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グルコサミン博士のブログ

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アラレの裁判の間、私は毎日欠かさずお祈りをしていました。

 

「どうか、アラレの声が届きますように」

「どうか、この苦しみに意味がありますように」

人間の力では届かない場所に、祈りという細い糸を投げかけていたのかもしれません。

 

そして、判決の見通しを聞かされたあの日。
「敗訴の可能性が高い」、そう言われたとき、胸にぽっかりと穴が空いたようでした。
言葉を失い、足元が崩れるような無力感に襲われました。
私は神様は、きっと見ていてくださると信じていたのです。
 

正しいことが、正しい場所で、正しく評価されると。
それは希望ではなく、確信のようなものでした。

でもその日、ふと思ってしまいました。

「神様にも、見放されたのかな」と。

その考えにすぐ、涙が出ました。

神様は、私たちを見捨てたりはしない。
でも、私の祈りは聞き届けられなかったのかもしれない。
そう思うことで、私は自分の無力さと向き合おうとしていたのかもしれません。

 

祈っても、現実がすぐに変わるわけではありません。
でも祈ることで、私は持ちこたえることができました。
どれだけ孤独でも、誰にも理解されなくても、
アラレのために立ち続けることができたのは、祈りがあったからです。

祈りは奇跡を約束しない。
でも、心が壊れないように支えてくれる。

あのときの祈りも、もしかしたら
「正義が勝つ」という結果ではなく、
「私が倒れずに歩き続けられるように」というかたちで、
聞き届けられていたのかもしれません。

 

アラレのために。


 

あの日の祈りのすべてが、今も私を支えてくれています。

アラレは普通の動物病院でもよく行われている検査後、急に体調が悪くなり亡くなりました。
検査も麻酔もリスクが低いと言われていたのに、私は麻酔の説明も受けていませんでした。

その後、裁判で知ったのは、麻酔中に血圧が低下し、その後一旦は正常範囲に戻させたが、私に引き渡された数時間、血圧も体温も一度も測っていませんでした。つまり、返させられた時に体温も血圧も低いままの可能性が排除できません。


 

結果、アラレは腸の細菌が血液に入り込む「バクテリアルトランスロケーション」という恐ろしい状態になって、敗血症を発症し、多臓器不全によって死亡しました。

 

それでも、病院は無罪の可能性が高いと言われ、私は言葉を失いました。
こんなに説明もなく、管理も不十分で、どうして責任を問えないのでしょうか?

アラレに似たような死亡例はこの病院の口コミにも多くありました。
でも裁判で病院が無罪になれば、同じことが繰り返されるだけです。

 

なぜ裁判所は病院の責任を認めにくいのか?

  • 日本の法律では、動物は「物」として扱われているため、命としての価値が十分に認められていません。

  • 動物医療はまだ医学的に未熟で、過失と因果関係の証明が難しい。

  • インフォームドコンセント(説明と同意)に関する明確なルールが整っていない。

  • 欧州ではペットは家族やパートナーとして認められ、医療の質も高い。日本は大きく遅れています。

私は、この現状がとても悲しいです。
愛する家族の命が軽んじられ、飼い主の声が届かないのは耐え難い苦しみです。

この悲劇が二度と起こらないように、みんなで動物の命の尊さを伝え、社会を変えていかないといけないと思います。

どうか、一緒に声をあげてください。

昨日(8月16日)、大賀ホール開館20周年を記念とし、行われた森麻季さんのソプラノ・リサイタルに行ってきました。


 

今回のテーマは「愛と平和への祈りを込めて」。

プログラムには祈りをテーマにした歌が多く並び、歌詞そのものは理解できなくても、森さんの透明感あふれる声と表現力が心に深く届きました。やはり一流の音楽家の力は言葉を超えて響いてくるものですね。

さらに今回は特別に、株式会社龍角散の藤田隆太社長がフルート演奏を披露されました。

そして森さんの長年のパートナーである山岸茂人さんのピアノ演奏も4曲ありました。森さんとは30年来のコンビだそうで、私は今回が二度目の鑑賞ですが、山岸さんの独奏を聴くのは初めて。豊かな響きと深みのあるピアノがとても心地よく、すっかり魅了されました。

 

