(*写真は2012年に未明参拝した時のもの)
*既に多くの「いいね」を賜っていますが、大幅に加筆修正を施したために再UPします。今後も自身の会得諒解により随時記事の補正を行います。
■表記
*紀 … 天日槍(アメノヒボコ)
*記 … 天之日矛
*「古語拾遺」 … 天日鉾
*他に天日帆子など
*
都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)またの名 于斯岐阿利叱智干岐
(ウシキアリシチカンキ)を同神とする説も。
■概要
渡来神であり、元新羅王子であったとされます。但し渡来時期や出身国に異伝が多く見られ実態を掴むのは困難。その上で特記すべき点は以下の点であろうかと考えます。
*元新羅王子であったとされること
*同神とするなら
阿加流比賣神(下照姫命と同神説有り)が妃とされること
*渡来時期が書により大きく異なる
*鍛冶製鉄氏族の祖とされ日本に多大な影響(功績)をもたらしたとされること
*後裔、またその氏族に不審な点が多々見受けられる点
*伊和大神との壮絶な鉄獲り合戦について
*兵主神との関連について
*息長氏の祖神とされること
【日本書紀】
◎垂仁天皇紀 一書
━━崇神天皇の御世、額に角の生えた意富加羅国
(おおからのくに)王子である
都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)亦たの名 于斯岐阿利叱智干岐
(ウシキアリシチカンキ)が、日本に聖皇がいると聞いてやって来た。穴門に到った時に伊都々比古
(イツツヒコ)という国王と名乗る者に出会ったが、王ではないと見極めた。そして北の海を出雲を経て笥飯浦
(けひのうら、越国の氣比)に到着し角鹿
(つぬが)と名付けた。この時に崇神天皇が崩御したので日本に留まり、垂仁天皇に仕えて三年になる。天皇が母国へ還りたいかと問うと、還りたいと答えたので本土へ返された。その際に回り道をしなければ崇神天皇に仕えていただろうから、御間城天皇
(崇神天皇)の名を取り国名にせよと命じた。それが彌摩那国
(みまなのくに)となった所以である━━
*渡来時期は崇神天皇の御世。
*加羅→長門国穴戸→出雲→越国笥飯浦(越国の氣比)→任那
◎垂仁天皇紀 (別伝)
━━
都怒我阿羅斯等が祖国に居た時、黄牛
(アメ色の牛)を使い田仕事をしていたが、その黄牛が突然いなくなった。足跡を追うとある役所に向かっていた。ある老夫が言うには「汝が探している牛は役所に入った。役人等はみすぼらしい農具からみて食べてしまおう、持ち主が返せと言うなら物で返せばよいなどと言って食べてしまった。もし役人に牛の代わりに何が欲しいかと問われたら、財宝と言わずに村で祀る神を得たいと言いなさい」と。すぐに役人が来たので老夫の言う通りに受け答えした。その神というのは「白石」であり、それを授かり寝床に置いていた。するとその神石は童女と化した。
阿羅斯等は大いに喜び愛し合おうとしたら突然いなくなった。驚いて周りの者に聞くと、東へ向かったという。すぐに追いかけ海を越えて日本に入った。童女は難波で爲比賣語曾社の神となり、且つ豊前国国前郡比賣語曾社の神ともなり、二箇所で祀られる━━
*こちらも
都怒我阿羅斯等。
*渡来時期は明示されないも、垂仁天皇紀に記載される。
*出身地は明示されないも、上の
都怒我阿羅斯等の記事の別伝ということから、加羅ということか。また童女
(阿加流比賣か)は難波へ行ったことになっているが、
都怒我阿羅斯等がどこまで追いかけたのか、その後の行方は記載されない。
