皆さま、こんにちは!
仕事柄、幼稚園や小学校をよく訪れるのですが、
昨日「最近はどちらを旅されましたか?」と聞かれました。
自分が旅好きであることは先生たちにも周知されてますが、
新型肺炎の影響は深刻ですね。
ここで「豪華客船の旅を楽しんでました」なんて言ったら、
仕事の契約が途絶えそうな気がしましたよ。
新学期を迎えると例年、修学旅行や遠足に同伴するのですが、
次年度は中止…なんてことにならなければいいのですけど。
さて今朝は、駅ファンならみんな大好き!分岐駅の訪問記です。
ここで分岐するのは別の2つの路線ではなく、
明治31年に開通した長崎本線の「旧線」と昭和47年に開通した「新線」。
「旧線」と聞くとまるで廃線みたいで違和感を感じるためか、
現場では「長与経由」「市布経由」という呼称が使われてました。
明治31年に長崎本線が延伸した際に開業したこちらの駅でしたよ。
長崎本線・喜々津(ききつ)駅です!
古い木造駅舎が魅力的な駅ですが、
ここは駅舎の撮影にえらく苦労した記憶がありました。
JR九州の駅は、駅に自家用車で乗りつけることが出来る
パーク&ライドを積極的に展開しているためか、
喜々津駅の駅前は駐車したクルマがぎっしり並んでましたっけ。
だから駅舎をスッキリと眺められるのはこの角度のみです。
長崎に原爆が投下された直後、
喜々津駅は長崎市内から避難してきた人々で溢れていた…
という記事を他のサイトで見ました。
どちらかというと素っ気ない印象の喜々津駅ですけど、
実は悲しい歴史を抱く駅舎だったとか?
そんなことを思いながら駅舎を眺めましたよ。
先にも書きましたが、喜々津駅は明治31年に開業した駅で
昭和47年に「市布経由」が開通したことから分岐駅に変わってます。
諫早駅から続く複線区間はここまで。
分岐する「長与経由」「市布経由」はいずれも単線区間でした。
構内にあったsugoca「カエルくん」のアピールがスゴイですが、
駅員さんの手作り品でしょうかね?
屋根を覗くと駅舎全体がテンションロッドで補強されてます。
建物財産票が無いので確認は出来ませんでしたが、
駅舎はかなり古いモノなのではないでしょうかね?
続いてはホームにイン。
喜々津駅は相対式&島式ホームによる2面3線構造で、
「長与経由」「市布経由」いずれの列車も全ホームに発着できるよう、
構内西側にダブルクロッシング・ポイントが設けられてます。
こちらが跨線橋の上から眺めたダブルクロッシング・ポイント。
同じく、構外の踏切から眺めたポイントでした。
同じ場所から見た喜々津川の鉄橋。
左が昭和47年に開通した新線、右が明治31年に開通した旧線です。
旧線は喜々津駅-浦上駅間を大村湾の海岸線沿いに23.5キロで結ぶところ、
新線はトンネル伝いでわずか16.8キロで結ぶのですから、
建築技術の発展を感じさせますね。
さてさて、自分が喜々津駅を訪れた5年前は
構内の北側に広大な空き地が広がってました。
ここには神戸発動機(現・ジャパンエンジンコーポレーション)の
長崎工場が平成19年まであったとのこと。
前身は大洋造船喜々津工場で主に船舶用のボイラーを製造してたそうです。
下は国土地理院のサイトから転載した昭和23年撮影の航空写真ですが、
当時は工場に伸びる引き込み線と
構内に荷役用のクレーン?らしき構造物があったみたいですね。
この頃の喜々津駅は相対式ホーム2面2線構造、
現在の配線は新線開通によって改良されたこともわかりました。
工場が撤退して整地されましたが、
構内北側には現在、ホテルや住宅が建ち始めたらしいですよ。
今年の3月にはいよいよ、長崎駅と浦上駅の高架駅化が完成しますが、
喜々津駅もいずれ、そんな時代がやってくるのかもしれませんね。
それにしても喜々津駅の駅舎、
開業当時の駅舎の成れ果てというウワサもあるみたいですけど…
となると「JR九州最古の駅舎」として知られる嘉例川駅より古い!?
喜々津駅の駅舎の歴史がめっちゃ気になってました。
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喜々津駅(平成27年4月8日)
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