1986年に証券会社に就職して、気がつけば、金融機関に36年間働いてた私(長い…)。
その間に、プライベートでもいろんなことがありましたが、証券会社や銀行も、かなーり変化が大きかったなーと思うんですよねー
ということで、あらためて振り返ってみたいと思います。
よかったらお付き合いくださいね〜
過去ブログにもこの記事ぐらいしか書いてなかったです
さかのぼること約40年前、今のようにネットで情報を集めることができなかった当時、メーカー勤務だった父に
「証券会社はお給料が良いぞ!」
と勧められ、証券会社が何をやっているところかよくわからないまま就職し、支店の事務職に配属されました。
就活の面接で最初に聞かれたのは、「ここまで何分ぐらいで来れましたか?」でしたw
ちょうど入社した年に、男女雇用機会均等法が施行され、同じ支店に配属された同期の女性11名のうち、2名は総合職でした。
でも、当時は2、3年働いて寿退社と言うのが一般的な時代で、総合職の彼女たちも同じように朝の机拭きやお茶くみ当番をやらされてたと思います。
入社した頃の証券会社は、株式の売買が中心でしたが、営業社員が株式の注文をお客さんから電話で受けると、マークシート伝票に記入するという、今となっては驚きのシステムでした。
その伝票を、営業社員がいるフロアからエアシューターで事務職員のいるフロアに送り、それを機械に通して入力してたんですが、そのエアシューターがよく詰まって、
「早く入力して!!」
「まだ伝票が届いてません!」
と殺気だったやりとりが行われてましたね〜
その後、営業社員が端末で入力するやり方に変わりましたが、入力を間違えてその端末の電源を切ってしまう同期などもいました。
もちろん電源を切っても取り消しはできません
当時も投資信託はありましたが、今のように一般的ではなく、種類も少なかったと思います。
何よりあまり儲からないイメージで、私も1度も買ったことはありませんでした。
入社した翌年にNTTが上場し、あっという間に119.7万円が倍以上の金額になったりと、バブルがやってきました。
当時「これがバブル」という認識はなかったと思いますが、残業で遅くなったらタクシーチケットをもらったり、営業さんが数字を達成したらお寿司が配られたり、忘年会はホテルで開催されたり…
大卒の同期入社の公務員の男の子より多額のボーナスをもらってたので、夏休みは毎年、同期の女性とハワイやヨーロッパなどに旅行していました。
かなりバブリーやったんやなーと後になって気がつきました
その後バブルが崩壊し、営業社員はお客さんに文句を言われたり、なかなか商品を買ってもらえなかったり、めちゃくちゃ大変そうでした。
でも私は事務職だったので、ボーナスがあまり増えない程度で、
「営業さんは大変そうやなー」
と完全に人ごとでした。。
プライベートでは、1992年に当時としては遅めの27歳で結婚し、28歳で支店で初めての育休を取って長男を出産しました。
その後30歳で次男を出産して、翌年の1996年に職場に復帰しました。
私が休んでいた3年の間に、海外ものの商品をいろいろ扱うようになっていて、すっかり浦島太郎状態だったことを覚えています。
プライベートでは、最初の夫と別居して離婚し、私がひとりで2人の息子たちを育てることになりました。
それまでとは違って、簡単に辞めるわけにはいかない…という状況になったタイミングで起こったのが、金融危機。
拓殖銀行や山一證券など、「金融機関は潰れない」という常識がくつがえる出来事が起こり、
「これから子どもたちにお金がかかるのに、自分の会社も潰れたらどうしよう…」
と、かなりびびっていました。
そして、2003年に会社の人事制度が変わったタイミングで、私はある決断をしました。
ということで、
に続きます。
最後に働いた銀行での最終日に花束をいただきましたー
Kindle本発売中!こちらから購入できます
↓↓
メルマガは現在リニューアル中につき登録できません










