カオスと暗愚と貧困と、秩序と明晰と豊かさのコントラスト
先週父が亡くなった。父は、私の生育環境というか、とくに幼少期の環境の中で、稀有な存在だったように思う。「ハノイの商店」貧困の当時、私を不憫に思った父が買ってくれた絵。ゴッホみたいだなって内心思ったエピソードw彼は、暗愚な田舎で、孤独に明晰であり、優しさにあふれていた。物質面においてはミニマリストであった。家を新築したときにも希望は三畳の書斎のみ。(数年経たないうちにその三畳も物置にされてしまったが)精神面では(私は彼はASDだったと思う、)小宇宙のように豊かで、読書や囲碁やパズルゲームなどに果てしなく凝っていた。昭和で生きていた私にとっては生き字引(今なら歩くウィキペディアかな)であった。学校の先生などよりははるかに知識があったので、今思えば私が先生を全く尊敬しない一因となったのは否めない。父が亡くなった今、残った母は、本来のケイオティック(chaotic)な生き方を強化している。彼女の血縁は、軒並みカオスな人たちだ。一見して乱雑な人々であり、片付けができないとかそういうレベルでないところまで行っている人が多く、考え方と生き方もまたカオスである。普段から片付いている人たちには、到底理解できないだろうと思う。秩序たる父を見送った母は、そのような古巣に戻っていく動物のようだ。本来そのような性向であったのに無理して父にあわせていた、と思えば実にお疲れ様でもある。話がそれるが、一口に「片付け」というくくりはおかしい。この作業は、もっともっと深いものだと思う。片づけるとは、モノを買ったり、もらったりするという「取り入れる」行為からすでに始まっている。それらのモノを分類し、修理や掃除などのメンテナンスをし、定期的に鑑定し、要不要の判断をするなど、つまり脳内の環境が整っていて精神的にも肉体的にも健康な状態でないとできない。もどって、秩序とカオスのハーフである私。調子がいいときは脳内も家の中も秩序があり、晴れ晴れと気持ちがよいが、ちょっと状態が崩れると、あれよあれよというまに頭も家の中もカオスになっていく。これが遺伝だ、仕方がないのか、と、しみじみと呪わしい。父が母と結婚したこと(それで私が生まれたことということ)が恨めしい、と、そんなことを友人に話をしたことがある。そうすると、友人は「でもそうしたら、きゃたは生まれてないよ」と言った。彼女は、生まれたことに感謝すべきだと言いたかったのだろう、しかしそうなのだ。そもそも生まれていなければなにも問題はない。実に、父方の親戚にはほとんどそういうカオス問題はないのである。大抵片付いているというだけでなく、豊かで教養もあり、なにより正しく美しい生き方をしてる人が多い。人間関係も同じことが言える。例を挙げれば、父方の親戚で離婚率ほぼゼロ、母方親戚は8割離婚、再婚組である。それには私の兄弟が全員含まれている。父は、秩序からはずれ、カオスにあこがれたのだろうか。好きで母と添い遂げた。父はたとえ生まれ変わっても母と一緒になりたいと一度ならず言っていた、とはいえ母の方は実はそうでもない。ケイオティックだから。母は自分がもっといい男と結婚できたはずと常日頃口にしており父の前でもそれを自慢していた。が、周りの私たちからしてみれば、本当はあまりありえそうもない話だった。そんな自慢話も楽しそうに、父は母の馬鹿話を、笑って聞いていた。姉はどっちかいうと父に似たので(いまでも妬ましい笑)カオス⇔秩序レベルでは、やや秩序より。そうはいってもカオスの血筋はありありと浮かんでいる。私はなにげに体調によって振り幅が大きいんだけどどうみてもカオスよりだろう。兄に至っては、もう完全にカオス。カオスな街並みってことで。こちらもハノイカオスの住人は、自分がケイオティックであることがわからない。自覚できないのである。私もかろうじて理解できるのは、やや秩序側に自分のゲージが動いたときだ。使い古したぞうきんが、押し入れ収納ケースにきちんとたたまれて入ってるのを見つけたとき、愕然とした。驚くとともに哀しかった。カオスの中にいる人々を見るのは、哀しい。救いたいけど救えない。だって自分ではおかしいなんてちっともおもってないから。カオスには暗愚、という言葉がぴったりだ。暗いのだ。目の前が暗く闇の中にいるのだが、それがデフォルトだからそこから出ようなんて思いもよらない。そしてた調子がいいとき、頭の中のもやがすっきり晴れたように、霧が晴れたようになって、急に片付く。こぎれいになる。身だしなみも整う。カオスから抜け出すと、そこには違う世界が広がっている。今ほしいものAmazon(アマゾン)リョービ(RYOBI) 卓上切断機 TS-225 (片側傾斜) 220mm 123000A26,444〜39,187円