115系 Vanishing Youth -05 / 岡山駅にて
解体されてしまうのは仕方の無いところなのですが、こればかりは仕方ありません。
と言うことで、冒頭と2枚目は、惜別の意を表して、遊び心にて創ってみました。
G編成が103系のような瀬戸内色を纏ったことはありません。
また、湘南色を纏ったこともありません。
瀬戸内色は単体ですが、湘南色は80系 クハ85形とツーショットにしてみました。
国電フェイスとは言ったものの、こうして並んでみると、国電デザインとは似て非なる存在ですね。
まぁこういう創作写真(ウソ電)は、お好きではない諸氏も多いのは分かってはいるのですが、ラストラン メモリアルと言うことで、ご容赦くださいませ。
尚、A-06編成は、クハ115:1068 + モハ114-1148 + モハ115-1084 + クハ115-1139で、A編成の全検最終出場の4両です。
広電 RedWing 5101号 / 深夜の西広島駅 留置車両
3月28日に開業する循環新線は、南区の比治山エリアと中区の市街地を周回するもので、日中の時間帯に「内回り」と「外回り」で運行します。
先日、初めての試運転となった日は、大きなトラブルもなく終えたそうです。
広島電鉄は「開業までの間、的場交差点付近を通る際は試験運転車両の走行に注意してほしい」と呼びかけています。
その循環線は既に多くで報じられているよう、2003年開業の7号線(横川駅~広島港)以来、23年ぶりとなる新路線の開設。
開業に伴う全系統でダイヤ改正も実施されますが、循環線は広電本社前を起点に、皆実町六丁目、比治山下、的場町、紙屋町東などを経由。
そして再び広電本社前へ戻る、内回りと外回りの2ルートですが、昨年8月2日で廃線となった猿猴橋町ルートと共に。
旧線となっていた的場町と段原一丁目の電停も、営業再開を始めることにより、前述の注意喚起が出てきた由です。
循環線の営業列車には、系統番号が新たに「L」と設定され、方向幕や行先表示板へも表記される他、ヘッドマークも掲出されます。
また、比治山下は新たに乗換指定停留場となります。
運行時間は、観光客が多い日中時間帯のみとなり、平日・土休日 共に0時~16時で、平日の運行間隔は内外それぞれ約25分間隔の各15本。
土休日は約45分間隔で各8本が運転され、内回りは「広電本社前→皆実町六丁目→比治山下→的場町→紙屋町東→広電本社前」が停車電停です。
外回りはその逆順で運転されますが、始発および次発の2本のみ、始発電停が日赤病院前となるので注意が必要です。
運賃は特定エリアのバスと広電電車全線にて、大人 = 240円、小児 = 120円の均一運賃となっているので、旅行者は1日乗車券を使用されるのが良いでしょう。
尚、この循環線の開業に伴って、新路線は「走る電車の博物館」の聖地になる予定も立てられています。
広電広報によると5月より、循環線でレトロ電車などの定期運転を実施するとしていて、通常は柔軟な車両運用のため•••••••。
車両の運行ダイヤを固定していないのですが、循環線では観光客や地域利用者に親しまれることを目指して、特定の車両について事前に運行ダイヤを公開のうえ、定期運転を実施する予定としています。
被爆電車 651号 652号や、大阪大空襲で奇跡の生き残り 762号の他、他都市からの移籍車両を運用へ投入する予定としています。
もう既に旧型電車は大多数が廃車され、形式も激減しているものの、それでも動態保存車はかつて「走る電車の博物館」と呼ばれていたことを彷彿させる陣容。
稲荷町~皆実町六丁目間は、広電の大動脈路線を走るので、100形や200形の運転や 同じ被爆電車でも156号の営業運転は、難しいようです。
さて最後に、こちらは電車ではなくバスの話題なんですが、繁華街における同じ名称のバス停を集約する施策が始まりました。
先行して実施されたのは、電車ダイヤ改正で平和公園へのアクセス改善されるのに合わせて、11日に原爆ドーム周辺にある広島駅方面に向かう3つのバス停を1つにする取り組みでした。
今回、原爆ドーム前とメルパルク前のバス停をを休止して、ゲートパーク前のバス停を新たに「紙屋町(原爆ドーム前)」に名称を変更。
これまで別々にあったバス会社のバス停を、4社のバスが共用して、他市・他県からの来広者への、利便性を向上させました。
2001年から広島のバスの難解さを改善する取り組みが進められてきましたが、独占禁止法の影響下でなかなか整備・整理がままならなかったものの。
