日記:『未熟だから』と諦める前に
僕は、23歳から整体師をして、36歳で世界資産家に出会い、精神的領域や多岐に渡り人を良くする技術を学んで合計20年以上、人のケアに携わってるってことになります。それでも、上には上がいますのでね。世界資産家のお師匠は、その人の人生をものの数秒で本人以上に見抜くし、こっちがどれだけ目を凝らしても気づけない無意識をさらりと分析されるし、正直、一生かかっても追いつける気はしません。でも、もしかして、セラピストや治療家やカウンセラーとかで、「自分なんて大して実力ないし」などと、自己卑下してる人がいたら、そりゃもったいことです。そういう僕も23歳の頃、その悩みに本気でぶつかったことがありました。新卒社会人で、社会のことも知らないし、大人の会話もよくわからないし、整体師といっても身体のことも整体のこともよくわからないし。周りは、自分よりできる人しかいない。そんな時に、自分より凄い人たちがいるんだから、自分なんかが人のケアをしようなんておこがましんじゃないかって、心底、思いました。だって、いくら努力しても、1年修業したところで24歳でしょ?患者のおばあちゃん達から見たら、いくつになっても「まだ若い」のですから。(笑い話ですが、80歳のおばあちゃんが70歳のおばあちゃんに「あんたまだ若いのに」と言うのをみて「人はいくつになっても若いんだな」と思いました)こういう、自身の未熟さに対する「負い目」っていうのは、どの職業でもあると思うんですね。キャリアを築くには年数がいります。でも、そんなの関係ないんです。僕が当時、気づいたのは「それでも僕の前に現れるクライアントはいる」わけで、自分が請け負う人ってのがいるわけです。世の中に凄い人がいるかもしれないけど、全員がその人に出会うわけじゃない。仮に目の前で人が倒れたときに、必要なのは、医者である自分ではなく「とにかく何かしようとする自分」なんです。僕の整体の師匠は、『治療家は、目の前に患者がきたら「何かすること」なんだよ』とよく言ってましたが、今は身に染みてわかります。それに自分が「何かできるようになるまで」待ってたら、おじいちゃんになるまで何もできません。だから、いつだって未熟の全力でいくことですね。自分なんて凄くなくていいから堂々といくんです。「自分なんてできない」ことなんて、いくつになっても変わりゃしません。でも、目の前には自分が力になるべき人はいる。役割は誰にでもある。かといって、できない自分のままでは、満足に力にはなれない。だから、自分より凄い人に学ぶんです。自分が凄くなろうと思って世界資産家に学ぶわけじゃなくてね。凄くないから学ぶんでしょう。矛盾してるようですが、僕は一生凄くなろうなんて思わないかな。