*上の
都怒我阿羅斯等の記事では加羅国王子であるものの、こちらの別伝では農民となっています。
◎垂仁天皇紀三年
━━新羅王子 天日槍がやって来た。持って来たものは七種、これらを但馬国に献上、神物と為した━━(*神宝の内訳は下部にまとめます)
◎垂仁天皇紀 (別伝)
━━当初、天日槍は乗っていた船を播磨国に停め、宍粟邑(しさはのむら)に居た。三輪君の祖である大友主と倭値の祖である長尾市(ナガオチ)を播磨へ遣わし天日槍に問うた。「あなたは誰でどこの国の人か」と。天日槍は「新羅国主の子です。日本国に聖皇がいると聞き、自分の国を弟の知古に授けて来た」と。貢ぎ物は八つ。天皇は天日槍に詔し「播磨国宍粟邑、淡路島出淺邑(いでさのむら)、この二邑に任意で居てよい」と。天日槍は答えた。「(中略)… 諸国を視察して、心が欲するところに決めようと思います」と。そして天日槍は「兎道河」(うぢがわ、=宇治川)を進み、近江国北の「吾名邑」に暫く住んだ。近江国から若狭国に至り、次は西へ但馬国を定住地と定めた。近江国「鏡村谷」(蒲生郡竜王町)の陶人(すゑひと)は従者となった。但馬国「出嶋」(いづし)の太耳の娘、麻多烏(マタオ)を娶り但馬諸助(タジマノモロスク)が生まれ、諸助から日楢杵(ヒナラギ)、清彦(三代目)、田道間守(タヂマモリ、四代目)が生まれた━━
*渡来は垂仁天皇の御世
*新羅→播磨国宍粟邑→近江国吾名邑→若狭国→但馬国出嶋(出石)へ移遷、近江国鏡村谷の陶人が従者となる
*天日槍━━但馬諸助(タジマノモロスク)━━日楢杵(ヒナラギ)━━清彦━━田道間守(タヂマモリ)
◎垂仁天皇紀八十八年
━━即位八十八年秋七月、天皇は諸官に「天日槍が初めて来た時に携えていた宝物は、今は但馬に在り国人に崇められ神宝となったと聞く。どうしてもそれを見たい」と詔した。即日使者を遣わし天日槍の曾孫である清彦に命じて献上させたが、清彦は「出石」という名の刀子(とうす)を隠し持ち帯刀していた。ところが酒の席で天皇にそれを見付けられ、余儀なく差し出された━━
(*神宝の内訳は下部にまとめます)
*刀子の名は「出石」、そしてこれだけ差し出すのを拒んだことから、これこそが一族の神璽(レガリア)だったと推されます。
*この刀子は淡路国津名郡(現在の淡路島洲本市由良)に鎮座する出石神社の御神体となっています。
◎神功皇后紀 (別伝)
━━仲哀天皇の太子となり、越国の角鹿(つぬが)の笥飯大神(ケヒノオオカミ)を拝した時に名を交換し、即ち大神は「去來紗別神(イザサホワケノカミ)」、太子は「譽田別命(ホムダワケノミコ)」となったが、証となるものが見えずに未だ詳かならず━━
*これは記に無視し得ない記述が掲載予定であることを知り得て、追補したのではないかというのが個人的な見解。その概略のみを載せたと考える次第。詳細は下部の該当項にて(仲哀天皇記)。
【古事記】
◎仲哀天皇段
━━建内宿禰命は太子(品陀和気命、後の応神天皇)を率いて禊をしようと、淡海・若狭国を経て高志(こし)の前(越前)の角鹿(つぬが)に仮宮を造った。するとこの地の伊奢沙和気大神(イザサワケノオオカミ)が夢に現れ「吾の名を御子(太子)の御名に変えたい」と言われた。大いに慶び申し上げた「恐れ多いこと。仰せの如くに」と。またその神は詔した「明日朝に浜に来なさい。名を変えるしるしの捧げものをしよう」と。翌朝浜に行くとたくさんのイルカが打ち上げられていた。御子はここに御子は神に「我に御食の魚を賜った」と申し上げた。そこで御名を称へて御食津大神(ミケツオオカミ)と名付けた。今は氣比大神(ケヒノオオカミ)と謂う。またそのイルカの鼻の血が臭かったのでその浦を血浦(ちぬら)と謂ったが、今は都奴賀(つぬが)と謂う━━