2024年の法改正で、全国的にバス停やバス路線の統合が可能となり、広島のバス再編は、全国的にも珍しい「ライバル会社同士の共同運営」という大きな動きの真っ最中となっています。
これは広島モデルと呼ばれるもので、今回のバス停統一もこの一環となっていて、2029年度までを目標に紙屋町・八丁堀エリアの19のバス停を統一そして半減していきたいとしています。
花粉の季節なのに風邪引きました(爆)
風邪薬と花粉症の薬の併用は危険で、成分が重複して眠気、口の渇き、めまいなどの副作用が強く出る可能性があります。
風邪の初期症状に即効性が高い市販薬は、必ず抗ヒスタミン成分が含有しているので、急性のメニエル症状が発する場合があります。
これはメニエル病ではなく、あくまで薬の副作用による中毒症状ですが、重篤なメニエル病と同様に、救急搬送が必要となります。
惑星直列やら広島中華そばやらな雑談ですよ~
待ち遠しかった春も、もうすぐそこまで訪れていて、今は少し寒の戻りとなっていますけど。
暖かな月末と月初めでした。
2月20日は、水星が夕暮れによく見える日で、28日は惑星直列、3月3日は皆既月食でした。
冒頭の写真の大雨ですが、これで水星の写真は諦めました。
惑星直列は広大な夜空に一直線なので、カメラに収め切れずに部分撮りとなってしまいましたが、堪能できたものの。
月食はねぇ。
前日から大雨で、お昼過ぎ?ころには上がったものほの、雲が多くて私は見ることがかないませんでした。
図鑑などで太陽系を見ると、平面状に惑星が太陽を回っているように見えますが、実は太陽も銀河系の中心から公転運動をしています。
だから惑星は超高速で移動している太陽を、螺旋回転で追いかけている訳なんですが、その螺旋軌道も真円ではなく楕円なので。
太陽から遠くなる日と最も近くなる日があって、水星は日没と一緒に沈んでしまうのですが、この日は太陽が沈んでもしばらく西空へ残る日だったんですよねぇ。
はい、大雨でした。
月食もねぇ、夕方に雲が一旦 はけたんですけれど、やっぱり雲は多くて、翌日に新聞とかで見たら、雲の切れ目から上手く撮ってあったり。
これは立ち位置ですよね。
で、真っ黒い写真が並んでますけれど、木星・土星・火星辺りを撮ってみています(爆)
と、寒かったり暖かかったりすると、雨が多くなるのも仕方のないところです。
が、これから暖かくなると、冬の風物詩が消えていきますよね。
肉まんって、家に常備していると、とても便利なんですけれど、春物が置かれ始めるので、スーパーとかの売場から消えるんですよねぇ。
困ったなぁ~と思っていたら、限定品ではあるんですけれど、日清 UFOの蒸しマンを発見しました。
焼そばまんって、もう30年近く前のような気がしますが、″富士宮焼そばまん″なるものが、ポプラで売られていて。
それ以降もいろんなコンビニで、焼そばまんは売られているのを見たことはありますが、これはヤマザキの常温 蒸しパンとして売られていて。
まぁこのままでも良いし、レンジでチンしても良いし、蒸してもよりおいしかった•••••••,そんな一品でした。
サッポロ一番から、広島中華そば 発売開始です。
って言うか、広島中華そばなるものがあるということで、買ってみたと言うお話し。
以前、RCCの番組″元就″とコラボしたヤツがあった気がするのですが、今回は単発で再登場のようです。
とんこつ醤油ラーメンなんですけれど、戦後の屋台から始まった歴史がある味なんですが、コクがありつつも後味はあっさりしているのが特徴と、言われています。
何だろう•••••••,私個人の感想なんですけれど、ラーメン屋さんで食べるのは、もう長年親しんだとんこつ醤油のスープは、安心の味わいなんですが。
カップラーメンとして食べるなら•••••••,あくまでカップラーメンとして食べるなら、やっぱり出前一丁の方が上だよなぁ(笑)
あぁ、そう言えば5年ぐらい前、ローソンで″陽気″のカップラーメンが限定で販売されたのですが、アレは美味しかったなぁ•••••••,高かったけと(爆)
焼そばとラーメンネタだったので、口笛なるおさんと、植万由香さんのコントを、貼らせて頂きました。
トンカツネタが、笑えるのが多いんですよね。
楽しければ他にもいっぱい、リールがUPされていますので、どうぞ訪れてみてください。
って言うか、今日の記事は、まともな写真って。
冒頭の大雨だけのような気がする(笑)
カメラ写真ジャンルなのにねぇ。
ホントは水星やら月食やらの写真が並ぶはずだったのになぁ。
あぁそうそう、WBCの一次ラウンドで、日本がオーストラリアに逆転勝ちして1位突破。
アメリカで催される決勝トーナメント•••••••,侍ジャパン、連覇できるかな?
