に涼しくなってしまう前にやっちゃわなきゃと思って、トライしてみたのでご覧ください。

 

 

これとこれを、適当に切り崩してうつわに入れると…

 

 

こうなりました。上から練乳をかけてあります。

 

 

まぁ要するに「なんちゃって宇治金時」なんですけどね照れ 私は宇治金時が大好きなのに、今年の夏は食べそこなったので、セルフだけど間に合って良かったです。(白玉を合わせたかったなぁ) 

 

 

10/25(日)の横浜マラソンに向けて、「レース向けのトレーニング」に切り替えています。なにしろ横浜マラソンは中間点までの間に関門が7つもあって、私には厳しいんです(ゴールまでさらに6つの関門あり)。

私のふだんのゆるゆるペースで走っていたのでは関門通過はとても無理なので、9月に入ってからは、制限時間をクリアできるペースで走る練習をしています。

8月と9月の走り、キロ当たりのペースの違いを見てください。

 

■2026年8月のジョグ

8/10 7.22km 1時間00分11秒(キロ8分21秒)

8/13 10.67km 1時間29分11秒(8分22秒)

8/15 12.08km 1時間41分23秒(8分24秒)

8/18 4.22km 41分03秒(9分43秒)

8/19 20.09km 3時間40分10秒(11分00秒)

8/29 15.16km 2時間08分14秒(8分27秒)

 

■2026年9月のジョグ

9/1 8.22km 1時間03分09秒(7分41秒)

9/3 8.47km 1時間03分14秒(7分28秒)

9/5 10.25km 1時間15分46秒(7分24秒)

9/8 11.14km 1時間26分29秒(7分46秒)

9/12 11.28km 1時間19分38秒(7分04秒)

 

9月に入ってからは、「距離は短めでいいから速いペースで走る」と切り替えているのがお分かり頂けるかと思います。

まぁね、「速いペース」とか言っても、マジでガチに走っている皆さんが見たら「ふん!にやり」と鼻で笑われるような遅さなんですけど。

 

でも9/12(土)に走った時は、11km以上の距離を走って、キロ当たり7分04秒という、今の私にとっては驚くような「快走」が出来たので、「うむ。よしよし」とこっそりほくそえんでいたのでした。ところが!

 

その日は走っている間も、走った後もなんともなかったのに、翌日の9/13(日)から、腰痛に見舞われました。腰をかがめると、痛い。靴を脱いだり履いたりがちょっとつらいです。


痛む場所は腰の真ん中から右側にかけて。日常生活や仕事には困らないレベルの痛みだけれど、走れる状態ではありません。あ~あ。せっかくここまで順調に来ていたのにッ!

 

でもレース直前でなく今の時期だから良かったです。昨日の火曜日、地元の「戸塚共立いずみ野病院」へ行って来ました。ついでに、この数カ月にわたり痛みが続いている「左手の人差し指」も診てもらおうと思って。

 

腰と指のレントゲン画像を見たドクターは…「これはまぁ、年齢から来る骨の変化ですね。腰も指も、骨の一部がほんの少し尖っています。はっきり言ってすぐ良くなるのは難しいので、痛みと付き合っていくしかないと思います。湿布、出しますか?」とのこと。

 

ほぼ、予想していた通りでした。予想より、かなりハッキリ言われましたけどね悲しい  

 

 

まいどお馴染みの、経皮吸収型鎮痛・抗炎症剤が出ました。大判なので、腰にはこのまま、指には小さく切って貼ってくださいという指示。仕方がないので、痛みが引くまではジョグは休んで様子を見ます。

左手の人差し指は、ひと頃よりは痛みの出る頻度も痛みの強さもかなり改善してきているので、そこは上向きなんですけど。

 

あせる  あせる  あせる

 

会計を待っている間、ふと壁を見ると、こんな張り紙を見つけました。

 

 

ほほう。この病院でも脳ドック、やってくれるんだ。

 

 

簡易型で27,500円。推奨型で60,000円ですか。なかなかのお値段ですね。まぁ、覚えておくことにします。今はとにかく、腰を治さなくては。

 

3Lサイズの浜なしを買って食べてみたら、まぁまぁ美味しいけれどびっくりするほどでもなかった…という話はレポート済みです。

その時は3個買ったうちの1個目を食べた感想でした。それから2日おいて、2個目を食べてみました。包丁を入れてみると…

 

 

