前回からの続きです
令和元年12月11日のことです)

弥次喜多像がある反対側には、スタバがありました
なんだかオシャレに思えるのは、僕だけ!?😅

その入り口手前には、2つの駒札がありました

高札場(こうさつば)
 高札場とは幕府が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板に書き、人目を引くように高く掲げる場です。絵図は、文化2(1805)年に三条大橋西詰の御高札場(現近江屋ビル前広場)に掲げられていた高札です。当中島町には天保12(1841)年にこの高札の文面の写しが残っています。それを見ますと、大半が正徳元(1711)年に定めた事が多く、親兄弟と仲良くし、家業に専念せよと書かれた「親兄弟の札」や、人足(荷役などの力仕事をする労働者)に担がす荷物の重さや料金が書かれた「駄賃の札」などがあります。他にはキリシタンの不審者を発見すれば銀五百枚の褒美が出るとした「切支丹の札」、毒薬、偽薬の売買を禁じた「毒薬の札」、放火を見つけたらすぐに届けよと書かれた「火を付る者の札」もあります。文化2年の「唐物抜荷之儀の札」は、密輸品が見つかれば差し押さえ、役人が立会いの元、封印すると書かれています。
(原文のまま)

旧三条大橋の石柱
 高欄に付けられた擬宝珠には、三条大橋は、豊臣秀吉に名により増田長盛が奉行となって、天正18(1580)年正月に日本で初めての石柱橋として架けられたと書かれています。
 この石柱はその時の橋脚に使われたものと考えられ、「天正一七年津國御影 七月 吉日」と刻まれていることから、現在の神戸市東灘区から切り出された花崗岩製であることがわかります。
 なお、現在の三条大橋の下流側の橋脚にも当時の石柱が使われています。
(原文のまま)
三条大橋から三条通りを歩いていきます

三条通り
以前にも三条通りのことは書いてます
東は川端通りから、西は西土居通東入ルまで
全長約3.6km
嵐山の渡月橋付近までも三条通りと言われる
(京都の大路小路参照)

この通りの途中には、近代建築も多く建ってます
近代建築めぐり

中京区郵便局

京都文化博物館別館


渡月橋へ着く手前では太秦も通ってます
その道沿いにあるのは、広隆寺


街中の賑やかなとこから、京都屈指の観光地・嵐山までと京都を凝縮したような通りが三条通りかもしれませんおねがい

三条通りと寺町通りの交わったとこには
かに道楽の看板が一際目を惹きます( *´艸`)
なんせ京都には大阪のような巨大看板がほとんど無いんでえー

この後、この日の最大の目的である京都文化博物館でやってた「みんなのミュシャ」を観に行きました

その後も散策をしましたので、次回からはそのことになります
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