115系 Vanishing Youth -04 / 岡山駅にて
来る3月のダイヤ改正で、長年に渡りで親しまれた115系 G編成が引退し、名物の食パン顔が見られなくなります。
私個人的には、G編成の非貫通フェイスは、食パン顔ではなく国電顔と呼びたいところ。
そもそも食パン顔と呼ばれた電車は、583系の末期に特急型車両から普通列車用に改造された際に、中間車へ。
運転席を設けて、その形状からそう呼ばれたもの。
背の高くない他の形式では、ちょっと食パン顔の表現は似合わないものの、定着したことばも時期に過去の思い出となります。
岡山地区の115系は、227系 Urara の増備により、3月14日のダイヤ改正をもって大きな節目を迎えます。
国電顔のG編成はダイヤ改正で引退することが発表されており、異端児 食パン顔の中でも異端児だったその姿は、間もなく見納めです。
G編成は山陽本線や赤穂線などでも運用されていましたが、伯備線や山陰本線の新見〜西出雲間で、主力として運用されてました。
今春改正での引退を記念した駅弁「ありがとう115系〜山陰路〜」が販売されるそうです。
A編成・D編成も老朽化が進んでいることから、3月4日に A-16編成が廃車回送されており、どこまでダイヤ改正以降も残るのが不明な状態です。
メイン運用は既に227系 Uraraへの置き換えがほぼ完了しており、115系の活躍はごく僅かになっていることは、前回の記事でお伝えした通り。
あらためて言うこともない事実ですが、黄色い国鉄車両は歴史に幕を閉じるんだと、切実に空気が伝わってきます。
A-16編成は、元 岡オカ K-03編成で、中間車は元 広セキ O-04編成ですが、新製配置は岡山でした。
国鉄末期に広島へ転属し、続いて下関配置となり、2015年に再び岡山へ移動となって最期を迎えました。
当時K編成は7本ありましたが、4本がA編成となり、転入組もA-14とA-17の残り2本となっています。
そしてラスト3枚ですが、先ほど入線したA-06編成と、奥の1番ホームへ停車中なのはG-04編成と、D-02編成の反対側 D-11編成です。
今日の写真の中で、D-10編成が今年1月22日、A-04編成は今年2月12日にそれぞへ、廃車回送されています。
こうして写真だけを見ていると、撮った時のことは憶えているので、まだ岡山へ行けばこんな風景が。
そんな錯覚に囚われてしまいます。
先日の倉敷へ行った時の壊滅性の方こそ、悪い夢か幻のように思えてくるので、不思議な感じがします。
広電 762号 913号 旧大阪市電 / 紙屋町電停から
これね、広島人にとっては路面電車の速度や紙屋町交差点の信号の関係で、平和公園へ行くなら本通りで降りるのは、ごく普通なこと。
3月8日(日)19時から、はBSフジで放送されます。
ソビエトと満州そしてイラン / 戦争の無い世界をどう創る?