おお!これはびっくり。「みつ」が入ってるじゃないですか。透き通ったような、半透明の部分が見えるでしょう? そういえば袋に入っていた紙に書いてあったんですよね。

 

 

そう、これこれ。私は「みつ」が入った林檎は何度か食べたことがあるけど「みつ=蜜」と言われるように、甘さがぎゅっと凝縮された部分で、めっちゃ美味しいんです。梨にも「みつ」が入ったものがあるなんて知らなかったので驚きました。

 

皮を剥こうと包丁を入れてみると、手に伝わってくる感じが全然ちがいました。「みつ」の部分はスルッ、フワッと…皮が「剥ける」というより、皮が自然に「離れる」ような感じでした。

 

そして食べてみると…「みつ」の部分だけでなく、全体に水分の量がダントツに多い。めっちゃ瑞々しいです。「甘み」は、実はそれほど劇的に甘くはありませんでしたが、なんていうか、もう「梨のジュースを飲んでいる」みたいな感じ。

やっぱり同じ浜なしでも「Mサイズで6個1,500円」の梨と「3Lサイズで3個2,700円」の梨は違うなと実感しました。「幸水」と「豊水」の違いもあるかも知れませんが。

 

ただ、一つ気がついたのは、包丁で真っ二つに切った時、「みつ」があるのは片側の半分だけだったんです。反対側の半分には、まったく「みつ」はありませんでした。日当たりの影響とか、あるんですかね。面白いなと思いました。

 

さて、3個買ったうちの2個目が大当たり!3個目はどうなんだか、気になるでしょう?ニコニコ また報告しますので、お楽しみに!

 

やっと『マイケル』観てきました。

 

 

マイケル・ジャクソンの幼年期から「KING OF POP」と呼ばれるようになるまでを描いた一代記です。

 

 

 

私はシンプルに娯楽作として楽しみました。100%事実どおりではないらしいですけど、あまり目くじら立てても…と思います。知らなかったことも多くて「へぇ、そうだったんだ!」という気づきもたくさんありました。

 

一つ感じたのは…「音楽と人種」について。かつてのアメリカでは、「黒人が作る音楽は黒人しか聴かなかったし、白人が作る音楽は白人しか聴かない」という傾向があったと思うんです。例外はあるにしても。

この映画でも、MTVでは1980年代になってもマイケル・ジャクソンのビデオを流さなかったというエピソードが出てきました。その垣根は、いつ誰がどのように壊していったんだろうと思ったんです。ジミ・ヘンドリクスあたりの存在も大きかったのでしょうか。ちょっと古すぎるかな。

 

でもジャズといえば黒人だし、ロックといえば白人男性。そしてクラシックの世界ではアフリカ系の演奏家や指揮者って、みかけないですよね。ソウル・ミュージックなんかはアフリカ系の人だけのものみたいだし。(超ざっくりな言い方お許しください)

 

とてもナイーブな問題ですが、このあたりをテーマにした映画があったら観たいなと思いました。

 

 

ーーー

 

 

そして「私とマイケル・ジャクソン」について、ちょっとした縁があることにも気がついたので、書いておきますね。

 

 

■『ABC』がヒットしていた頃をリアルタイムで知っています。

 

ジャクソン・ファイブの最初のヒット曲といえば『ABC』。映画の中でも登場しました。

 

 

 

私、これが日本でシングルヒットしていた時代を生で知っているんです。

 

 

1970(昭和45)年、私は14歳で中学2年生。外国のポップスに興味を持ち、ラジオから流れてくる「洋楽のベスト10番組」を欠かさずチェックして、自分なりのヒットチャート↑を作っていたんです。「BEST―10」でなく「BESTO―10」と書いちゃうあたりが。、我ながらいじらしい照れ  

これ、50年以上も大事に保存してありました。私は14歳あたりで既に「オタク気質」を十分に発揮していますねぇ。うん。よしよし。クラスでこの話題についてきてくれるやつなんて誰もいなかったっけ。

 

そのヒットチャートの5月~6月頃を見てみると…

 

 

ね?ジャクソンファイブの『ABC』が出てきています。サイモンとガーファンクルの『明日にかける橋』や、ビートルズの『レット・イット・ビー』と同じ時期にヒットしていたんですね~。映画の中では『ABC』が『レット・イット・ビー』を追い落として1位になる場面もありましたよね。

 