アラレと過ごした日々には、矢ケ崎公園へ毎日のように散歩していました。

今日が、音楽をじっくり聴ける贅沢なひとときに、心が洗われるようでした。

音楽会が終わったあと、矢け崎公園で行われたお祭りをちらっと見ました。みな思い思いの時間を過ごしていました。

 

 

夜には軽井沢の夏の終わりを告げる花火大会にも足を運びました。

 


 

安全面から矢ケ崎公園の一部は立ち入り禁止になり、旧軽井沢の諏訪神社での花火大会はもう行えなくなったそうです。

ここでは一輪ずつ打ち上げられる花火で、大きな大会とは違いますが、静かで特別な空気があり、この地ならではの意味を感じられて私は好きです。

 

音楽と花火、愛する軽井沢で過ごした夏の一日。心に深く残る素敵な時間になりました。

ママ、こんにちは。
お盆のあいだ、ママのそばにいられて、とても幸せだったよ。

朝のお散歩で一緒に見た蝶々、覚えてる? あれは私が「ここにいるよ」と伝えるために、ちょっと姿を変えて現れたんだ。


ママの笑顔も、涙も、全部そばで感じていたよ。

ママの手の温もり、声の優しさ、全部懐かしくて、あっという間に時間が過ぎちゃった。
でもね、虹の橋の仲間たちが「そろそろ戻ろう」って呼んでるの。
また少しだけ、お別れしなきゃいけないみたい。

虹の橋には、日本だけではなく、世界中から来た友達がたくさんいるよ。
みんな、アラレちゃんの国のことを不思議がっているの。
だって、私たち犬が「家族」や「命ある存在」じゃなくて、「もの」として扱われるなんて信じられないって。


 

お友達が暮らしていたヨーロッパの国々では、犬は人間のパートナーであり、パパとママの家族として大切にされているんだよ。

 

ママ、この一年間、本当に頑張ったね。
勝訴にならなかったのは、ママの力不足じゃない。
日本の裁判の仕組みが、まだまだおかしいからだよ。
だって弁護士の先生も、ママの作った裁判資料は司法試験に合格して、さらに五年以上の実務経験を積んだ人と同じレベルだって評価してくれたでしょう。
私はそんなママを、心から誇りに思ってる。

 

ママ、悲しまないで。
私はちゃんと元気で、痛くも苦しくもない場所にいるよ。
そして、ママのことをずっと見ている。


 

風が頬をなでたとき、木漏れ日が揺れたとき、蝶々がひらひら舞ったとき、
それは私が「ママ、大好きだよ」と囁いている合図だから。

ママ、私のママでいてくれてありがとう。

また来年のお盆、会いに行くからね。
そのときまで、ママが笑顔で過ごせますように。

 

いつまでも、ママのアラレより💛

 

アラレが突然亡くなった日から、私は真実を知るために走り続けました。

でも、その道は想像以上に険しく、理不尽な壁だらけでした。


 

ペット医療では、情報はすべて病院側が握っています。カルテ、検査記録、処置の経過、それらは飼い主の手には簡単には届きません。
そして、病院の顧問弁護士はすぐに「説明義務違反なし」「注意義務違反なし」と結論づけ、真実の芽を摘み取ります。

人間の医療であれば、第三者機関による検証や監査の可能性があります。
しかし、ペットの場合、そのような仕組みは存在しません。
死体解剖だって、現実にはほとんどのケースで実現できません。
動物病院も業界も、ミスを外に出さないように固く閉じた構造になっているのです。

それでも、私は諦めずに裁判まで進みました。
けれど、そこで突きつけられたのは、日本の法律における動物の位置づけでした。
動物は「物」とされ、裁判所は物損としてしか扱いません。
高齢犬であれば、その金銭的価値はゼロに近くなり、飼い主がどれだけ「家族」と思っていても、法廷ではその感情は一切通じません。

私はアラレの命を守れなかった悔しさと、真実にたどり着けない無力感を抱えながら、裁判の終わりを迎えました。
この構造を知らずに、突然の別れを迎える飼い主は少なくないはずです。