| 被爆2世が語る平和記念日と世界史シリーズ |
ソビエトと共産党軍
ソビエトとは、「会議」や「評議会」を意味するロシア語で、帝国軍兵士や工場労働者などが組織した、ストライキ委員会などの労働組合へ発展する以前の形態の呼称です。
1917年から勃発したロシア革命では、革命後に樹立された社会主義権力の基礎となり、共産思想による国の行政機関を形作りました。
1922年にはロシアを始め友好近隣諸国の、ソビエトが寄り合って連邦政府を樹立させて、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が誕生しました。
首謀者・石原寛爾
1931(昭和6)年9月18日の夜に、満州の奉天(瀋陽)郊外の柳条湖で発生した柳条湖事件は、それをきっかけに、関東軍が軍事行動を展開しました。
ここから日中戦争へつながる一連の行動が、満州事変と呼ばれるものですが、その首謀者は陸軍中佐の石原寬爾(いしはらかんじ)関東軍作戦参謀でした。
彼が陸軍大佐の板垣征四郎(いたがきせいしろう)関東軍高級参謀と、共謀したことから日中戦争そして太平洋戦争が始まりました。
この両面作戦が始まった理由は満州事変だけではないものの、戦後になって軍部の暴走という、戦争が始まった本当の理由隠蔽に使われるお題目に利用されました。
石原先生は、1889〈明治22)年1月18日〈戸籍の上では17日〉の生まれで、満州事変の時には42歳。
明治・大正・昭和と生きた彼の人生には、他の同世代の人と同じく、貧困にあえぐ日本を体験しています。
明治末期から大正時代を過ごし、大正デモクラシーと呼ばれた華やかな時代を体験し、昭和の大恐慌をも体験します。
石原先生は、山形県鶴岡市出身の警察官・石原啓介の三男として生まれました。
家族構成の詳細は公表されていませんが、長兄は早世したようで、次男は海軍大佐で戦時中に航空機事故で亡くなっています。
弟は戦後の石原先生の活動を支援し、没後は「石原主義」の継承に尽力しました。
他に姉妹もおり、従兄弟・従姉妹もあったようです。
満州国の記事でも記しましたように、貧困にあえぐ日本人は。
主人の自殺や一家心中、または食料や水光熱費を得るために、娘をバイヤーに売却したり、息子を奉公へ売るなどの人身売買が隆盛し、景気回復の兆しは全く見えない状況となっていました。
彼の家は父が警察官で、兄も自分も軍隊へ入っているので、家族や親戚が売られて行くことはありませんでしたが。
同級生や同郷の人、または赴任先では、 子どもを売って家計を支えている状況を、見たり聞いたりしていたはずです。
正義感が強く、IQも高くて知性派だった彼は、常に自分に何が出きるのか、何をすべきなのかを考えていました。
その答えが満州事変だったのですけれど。
戦争には2種類ある
現代、日本の共産党や中国傀儡政党は、日本を「戦争のできる国にしようとしている」と、訴えます。
ここで問題があります。
なぜ、国防力の向上が、日本が侵略戦争をすることになるのでしょうか?
前出の石原先生のみを念頭に置くと、シビリアンコントロールの喪失が、懸念されます。
戦争には2種類あります。
1つは日中戦争・太平洋戦争のように、日本から海外へ出て行くケースがあります。
しかし2つめは、外国からの侵略を受ける危機が高まっているからこそ、国民の生命を守るための戦いに備えるという準備です。
日本から外国へ侵略の危険があるから、外国からの侵略は備えなくて良いという、その考え方に賛同する人も存外多くいます。
世界一の軍事力を誇ると言われているアメリカ合衆国ですが、軍事作戦は確かに次々と成功させています。
しかし国と国との戦争という形態においては、戦勝国となったのは第二次世界大戦とイラク戦争のみ。
他は敗戦だったり、軍事制圧したのに撤退に追い込まれたり、莫大な予算と最新鋭兵器を使いながら、勝率は低い国です。
ソ連も直接戦闘で、日本に勝ったことはありませんし、中華人民共和国は そもそも日本と戦争をしたことがありません。
