前回からの続きです
(令和2年11月1日のことになります)
まず向かったのは東福寺
こちらの塔頭の特別公開へ行きました
この秋頃は普段は無料の東福寺の駐車場も有料(1000円くらい)だったりするので、もう少し安いとこへ停めて行きました(笑)
その道中の過去に行ったとこの画像補完しながら行ったので、それらは追記して既にアップしてます😁
追記した場所の記事は
それらを見ながら行って、中大門から入っていきます
東福寺

住所・東山区本町15-778
御本尊 釈迦如来
HP 東福寺
霊場 東山三ヶ寺
駐車場 無料のあり(ただし秋の時期は閉鎖もしくは有料)
東福寺は過去にも記事にしています
その場所はリンクを貼っておきます😄
京都五山のひとつ
嘉禎2(1236)年創建
九條道家が九條家の氏寺として建てる
寺名は、奈良の東大寺と興福寺にあやかって、一字ずつとってつけられる
(京都大知典参照)
11月だったので紅葉してるとこがチラホラ

去年はまだこの頃は本格的ではなかったです😅
日下門の手前にある天得院

こちらも非常に気になっているとこですが、通常非公開なため、拝観出来るときを虎視眈々と狙ってます
なので、門からしか伺うことが出来ないのですが、そこからだけでもこの光景

入って拝観してしてみたい♪
この時は、コロナで人が少なかったというものの、こんな風に出店が出てました

寺務所

本坊庭園へはこちらから入ります
過去記事→本坊庭園
東司(重文)

解説

「東司(とうす)」とは便所のて建物を云い、俗に百間便所(百雪隠(にゃくせっちん))と称し、子供たちは「100人便所」とも云っている。禅堂の横に必ず「東司」か置かれる。禅宗号叢林の便所では日本最古最大で、現存する唯一の遺構である。
当時の排泄物は貴重な堆肥肥料であり、京野菜には欠かせない存在となっていた。京都の公家、武家、庶民の台所をおいしい野菜で潤した。叢林としても現金収入の大きい糧となっていたと云われる。
重要文化財指定 明治35年6月31日
(原文のまま)
隙間から中を覗く

法堂(本堂と仏殿)

こちらも過去に特別公開で行ってます→法堂・光明宝殿
東福寺のイブキ

解説

東福寺は、鎌倉時代の中頃、九條道家により創建された古刹で、開山には聖一(しょういち)国師(円爾弁円・えんにべんねん)が迎えられました。
この木は、国宝の三門(応永12年=1405建立)と仏殿(明治14年焼失、昭和9年再建)との間、西寄りにあります。高さ16.5メートル、胸高の周囲3.36メートル。枝張りは東西10.5メートル、南北に8メートルあります。
江戸時代中頃の安永9年(1780)に刊行された「都名所図会」には「円柏(いぶき)の古樹は開山国師、宋国より携へ来る」という記載とともに鳥瞰図の中に「唐木(からき)」として描かれています。また、1700年前後、土佐光高(とさみつたか)によって描かれた東福寺境内図(チェスタービーティー図書館蔵)にも古樹の風格が見事に描かれています。
本樹の雄大な姿は、明治年間の仏殿焼失の際損傷を受けたらしく、主幹の北側に多く見られる枝の切断あとはその時の処置によるもののようです。
江戸時代には既に古樹として知られ、開山国師とのゆかりも深いこのイブキは、東福寺の歴史と文化を理解するうえには欠かせないものといえます。
昭和63(1988)年5月2日、京都市文化保護条例により、京都市登録天然記念物とされました。
京都市
(原文のまま・年数補足)
禅堂(重文)

解説

禅宗の叢林で重要な建物である禅堂である。選佛場とも称し、坐禅を通じ自己究明と自己の心の佛を選ぶ場所である。僧侶になるための修行道場であり、修行僧である雲水が、座禅はもとより寝食を行う所であった。昔は400名以上の僧が修行を行ったこともあった。
内陣の「選佛場」扁額は宋国径山万寿寺の無準師範(佛鑑禅師)の筆であり、無準師範の心が残っている。無準師範は東福寺開祖聖一国師の師匠である。入口の扁額「禅堂」は当山三百三世福島慶道管長の筆である。禅堂の大きさは桁行七間梁間四間、一重もこし付切妻造、本瓦葺である。我が国最大最古の道場である。
重要文化財指定 明治31年12月28日
(原文のまま)
こちらと経蔵は特別公開の時にも行きました→禅堂・経蔵
経蔵(奥)と鐘楼(手前・重文)

今回の画像では無かったですが、過去に特別公開で行ったのは三門(国宝)
今回画像が無かったとこは、三門近くの浴室・五社成就宮周辺でしょうか
こちらも過去には散策してます→浴室・五社成就宮
次回は塔頭のことになります
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ












