お絵描き漂流記 抽象画との出会い -310ページ目

給食パンの行方

私が小学生だった頃の給食。


 

 三角パックの牛乳。

 

 先の割れたスプーン。


 長いコッペパンとジャムかバター。


 おかずで一番人気は、鯨のコハクあげでした。

(和歌山だったからでしょうか?)




 休んだ子がいると、牛乳やパンが残るので、

 ほしい生徒でじゃんけんをして勝った子が

 もらって帰りました。

 


 私もよくコッペパンをもらうために

 じゃんけんに参加していました。










・・・・といっても、自分がたべるのではありませんよ! 

第一、はずかしいじゃないですか。クラスでも体格のいい男の子たちに混じって、

パンのためにじゃんけんするなんて。 小学生ながら、女の子ですから。





 そのころ、うちには ノラという犬を飼っていて、

 j給食のバンが大好物でした。


 もちろん、私は、ノラのために

 恥ずかしいのをしのんで、じゃんけんに

 参加していたのです!


 でも・・・











 そんなノラも、いつの日か贅沢になって、

 給食のパンに

 見向きもしなくなりました。














それでも、私は、相変わらずじゃんけんに参加して、コッペパンをもらい続けていました。

ただ、恥ずかしいので




「やー、うちのノラが すっごいすきなのよね。このパン。」

というのを忘れませんでしたよ。 


おまけに、それを聞いて、犬好きな友達も

「ノラのために」

じゃんけんに参加してくれるものだから、

勝率むちゃくちゃ高かったです。










じゃあ、このパンは いったい誰のもとに行くのかというと、実は・・・・。







 そうです!じつは私の母が、このパンの大ファンで、

 「お願いだから、もらってきて~」というので 仕方なく。

 

 おまけに

 「マーマレードの日は、ジャムも頼む」とまで、

 付け足して・・・。 

 さすがに、ノラがジャム好きとは、いえないので

 あきらめてもらいましたけど!






大体から、コッペパンくらい、スーパーで買ってよ!って文句を言ったのですが、

実はこの頃、アンパンやメロンパン、チョコパンが全盛期で、確かに シンプルなコッペパンが

なかなか売っていなかったのも事実です。 なんだか、ふしぎな気がしますけどね・・・。

(終)

 

ナンバーで呼び合う台湾の小学生

子供たちが、台湾の現地の学校に通いだして、

2年たちました。 はじめはどうなることかと思った中国語も

今では、すっかり上手になり、私のほうが 子供たちに発音を直されたり、

単語を教えてもらいます。 


でも!すごく気になることがあります。

それは、台湾が成績至上主義だということ。 

テストはたくさんあり、なかでも 小学校1年生から、中間テスト、期末テストと

学期ごとに2回、つまり 一年に大きなテストが 4回あるのです。


子供たちは、テストの結果で一喜一憂。

クラスの中で、成績のいい子が尊敬される。。。そんな空気が

流れているようです。テストが終わると、「だれそれが、○点で、だれが○点で。。。」

と報告するので、ちょっと辟易しました。 


でも!最近、もっとおどろいたことには、次男(8歳)が 友達のテストの点を言ってるのを、よく聞いていると、



「14番が、96点、7番が、86点・・・」と、友達の名前を出席番号で、よんでいる!













そー言えば、先日も 郊外授業(遠足)で、牧場に行ったときのことを、私に話しているのを聞いていると、

「11番がね、かえるを池に逃がしてやってね、でも、アヒルのえさにしてたんだよ。11番、わるいよね。」

と、またまた、番号扱い。


これって失礼じゃないの? それで、「名前わからないの?」と聞いたら、ちゃんと名前も知っている。

ただ、名前でよぶのは面倒だから?じゃあニックネームはないの? 


小学校のクラスメイト同士で、番号で呼ぶのって、ものすごい違和感がありませんか?

ちなみに うちの子は、4ばんです。(野球の4番ならすごいんだけど・・・)


長男も、時々こういう呼び方をします。 こちらでは、あたりまえのことなんでしょうかね?

私は、子供たちが、クラスメイトを番号で呼ぶたびに、













こんな図を想像しそうになります。 それとも軍隊?・・・ううっっ。

やっぱり、名前とかニックネームで呼び合ってほしいなぁ。


(母)


親子の絆

今年で11歳、9歳になる二人の子供は、日本で出産しました。

台湾で産もうかと迷ったのですが、和歌山の実家から歩いて1分のところに、

いい産婦人科があったので、結局、2回とも、日本に帰って出産しました。


今でも忘れないのは、「あの痛み」。。。。1人めは十数時間の陣痛の末、やっと生まれた時は

私自身の体重が一日で、7キロ(子供が3キロ)減りましたから。


二人目のときは、気持ちにも余裕があって万事OKのはずだったのですが・・・


結局、台湾で働いている主人は、出産当日は間に合わなくて、

今回も実家の母がつきそってくれるこtになりました。



母も「二人目は楽よ~」

というので、気分的にも落ち着きました。

やっぱり、こういうときは、一番頼りになる

実家の母・・である・はずだったのですが・・・・。











さて、ついに陣痛が始まって、病院に泊まるためのかばんも用意。

病院の分娩控え室まで、歩いて向かいました。

(TVドラマでよく見る、「うっ。。。生まれる!!救急車を・・・」なんてのは、めったにないですよね。)

控え室に入ってからも、母と雑談したり、

余裕~でした。ま、ふたりめですから。。。


で、母も手持ち無沙汰なので、

入院する部屋を確かめて来るから、と

控え室を出て行きました。










ところが! 



その後10分もしない間に、陣痛波がおしよせたのです。


















・・・その後は、思い出すだけでも震え上がる、あの痛みが全身を襲って・・・・。

たとえるなら、・・・そう。これです。これ、↓



陣痛の波がきてから、赤ちゃんが生まれるまで、まさに30分のスピード出産でした。

一回めの経験とは、余りにも違う、この速度。

それにしても、看護婦さんって、どうしてこうも てきぱきしているのか?




「ハイ、いっちょあがり!」って感じで、

実務をてきぱきとこなす・・・。

ま、毎日、おんなじシーンを何十回も見ていたら、

いちいち感動してたら体が持ちません。


さて、さっさと病室に移動しなければ。

ところが・・・














そう、さっきまで付き添っていたはずの母が、

未だ現れず・・・。











「てきぱき」の看護婦さんは、病院中に響き渡るような大声で叫びました。






 私は、結局誰にも見守られず、一人で出産を

 終えました。 ふつー、家族が分娩室の外でまってて、

 出てきたら、おめでとう!がんばったね!

 ってむかえてくれるんでしょう?










そのとき、私の母は、一体何をしていたかというと・・・。





 入院する個室のチェックをしていたそうです。 

 おまけに、

 他の部屋まで覗いてくらべていたらしい。 

 後から、顔をだした母は、

 「あ、うまれた?おめでとう!」

 と、あっさりしたものでした。


 看護婦さんも、あっさりしてるけど、

 自分の孫の誕生に、あまりにも

 淡白な母・・・・。親子の絆ってこういうときこそ、

 確信しますよね・・・。