余談ですが、1970年といえば私の生きていた範囲では、まだ「ロック」という言葉は日常的ではありませんでした。洋楽はあくまでも「ポップス」でしたね。軽くて聞きやすい、シングルヒット狙いの音楽。なので、私にとってもビートルズは「ヒット曲をたくさん出すバンド」というイメージしかありませんでした。


私がはっきりと「ロック」を意識し始めたのはそこから2年が過ぎて、1972年、レッド・ツェッペリンやディープ・パープル、ELP、ピンク・フロイド、キング・クリムゾンなんかを聴くようになってからです。このへんについて書くと本が1冊できてしまうので、それはまた。

 

 

■マイケル・ジャクソンがCMに出ていた原付に乗っていました。

 

私は20歳ぐらいの頃に初めて50㏄の原付バイクを買いました。それはホンダの『ロードパル』というもの。ソフィア・ローレンが出たテレビCM「ラッタッタ」で有名になったやつです。

でもあまりにも非力なので、2年ぐらい乗って買い替えたのが、当時新発売だったスズキの『ラブ』というバイク。なんとそのイメージキャラクターがマイケル・ジャクソンで、CMにも出ていたんです。

 

 

 

 

MJ SUZUKI LOVE CM

 

私が『LOVE』に乗っていた頃の写真がなくて残念。でも、「マイケル・ジャクソンがCMに出ているから」というのは、このバイクを選んだ理由ではなかったですね。まぁ、なんとなく…でした。

私は上の写真と同じ赤い『ラブ』を数年乗ってバイクを卒業し、自分のクルマに乗り換えたのでした。

 

 

■「生マイケル・ジャクソン」見ました。目の前で!

 

マイケル・ジャクソンが初めてソロで来日したのは1987(昭和62)年の『Bad Tour』でした。

 

Wikipediaによると、日程はこんなふう↑でした。横浜スタジアムで5公演もやってる。後楽園球場では3日間なのに。さすがに当時の横浜はマイケルの話題で持ち切りだったような記憶があります。

横浜市内(磯子区)の会社に勤めていた私は、横浜スタジアムでコンサートがあった日の夜8時頃、残業を終えてから後輩を誘ってクルマでスタジアムまで行ってみました。クルマ通勤だったんです。「チケット無いけど、とにかく行ってみようぜ」という、まったくの野次馬感覚でしたほっこり

 

会社から横浜スタジアムまで20分ぐらい。着いてみると、音はガンガン聴こえます。ドームではありませんからね。しかもスタジアムの周りをぐるぐる何周もクルマで走っていると、とても良く聞こえる場所と、そうでない場所の違いがあることが分かりました。

JRの線路とは逆の日本大通り側のほうが、スタジアムのすぐ横がビルなので反響しやすかったようです。なので私たちはそのあたりにクルマを停めて窓を開けて、しばらく聴いていました。『ビートイット』が聴こえたことをよく覚えています。

 

しばらくするとコンサートが終わったような雰囲気が伝わって来ました。同乗していた後輩の一人が「帰るところ、見に行きません?」というので、クルマは路上駐車して行ってみました。バックスクリーンの裏側あたりに人だかりが出来ていたのでその辺にいたら…出てきました!

 

たしかハイエースだかライトエースだか、そんな感じのクルマだったと思います。今ならアルファードとかヴェルファイアあたりなんでしょうけど、当時はそんなもの。

しかも驚いたのは、ファンが待っている側のドアだったか窓だったかを開けて、マイケルがファンに手を振りながらスタジアムから出ていくんです。そしてそのマイケルにスポットライトを当てる係の人がちゃんといるじゃないですか!


クルマの外からライトを当てていたのか、車内にライトがあったのか、記憶がはっきりしないのですが、とにかく「出待ち」しているファンにもちゃんと顔を見せながら帰るマイケル・ジャクソン。私は「やっぱり世界のスーパースターは違うな」と、しみじみ感動したのでした。

 

ちなみにこの時の私とマイケル・ジャクソンの距離は30mぐらい。生涯でマイケルにいちばん近づいた瞬間でした音譜 

 

 

■赤坂見附のマイケル・ジャクソン?