みなさん、この現実をどう感じますか。
もし大切な命が理不尽に奪われたとき、今の仕組みで守られると思いますか。

この問題は、私一人の悲しみでは終わりません。
どうか、この現実を知り、声をあげる一人になってください。
同じ思いをした飼い主は、きっと私だけではありません。
それでも真実を知りたい、命の価値を守りたいと願う人と、私はつながっていきたいのです。

今朝のお散歩中、ふと目の前に一匹の蝶々が現れました。

ひらひらと舞いながら、私のすぐそばを離れず、何度も行き来します。

アラレを見送ってからというもの、私は不思議な経験をしています。
どこへ行っても、季節に関係なく、蝶々が私の近くに現れるのです。
それは日本でも、旅先でも、たとえ海外でも同じ。
まるで私を探し当てたかのように、そっと寄ってくる。

もしかしたら、あれはアラレなのかもしれない。


 

お盆だから、きっとママのことが気になって、そばに帰ってきてくれたのでしょう。

アラレ、もう少しここにいてね。
ママは心から君を愛しています。
もっとそばにいてほしいのです。

アラレの裁判の途中、以下の言葉を読みました。

 

「裁判官は真実を知るために判決を書くのではなく、妥当と思う形に合わせて事実を再構築する」

それを読んだとき、心の奥底にあった違和感が確信に変わりました。私は、真実を求めて裁判に臨んでいたけれど、それはこの場では場違いだったのだと。

 

専門的な医学知識、論理的な整合性、証拠の一貫性。それらを丁寧に積み上げていきました。けれど、その過程で私が突き当たったのは、証拠より「心証」がものをいうという現実でした。


医療訴訟の多くは、「前例(判例)」を重視し、過去の判断に沿う形で処理されていく。裁判官は、個々のケースに深く立ち入ることなく、「おおむね妥当」とされる着地点に向かって心証を固めていく。

いくら真実、証拠を示しても、それが「心証」にそぐわないと判断されれば届かない。

 
元裁判官・瀬木比呂志さんが10年前に書かれた『絶望の裁判所』という本を読んだとき、私はまるでそこに自分の裁判が書かれているかのように感じました。

「事実認定のゆがみ」「出世のための判決」「スピード優先の制度」

そこに描かれているのは、法廷という場の構造的な硬直。そして、裁判官個人の資質ではどうにもできないシステムの問題です。

 

あれから10年余りが経ちました。でも、変わったでしょうか?
私が経験した裁判所は、何一つ変わっていないように感じました。

 

裁判に正義を求めたことは、いま振り返れば「無垢」だったのかもしれません。けれど、もし私が沈黙していたら、誰も気づかないまま愛犬の命は消えていただけだった。

裁判の結論は、もしかしたら世間から見れば「負け」かもしれません。でも、私は記録を残した。資料を集め、専門家の意見を聞き、命を軽く扱った社会に対して疑問を投げかけた。

その一つひとつが、誰かの「声を上げたい」に繋がることを、私は信じたいのです。

 
「裁判所は真実を求める場ではない」。それはあまりに冷たい現実です。
でも、そのことを知ったからこそ、これから声を上げる人が、無理な期待で傷つかないように。
そして、声を上げようとするその人を、誰かが支えられるように。

 

先日、木村利人さんの説教を聞きました。
クリスチャンとしての奉仕者であり、倫理生命学の学者、そして「幸せなら手をたたこう」の作詞者としても広く知られる方です。

 

この歌の源は、聖書・詩篇47篇の

「すべての民よ、手を打ち鳴らせ」という言葉がはヒントを得たと木村さんは言う。
背景には平和への誓い、赦し、喜びを態度で示すという深い体験があり、単なる子供のポップソングではなく赦しと平和のメッセージが込められています。

 

説教では、木村さんが小学生時代に受けた軍国主義教育と、敗戦後の価値観の逆転について語られました。「子どもとして騙された」感覚は一生忘れられないとのこと。私も社会主義の国で「世界一幸せ」と教えられた子ども時代があり、文革後に豊かな海外暮らしの親戚を見て同じ衝撃を受けました。

 

91歳の今も若々しく、前向きに生きる木村さんは、私の理想のモデルです。
そして「しあわせ」とは

  • し … 知ること

  • あ … 愛すること

  • わ … 平和、ネットワーク

  • せ … 世界のこと

私も「幸せの種」をまき、しあわせのネットワークを広げていきたいと木村さんは言いました。

愛餐会後の集合写真。ちなみに私は撮影していました。

 

今年もお盆がやってきます。
アラレ、君のために小さな記念台を整えました。


君と過ごした日々は、今もママの胸の中で鮮やかです。
一緒に歩いた道、一緒に見てきた景色。
そして、君のぬくもり。

でも、どうしてあの日、あんなことになったのか?