日本は第二次世界大戦で敗戦を迎えたことから、日本人が自分たちはダメだと劣等感を強く持っていた時代がありますが。
戦績だけを見れば、日清・日露・第一次世界大戦と、三勝一敗の国です。
アメリカは強い、ロシアも強い、中国も強い•••••••,は、幻想でしかなく、自衛隊の防衛と聞くと、鉄扉の城門へ刀で突撃して行くようなイメージを抱く人も多いようですが。
憲法9条にあるように「国際紛争解決のための戦争・武力行使を永久に放棄する」は堅持しつつ、外国から領土・財産・生命を奪われる際には、断固防衛する。
自然なことだと思います。
戦争をしなくて済む国
二昔前、中国共産党とロシア軍部の声明で、「戦後、我々が日本を攻めなかったのは、日本には憲法9条があるからだ」と、言ったことがあります。
聞いた瞬間は「へぇ、そうなんだぁ」と感じましたが、冷静に考えるとおかしな話しです。
日頃から「日本国憲法は日本の法律」「諸外国には戦争放棄の法律はない」と記していますが、諸外国はこの法律を守る責任はありません。
それとも中ソの親切で、日本は平和国家でいられるとでも、言っているのでしょうか。
これは日本の憲法改正を、牽制するために日本国民へ向けたプロパガンダです。
私はこの「戦争放棄」という信念は大好きです。
しかし戦争をしない国であるが故に、無防備な国家であるべきだとは思いません。
石原先生がなぜ、柳条湖事件を起こして満州事変を勃発させたのか••••••,それを21世紀の今、とても深く考えなくてはいけない時代だと感じます。
日本が目指すのは、「戦争をしない国」ではありません。
必ず「戦争をしなくても済む国」「戦争をしなくても好い国」を、目指しそして堅持するべきだと思います。
二昔前のことばを発信しておきながら、中国共産党の今の準 軍事行動は、やはり中国政府だとしか言い表せません。
中華は秦の始皇帝″政″からラストエンペラー″溥儀″まで、2000年間の皇帝政治をしてきた文化なので、民族性としてそれがわずか100年弱で抜ける訳がありません。
清国が瓦解したのと同じように、省の信任を失えば中国共産党は政権を失います。
中華人民共和国の工業先進地帯となっている華北地方は、まず独立を宣言するでしょうし、それに続いてチベットや内蒙古も離反するのは明らかです。
そうすれば旧15省も中国共産党から離反するので、習近平国家主席はかなり必死のはずです。
イランへの軍事攻撃
習国家主席は、2013年3月14日から現在3期目で、任期は2028年3月までですが、公約として2027年迄に台湾を吸収すると宣言しています。
しかし今以てその兆候はありませんでしたが、2027年10月の党大会にて、4期目続投の信任を得るために、台湾へ対して強硬な政策を出し始めています。
憶測ですが、習主席は中国共産党中央政治局常務委員会より、次期も内定を既にもらっていると伝わる反面。
水面下で首のすげ替えが進行しているとも伝わります。
そんな中での、アメリカ軍によるイランへの攻撃。
当然、日本にとって台湾有事は存立危機事態となりますが、アメリカによるイランへの攻撃も、存立危機事態に陥る可能性があります。
現在、ホルムズ海峡が事実上の封鎖状態に陥っており、ここを通過できなければ日本へ原油は入ってきません。
イランによる周辺への乱心的攻撃で、アリー・ハーメネイー最高指導者が亡くなっても、政府機関が健在なので体制崩壊となはりません。
イランの国民は歓喜に沸いているものの、国家としては外国からの侵攻に対して、国防のために反撃をしている状態。
海峡通過のタンカーも攻撃目標で、出港及び入港できない船舶が、周辺海域で立往生をしている現実です。
正確な内容はまだ不明ながら、トランプ大統領によるSNSへの投稿で、アメリカ軍による護衛など、支援の準備が進められているようで。
木原官房長官は「現時点で存立危機事態には当たらない」との見解を示しています。
戦争の無い世界をどう創る?
