【働く人の味方です】 思いどおりにいかない日でも笑うセイカツ -6ページ目

一発勝負二発目

諸事情で間が空きましたが、ぼちぼち再開。

 

朝、支度をするときにはテレビではなくFMラジオを流している。

テレビだと手も目もつい止まっちゃうので。

 

そこでとても印象的な話が出ていた。

ビジネスコーナーのゲストに

「一発勝負に勝つ方法」を

尋ねていたのだけど、

その人は

「僕は二発目だと思うようにしています」と。

 

「はい? どういうことですか?」

「一発勝負だと思うとあがっちゃうし、

慌てたり焦ったりして、自分の実力が

出せなくなることがよくあるでしょう?

だから、一回失敗したと仮定して、

その失敗はどういうものだろうかと考えて、

それを回避するように組み立てて、

二発目だと思って挑むようにするんです」

 

なるほどね。

 

自分の失敗パターンは、多分高校や大学で

見えてくるはずだ。

前のめりになるあまりに注意書きや指示を

読み飛ばしてしまったり

(「ここに書いてあったじゃーーん!」という、あれです)

頭が真っ白になって、普段なら当たり前に

思い出せることが出なくなってしまったり、

時間配分に全く気が回らなくなって

ギリギリになって「ヤバい!まずい!どうしよう!」

となったり。

 

勝負に挑むぞ!と鼻息が荒くなっているときには

多分、ここ、見えていない。

でも、一度失敗していると思えば、

ここに気づくことができ、

(踏んでないけど)同じ轍を回避することができる。

 

これ、もうちょっと前から知っておけば

よかったなぁ、

でも今知れてよかったなぁ、と

思うのである。

 

 

2016考 失う、無くなる、得る

毎年大晦日に書いている振り返り。

すごく私的。

 

2016後半、本当に荒波を乗り越えた、ではなく、

乗り越えている気がする。

乗り越えてきた中で、いくつか物理的に無くなったり

手放したりしたものがある。

まず、生まれ育った家。

正式には、来年早々に建物自体がなくなる。

そして新しい建物が建ち、誰かがそこに住むのだろう。

もうワタシがそこに帰ることは二度とない。

震災直後から家族で手放すことを決め、5年かかった。

ワタシは20代半ばで家を出たのだけれど、帰る場所は

そこだったので、なんだか不思議な気分。

実家におきっぱなしになっていた、子どもの頃や

学生の頃の品々は、全て処分した。

もうなにもないけれど、今までだって不用だったんだ、本当は。

そして、実家のお墓。

母のたっての願いで、墓仕舞いをした。

お寺で永代供養をしてもらうことになり、

「永藤家の墓」は無くなった。

久しぶりに見た父や祖父母の骨壷は、やけに図体が大きかった。

お墓参りはもうしない。

とても不思議な感覚。

 

得たもの、というか、得ている最中のものもある。

物理的に目に見えるものではないけれど、

おそらく武器になるもの。

ワタシを助けてくれるもの。

お金では買えないもの。

簡単には手に入らないもの。

「知識」「能力」。

ここ半年、ほぼ毎晩、ろくでもない夢を見たり

眠りが浅かったりしていて

「ああ、すごいプレッシャーとストレス抱えてるな」

と気づくのだけれど、それでも何とかしたい、

モノにしたい、手に入れたい、そう思うもの。

ここまで追い込まれるのは人生最後にしたい、と

いうくらい、追い込まれております。

っていうか、自分で追い込んでるんだけどね。

 

2017年だって、きっとワタシはもがくんだろう。

いつまでこんななのかしらね?

まあでも、もうちょっと頑張れるだろう、多分。

 

***

備忘録

2015年 最北 青森県青森市

     最南 インド最南端カーニャクマリ/国内:鹿児島県鹿児島市

     最西 インド ムンバイ

     最東 千葉県成田市

 

1年の最後の出張だった青森。未踏だった県制覇!

 

「御意見無用」

じゃあどうありたいのか。どうなりたいのか。

どうなっていれば自分は満足なのか。

 

困ったとき、苦しいとき、行き詰まりを感じたときに、

なんでこんなことになっちゃったんだ、

なにが悪かったんだ、ではなく、

自分自身に冒頭の問いかけができるようになったことが

多分人生の大きな収穫だったんだろうな、と思う。

 

他人とのかかわりの中で問題が起こると、

相手への不満ばかりが募る。

でも相手は変わらない。私が相手に操作されない

(というか、操作されるもんか、ぐらいの勢い)

のとおなじ。

じゃあワタシはその人との関係の中で

どうなっていれば満足なのか。

なるべく接触しないようにするのがいいのか、

接触が避けられないのであれば、

接触する上でどうあれば心が平穏でいられるのか。

 

怒ったり文句を言ったりするのは簡単だ。

批判をしている方が小利口に見えるような気になる。

でもホントはそうじゃない。

いい年して、他人の悪口をまき散らすのは愚の骨頂。

「ご意見番」と持ち上げられている輩は

胡散臭く見えこそすれ、立派だと思えることはない。

 

とはいえ、夜道でシャウトしたくなるようなことも

あるんだけどね。最近はほぼ、自分のふがいなさに

対してだけど。

まだまだ未熟ものですわ。おほほ。