 

私がいまの派遣先で働くようになって12年ほどたちます。遅番だと仕事を終えて赤坂見附の駅に着くのが夜10時ぐらい。そして、ずーっと気になっていたことがあるんです。昼間はいませんが、夜になると「何か」が出て来る。こんなふうです↓ 場所は赤坂見附の駅を出てすぐの「エスプラナード通り」。

 

 

どうみてもマイケルですよね。私ははじめのうちは遠くから見て「人形か銅像のように見せかけて、実は人間」というパフォーマーかなと思っていました。

でも、どうやら違う感じ。この記事を書くために、数日前の夜に確かめに行ってみたんです。

 

 

ははぁ。どうやら「鶴千」というお店が、人目を引くようにマネキンを出しているみたいです。看板を読むと「70年代80年代の音楽が楽しめるお店」とのこと。私にぴったりじゃないですか!今度行ってみようかな。

 

 

ーーー

 

 

映画『マイケル』は、続きがありそうな終わり方でしたよね。続編も楽しみ…ではあるけれど、晩年のマイケルはちょっとねぇ。可哀そうな感じだったから、どうかなぁ。

 

それと、書き忘れていましたが、映画の最後の、ロサンゼルスでの?コンサートの場面。ドジャースタジアムでしょうか。数万人の観客が詰めかけていますが、誰もスマホを持ってないのが新鮮な驚きでした。

1980年代ですから当たり前なんですけど、これが今だったら…海外のアーティストはスマホ撮影OKのことが多いですから、そしたら観客のほぼ全員がスマホでステージを撮ってるだろうなと思うんです。たぶん「聴く」とか「音楽を楽しむ」ことはそっちのけで。そう考えると、それもちょっと寂しいなと思ってしまったのでした。

 

先月、生まれて初めて「浜なし」というものを食べたら、期待ほどではなくて…という話はレポート済みです。「こんなはずでは」と思い、もう一度浜なしを食べてみようと思っていました。

そうしたら、我が家の近くにあるJA から、2日ほど前に「浜なし入荷しました」とLINEが来たので、行ってみました。

 

 

浜なしを推してますね~。

 

 

後ろの建物がJA中田支店。泉区では、泉区総合庁舎(区役所)以外ではいちばん大きな建物かもしれません。ソラトスとか緑園都市の高層マンションは別として。さすがに泉区界隈ではJAの勢力、恐るべしですまじかるクラウン

 

このJAと同じ敷地内にあるのが…

 

 

野菜を中心とした生鮮品の直売所。我が家からは自転車で数分なので、たまに買いに行きます。ただ、私の感じだと、近所のスーパーと比べて「めっちゃ安い!」とは思いません。ここでしか見かけない、珍しい種類の野菜とか並んでいますけどね。

 

 

浜なし、買ってきました。何種類かあるなかで、とにかく「大きい」ものを選択。3個入って2,500円。税込み2,700円です。私は正直なところ「これ、梨の値段じゃないよな…」と思いましたが、ものはためしってことで。

 

 

袋に入っていた紙。前回は「幸水」という品種でしたが、今回のは「豊水」という種類でした。前回と今回のを比べてみましょう。

 

 

上の段は前回買った「6個で1,500円の幸水」。下の段が今回買った「3個で2,700円の豊水」。大きさの違い、お分かり頂けますでしょうか。

 

豊水を冷蔵庫でよ~く冷やしてから、頂きました。

 

 

この写真↑は1/2個です。包丁でスパッと切った瞬間に「おっ、これは違う!」と思いました。水分の量がこないだの浜なしより格段に多い感じ。

 

 

瑞々しさ、伝わりますでしょうか。歯ごたえというか舌ざわりというか、確かに違いました。甘みも、こちらのほうが強い感じ。

 

ただ、やっぱり期待が大きすぎたのか、「こんな美味しい梨は生まれて初めて!」というほどの感動は得られなかったです。もちろん、十分に美味しいんですけどね。前回の記事に書いた、ヨットの時にNさんが毎回持って来てくれたあの梨の美味しさには届かない感じでした。

 

美味しかった食べ物の味は記憶の中でどんどん美化されますから、比べてはいけないのでしょう。でも正直に言うと、そんなふうに思ったのでした。まぁ、これはこれで良い経験です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<おまけ>

浜なしを載せた「うつわ」についても、聞いてもらえますか?

 

 

これは↑前回、「幸水」を載せたうつわ。会津若松へ行った時、七日町のほうへ行く途中のお土産屋さんで買いました。店頭で投げ売りされていて、300円か400円ぐらいだったと思います。

 

 

こちらは↑今回「豊水」を載せた絵皿。名古屋へ行った時、徳川美術館の近くにある名古屋陶磁器会館のアウトレットコーナーで購入。200円ぐらいだったかな?