*伊奢沙和気大神という越前国敦賀
(現在は「つるが」)に鎮座する
氣比神宮の神と、品陀和気命
(後の応神天皇)との名前交換説話。
*伊奢沙和気大神についてこの記述から得られるのは、「御食津神(みけつかみ)」という神格のみ。
*神宝「胆狹浅(いざさ)の大刀」から天日槍とする説、「氣比宮社記」に記される保食神(ウケモチノカミ)とする説がある。他に仲哀天皇説、風神説等もあるが、何れも推測の域を出ない。
◎応神天皇段
昔、新羅国王の子がいた。名は天之日鉾という。この人は渡来して来た。渡来の所以は
(以下の通り)。新羅国に一つの「阿具奴摩
(あぐぬま)」という沼があり辺
(縁)に一人の賤しい女が昼寝をしていた。ここに日の耀きは虹の如く女陰を指した。また一人の賤しい夫がいて、これを怪しんで常に様子を伺っていた。すると女は身籠り「赤玉」を生んだ。賤しい夫はその「赤玉」を貰い腰に着けていた。…
(中略、国王天之日鉾が「赤玉」を没収する)… 床に置いていると、美麗しい少女となった。そして妻となり美味しいものを作り食べさせてくれていたが、だんだんと罵るようになった。妻は失格だと感じ「実家へ出戻りする」といって難波に。この女神は比売碁曽社に鎮まる
赤留比賣である。天之日鉾はそれを知り追いかけるが、海神が遮った。仕方なく多遅摩
(但馬)へ行った。多遅摩で俣尾
(マタオ)の娘、前津耳を娶り多遅摩母呂須玖
(タヂマノモロスク)を生んだ
(以下系譜略)。
*渡来時期は明示されず、「昔」とだけ。
*難波で遮られる→多遅摩へ移遷。
*天之日鉾━━多遅摩母呂須玖(タヂマノモロスク)
【記紀に対する一般的解釈と個人的思量等】
◎記に記される神話は、紀においては
都怒我阿羅斯等の神話として掲載されています。これが同神とされる理由の一つ。両神の足跡が酷似していることも一つ。
◎記紀ともに「命・尊」などの尊称無し。つまり神とは認識していないということに。記に至っては「人」と銘記されています。妻の
赤留比賣は「女神」としているのですが。
◎神話そのものは北方系(蒙古系)「日光感精型」要素と、南方系「卵生型」要素が合わさった、高句麗の「朱蒙伝説」の流れを汲むもの。
(*写真は2012年に撮影したもの)
【播磨国風土記】
◎揖保郡揖保里 粒丘(いひぼのおか)条
客神(外来神)の天日槍命が韓国から海を渡り「宇頭川」の川辺に着き、その長である葦原志挙乎命に宿る土地を求めると、志挙は海中にのみ宿ることを許した。そこで天日槍命は剣で海をかき回し出来た島に宿った。志挙はその霊力に畏れをなし、天日槍命より先に国を抑えるべく北上した。
◎宍禾郡比治里 奪谷条
葦原志許乎命と天日槍命の二柱が谷を奪い合ったので「奪谷」と称されるようになった。
◎宍禾郡御方里条
葦原志許乎命と天日槍命が黒土の「志爾嵩」(しにたけ)に至り、各々黒蔓を足に付けて投げた。葦原志許乎命の黒蔓のうち一条は但馬気多郡、一条は夜夫郡(養父郡)、一条はこの村に落ちた。そのため三条(みかた、御方)と称される。一方天日槍命の黒蔓はすべて但馬に落ちたので、天日槍命は「伊都志(出石)」の土地を自分のものにしたという。また別伝として大神(伊和大神、=葦原志許乎命)が形見に御杖を村に立てたので、「御形」と称されるともいう。