アメリカは去る1月2日にベネズエラ侵攻作戦を敢行し、この度はイランの石油基地を破壊しました。
これで中華人民共和国の工業・産業そしてインフラを崩壊させ、社会的地位の抹殺を実行しています。
都市部の失業率は5.1%で高止まりとなっていますが、レアアースの規制問題に対抗して、日本から精密部品が届かなくなっている現状で。
ベネズエラとイランからの石油が停止したことが加わって、工場の稼働率は一気に低下し、閉鎖状態へ陥る可能性も高くなりました。
そもそもの原因は中国共産党が、石油利権からドルを廃して、人民元決済を国際基準にしようと画策したことによります。
既に換算で60億$を投資しており、中国経済を破綻させる目的での、両国への軍事攻撃でした。
核兵器は隠れ蓑のための口実ですが、イラン政府による国民弾圧の解放もあって、中国共産党へも「人権を蔑ろにすればこうなる」との生贄でもありました。
中国経済を破綻させさえすれば、今回の目的は達成なので、イランとの事後処理はどのようにでもできると、アメリカは考えていたようですが。
イランによるキプロスへの攻撃は、NATOのイラン制裁決議を発させるには充分で、また、イランと中国共産党のバックには、ロシアが控えています。
そして4月には、米中首脳会談が行われる日程となっています。
今後の余談は許されませんので、日本国も企業も危機意識を持って見守る必要があります。
簡単ではありましたが、石原先生による満州事変でも、この度の米中衝突によるイラン攻撃にしても。
戦争の無い世の中は、どうやって創ることができるのか、今一度、日本人として考えてみるべきではないでしょうか。
あなたは、どのように感じますか?
↓↓↓関連記事・ブログ内リンク↓↓↓
3月1日は満州国 建国記念日 / 金から始まった満州人の国家
| 被爆2世が語る平和記念日と世界史シリーズ |

満洲国の布石
満洲国と秦の復習
昨年は昭和100年でしたし、こういった歴史も時々取り上げないといけないかな?と、感じていました。
なので、3月1日と更新日が重なり、鉄道記事ではない曜日と重なった年は、満州国建国記念日をやっていこうかな?と、思います。
さて、今日の記述では民族遺伝子のお話しを避けて、本題から逸れることの無いようざっくりな感じに記述していますが、組織や団体においても複数名称を避けて、理解しやすいように便宜的な表記をしていきます。
満州国の建国は、1932(昭和7)年3月1日でした。
この日、清朝最後の皇帝 愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ)を執政(後に皇帝)に迎え、中華民国からの独立と満州国建国が宣言されました。
元々は中華は中華であり、満洲は満洲だったのですが、満洲人(女真族)が中華へ侵略をしかけ、清国を樹立させたことから。
清王朝が瓦解した後に、漢民族が満洲を逆支配しました。
かつてモンゴル民族が、中華を支配してモンゴル帝国の伝統的な名称である「大モンゴル国(イェケ・モンゴル・ウルス)」から、中国風の国名「大元」へと改めましたが。
大元はモンゴル帝国の一部として1271(文永8)年〜1368(南 : 正平23・北 : 貞治7)年の間、中華を支配しました。
俗に別称を、元、元朝、元寇、大元ウルスなどとも呼ばれ、首都は大都(現在の北京)へ置かれて、中国の歴代王朝の形式を取り入れた「征服王朝」でした。
モンゴル帝国の最大領土は、東は日本海沿岸からヨーロッパ東端で、3千300万k㎡に及びましたが、大元の最大版図は。
13世紀後半から14世紀初頭のフビライ ハーンの時代に達成され、中国本土、モンゴル高原、チベット、満洲、朝鮮半島北部、およびシベリアの一部を含み、その面積は約1千370万k㎡に達しました。
中国は群雄割拠の時代と新王朝の樹立と滅亡を繰り返して来た歴史ですが、その中で最大領土を誇ったのが大元時代でした。
そもそも中華と呼ばれるエリアは、主に黄河と長江の流域を中心とした地域で、当初は7つの大国(戦国の七雄)が分立しており、秦が統一を成し遂げたことで、その範囲はより南や北へ広がった経緯があります。
中華初の統一王朝″秦″の最大領土を、現在の地図へ当てはめて見ると、中心地は河北省、山西省、山東省、河南省、安徽省、江蘇省となります。
