「だってそのほうがCOOLじゃない?」
先日、日本語が堪能な在日アメリカ人と話した時のこと。
語彙量がすさまじく多いなぁと思ったので、
なんでそんなにいろんな言葉を知っているのか
訊いてみた。
ムフフ、と笑って
「日本語の単語覚えるの大変。
わかる?漢字圏じゃない人が日本語覚えるの
すごい大変なんだよ。
でもね、『コッカセンリャク(国家戦略)』とか
『ハイタテキケイザイスイイキ(排他的経済水域)』
日本語で言えたらすごーいCOOLじゃない?
なんかチョーカッコイイ感じでしょ?
あのー、えっと、わからなーいって言うより
カッコイイでしょ?
だから『カッコイイ』のために勉強するの。
カッコイイ自分が好きだから」
ああ…そうだよね。そりゃそうだ。
カッコ悪いよりカッコイイのほうがいいに決まってる。
これ、勉強だけじゃない。たぶん仕事だろうと
家事だろうと何だろうと、全部そうなんだろうな。
できないとかつまんないとか無理とかブーブー文句言って
何かに力を注ぐことを全力で拒否している人間は
カッコ悪い。カッコイイ自分になるには、
コッカセンリャクやハイタテキケイザイスイイキが
スラッといえるようになるまで練習すればいいだけだ。
「わかんなーい」がカワイイと思われた時代は
とっくの昔に終わっている。バカは武器にはならない。
「カッコイイ」はすべてのモチベーションにつながる。
苦痛の中で仕事や勉強をするのではなく、
その先に「COOLな自分」が待っていると
思いながらやるのとでは、途中経過も結果も
全然変わってくるのではないかと
その言葉から思ったわけである。
とりあえず面白がる
秋になり、全国いろいろなところに呼んでいただき、
100本ノックのように研修を行っております。
20代前半から、50代まで、ワタシが担当する研修は
職種もさまざま。男女比もさまざま。
100人近くの参加者で女性二人、ということもあるし、
「女性リーダー研修」ですべて女性なんていうのも
担当したりして。
その中で、老若男女問わず、
「面白がってくれる人」というのは得だなぁと
毎回思うのである。
とある制度の仕組みを解説するような研修は、
そりゃ眠いよねぇ
と思うこともある。どうやって話の流れを作れば
寝ないで済むかしら、と考えてやっているけれど。
そうかと思うと、ディスカッション中心のモノは、
「おーしーずーかーにーー!!」とこちらが声を枯らすほど
ワーワー盛り上がったりする。
で、なんでもいいんだけど、ご自身のやり方で
いろいろ書き込んだり、蛍光ペンを駆使したりして
独自のテキストを作り上げる人やら、
提示されている課題を自分の職場に
思いっきり落とし込んで具体的に考えてくれてる
人やら。
そういう人たちは、持って帰るお土産も多い。
研修の場合、モノでお渡しするものは何もご用意
できないので、「知識」という目に見えないお土産ですが。
「自分の職場で使える考え方や手法だけ
持って帰ってください。
ワタシが言ったことすべて持ち帰る必要なんて
ないですからね。
要らなかったらこの場に置いて帰って結構です」
ということを良く言ってるのだけれど。
忙しい中、通常業務を後回しにして
研修に参加してくれる人には
ありがたいっ!という気持ちしかないし、
「めんどくさかったけど参加して良かったな」
と思ってもらえればそれでいい。
そこに何かプラスアルファで「お得感」あるお土産を
持ち帰ってもらうためには、
「よかったら面白がってみてください」と
おススメしたい。
「あのね、つまんなくても笑ってみてください。
あははうふふバカみたいに笑ってるうちに、
だんだん面白くなってきますから」
って某噺家さんが言ってたけど
ワタクシもぜひそれを強くお勧めするのである(笑)
形あるもの>漠然としたもの
没頭する、ということの一番の効能は
「余計なことを考える暇がなくなる」
ということかもしれない。
先日出先で昼ごはんを食べていたとき、
おそらくワタシと同年代と思われる
隣のテーブルのサラリーマン二人が
ぼやいていた。
「なんかさぁ、寝らんなくて、ぼーっとしてると
将来の不安とかずっと考えちゃうんだよな」
「ああ、オレは最近、朝早く目が覚めちゃって
同じ様なこと考えるよ」
昼ごはんをさっさと食べ終えて、
カフェかなんかに移動して、
集中してやらなければならないことがあったワタシは
聞こえてくる二人の会話を
モグモグしながら
なんとはなしに聞いていた。
将来の不安。
わからないでもないお年頃ではある。
でもさ。
考えたところで建設的な結論が出るものかい?
不安ばっかり増大するんじゃないかい?
時間掛けて悩む意味があることかい?
このときに思った。
最近ワタシは、本当にいろんなことに
追われて追われて追われまくって
目をつぶって全力疾走をしてるんじゃないかと
思うほどだけれど(それはそれでそれなりにつらい)
でも、答えの出ないことに悩んだりはしていない。
今ワタシが格闘していることは、全てワタシが
どうにかしていくべきことである。
それはワタシにとって、幸せなことなのではないか、と。
他人様のことはわからないけれど、
どんな形であれ、「漠然とした不安」と比べれば
形あるもの、姿がみえるものと格闘しているほうが、
ワタシの性に合っている。
「ごちそうさま」とごはんを終え、
荷物をまとめて伝票を引っつかんで、
お会計を済ませて、
道の向こう側のコーヒーショップに
いくころには、二人のサラリーマンの顔も
わすれてしまっていた。