*渡来時期は葦原志許乎命が登場していることから、神代に設定。
*韓国(からくに)出身とあるが身分は記載されていない。
*韓国(からくに)→播磨国揖保郡→渦を巻く海中(淡路島か)・宍禾郡→但馬国出石
◎「播磨国風土記」の記述について
ここでは伊和大神
(葦原志許乎命)と天日槍命との国の激しい争奪戦について書かれています
(他にも記述有り)。これは「鉄」の争奪戦であったと解されます。「御方里条」で天日槍命の黒蔓が但馬の出石に落ちたというのは
出石神社、伊和大神の黒蔓が落ちたうちの「御方」の一条は
御形神社。
なお伊和大神は本来は葦原志許乎命(=大国主命)ではなく、土着の伊和氏が奉斎していた神だったものが、一族の衰退とともに葦原志許乎命に習合されたと考えられています。
(*写真は2012年に撮影したもの)
【「摂津国風土記」逸文】
━━比賣嶋松原
[裏書に云ふ 押紙(註釈等を添付したもの)に云ふ 私に云ふ 攝津國風土記に云ふ]
比賣嶋松原
右、輕嶋豐明宮輕嶋豐阿伎羅宮御宇天皇應神世(応神天皇の御宇)、新羅に女神有り。遁去り其の夫來り。暫し筑紫國(実際は豊前国か)の波比乃比賣嶋(いはひのひめしま)に住みし。[地名 ○按 「古事記」上卷國生條 有女嶋云云] 乃ち曰く「此の嶋は猶是れ遠からず 若し此の嶋に居らしめば男神 尋來なむ」乃ち更に遷り來まし。遂に此の嶋に停まり。故、本つ所の住みし地の名を取り以て嶋の號く(なづく)と爲す。[此の如に記せば 姬嶋松原 攝津國也]━━
*渡来時期は応神天皇の御世。
*新羅国→筑紫国「波比乃比賣嶋(いはひのひめしま)」(豊前国の「姫島」か)→摂津国「比売嶋松原」(姫嶋松原、姫嶋神社か)
*ここでは具体的な神名は示されておらず、「男神」「女神」とあるのみ。記載内容から天日槍と
阿加流比賣のことであろうとされます。
【「筑前国風土記」逸文 怡土郡条】
━━怡土郡(いとのこほり)
昔、穴戸豊浦宮御宇足仲彦天皇(仲哀天皇)が球磨(くま)・噌唹(そ)を討とうと筑紫に行幸した時、怡土縣主(イトノアガタヌシ)らの祖である五十跡手(イトテ)が天皇の行幸を聞き、五百枝賢木(いほえのさかき)を船の舳艫に立て、上の枝に八尺瓊(やさかに)を掛け、中の枝に白銅鏡(ますみのかがみ)を掛け、下の枝に十握剣(とつかのつるぎ)を掛けて、天皇を迎えようと穴門引嶋に奉った。天皇は「お前は何者だ」と問うと、五十跡手は「高麗国の意呂山(おろやま)から降って来た、日桙の苗裔の五十跡手と言います」と答えた。そこで天皇は五十跡手を誉めて「恪乎(いそしかも=よく謹んでいる)」と言い、五十跡手の国を恪勤國(いそのくに)と呼ばせた。今は訛って怡土郡という━━
*渡来時期は示されていない。
*高麗国の「意呂山」から降って来たとする。
*怡土縣主(祖は五十跡手)を裔とする。
【「豊前国風土記」逸文 鹿春郷条】
━━昔、新羅國の神、自ら度り來りて此の河原に住みき。即ち名付けて曰く鹿春神━━
*渡来時期は示されていない。
*新羅国→豊前国田河郡の香春神社
*神名は示されていないが
阿加流比賣のことと思われる。天日槍については記載されていない。
◎「豊前国風土記」逸文の記述について
*「香春岳」に鎮まるのは香春神社(未参拝)。主祭神(第一座)は辛国息長大姫大自命(カラクニオキナガオオヒメオオジノミコト)。
「香春社縁起」には、「新羅の神は比売許曽の神の垂迹、摂津国東生郡の比売許曽神社と同体也」とあります。つまり当社は「比売許曽神=辛国息長大姫大自命」としています。