 

これらの2つのうつわ、ちょっと面白いし安いし「へぇ」と思って買って来たものの、今まで何年も使ったことがありませんでした。浜なしのおかげで活かすことが出来て良かったですニコニコ

 

 

昨日の9/8(火)は、センジョーコースイタイデオオアメクルクル …と言う情報があふれるなか、マイ地元の横浜市泉区は曇り空だったので、田んぼ確認ジョグに出かけました。

途中で振り出してシャワーランになってもいいや、と覚悟の上でスタート。

 

 

 長後街道を西へ。上の写真の先、和泉坂上の交差点を左折して…


 

 環状4号線に入ります。相模鉄道の陸橋が見えて来るのは「ゆめが丘」あたり。交通量、少ないですね。


 

 毎度おなじみファール・ニエンテさんでパンを買って、ミニランチにしました。品質の割に安い。そして美味しい。


赤坂橋を過ぎて鍋屋の交差点から脇道に入って…


 

天王森泉館(てんのうもり いずみやかた)は休館日でした。火曜休館と覚えておかなくては。

ここでトイレをお借りしたかったのですが、ちょっと先の境川遊水公園まで行ってクリアしました😊


そして定期観察を続けている「マイ田んぼ」へ。今年になってからの変化をご覧ください。

 

(2026年1月22日↓)

 

(2026年2月19日↓)

 

(2026年4月18日↓)

 

(2026年5月16日↓)

 

(2026年6月20日↓)

 

(2026年7月16日↓)

 

(2026年8月15日↓)

 

(2026年9月8日↓)

 

 おお。全体が少し黄色っぽく見えるようになりましたね。近づいてみると…


 

部分的ですが、穂が出ていました。こういうのを「稲穂(いなほ)」と呼ぶんでしたっけ?

 

  


ちょっと見えにくいですが、同じ区画の別の田んぼには、ビニール紐のようなものが周囲に張り巡らされていました。これは何のためなのかなぁ。

 

…というようなことを考えながら折り返して、帰路につきました。

 

 

田んぼや畑の中に並ぶ、このビニールハウスでは…

 

 

 アロエを栽培しています。マイ地元では梨、ぶどう、イチゴなどの農園は多いけれど、アロエはここ以外では見かけたことがないです。

いつか買って、ヨーグルトに入れて食べたり、してみようかな。


 

和泉川に沿ったプロムナードを北上。静かで気持ちがいい。

 

 

 和泉川は水量が多めでした。こないだここで会った鴨さんファミリーは見当たらず。


 

 この日のワタクシ。小雨がポツポツ降った程度で、ズブ濡れにはならずラッキーでした。

11,14kmを1時間24分29秒。走りの面では、脚に疲労があってつらかった。終盤は少し歩きを挟んでしまいました。


💧


お口直しに😅、この日に見かけたお花の写真を並べますね。










 

 









〈おまけ〉

このところ、PCの画面を開くと「あなたにおすすめ」のウィンドウが開きます。こんなふう↓


 

 いや、「奈良漬」の記事をブログに書いたことは確かだけど、おすすめされても無理ですからッ!😂 奈良漬の画像を見るだけであのニオイがよみがえって来て「もう堪忍してください」と言いたくなってしまう。


ここまて来ると、もうトラウマですねぇ。奈良漬を作ったり売ったりしている皆さん、本当にごめんなさい。


体調について書こうとすると、どうしても愚痴っぽくなってしまうのがイヤです。でも仕方ないですよね。「私はいま、身体のどこにも悪いところ、痛いところはありません。絶好調です!」なんて書いても、ブログの記事としては「はぁ?だから何?」って反応しかできないし。

 

だいたい誰でも、自分の体調について記事を書くと、どこかしら具合が悪いとか、痛いとか、そんな内容になってしまうのは無理もないと思います。

もちろん逆の内容の記事もあるけれど、それは「具合が悪かったところから回復しつつある」という内容のものが多くないですか?

