形あるもの>漠然としたもの
没頭する、ということの一番の効能は
「余計なことを考える暇がなくなる」
ということかもしれない。
先日出先で昼ごはんを食べていたとき、
おそらくワタシと同年代と思われる
隣のテーブルのサラリーマン二人が
ぼやいていた。
「なんかさぁ、寝らんなくて、ぼーっとしてると
将来の不安とかずっと考えちゃうんだよな」
「ああ、オレは最近、朝早く目が覚めちゃって
同じ様なこと考えるよ」
昼ごはんをさっさと食べ終えて、
カフェかなんかに移動して、
集中してやらなければならないことがあったワタシは
聞こえてくる二人の会話を
モグモグしながら
なんとはなしに聞いていた。
将来の不安。
わからないでもないお年頃ではある。
でもさ。
考えたところで建設的な結論が出るものかい?
不安ばっかり増大するんじゃないかい?
時間掛けて悩む意味があることかい?
このときに思った。
最近ワタシは、本当にいろんなことに
追われて追われて追われまくって
目をつぶって全力疾走をしてるんじゃないかと
思うほどだけれど(それはそれでそれなりにつらい)
でも、答えの出ないことに悩んだりはしていない。
今ワタシが格闘していることは、全てワタシが
どうにかしていくべきことである。
それはワタシにとって、幸せなことなのではないか、と。
他人様のことはわからないけれど、
どんな形であれ、「漠然とした不安」と比べれば
形あるもの、姿がみえるものと格闘しているほうが、
ワタシの性に合っている。
「ごちそうさま」とごはんを終え、
荷物をまとめて伝票を引っつかんで、
お会計を済ませて、
道の向こう側のコーヒーショップに
いくころには、二人のサラリーマンの顔も
わすれてしまっていた。