*古来より辛国息長大姫大自命は息長帯比売(神功皇后)と同神とする見方が根強くありますが、時代が異なるためこれは論外。また息長水依比売(彦坐王の妃であり丹波道主命の母)と同神とする向きもありますが、接点が見出だせないためこちらも無理があるでしょう。
*なお第三座に鎮座する豊比賣命は、「神武天皇ノ外祖母 住吉大明神ノ御母」であるとしています。豊玉姫命とでも言いたいのでしょうか。
応神天皇記にも記したように、妻を追う
天之日矛を難波で阻んだのは「渡之神
(ワタシノカミ)」であり、住吉大神ではないかという見方があることを示しました。もしそうだとすると、ここに住吉大明神の母が祀られているのは興味深いところ。
【「三国遺事」】(1270年代後半~1280年代中頃)
━━新羅の東海の浜から、先ず夫の延烏郎(ヨノラン)が海を渡って日本に流れ着き、それを追って妻の細烏女(セオニョ)も日本へ流れてきた [2人は日月の精である]━━
*日本への渡来時期は不明。
*新羅から渡ったとしている。
*高麗の史書。朝鮮半島全般的に自身が甚だ疎いため、どこまで信頼のおける書であるのかは不明。
「細烏女
(セオニョ)」という女神が記されるも、瀬織津姫のことなどかと邪推してしまいますが、「延烏郎
(ヨノラン)」と
天之日矛との音の類似はありません。
記紀の品陀和気命との名前交換話で登場する伊奢沙別命(イザサホワケノミコト)を主祭神とする社。伊奢沙別命が如何なる神なのかは上述の通り不明。天日槍とする説もあります。当社側は明示していません。
【高祖神社】(たかすじんじゃ、筑前国怡土郡)
真の御祭神を「三代実録」にみえる「高礒比咩神」とする説が有力。他文献に記述が見られない神であり、一説に
阿加流比賣であり
天之日矛の妻神であるとも。
*高天原の候補地の一つとして考えている「高祖山(たかすやま)」。その西麓に鎮座するのがこの社。
怡土郡
総社であり、弥生前期からの激しい戦闘の跡が見られ、製鉄遺跡、2基の支石墓に多くの弥生墳墓、平原遺跡、大量の鏡の出土等々…高天原そしてその後の邪馬台国とするには材料も申し分ないもの。怡土郡のどこからでも見えると言われる
(ネット管見情報による)こともその一つ。
*この社は五十迹手
(イトテ)が奉斎したとされます。怡土縣主の祖であり、「筑前国風土記」逸文には高麗国「意呂山」から天降った
日拝(天之日矛)の裔であると記されます。
*「糸島郡誌」は、「
日槍はまず新羅往来の要津たる伊覩
(いと)を領有し此に住して五十迹手の祖となり、更に但馬に移りて但馬家の祖となりしなるべし」
(久米邦武「日本古代史」に拠る)と記しています。
【長野宇美八幡宮】(豊前国怡土郡)
本宮の御祭神の一座に「気比大神」がみえますが、社伝では
天之日矛を祀るとしています。
【姫社神社(ひめこそじんじゃ)】(備中国下道郡)
主祭神を比売語曽神とし、阿加流比売と同神としています。
天之日矛が製鉄を伝えたとし、吉備の鉄発祥地と謳っています。「高梁川」を越えた東方すぐには「鬼の城」が築かれました。
「秦」という地名が残り、室町頃に「ヒメコソ祭」が行われていたという情報もあるものの、当地での
天之日矛、阿加流比売の足跡は見出だしにくいかと。阿加流比売が当地に一時滞留した可能性はあるものの、後の時代に秦氏が入植した際に伝承を創作した可能性もあるかと。
【出石神社】
垂仁天皇の御代に天日槍命が当地を開拓、奉持していた「八種の神宝」を「伊豆志八前大神」として祀ったとする社。「神名帳」には「伊豆志坐神社八座」と記載されるが、八種の神宝が八座となったもの。内訳は後述します。