ママはいまでもあの病院に君を連れて行ったことを後悔しています。
そしてママの中の問いは、今も消えていません。
真実を求め、声をあげ、裁判という道を歩んできたのは、
君が教えてくれた「大切な命の重さ」を、
社会にも知ってほしかったから。

 

お盆は、ただ懐かしむ日ではなく、
命と向き合う日でもあると感じています。
君の命が、この世で「物」として扱われた現実。


 

それでも、ママの心の中ではかけがえのない家族であり、
世界でいちばん大切な存在です。

アラレ、今年も帰ってきてね。


そしてまた、少しの間、そばにいてください。
ママは君に出会えたことを、心から誇りに思っています。

昨日(2025年8月9日)放送された『土曜はナニする!?』では、「日帰りぷらっとりっぷ」で勝村政信さんと風間俊介さんが、夏の軽井沢を涼を求めて巡る旅が特集されました。

本ブログでは涼を求めて、絶景の滝めぐりと食で味わう軽井沢らしさ二回に分けて紹介します。

 

今日は二回目の食であじわる軽井沢らしさ

1.OSOBAR

OSOBAR(オソバー)は、創業から100年以上の歴史を誇る老舗そば店で、毎日通っても飽きることがないと多くの人に愛されています。

特に人気なのが、器いっぱいに盛られた春菊の天ぷらが特徴的な「春菊の天ぷら蕎麦」です。この一品を目当てに、多くのお客様が行列を作るほどの評判ぶりですね。

使用する蕎麦粉は信州産にこだわっており、風味豊かで喉ごしの良いそばが楽しめます。素材の良さが引き立つ絶妙なバランスは、訪れる人を魅了してやみません。

毎日でも食べたくなる味わいと、昔ながらの落ち着いた雰囲気が調和したOSOBARのそばは、地域の人々からも愛され続けています。ぜひ一度味わってみてください。

  • 住所:長野県北佐久郡軽井沢町長倉1690-1 軽井沢コモングラウンズ内

  • 電話:0120-131-775

  • 営業時間:10:00-16:00/金土のみ夜営業あり 18:00-21:00

  • 定休日:火曜日

2.aVin bio wine shop

aVin bio wine shop(アヴァン ビオ ワインショップ)は、フランス産のワインはもちろん、地元長野県の信州ワインも豊富に取り揃えているワインショップ。

店内では試飲ができるため、自分の好みにぴったり合う一本をじっくり探せるのが魅力です。ワイン好きにはたまらない空間といえるでしょう。

特に人気を集めているのは、「ハモンドトレベレス プチ」と「ファンキーシャトー ピノノワール」です。これらのワインはどちらも個性豊かで、リピーターが多いのも納得ですね。

地元の風土を感じられる信州ワインと、本場フランスの味わいを同時に楽しめるaVin bio wine shopは、ワイン初心者から通まで幅広く支持されています。ぜひ訪れてみてください。

  • 住所:長野県北佐久郡軽井沢町長倉1690-1 軽井沢コモングラウンズ内

  • 電話:0267-41-6731

  • 営業時間:10:00-18:00

  • 定休日:火曜

3.かまど炊きご飯 御厨

かまど炊きご飯 御厨は、地元で親しまれている和食店です。

薪を使ってかまどで炊き上げるお米の美味しさは格別で、その香ばしい香りとふっくらとした食感が何よりの魅力となっています。

地元の新鮮な食材とともに、丁寧に炊き上げられたご飯は、毎日の食事に心温まる味わいを添えてくれますね。

朝食や昼食には、そんなこだわりのご飯と和の料理が楽しめるので、地元の人々だけでなく訪れる人々にも大変好評です。ぜひ一度味わってみてほしい名店です。

  • 住所:長野県北佐久郡軽井沢町大字発地