 

誰でも感じることでしょうけど、健康って、失った時に初めて大切さが分かる。「特に悪いところがなくて普通に暮らしている」のがどれだけ幸せなことかは、病気や怪我をしないと、なかなか気がつかないものです。

 

ドンッ にやり ドンッ にやり

 

で、私の場合。この数カ月ぐらい「指」が痛みます。いちばん痛むのは左手の人差し指。いつも痛いのではなくて、1時間おきとか2時間おきとか、間隔をあけてズキッ!と来ます。

声にはならないけど「あーっ・・・・」と呻きたくなるぐらいの痛さ。それが10秒~20秒ぐらい続くと、いったん消えて、しばらくするとまた襲ってくる。

 

それが右手の薬指とか小指とか、左手の親指なんかにもチラホラ出るんですよ。たまに右足の小指なんかにも、同じ痛みが出ます。もう、なんなんだよ!って感じ。

 

どの指も、何かにぶつけたとか、重いものが落ちてきたとか、何かに挟まれたとか、思い当たるふしは全くありません。だから原因は明らかに「神経」ですよね。

 

とりあえず今はいちばん痛みが強い左手のひとさし指だけ、経皮鎮痛消炎剤…湿布薬を小さく切って巻くように貼って、上から絆創膏を巻いています。

 

 

こんなふう。こうすると、いくらか楽な感じ。指は曲がらなくなりますが、左手なので特に不便は感じなくて済んでいます。そこはハッピーinアンハッピーかな。ピアノとかバイオリンとか、楽器をやってる方だったら大問題ですよねきっと。

 

こういう処置をするようになってから、痛い場所が少しハッキリして来ました。今までは指全体が痛かったけど、今は爪のすぐ下の関節と真ん中の関節の間あたりが特に痛いです。痛い場所を触ると分かりますが、関節そのものが痛いわけではないみたい。

 

痛みがひどくなるとか収まらないようなら、医者にかかろうと思います。でも何科にかかればいいんでしょう?神経科?

なじみの整形外科はあるけど、たぶんレントゲンを撮って「骨には異常ないですね」と言って湿布をくれるだけのような気がするんだよなぁ。

 

…などと思っていたら、新聞に入っていたチラシの中に、こういうの↓を見つけました。

 

 

「リウマチ指サック」ですって。本当に、今の私にピッタリじゃん。ただ、何がどうなって痛みに効くんですかね?「変形した指の関節を保護」って言うけど。

 

従姉(80代)に会った時にこの話をしたら「あんたもそういう歳になったってことよ。誰でもみんな通る道だから!」と、慰められたんだか励まされたんだか。

 

どうしたって「歳」という言葉に結びつきますよね。あーヤダヤダ。こないだの「目まい」の話に続いて、またまた愚痴で失礼しました。

 

8/30(日)の夜、素晴らしいライブを体験してきたので、ご紹介します。私のような古いロックオタク以外には退屈な記事かと思いますがご容赦くださいカラオケ

 

場所は、このブログではすっかりお馴染みのライブハウス…

 

 

「原宿クロコダイル」さんです。渋谷から宮下パークを左に見つつ、明治通りを原宿のほうへ徒歩5分ぐらい。

 

 

ポスターやチラシがベタベタと貼られた妖しい雰囲気の階段を降りる。いかにも「ライブハウス」って感じですよね。この日のお目当ては…

 

 

GFR(グランド・ファンク・レイルロード)のトリビュートバンド「D!FUNK L.O.U.D.Railways」と、ELP(エマーソン・レイク&パーマー)のトリビュートバンド「The Sons of  Eve」の2組が出演するライブ。

 

D!FUNK…は、エージ・ファーナーさん(g、Vo)、桧山茂さん(b)、高見澤敏寛さん(ds)の3人。6月に名古屋でのライブに出演した際、私がライブ参加がてら機材運搬をお手伝いした時と同じ3人です。

The Sons…はVOYAGERさん(Key)、CHERRYさん(b、Vo)、HIROさん(ds)の3人。名古屋が地元のバンドで、東京まで遠征して来られました。私は初めて観ます。

 

GFRは1971年に、ELPは1972年に来日して、どちらも東京では後楽園球場(まだ東京ドームが出来る前)で野外コンサートを開きました。しかも、偶然にもどちらも雨の中。さらにさらに、高校2年生だった私にとっては、1972年のELPが、「生まれて初めて見た外タレのコンサート」だったんです。その時のチケットの半券、大切にとってあります。

 

 

54年も前のチケット。我ながら物持ちが良いですね(笑)。

 

それにしても、レッド・ツェッペリン、ジェフ・ベック、クイーン、ディープ・パープル、そしてGFRなどのトリビュートバンドが存在することは知っていましたが、まさかELPのトリビュートバンドがいるなんて思いもしなかったので、とても楽しみでした。

