◆ 火吹く人たちの神 ~49







垂仁天皇の皇子、第二弾が放たれます。

神名からはこれ以上というのもなかなか無いであろう、製鉄鍛冶皇子「鐸石別命(ヌテイシワケノミコト)

初めて本書を手にしたおよそ20年前
「鐸」などという字を見ただけで、それはもう…ドキドキ!ワクワク!が止まらないものとなりました。

谷川健一師匠のせいで…。




第二部 古代社会の原像をもとめて
第一章 垂仁帝の皇子たち



 備前・播磨・大和━━鐸石別の末裔の足跡

今回は垂仁天皇の皇子たちの一柱として、鐸石別命(ヌテイシワケノミコト)が登場します。母は渟葉田瓊入媛(ヌバタニイリヒメ)。皇后となった日葉酢媛を始め、四姉妹(記では三姉妹)が丹後より迎えられました。その次女が渟葉田瓊入媛。鐸石別命は渟葉田瓊入媛との第一子。

前日に記事を上げておりますので、詳細はそちらにて。



鐸石別と銅鐸

神名の「鐸」は「古語拾遺」によると、「サナキ」と訓み「鉄鐸」を意味するとしています。
その書が編纂された平安時代には既に銅鐸に就いての記憶がまったく失われていました。「サナキ」と呼ばれる地名から銅鐸が出土している例が多く見られることから、「サナキ」は元々「銅鐸」を意味していたのであろうとしています。

鐸石別の裔には和気清麻呂がいます。「宇佐八幡宮神託事件」で道鏡を排除したことで広く知られる人物。彼の本姓は「磐梨別公(イハナシワケノキミ)」。

第38回の記事でも触れていますが、「播磨国風土記」には、和気氏一族ではないかとされる「別部(ワケベ)の犬」という者が播磨国讃容郡(さよのこほり)の「鹿庭山(かにはやま)」付近で砂鉄を発見し、子孫が朝廷に献ったと記載があります。

和気氏も同族の石成氏(イハナシウジ)も金属精錬に関する氏族であったことが窺えます。また和気氏の本拠である備前国磐梨郡(本書では「石生郡」と表記)からは銅鐸が出土。

[備前国和気郡] 和気神社
鐸石別命を主祭神とし、配祀神として和気清麻呂やその近親者を祀る。*画像はWikiより



◎大和国山邊郡「石成郷」

「和名抄」は大和国山邊郡にかつて「石成郷(いしなりごう)」があったと伝えています。「大日本地名辞書」は「今山辺村大字布留及び其山中の古名なるべし、石上神宮の石成神社参考すべし。備前国磐梨より蛇(おろち)の麁正神(アラマサノカミ)を此に移したるに因り、其名出しならん。以之以波(いしいは)、古言相同じ」

「蛇の麁正」というのはスサノオ神が八岐大蛇を退治した時の剣の名。紀には「此は今、石上に坐す」とあるものの、一書 第三に「今、吉備の神部(かむとも)の許に在り」との記述があることから、「石上」とは大和の石上神宮ではなく、備前国赤坂郡の石上布都魂神社の可能性があります。


この剣は先に石上布都魂神社へ鎮まり、後に石上神宮へ遷されました。これは両社ともに肯定していること。ただしその時期は崇神天皇の御代、仁徳天皇の御代と、2説あります。


鎮座地名は現在の赤磐市「石上」。谷川健一氏はかつてこの地も磐梨郡に属していたとみなしています。こちらはもと「平岡庄」と呼ばれた山谷で、この谷を「旭川」の支流に沿って5kmほど下ると、銅鉱を出す「伊田山」があると「地名辞書」は伝えているとのこと。


[備前国赤坂郡] 石上布都魂神社 本宮

磐座に布都魂大神が降臨したとされる。




一方で大和国山邊郡の「石成郷」は詳細地不明。大和の郷土史に詳しい乾健治氏によると、「布留川」を遡り桃尾の滝の手前に鎮座する石上神社が「石成神社」ではないかとしているようです。そして「石成郷」の鎮守ではないかと。

