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皆さま、こんにちは!

 

アメブロでは今、

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夏の思い出をブログにUPし、

部門ごとの優秀作品に選出されると

ドットマネーがもらえるんですって。

 

それならと、自分もこの夏を振り返ってみたのですが…

ラジオ体操以外に夏らしいことした記憶がない。

オッサンの夏なんてそんなものですよね。

 

その代わりと言っちゃなんですけど

真夏の駅は周りました。

今日はその中から、7月に訪れたばかりの

磐越西線・翁島(おきなしま)駅の訪問記です。

磐越西線翁島駅の簡易駅舎外観

翁島駅は磐越西線の前身である岩越鉄道の手により

明治32年に開業した駅でした。

岩越鉄道は開通当初から国鉄と同じ1067ミリ軌間で、

明治39年に国有化されたのちも

線形を大きく変えぬまま現在に至ってます。

 

当の翁島駅ですが

昭和58年までは開業当時の木造駅舎が使われていたらしく。

今あるの駅舎は昭和58年に無人化された直後に竣工した

簡易駅舎(待合所)でした。

それを記す建物財産標が貼られてましたよ。

翁島駅の昭和58年建物財産標

そんな翁島駅でしたが

実はスゴイ歴史の持ち主でして…

 

猪苗代湖の周辺に皇族の避暑地があることから

お召列車がたびたび発着していたのも驚きですが、

このお方も翁島駅を利用されたそうです。

猪苗代町出身の医学博士、野口英世先生でした。

翁島駅の野口英世ゆかりの案内看板

かつては千円札の肖像画にもなってた野口英世先生を

皆さんご存知ですよね?

我ら宮城県民は小学生の修学旅行の際に

猪苗代町内にある野口英世記念館に立ち寄るので

み~んな知ってます。

そのの野口英世先生が大正4年に翁島駅に降り立ったんですって。

 

案内看板に写る翁島駅と同じ向きで写真を撮ってみました。

磐越西線猿島駅の駅舎と駐車場

野口英世先生がこの地に立ったのは

今から110年も前のことですけど、

背景の景色がほとんど変わっていないことがわかりますよね。

 

先生が大正4年に帰郷したのは

実母と面会することが目的だったそうです。

この時の先生の御年は39歳。

その後は研究のために日本を離れ

再び帰国することなく51歳に生涯を終えました。

 

大正4年に先生が帰郷した時に残された文字が

駅前の石碑に刻まれてましたよ。

日頃から忍耐が足りない自分にとって

この言葉は重いなぁ…

翁島駅開業80周年記念石碑

翁島駅に着いて早々

野口英世先生のエピソードが心に刻まれましたが、

自分がここに来た目的は

先生ではなく翁島駅を知るためです。

それでは構内を覗いてみましょう。

 

まずは待合室の様子からです。

磐越西線翁島駅の無人駅舎外観

先にも書きました通り

今ある駅舎は昭和58年に竣工した簡易駅舎で、

待合室と駅便(駅の便所)を一体化した仕様でした。

 

待合室内はこんな感じです。

翁島駅の待合室入り口の様子

翁島駅待合室のベンチと案内掲示板

特記すべき点は特になさそうな感じ。

JR東日本エリアではよく見る造りですよね。

 

続いてはホームにイン。

翁島駅は列車の行き違いが可能な相対式ホーム2面2線構造でした。

翁島駅の相対式ホームと構内踏切風景<

磐越西線翁島駅のホーム風景と駅舎

 

2本のホームは構内踏切で結ばれてましたよ。

磐越西線翁島駅の構内踏切風景

 

その構内踏切のそばには

列車の通過を知らせる注意喚起の看板が掲げられてました。

磐越西線翁島駅の列車通過注意看板

看板には719系「フルーティアふくしま」が描かれてます。

2年前に引退した観光列車ですけど

コレを見て舞い上がっちゃうのは自分だけではありませんよね?

 

それと磐越西線(電化区間)の列車の主体は

現在はE721系の2両もしくは4両編成ですが、

719系6両編成時代の停車目標がホームに今も残されてました。

磐越西線翁島駅のホーム停車目標数字

ぜひ足元にも注目くだされ。

 

駅舎寄りのホームに新しい待合所が出来た?

と思いましたら立ち入りが出来ない機械室でした。

磐越西線翁島駅の機械室外観

このタイプの機械室は磐越西線の駅で増殖中でしたよ。

 

下り線のホームの先にある四角い基礎は

タブレットキャッチャーの痕跡かな?

磐越西線翁島駅の片面使用ホーム風景

 

対面側にある上り線ホームには

戦前の建築物と思われる待合室があります。

翁島駅の磐越西線ホーム機械室外観

シャッターがある手前側が除雪用具置場で奥が待合室でした。

 

野口英世先生は大正4年に帰郷した際に

磐越西線(当時は岩越鉄道)の列車に乗って翁島駅に来たことが

案内看板に書かれてましたが

帰りも列車に乗られたのかな?

だとしたら、このベンチに腰を下ろされたのかも…

翁島駅の待合室内の風景

そんなことを思いながら待合室で過ごしてましたよ。

 

上り線ホームの裏側には保線車両の留置線があります。

磐越西線翁島駅の保線車両留置線風景

現在は片面のみが使用されてる上り線ホームでしたが

国鉄時代は島式ホームで

貨車の留置等で使われていた時代がありました。

 

下は国土地理院のサイトに掲載された昭和51年撮影の航空写真ですが、

この頃はまだ線路が残されていた様子がわかりますよね。

磐越西線翁島駅の航空写真

 

現在は線路は撤去済でしたが、

上り線ホームの裏側に

かつてホームだった痕跡が今も残されてましたよ。

磐越西線保線車両と緑の風景

さてさて、このホームにはちょっとした謎を抱えてまして…

(あくまでも個人的な憶測ですが)

 

下の昭和21年に撮影された航空写真を見てください。

翁島駅周辺の昭和時代の航空写真

何やら怪しげなモノが写ってませんかね?

 

この頃の翁島駅は

ホームの北側に2本の側線が伸びてたようですが、

更にその奥を見ると軌道とホームっぽいモノが

写ってるように見えます。

磐越西線翁島駅の昭和21年頃航空写真

コレって何だと思います?

最初は馬車鉄道のような簡素な軌道かと思いましたが

翁島駅から軌道が分岐していた記録は見当たりません。

 

この軌道らしきモノは

現在の国民宿舎「さぎの湯」の手前辺りまで辿ることが出来ますけど、

これは単なる道路なのかそれとも軌道跡なのか…?

翁島駅と軌道跡の昭和21年航空写真

このルートは現在は道路になってます。

沿道には「開拓の日」がありますので

それに関わった交通手段なのかもしれません。

コレの正体をご存知の方はいらっしゃいませんかね?

 

話を駅舎に戻します。

翁島駅の現在の駅舎に変わる前の先代駅舎ですが

皇族が利用するための貴賓室を備えていたそうです。

昭和58年に刊行された「国鉄全線各駅停車 東北530駅」によると

刊行された時点で解体中との記載があり

現存してないと思ってました。

ところがその後に近隣に移設され、

レストランの建物として使われてるらしいのですよ。

 

こりゃ見ないわけにはいきませんね。

翁島駅の旧木造駅舎と駐車場風景

その様子は長くなりましたので次回に続きます。

 

続きもチェックくださいませ。

 

 

 

 

 

 

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磐越西線

 

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