パッとしないってなんだ
日曜日の電車の中、
小学校低学年くらいの男の子をそれぞれ連れた
20代後半~30代前半くらいの母子2組が
大きな声で話しているのが聞こえた。
「こいつ(自分の子どものこと)、パッとしないんだよねー。
運動会でもなんかどんくさいし、成績も真ん中とかだし、
テストもすっごい悪いわけじゃないけど、50点とか60点とかだし」
「うちもー。なんか一個でもキラキラしてればいいんだけど。
多少バカでも面白きゃいいのに、話もなんかわけわかんないし。
なんかパパに似てるんだよねー」
「あはは、うちもそうかもー!取柄は毎日学校いくだけだし」
「あははー!」
ちょっとあなたがたここに座りなさい、といって
小一時間ひざ詰めで小言でも繰り出したくなったけれど、
彼女たちは遊園地のある駅でにぎやかに降りていった。
子どもたちが楽しそうに突っつき合ってたのが
せめてもの救いだけど、あれ、理解してたら怒るわ。
この年になって思うのは、人間の基礎力の大切さである。
小学校の時にスポーツ万能だった子や
出木杉君みたいな子、学芸会の人気者が
そのまんま大人になっていくとは限らない。
突出した子は、99.9%がどこかで必ず自分の限界を知る。
俺よりも、私よりも、こんなにすごい子がいるんだ、と。
残りの0.1%がオリンピック選手になったり、
大スターになったりするけれど、それだって
超えられない壁を目の当たりにする日が来る。
年齢による衰えには誰も抗えない。
その時に問われるのは何か。
多分、人としての基礎力である。
ひとつのことを責任を持って遂行することができるか。
仕事や学校に休まずに通い、ある種の義務を果たす
ことができるか。
誰かに迷惑を掛けることなく、共同体に貢献できるか。
人としての品性を保つことができるか
(悪口言ったりいじめの加害者になったりしない、とかね)
過去の栄光にすがることなく、
自分の今を受け入れて前に進んでいけるか。
毎日学校行ってる子を誇りに思えよ!
自分の子に向かって「パッとしない」ってなんだよ!
自分のこと棚に上げてパパを引き合いに出すなよ!
なんか突き詰めるとそういうことで私は腹を立てたのかもしれない。
這ってでも援軍の陣地へ
連載中の「PHP人材開発」サイト内
「アドラー心理学に学ぶ『勇気づけ』の職場づくり」で、
パワハラについて寄稿させていただいた。
http://hrd.php.co.jp/shainkyouiku/cat21/post-844.php
苦しいものですよ、パワハラというのは。
子どもの頃は、大人になったらもっともっと
人間関係が楽になるだろうと思っていた。
大人が怒られているところなんて、
実生活ではあまり見たことがなかったし
(酔っ払ってぐちぐちどうでもいいことを
言われる、という経験はむしろ多かったけど)
そんなのはドラマの中だけだと思っていた。
ちなみにワタシは幼い頃ににょきにょき
成長したほうなので、幼稚園・小学校とガタイが良く、
さらに声と態度も大きかったので、いじめられる
ことはまずなかった。
ところが、だ。
大人になってから、ものすごーーーく理不尽な、
もしくはそんなことどうだっていいじゃんという
つまらないことが発端で、ハラスメントというものを
受けることになるのである。何度か。
まあそんなことのモロモロがきっかけで
今の仕事に就いたわけだから、
個人的な人生経験としてはありがたかったのかも
しれないが、あんなことは二度とごめんだ。
そして今ならハラスメントを仕掛けてきた相手と
互角で勝負できる自信もある。
ハラスメントに関するカウンセリングでも、
自分の経験という引き出しがいくつかあり、
それはおそらく、クライアントさんに
役に立つものになっているはずである。
ハラスメントは一人で悩まないでほしい。
膝を抱えたり耳をふさいだりしながら
うずくまっていたら、相手はどんどん仕掛けてくる。
事態は決して解決しない。
闘う力さえも奪われているのなら、
這ってでも援軍の陣地まで行き、
「助けて」とひとこと発するだけでいい。
ハラスメントやいじめで命を落としてはいけない。
つけは払わにゃ
「やらなければならないこと」に
追いかけられている。
まあ結構普段から追いかけられては
いるのだけれど、これほどまでに
猛ダッシュなのは何十年ぶりだろう。
でもわかっている。
これは、ワタシがやらなくてはならないことを
いいかげんに適当にごまかしごまかし
ここまで来てしまった「つけ」なのだ。
何か大切なもの、しかもお金で買えるものではなく、
技術とか、ある種の能力とかを手に入れたいと思ったら、
私たちはそれ相当の努力をしなくてはならない。
その努力は人それぞれだけれど、
かんたんな努力だと、お手軽なものしか手に入らない。
ずっしりと重みや手ごたえのある、
誰にも奪われることのない、本物のアレは
じっくりと腰をすえた、本気の努力を
ある程度の長丁場でしなければ、
手に入らない。
修行だからね。
ワタシは本物を欲しがっていたのに、
努力や修行をするのが面倒くさくて、
メッキ製品でごまかしてきた。
メッキは一瞬ならばれない。
虚栄心もそこそこ満たされる。
でもな、本物じゃないんだな。
それは自分が一番よくわかっていたこと。
とあるタイミングで、「本物」を手に入れなくては
ならない状況に陥った。
後戻りはできないし、しない。
でも、この努力ってぇヤツが、
本当に曲者で、暴れ馬で、
もうどうにもこうにも。
まあ、でもつけは払わなきゃなるまい。
というわけで、せっせせっせと努力を
する日々は続くのである。