石上神社の存在を初めて知ったのは本書なのでしょうが、当社のあらゆる顕彰資料、そして30~40度ほどは拝したでしょうか、その現地の体感から既に私の中では、「大和で最も身近で偉大な聖地」となっております。


[大和国山邊郡] 石上神社




この地には人の心を狂わせ魅了するほどの伝承があります。「日の谷の八大竜王」の伝承。
斯く言う私自身も、その伝承を探るため山中で遭難し、絶命寸前の窮地に追い込まれました。いくつかの悲運と無思慮が重なったのがその原因なのですが…。当日はこの偉大なる聖地でなら絶命を厭わないとまで思ったものです。

その伝承とやらを紹介しておきます。多くの媒体を通じて紹介されていますが、本書で紹介されているものをそのまま掲載します。

━━むかし、出雲国のひの川に住んでいた八岐大蛇は一つの身に八つの頭と尾とをもっていた。スサノオ命がこれを八つに切り落した。大蛇は八つの身に八つの頭がとりつき、八つの小蛇となって天へ昇り、水雷神と化した。そして天のむら雲の神剣に従って大和国の布留川の川上にある日の谷に臨降し、八大竜王となった。今そこを八つ岩という。天武天皇の時、布留に物部邑智(モノノベノオウチ)という神主があった。ある夜夢を見た。八つの竜が八つの頭を出して、一つの神剣を守って出雲国から八重雲にのって光を放ちつつ布留山の奧へ飛んできて山の中に落ちた。邑智は夢に教えられた場所にくると、一つの岩を中心にして神剣が刺してあり、八つの岩ははじけていた━━

混乱が生じてしまっています。


龍王神社 「布留山」の「日の谷」山中に鎮座


以上から備前から播磨へ、そして大和へと鉄や銅の精錬に従事した人たちの移動の足跡が辿られるとしています。

谷川健一氏は大和国山邊郡「石上」から銅鐸が二体出土していることも意味深いと。鐸石別命の末裔が、本国の「和気郷」(磐梨郷)に於いても、播磨の「安師(あなし)(須賀沢)に於いても、また大和の「石上」に於いても、銅鐸の製造と関わり合っていたのではないかと推量させる事実であるとしています。

いやいや…これはおかしい。明らかな間違い。
銅鐸が製造されたのは鐸石別命より前の時代のこと。銅鐸の製造は弥生時代であり、鐸石別命が生きた時代は古墳時代。完全に逆。
銅鐸を製造していた部族の末裔に、鐸石別命が関わったということなのであろうと思います。


[大和国山邊郡] 石上銅鐸出土地 
二体の銅鐸が出土。すぐ近くには第24代仁賢天皇の「石上廣高宮」が営まれた。




ところで…
本書には取り上げられていない、もう1箇所大変に重要な鐸石別命の足跡を紹介しておかねばならない…と私の良心が申しております。

河内国大県郡に鎮座する鐸比古鐸比賣神社。式内比定社でもあり、なぜこれほどのお社が抜け落ちたのか理解に苦しみます。

社名通りに御祭神である「鐸比古大神」は、鐸石別命のこと。「ヒメヒコ制」でヒメ神も祀られています。

鎮座地の「大県郡(おほあがたのこほり)」は、大和国内及び周辺で唯一といってもよい製鉄地帯。「たたら製鉄」に不可欠な「風」を起こす「龍田大神」が鎮まり、その西側にあたる「大県郡」に金山彦神社金山媛神社天湯川田神社宿奈川田神社と、いずれも鍛冶製鉄神を祀る式内社が密集します。
「大県郡」は生駒山麓の南端に位置しますが、北側の高安郡及び周辺にかけても鍛冶製鉄が盛大に行われていたとされます。高安郡の西側麓にあたる渋川郡から銅鐸が出土しています(跡部遺跡)


[河内国大県郡] 鐸比古鐸比賣神社の一の鳥居
背後の「]高尾山に奥宮が鎮座し、巨大岩盤と磐座らしきものが見受けられる。





今回はここまで。

鐸石別命がその神名から、鍛冶製鉄に関わることは当然のこと。「鉄」よりも「銅」に関連が強いのかもしれません。

次回は「鉄の皇子」というイメージしかない、あの神に進みます。



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