皆さま、おはようございます!
今年も残すところあと4日間。
年越しギリギリまでブログアップを続けますので
お付き合いくださいね。
今朝は難読路線名として知られている山形県の左沢線から
羽前高松(うぜんたかまつ)駅の訪問記です。
羽前高松駅は左沢線が全線開通した大正11年に開業した駅で、
近代的な造りの駅舎は平成20年に建て替えされたモノなんですって。
無人駅の駅舎にしてはとてもユニークな意匠ですけど、
駅の北側にある慈恩寺の本堂を模したモノだそうです。
元和4年(1618年 ちょうど400年前じゃないですか!)に建立され、
現在は国の重要文化財にも指定されてる建物なのだとか。
Wikipediaから画像を拝借しちゃいました。
常々思ってることですけど、
駅舎は画一的な造りにするのではなく、
羽前高松駅の駅舎のように
地元の名所をアピールできるような意匠にすれば
それ目当てで訪れる観光客がグッと増えるのではないでしょうか?
五能線の木造駅なんか
土偶の話題がテレビ番組に出るたびに紹介されてますもんね。
土偶のデザインにしたお陰で絶対に得してると思いますよ。
話を羽前高松駅に戻します。
駅舎は変わっちゃいましたが、
駅前にそびえ立つ2本の大樹や電話ボックス、
ポスト等は旧駅舎時代のままで、
雰囲気自体は以前と大きく変わってないみたいですね。
それでは中を覗いてみましょう。
駅舎は駅便(駅の便所)を備えた仕様で
待合室スペースはこんな感じでした。
ここで注目なのが壁に掲げられた駅周辺の古い写真たちです。
これらの写真を一枚一枚丁寧に見てれば
後に大きな後悔をすることはなかったのですけど…
羽前高松駅の旧駅舎時代の写真も飾られてましたよ。
「旧駅舎お別れセレモニー」と書かれてますから
旧駅舎が解体される直前に撮られた写真ですね。
実はここには、羽前高松駅の歴史を知る上で
とても重要な写真が飾られていたようなのです。
旧駅舎の写真を見て舞い上がってしまい、
そっちをスルーしちゃいましたわ。
続いてはホームです。
羽前高松駅は単式ホームが1本あるだけの棒線構造の駅でした。
ホームの向いには桜並木がありましたが、
春になるとステキな光景を目にすることが出来るのでしょうね、きっと。
さてさて、羽前高松駅の歴史でわすれちゃいけないこと。
自分は認識不足でまったく気にも留めてなかったことなのですけど…
昭和49年に廃止された山形交通三山(さんざん)線。
寒河江市と山形県中央部にある西川町を結んでした路線ですが、
ここ羽前高松駅から起点駅だったそうです。
三山線の名称は知ってましたが、
ここで分岐してたとは思いもしませんでしたよ。
三山線が現役だった頃の羽前高松駅の写真が
駅舎内に飾られていたんですって。
やっちゃった~
ここで毎度ですけど国土地理院のサイトで古い航空写真をチェック。
三山線が現役だった頃の昭和42年に撮影された写真でした。
確かに羽前高松駅から2本の線路が分離してますよね。
左沢線の単式ホームに隣接する位置に三山線のりばがあったようです。
あれ?旅客ホームとは別に、
桜並木がある場所にもう1本ホームがある?
三山線の施設はすべて撤去されましたが、
構内の線路敷きは今でも残っているみたいです。
自分はこれを見ずに帰ってきてしまいました。
駅名標の裏側に昔は三山線のホームがあったようですけど…
石碑がある辺りに三山線のホームがあった模様。
三山線の駅跡に立つ石碑です。
この石碑、三山線の歴史を称えるモノかと思いましたら違ってたようで。
地元の有力者である工藤八之助さんの記念碑だそうですよ。
左沢線が建設される以前の話。
線路は最上川近くの直線に近いルートを計画していたところ、
工藤さんは街の発展のために、
街の中心を通るルートに迂回するよう働きかけされたそうです。
そして今のルートに変わったのだとか。
左沢線がこの辺りで大きく周回してるのには
そんな理由があったんだ。
羽前高松駅のカーブしたホームを見るたび
工藤八之助さんの名前を思い出しちゃいそう。
…以上、羽前高松駅は山形交通三山線のこと以外にも
調べれば調べるほど面白味が溢れ出る、
噛めば噛むほど旨味が出て切るスルメのような駅でした。
こうして羽前高松駅を後にしたのですが…
やっぱりここは再訪しなくちゃ。
山形交通三山線の廃線跡には
今でも数多くの遺構が残ってるらしいですし、
次回は廃線跡巡りメインで再訪したいと思います。
来年は有言実行の一年になりますように。
いやいや、それは願わずに自分で努力しなきゃね。
↑(北山形駅方面)
羽前高松駅(平成28年3月15日)
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