「安心」と「共感」がひらく、子どものこころの扉

「安心」と「共感」がひらく、子どものこころの扉

共感的コミュニケーション(NVC)×神経の仕組み(ポリヴェーガル理論)で、
関わりの迷い・イライラ・すれ違いを減らし、親子関係が自然と整うヒントが詰まっています

 

先日、小学校の先生方を対象に、

 

「なぜ、この子はここまで暴れるのか?」
― パニック・暴言・暴力・他害・破損行為の奥にある“心の叫び”を聴く ―

 

というテーマで、
共感的コミュニケーション(NVC)の
ワークショップを開催しました。

 

 

 

今回のワークショップは、
私の講座を受講してくださっている
小学校の先生が、

「この学びを、学校の先生たちとも
一緒に学びたい!」

と、お仲間の先生方に
声をかけてくださったことから

実現しました。

 

 

一人の先生の学びが、
また別の先生たちへと広がっていく。

そんな機会をいただけたことが、
とても嬉しかったです。

 

 

今回、一緒に考えたのは、

子どもの激しい行動や感情、

そして大人自身の苦しい感情を
私たちはどう扱ったらいいのか?

ということ。

 

 

学校現場では、

「死ね!」
「クソババア!」
「うるせー!」
「先生なんて嫌い!」

そんな激しい言葉を

ぶつけられることがあります。

 

 

パニックになって暴れる。
物を投げる。
人を叩く。
蹴る。
物を壊す。
何を言っても反抗する。

 

 

先生たちにとっても、

とても苦しく、怖く、
「どう対応したらいいのかわからない」

と感じる場面です。

 

 

子どもの激しい行動に
日々向き合っている先生たちは、

何とかしてあげたい。
この子とつながりたい。
うまくいってほしい。

そう願って、一生懸命に

関わっています。

 

 

でも、毎日のように

暴言を浴びせられたり、
何度も叩かれたり、蹴られたり、
物を投げられたり、壊されたり。

何を言っても届かない。

どんなふうに関わっても反発される。

 

 

 

そんなことが続けば、

「もう、かわいいと思えない……」

と思ってしまうことがある。

 

 

本気で、

「もうムカつく!」
「どうしてこの子は、
こんなことばかりするの?」

と本気で腹が立つこともある。

 

 

 

そして、そんな自分に気づいたとき、

「教師なのに、こんなふうに
思ってしまう私はダメなんじゃないか」

と、自分自身を責めてしまうこともある。

 

 

 

そんな先生たちの

普段は話せない本音が

静かに、でも切実に

明かされていく時間でした。

 

 

 

先生も人間です。

怖いものは怖い。
傷つけば腹も立つ。
何度も攻撃されれば、

心が折れてしまう。

 

 

 

「この子を受け入れられない」

そう感じるほど

苦しくなっていること自体が、
先生がそれだけ頑張ってきた

ということでもあります。

 

 

 

今回のワークショップでは

NVC(非暴力コミュニケーション)を使って、

子どもの苦しさはもちろん

先生自身の苦しさも含めて、

「今、何が起きているんだろう?」

ということを、一緒に見ていきました。

 

 

 

 

 

 

「ジャッカル」と「キリン」って何?

 

 

NVC(共感的コミュニケーション)では、

人を責めたり、

攻撃したりするように聞こえる言葉や、

自分や相手を傷つけるような反応を、

「ジャッカル」

という動物にたとえて表現しています。

 

 

 

たとえば、

「死ね!」
「うるせー!」
「お前が悪い!」
「もう知らない!」

そんな言葉です。

 

 

言葉だけを聞けば、
「相手を攻撃している」

と感じますよね。

 

 

だから私たち大人は、

「そんな言い方はダメでしょう!」
「なんでそんなこと言うの!」
「ちゃんと話しなさい!」

と、言葉そのものを

何とか変えようとします。

 

 

もちろん、暴言や暴力を

そのまま許すということではありません。

 

 

でも、NVCでは、ここで少し立ち止まります。

 

 

そして、

「この言葉の奥には、何があるんだろう?」

と、その子の内側に好奇心を向けてみます。

 

 

 

 

「死ね!」の言葉の奥には、何があるんだろう?

 

 

たとえば、

「死ね!」

と叫んでいる子がいたとします。

 

 

その言葉を、そのまま受け取れば、

「この子は先生を嫌っている」
「先生を攻撃している」

と見えるかもしれません。

 

 

でも、その奥には、

「もうこれ以上できない」
「わかってほしい」
「助けてほしい」
「自分で決めたい」
「怖い」
「悔しい」
「恥ずかしい」
「仲間に入りたい」
「大切にしてほしい」

そんな気持ちや願いが

隠れているかもしれません。

 

 

その言葉の奥にある、

「本当は何を感じているんだろう?」
「何を大切にしたかったんだろう?」

という部分を、

NVCでは「キリン」にたとえて表現します。

 

 

つまり、

ジャッカル=表に出ている
攻撃的な言葉や反応

 

その奥に、

キリン=その人が感じている気持ちや、
大切にしている願い
がある

と考えてみるのです。

 

 

 

 