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以下、これまで見て来た資料等をまとめてみることにします。
【出身国】
*垂仁天皇紀(別伝を含む) … 新羅
*応神天皇記 … 新羅
*播磨国風土記 … 韓国
*摂津国風土記 逸文 … 新羅
*筑前国風土記 逸文 … 高麗国の意呂山
*豊前国風土記 逸文 … 新羅
*垂仁天皇紀 一書 (都怒我阿羅斯等) … 加羅
*垂仁天皇紀 別伝 (都怒我阿羅斯等) … (記載無し)
*三国遺事 … 新羅
◎新羅から渡来したとするのが圧倒的に多く、また新羅王子であったとも。
【渡来時期】
*垂仁天皇紀(別伝を含む) … 垂仁朝三年
*応神天皇記 … 「昔」
*播磨国風土記 … 神代
*摂津国風土記 … 応神朝
*筑前国風土記 逸文 … 「昔」
*豊前国風土記 逸文 … (記載無し)
*垂仁天皇紀 別伝 (都怒我阿羅斯等) … (記載無し)
*三国遺事 … (記載無し)
【八種の神寳】
八種(七種または六種とも)の神寳を携え来日しますが、これは朝貢なのか服属没収されたのかは意見が分かれるところ。また記紀では内容が異なります。
◎垂仁天皇紀三年(七種)
羽太玉(はねふとのたま)
足高玉(あしたかのたま)
鵜鹿鹿赤石玉(うかかのあかしのたま)
出石小刀
出石鉾
日鏡
熊神籬(くまのひもろぎ)
◎垂仁天皇紀 別伝(八種)
葉細珠
足高珠
鵜鹿鹿赤石珠
出石刀子
出石槍
日鏡
熊神籬
胆狹桟大刀(いささのたち)
◎垂仁天皇紀八十八年(五種+一種)
*天日槍命の孫の清彦に対し天皇が神寳を見たいと告げる
羽太玉
足高玉
鵜鹿鹿赤石玉
日鏡
熊神籬
*別に「出石小刀」を清彦は隠し持つがばれて差し出す。その後流れて、淡路国三原郡の出石神社(未参拝)へ。
◎応神天皇記(八種)
珠二貫
浪振比礼(なみふるひれ)
浪切比礼
風振比礼
風切比礼
奥津鏡
辺津鏡
玉津宝
玉二貫
振浪比礼
印浪比礼
振風比礼
切風比礼
奥津鏡
辺津鏡
◎鏡・剣・玉の比重が大きく、これは天皇の神璽と類似、日本的発想の種々と考えられています。
◎天日槍が携えて来たという垂仁天皇三年紀には「出石鉾(槍)」が見えますが、孫の清彦に神宝を献上させた垂仁天皇八十八年にはそれらしきものが見えません。つまり「鉾(槍・矛)」は但馬に残ったと解されましょう。
【渡来神】
記紀では神とみなしていなかったり、葦原志許乎命には海に住めと言われたりと、どうやら歓迎はされていなかったようです。新羅や百済国を格下の国とみなしていた風潮もあったのかと。
それでも但馬国を中心に根を張ります。これは個人的な思量ですが、それまでの日本の「砂鉄採鉱文化」から、半島の「鉄鉱石採鉱文化」をもたらしたのではないかと。これについてはほとんど検証が行えておらず、今後の課題かと。
【兵主神と同神なのか】
「兵主神」については未だ自身の知見不足が現状。一般的な解釈として、中国の「蚩尤(しゆう)」という神(日本の神とは異なる)ではないかと考えられています。石や鉄を食べる神として描かれ、兵主神とみなされているようです。鉄製武器を発明したとも。
日本では一般的に葦原志許乎命(大国主命)が宛てられていますが、スサノオ神やアメノヒボコ神あるいは五十猛神というものも。「神名帳」に記載される「兵主神社」は全19社、うち但馬国が圧倒的に多く7社。但馬国に限って言えば「兵主神」は天日槍命とされています。