 

The Sons…のライブ告知画像があるので、ご覧ください。4月に名古屋で行われたライブです。

 

 

そうです。1972年は、ELP、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリンが立て続けに来日したんですよね。いま思うと夢のようだ。

 

 

会場のクロコダイルさんはこんなふう。客席のいちばん後ろから見てもこのぐらいの狭さです。右手奥が鏡になっているので奥行きがありそうに見えますが、それは目の錯覚。

私はエージさんのお計らいで、ステージ真ん前の2列目という良い席を用意して頂きました。ありがたいことです。あ、ちなみにこの日はスタンディングでなく、テーブルとイスが並んだ着席スタイルでした。出演者も観客もシニア層が中心ですからねアセアセ

 

 

ドラムセット以外は、2つのバンドの機材が既にセットされていました。こちらは↑The Sons…のVOYAGERさんが使うモーグ・シンセサイザー。というより、ELPのキース・エマーソンが使っていたのと同じものです。私の世代だと「ムーグ」と呼びたくなります。

本当はモジュラーをもっと高く積み上げて使うはずなのですが、クロコダイルさんの天井が低いので「2段」が限界だったそうです。もしかして「イモ欽トリオ」を思い出した方、いらっしゃいますか?笑

 

 

開演前には、エージさんによるお約束の「機材説明」という名の「機材自慢」コーナー。特にGFRのマーク・ファーナー以外に世界中で誰も使っていない(らしい)ギターやアンプについての説明がひとしきりあって…

 

 

またステージ転換の際には、VOYAGERさんとエージさんのかけあいで、モーグシンセサイザーやハモンドオルガンについての深い深いトークが繰り広げられました。お二人が使う楽器やアンプなどは、手に入れるだけでも大変なのに、ステージでライブが出来るコンディションを維持するのは本当に大変なんだそうです。

 

確かに今回持ち込んだ機材類は、作られたのが1960年代なので、もう半世紀以上も前のものですからね。お二人ともすごく苦労されているはずなのに、それをちっとも苦にせず、むしろ楽しんでいる様子が伺えて、こちらも嬉しくなるほどでした。

このあたりは、古いクルマを直しながら、不便を気にせず大切に乗り続けているカーマニアと同じ世界かもしれない。

 

 

先攻はエージさん率いるD!FUNK L.O.U.D.Railways。1971年、雨の後楽園球場でのGFRの演奏を再現してくれました。いつもながら熱いステージ! なかでも私が胸を打たれたのは…

 

 

ステージ中盤で、エージさんの盟友、富岡グリコさんにカウベルを渡してステージに呼び上げ、『アメリカンバンド』を演奏した場面。グリコさんはアルフィー、RCサクセション、矢沢永吉などのバックでドラムを叩いて来た方ですが、今は闘病中なんです。

エージさんは親友を励ます意味でステージに呼んだのでしょうね。私もグリコさんの元気な姿を早く見たいと強く思いました。

 

そして後攻はThe Sons of  Eve。

 

 

モーグシンセサイザーとハモンドオルガンをあやつる、キース・エマーソン役のVOYAGERさん。

 

 

膨大なドラムセットに隠れて、カール・パーマー役のHIROさんは姿が見えません。まぁそれもお約束ニコニコ 銅鑼もちゃんと2枚ありましたよ。

 

 

グレッグ・レイク役のCHERRYさん。あの艶と深みのあるグレッグ・レイクのボーカルは再現できるんだろうか?と思っていましたが、まぁ、そこはそれなりに合格 ビンビン響くベースはさすが!でした。

 

 

いったん引っ込んで、アンコールは『ロンド』。

 

 

ハモンドオルガンを揺さぶる!叩く! ガシャーン!ドシャーン!という轟音が響きます。

 

 

そしてオルガンに飛び乗る!!さらには…

 

 

 

オルガンの鍵盤にナイフを突き立てる!そして日本刀をグサリ!オルガンからは悲鳴のような音が鳴り響きます。

 

気でも狂ったか?と思われるかもしれませんが、これも本家ELPのキーボード奏者、キース・エマーソンお得意のプレーなんですよね。本物はこちら↓

 

 

 

キーボードにナイフを突き立てるのはお約束でしたが、日本刀を使ったのは日本公演でのサービスだったのかもしれません。

 

