前回からの続きです
(令和元年10月14日のことです)
こちらも今年の11月1日に再び行ったので、書いた記事に撮り逃していた画像を追加しています
寳樹寺を少し先(東福寺駅側)へ行くと、今度は左側に神社があります
瀧尾神社

住所・京都市東山区本町11丁目718
主祭神 大己貴命(おおなむらのみこと)
ほか 大黒天(大国主命)
弁財天
毘沙門天
駐車場なし
解説

瀧尾神社の創建、由緒ははっきりしないが、天正14(1738)年10月、豊臣秀吉の方広寺大仏殿建立に伴い、当地に移ってきたと伝える。また、当社は、泉涌寺の僧の守るところであったともいわれる。
京の豪商下村家は、当社を崇敬すること篤く、元文3(1738)年以降、数度にわたって社殿の修復を行ってきた。現在の社殿も下村家の援助により、天保10(1839)年から翌11年にかけて造営されたものである。
本殿は、「北山貴船奥院御社」旧殿を移建、一部改築したもので、その前に幣殿、拝所、東西廊が並び、これらの建物がそれぞれ屋根を錯綜させながら、変化に富んだ空間を構築して独特の社殿景観を形成している。また、各社殿に施された豊富な彫刻装飾は、京都市内では珍しい。
当社は、本殿、拝殿、絵馬舎、手水舎など一連の社殿が境内にまとまって現存し、江戸時代後期の中規模神社の形態を知るうえで貴重であり、昭和59(1984)年6月1日、京都市指定有形文化財に指定された。
(原文のまま)
通りから脇に入った道からが正面のようです

拝殿

駒札

主祭神は大己貴命(おおなむらのみこと)。ほかに大黒天(大国主命)と弁財天、毘沙門天の三神も祀られる。
創建年代は不詳。洛東聾ノ谷にあった武鵜社(たけうのやしろ)が、応仁の乱(1467~1477年)で焼失、日吉坂に移転し多景社と称した。更に天正14(1586)年に現在の地へ移された。宝永年間(1704~1711)年、「瀧尾神社」と改称。現在の社殿は、江戸時代後期、天保10(1839)年から翌11年にかけ、大丸の創業家である下村家に整備された。
本殿は、貴船神社奥院旧殿を移築したもので、拝殿など計八棟が京都市指定有形文化財である。
拝殿天井の龍は全長8メートルに及ぶ躍動感にあふれた彫刻で、京の彫刻師、九山新太郎の作である。回廊には十二支、水鳥や阿吽の龍、獏、鶴、鳳凰、尾長鳥、犀や麒麟などの動物や霊獣の彫刻がある。
(原文のまま)
手水舎

再び訪れたときは、東西廊の彫刻の確認するつもりでしたが、手水舎の彫刻も良かったです

椿?山茶花?

絵馬舎

境内はザックリこんな感じ

右から拝殿、本殿、社務所

この拝殿には一部で有名な龍の見事な彫刻がありまります!

こんな見事な龍の彫刻は、京都市内でもちょっと珍しいと思います‼
ブロ友さんが紹介されてて、ずっと見てみたかったんですが、この日はすっかりここだと忘れてました
なので近くに行った翌年1月10日に確認した次第です(;^_^A
ただ難点は、微妙に全体が写せないこと(^^;
しゃがんで撮ったこれが精一杯でした😅
それが11月1日に訪れたら、本殿が改修工事されてるため、こちらが仮の本殿となってました

拝所と狛犬

その謎は本宮へ行ったときに明かされます
この後、この日メインの目的である京博でやってた三十六歌仙を観に行きました
それを見終わった後は、再び京博周辺(と言っても広域ですが)を散策しました
次回からその事になります
アップする前から追記してボリュームが出ましたが😓、最後まで読んで頂いた方はありがとうございました(..)
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ
