そして周辺領地ですが、西部は陝西省(関中)、甘粛省、四川省。
南部は、湖北省、湖南省などの長江流域の一部。
北方は、燕の支配地だった北京市・天津市周辺と言ったエリアで、中華の特徴地理的定義は、黄河中流域が「中原」と呼ばれ、文明の中心とされていました。
後年 秦の始皇帝となる政は、コミックスやアニメ(キングダム)では「中華統一」と語っていますが、異民族 = 西戎との境界地域に暮らす、野蛮な田舎者と貶まれる一族でした。
周の王室のための馬を繁殖・育成をしていた功績を認められ、長い年月をかけて諸侯(大名)の扱いに列せられました。
すなわち、西方の異民族扱いされていた蛮族から、周を下克上で支配下に置き、徐々に東方の燕や斉などのある「中華」へと勢力を拡大して。
最终的にそれら6ヶ国を総べて飲み込む形で、統一王朝を樹立させた訳です。
東夷、北狄、蒙古•••••••
統一王朝の秦は始皇帝が崩御すると、内部瓦解を起こして複数の国家が乱立しました。
統一王朝でも乱世の時代でも変わらず、中華と呼ばれるエリアの外からの、侵攻して来る異民族の存在は、頭の痛い問題でした。
万里の長城の北側の遊牧民を北狄、東側を東夷と呼んでいましたが、その呼称は蛮族の総称で、大きな集団ではなくそれぞれの民族がありました。
東夷は粛慎・濊貊・夫余・高句麗・倭などの民族を指し、倭は日本列島へ住む民族で、粛慎は女真族の祖先のことです。
また、北狄には匈奴・鮮卑・烏桓・羯・丁零・犬戎などの、東部や北方民族が含まれます。
蒙古•••••••,モンゴル人は東胡・鮮卑・室韋と呼ばれる遊牧民族が祖先とされていて、モンゴル人祖先のうち鮮卑は、中華より北狄と呼ばれていた一族です。
こうして見ると、西戎・東夷・北狄と異民族による征服王朝が3度ある中国史で、征服王朝が安定政権を保っている期間には、内戦が起きていないことも、注目に価するところです。
尚、1368(正平23・貞治7)年に大元が崩壊してモンゴル高原へ撤退した後の政権は「北元」と呼ばれますが、中華人民共和国である現在。
一部は内蒙古自治区として、中国共産党が領有しています。

満洲の略史
金から始まった満洲国
960(天徳4)年に中国五代十国を統一して宋が建国されたものの、北狄からの侵攻に悩まされ続け、国家の安定に時間がかかりました。
女真族•••••••中華掌握へ
清王朝の瓦解と満洲国建国
1911(明治44)年 10月10日の武昌蜂起を皮切りに、満洲族の支配に対する各地の不満が爆発し、テロや内戦など国内が混乱に陥りました。
清国政府はこの動乱の制圧に失敗し、国内15省が次々と政朝からの独立を宣言し、1911(明治44)年12月29日に上海で孫文が中華民国臨時大総統に選出され•••••••。
日本は1927(昭和2)年の金融恐慌、さらに1929(昭和4)年の世界恐慌の影響で経済不況が深刻になる一方、独占資本となる財閥の形成が進み、明治維新から発展してきた政党政治も行き詰まりに陥っていました。
そこから無限の可能性を、当時秘めていた満州という土地と資源を求めて、一部の陸軍参謀による秘密裏な計画が、実行されることになりました。
満州事変とその実質
中華民国 国民政府は日本政府が侵攻作戦に反対だったことも認識しており、眼前では反乱軍 共産党との内戦にも直面していたため、武力抵抗よりも国際連盟への提訴によって、日本へ圧力をかける戦略をとります。
しかし日本軍 上海常駐部隊が1932(昭和7)年1月28日に第一次上海事変も起こし、そのダブルスタンダードによる侵略行為へ、国際的非難が強まってしまいました。
金融恐慌と世界大恐慌による煽りを受けて、最大失業率は7%(バブル崩壊時及びリーマンショック後は5.5%)に達して、日本国内の経済状況は最悪の様相でした。
主人の自殺や一家心中、または食料や水光熱費を得るために、娘をバイヤーに売却したり、息子を奉公へ売るなどの人身売買が隆盛し、景気回復の兆しは全く見えない状況となっていました。
そんな国内経済の行き詰まりの打破を、海外市場拡大に求める動きに押されて、軍部が日本人のアイデンティティ奪還を掲げて、満州の権益を内蒙古や中国北部に拡大しようと、画策したものが満州事変でした。