私も実物を見ていますし、キース・エマーソンといえばこのプレーですから「やるかな?」と思っていました。でも本当に、手を伸ばせば触れるような距離でやってくれたのを見ていると、もうトリビュートでなく、本物のキース・エマーソンが降臨してきてくれたような気持ちになってしまいました。

まるでタイムマシンで1972年に連れていってもらったような感じ。たぶん私はポカ~ンと口を開けて、圧倒されたような表情で観ていたと思います。夢を観ているような気分でした。

 

エージさんのGFRのトリビュートバンドのステージを初めて観た時も、同じような不思議な、深い感動を味わったことを思い出しました。50年以上の時を超えて、まさか自分が高校生の時に観たり聴いたりしていた音楽をそっくりそのまま、目の前で再現してくれるなんて。

 

 

これは↑ライブ終了後の1枚。エージさんのFacebookからお借りしました。私は右後方の奥でフライヤーを探していた時で、写っていません。悔しい!爆笑

 

 

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そんなわけで、実に幸せな気分になれたライブでした。本当に、元気で長生きすると良いことがありますね。それもこれも、この世界に私を引っ張り込んでくれたエージさんのお陰です。感謝しかありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<おまけ>

何度も書きますが、私にとってのロック界のフェイバリット・ミュージシャンは、エリック・クラプトンジミー・ペイジ、そしてキース・エマーソンの3人なんです。

キース・エマーソンはELP解散後は映画音楽の制作などで活躍していましたが、2016年の3月「指が思うように動かない」という理由で自死してしまいました。71歳でした。奥さん(同居人)は日本人女性だったと言われています。

 

 

デビュー当時のエマーソン・レイク&パーマー。左からキース・エマーソン、カール・パーマー、グレッグ・レイク。ELP加入前はキング・クリムゾンのメンバーだったグレッグ・レイクも、2016年の12月、キースを追うように病気で亡くなってしまいました。寂しいなぁ。

 

9月はいくつか健康診断の予定を入れてあります。


9/4(今日)…3か月に一度の、前立腺の定期検査 

9/7…左足小指の痛みのその後を診てもらっている皮フ科で、月に一度の経過観察

9/29…年に一度の、胃の内視鏡検査(麻酔で、痛くないやつ)

9/30…3か月に一度の、歯の定期検査


さらに来月には、3年前に続いて人生二度目となる、大腸の内視鏡検査(麻酔で、痛くないやつ)を予約してあります。もろもろ「転ばぬ先の杖」って感じですね。


今日は午前中に前立腺の定期検査を受けて来ました。エコー検査と尿検査で特に異常なし。ひと安心です。

こちらの先生はマラソンが趣味の方で、私とは話が通じているので、

「横浜マラソン、出るんですか?」

「はい、出ますが、もう途中失格を覚悟しています」

「そんなこと言わずに頑張ってください」

「はい。ありがとうございます」

…というような会話を(前立腺そっちのけで)今回も交わして来ました😊


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ところが!


今日は健診が早く終わり、夕方からの仕事に向けて出勤。今これを書いているのは、出社前にランチを食べているガスト赤坂見附店の中です。


実はさきほど、途中の田町駅で京浜東北線から山手線に乗り換える時、あれっ?と思うことがありました。

京浜東北線では30分ほど座っていて、田町に着いたので立ち上がって電車を降り、ホームの反対側に来ていた山手線に向かったのですが…


ホームを歩いていたほんの数秒のあいだ、感じたことがなかった違和感を感じたんです。

身体に重しがついたような、あるいは上から重いものが身体にかぶさってくるような。何か「下に向かってぐーっとひっぱられる」ような感じでした。


「軽いめまい」と言ってもいいかもしれません。私はホームを歩きながら「えっ、これ、何?」と思いました。

でもほんの数秒のことで、山手線に乗り込んで、席が無いから立っていましたが、違和感はスーッと消えてくれました。


いったい何だったんだろう。生まれて初めての、ちょっとイヤな感じ。今朝は起きてからずっと、いつもと違うことは何もしていないのに。


私の亡父も、80代になってから2度、外出先でふーっと意識をなくして救急搬送されたことがあるんです。

2度とも脳神経外科に運ばれて検査を受けましたが、異常は発見されませんでした。そして90代で亡くなるまで、認知症を疑うような症状はまったく出ないままでした。有難いことに。


こういうのって、気をつけようがないですよね。「脳ドック」とか、どうなんでしょう。受けても「異常なし」と言われて終わりのような気がする💦