の続きです。
2003年、37歳の時に会社の人事制度が変わり、それまでの事務職から営業職へ転向しました。
約1ヶ月半の研修中には、ソニーの株価が大きく下落するソニーショックがあり、それまで何となく見ていたニュースが、仕事内容に直結することを体感したんですよね。
研修を受けた後、支店に戻って営業の部署に配属されました。
自分より若い女子たちに囲まれながらも、何もできない自分にどんよりでした
上司からはまず休眠口座のリストを渡されて、
「和田さんの相場観を語ってきてください」
と言われましたが、そんなもんがあるはずもなく…
とりあえず見よう見まねで、営業活動を始めました。
当時扱っていたのは、外国債券や公共債・社債・個人向け国債、そして投資信託などが中心でした。
投資信託といっても、今とは中身がずいぶん違っていて…
その頃は、海外の株や債券などに分散するバランス型や、海外債券に投資して毎月分配金をもらうタイプなどが主流だったと思います。
また、ブラジル、インドなどの新興国は、それぞれの国の頭文字をとってBRICS(ブリックス)と呼ばれ、ブームになっていました。
中国株に投資する投資信託は大人気で、募集開始日にすぐ売り切れ、なんてことも。
今でこそ、アメリカ株に投資する投資信託はかなりメジャーになりましたが、2003年当時、アメリカ株だけに投資する投資信託はまだ取り扱いがありませんでした。
マニアックなお客さんに質問されたので覚えてました
新しい商品が出るたびに勉強会があったり、お客さんに質問されてわからないことはその都度調べたりと、一生懸命がんばっていましたが、なかなか営業成績は上がらず…
2006年に営業専門社員、いわゆる歩合制に移ることになりました。
その後、2008年に起こったのが、アメリカの証券会社が潰れたのをきっかけに、世界中に信用不安が広がったリーマンショック。
当時は、
「日経平均が40%下がらなければ、元本割れはしません」
という仕組み債なども扱っていましたが、 2007年に1万8千円台だった日経平均は、リーマンショック後7千円台に急落してしまいました。
それ以外の投資信託や株式も、軒並み大幅な評価損となり、
「こんなことなら、あなたの言うことなんか聞かずに銀行に預けておけばよかった」
とお客さんに言われ、メンタルをゴリゴリに削られまくる毎日でした。
でも、歩合制なので、お客さんに商品を買ってもらわないと、自分のお給料はもらえない…というかなーりシビアな状況だったんですよね。
その頃、上司から言われて、何度も自分に言い聞かせてたのは、
「昨日よりも今日、今日よりも明日、もっとよくなりたいという人間の欲がある限り、経済は拡大していく」
ということ。
株式に投資し続けることで、長い目で見たらその恩恵はきっと受けられるはず。
そう信じられたからこそ、リーマンショックを乗り越えることができたと思います。
とはいえ、
「子どもたちのために、今逃げ出すわけにはいかない」
という気持ちがなかったら、とっくに辞めてたかもしれません。。
リーマンショックを乗り越えた後も、何度も相場の変動に悩まされ…
ということで、
に続きます。
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