そうして日本は政府として満州国の建国、満州事変を主導した関東軍は満州を日本の直轄領としようとした当初の構想を放棄し、清朝最後の皇帝 溥儀を執政として迎えました。
国際法上は満州国の承認国家は日本以外にも複数あり、法整備と条約締結により貿易も開始されていたため、その存在は独立国として合法な存在でした。
首都は新京(現在の長春)に定められました。
しかし国際法上は独立国とは言え、実質的な日本の傀儡国家であり、その後は大陸政策の足場と化していきます。
9月15日は日満議定書調印の日で、日本が満州国を正式に承認した日となります。
1933(昭和8)年2月に熱河作戦を実行し、中国本土への侵攻を開始したものの、国際連盟が派遣したリットン調査団によって満州国樹立が否定されたことを理由に、同年3月に常任理事国だった国際連盟を脱退し、連盟そのものを瓦解させます。
そもそもリットン調査団は満州事変の事件調査と同時に、満洲における権益を日本が独占するのかどうかが主軸の調査で、市場開放をするなら満洲国建国を承認するカードも持っていました。
日本は取り巻く諸事情から権益独占の道を取り、満州国建国は日本による侵略であると国際連盟から断定され、その国際連盟を組織破壊したことで、日本は国際的孤立を深めていきます。
しかし軍事行動はテロを伴う反日活動を排斥する名目で継続し、それに対して中華民国 国民政府は、反乱軍 共産党との内戦を優先して2ヶ月後の5月には、塘沽停戦協定を日本との間に締結させました。
ところが1935(昭和10)年には華北分離工作を推し進め、冀東防共自治政府を成立させるなど、中国本土の割譲を強く迫ります。
これは中華は中華であるべきで、以前は北狄と呼んでいた少数民族の支配をやめさせる狙いがあり、日本にとっては外国圧力からの防波堤という目的がありました。
アジアの新興国そして発展途上国へは日本が支援し、満州国へは在満日本軍とは別に満州軍が設立されていましたが、他の新興国へは国防へ日本軍が駐留する体制を採用していました。
これは大東亜共栄圏の施策の一環であり、ソ連の体制に倣った構造でした。
しかし緊迫する日本と中華民国 国民政府軍の間で、1937(昭和12)年7月7日の夜、一発の銃弾が戦闘開始の引き金となり、盧溝橋事件が勃発します。
これによって全面戦争となる日中戦争へ突入し、陸軍は中華民国 国民政府の拠点である南京を攻略すれば、すぐに戦闘は勝利で終えられると天皇陛下に報告したものの、結果的に戦争は泥沼化していきます。
全面戦争となった以上は、派遣部隊の増員と本軍合流が実施され、満州のあの広大な土地を点で迎え撃つ、消耗戦へと突入してしまいました。
その結果、1945(昭和20)年8月下旬の時点において、陸軍は国民政府と共産党それぞれから武装解除を受け「支那派遣軍の終戦の日は明確だが、関東軍の終戦の日は不明」と言う、奇妙な形となりました。
満州国は1949(昭和24)年、正式に中華人民共和国の征服を受け入れ、遼寧省・吉林省・黒竜江省となり、華北地方と呼ばれて現在へ至ります。
満州族の人たちからすると、歴代 中華の覇者王朝、中華民国、中華人民共和国、モンゴル人、日本人は、征服者以外の何者でもありません。
そして忘れてはならないのは、満州人も一時は征服王朝でした。
それに対して満州民族(女真族)を中心に置いた形で、簡易的ではありますが、記事を書いてみました。
115系 A-12編成 ひまわり号 / 岡山駅にて
2026.2.24
— 山陽線民 (@SanyoLinePeople) February 24, 2026
山陽本線 広島駅にて
幡生入場(廃車)回送
回8345M 115系 A-15 pic.twitter.com/HO8OYQ32Gc
広電 5200形 GREENMOVER APEX / 宮島口~広島駅にて
広島電鉄 グリーンムーバー エーペックスです。






現存する1910年式タイプAですが、チェコ共和国のプラハ国立技術博物館が所蔵する1台が唯一の存在で、中古車価格は設定されていません。
が、オークションにもし出されたら、数十億から数百億円の値段が付くと、言われています。

































