また「穴師社」とも密接に関連しています。これまで訪れた「兵主社」「穴師社」の思量から、個人的にはアメノヒボコ神ではないかと思う節もあります。
【金屋子神と同神なのか】
以下で詳述しています。
~*~*~*~*~*~*~*~*~*~
【総括】
◎神話そのものは北方系(蒙古系)「日光感精型」要素と、南方系「卵生型」要素が合わさった、高句麗の「朱蒙伝説」の流れを汲むものと上述。帰化系を名乗る氏族の祖神を語るには適したもの。
◎神話の構成は、前半が神秘性が高く、後半になるにつれ徐々に具現化されたものへと変わります。これは天日槍が日光を人態化した神で、
阿加流比賣はその神と交接する巫女であると解されます。いわゆる「神婚譚」であると。そして
阿加流比賣の「呪的逃走譚」へと話が変わっています。
◎神名「天之日矛」を分解すると、「天」(神聖な)+「日」(太陽)+「矛」となります。「天岩戸神話」に於いて、岩屋前で歌舞をした天宇受賣命が手にしていたのが「茅纏矟(ちまきのほこ)」。一書第一には「日矛」とあります。衰えた太陽の霊力を復活させるための呪力を持つ祭具。「天之日矛」という神名は正しくそのものと言えます。
またイザナギ・イザナミ神による国生み神話には、両神が「天沼矛」を海に突き立てコオロコオロとかき混ぜ…矛先から滴り落ちる海水からオノゴロ島が…あるように、国土の「開拓神話」にも使われたもの。これは天日矛が但馬を開拓したという伝承と奇しくも一致するもの。
◎文献上のボリュームは圧倒的に播磨国が多く伝わります。一方で神社伝承等のボリュームは但馬国が圧倒的に多く見られます。「但馬国風土記」はまったく現存しないため、実際には播磨国以上のボリュームがあったのだろうと推されます。したがって本貫地は但馬国、なかでも神宝そのものを御神体とする
出石神社の地であろうと思われます。播磨国へは後に勢力拡大を図ったものと考えます。
◎渡来系帰化人と名乗ってはいますが、神名や神宝から窺えるのは土着の日本人そのもの。おそらくは遠い神代の時代に渡来して来て、但馬国出石郡に住み着いていたものと考えます。
原始は
都怒我阿羅斯等という名であったのか、或いは崇神天皇の時代に渡来して来て一族に加わったのかは想像の域を出ません。
■系譜
◎紀によると、但馬国出石郡の太耳の娘 麻多烏(マタオ)を娶り但馬諸助(タヂマノモロスク)が生まれ、その諸助から日楢杵(ヒナラギ)、清彦(三代目)、田道間守(四代目)が生まれています。
◎記によると、多遅摩で俣尾(マタオ)の娘 前津耳を娶り多遅摩母呂須玖(タヂマノモロスク)を生まれ、母呂須玖から多遅摩斐泥(タヂマノヒネ、二代目)、多遅摩比那良岐(タヂマノヒナラキ、三代目)、そして多遅摩毛理(タヂマモリ)・多遅摩比多訶(タヂマノヒタカ)・清日子の三子が四代目、…(中略)… 息長帯比売命(神功皇后)。
◎「新撰姓氏録」には右京と左京神別にそれぞれ「三宅連」が後裔氏族としてみられます。他に大和国の「糸井連」も。
「三宅」はもちろん「屯倉」のことで、垂仁朝に設けられた直轄地。「糸井連」の拠点も現在の磯城郡三宅町。
◎関連記事
■祀られる神社(参拝済み社のみ)
*関連社(参拝済み社のみ)
[若狭国] 須可麻神社 … (記事未作成)
[摂津国] 比売碁曽神社 … (記事未作成)
[播磨国] 射楯兵主神社 … (記事未作成)
*相当数の漏れがあると思われます。発見次第、随時追加修正を施します。
*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。