エゴが最も分かりやすく姿を現す、日常的な事例を挙げてみましょう。


ただし、これらの事例が悪い行動というわけではなく、人間が持つ「過去の記憶に基づく機械的な反応」に過ぎません。


「あぁ、自分も全く同じことをやっている」と苦笑する程度に眺めてみましょう。


エゴは常に「自分が価値ある存在だ」と確認したがり、傷つくことを極端に恐れます。


例えば、よくいわれる、SNSで自分の投稿に「いいね」が何個ついたかを何度も確認し、少ないと落ち込む行為。これは他者の評価によって自分の存在を確かめようとするエゴの典型です。

また、会話の中で相手が自分の意見に少しでも反対したとき、ムッとして「いや、でもね」と即座に反論し、自分の正しさを証明しようとヒートアップする状態。これも、自分の観念(私)が否定される恐怖から身を守るためのエゴの防衛反応です。

さらに、誰かが成功した話を聞いたときに、「運が良かっただけだ」「自分の方がもっと苦労している」と心の中で相手を落とし、自分の相対的な価値を保とうとする微細な嫉妬や冷笑。

これらすべては、エゴが「私はここにいる、私の方が優れている」と自己主張し、消滅の恐怖から逃れるための必死な活動です。

それから、エゴは「今ここにある事実」に留まることができません。常に過去の記憶や未来の期待の中を彷徨っています。

例えば、休日に美しい景色を見ているのに、「明日の会議のプレゼン、上手くいくかな」「失敗したらどう思われるだろう」と未来の不安に心を奪われ、目の前の景色を全く楽しめていない状態。

あるいは、恋人や配偶者に対して、「あの時もあなたは私を傷つけた」「いつもあなたはそうだ」と、過去の記憶のデータを持ち出して現在の相手を裁き、新鮮な目で相手を見ることができない状態。

また、退屈な仕事をしているときに、「週末の旅行は楽しいだろうな」「早く終わって美味しいものを食べよう」と未来の快楽に逃避し、目の前の作業から心を切り離している状態。

これらはすべて、エゴが「今ここにある事実(不安、退屈、不満)」と直接触れ合うことを恐れ、時間という幻影の中に逃げ込んでいる証拠です。

そう、エゴとは多くの方の「日常」です。

なぜこんなことを羅列するかと言うと、エゴを制する第一歩は、エゴを観察することです。

エゴというのは、人類が向き合うべき最も大きなテーマです。驚くほど巧みに隠れ、逃避する、なかなかなものです。

あなたが、そのエゴの滑稽さに気づき、自然と手放していくそのプロセスを案内します(つづく)