ジャッカルをなくそうとしない

 

NVCでは、ジャッカルを、

「悪いものだから、

なくさなければいけない」

とは考えません。

 

 

むしろ、

「このジャッカルは、どんな大切な声を
伝えようとしているんだろう?」

と聴いてみます。

 

 

たとえば、

「死ね!」

と言っている子に、

「そんなこと言っちゃダメ!」

と、すぐに言葉を止めるのではなく、

「何がそんなに嫌だったの?」
「本当はどうしてほしかったの?」
「何をわかってほしかったの?」

と、その奥にあるものを探してみる。

 

 

すると、

「本当は怖かった」
「失敗するのが嫌だった」
「みんなの前で恥ずかしかった」
「自分で決めたかった」
「先生にわかってほしかった」

そんな声が見えてくることがあります。

 

 

攻撃的に見えた言葉の奥に、
その子なりの「わかってほしい」が

あったのかもしれません。

 

 

 

 

「気持ちを受け取る」と「行動を許す」は違う

 

子どもの気持ちを受け取ることと、
その行動を許すことは同じではありません。

 

 

たとえば、叩かれたときには、

「叩かれるのは嫌だよ」
「人を叩くことは止めるよ」
「ここは安全に過ごせるようにしよう」

と、はっきり境界線を伝えることも必要です。

 

 

そのうえで、

「でも、あなたが今、
とても苦しかったことは受け取っているよ」

と、その子の内側にあるものにも目を向ける。

 

 

行動には境界線を引きながら、
心の叫びには耳を傾ける。

 

 

今回のワークショップでは、
この両方を大切にしながら、

一緒に考えていきました。

 

 

 

 

「困った子」から「困っている子」へ

 

 

子どもの激しい行動を目の前にすると、

私たち大人は

「困った子だ」

と感じてしまうことがあります。

 

 

でも、そこから少し視点を変えて、

「この子は、何に困っているんだろう?」

と見てみる。

 

 

すると、

パニックも、
暴言も、
反抗も、
他害も、
物を壊すことも、

単なる「問題行動」ではなく、

その子が何かを必死に

伝えようとしている

ジャッカルのサイン

として見えてくることがあります。

 

 

 

もちろん、激しい行動が

起きているときには、
まず安全を守ることが大切です。

 

 

そのうえで、

「この行動の奥には、
どんな気持ちがあるんだろう?」

と、その子の内側にある世界を想像してみる。

 

それだけでも、私たちの見え方や関わり方は、

少し変わるかもしれません。

 

 

 

そして、先生自身の「ジャッカル」も大切にする

 

 

今回の学びでは、
子どものジャッカルだけではなく、

先生自身の中に出てくるジャッカルにも、
目を向けてほしいと伝えました。

 

 

「もう無理!」
「なんで私ばっかり!」
「本当に腹が立つ!」
「この子をかわいいと思えない……」
「もう、この子に関わりたくない」

 

 

そんな気持ちが出てきたとき、

それを

「こんなことを思ってはいけない」

と、さらに自分を責めなくてもいい。

 

 

その気持ちの奥にも、

「安心して働きたい」
「大切に扱ってほしい」
「一人で抱えたくない」
「助けてほしい」
「ちゃんと子どもとつながりたい」
「自分のことも大切にしたい」

そんな先生自身の大切な願いが

ありました。

 

 

 

子どもの心の声を聴くためにも、
まずは先生自身の心の声にも、
少し耳を澄ませてみる。

 

 

子どもだけを変えようとするのではなく、
先生自身の苦しさも含めて、一緒に見ていく。

私は、そこも共感的コミュニケーションの

大切なところだと思っています。

 

 

 

参加された先生方の声

 

 

今回のワークショップでは、
先生方からもさまざまな

気づきがありました。

 

 

【先生の感想】

 

「これまで、暴言や暴力があると、まず『どうやって止めるか』を考えていました。でも、その奥にある子どもの気持ちや願いを見てみるという視点を知って、これからは少し違う見方ができそうだと思いました。」

 

 

「正直、子どもの言動に本気で腹が立ってしまうことがあります。本気で子どもとやり合ってしまって後悔することもよくありました。今までそんな自分を責めていましたが、自分自身にもニーズがあると知って、少し自分にも優しくなれそうです。」

 

 

「『困った子』ではなく『困っている子』という言葉が印象に残りました。行動を止めることだけに意識を向けるのではなく、その子が何を伝えようとしているのかを考えてみたいと思いました。」

 

 

 

 

 

子どもの「ジャッカル」の奥にあるもの

 

 

子どもの「ジャッカル」を

消そうとするのではなく、

その奥にある「キリン」に出会っていく。

 

 

それは、

暴言を受け入れることでも、
暴力を許すことでもありません。

 

 

その行動の奥にある、

「この子は、本当は
何を伝えたかったんだろう?」

というところに、

もう一度耳を澄ませてみること。

 

 

もしかしたらそこには、

「わかってほしい」
「助けてほしい」
「怖い」
「自分で決めたい」
「大切にしてほしい」

という、その子なりの大切な願いが

あるのかもしれません。

 

 

そして、その声に気づくことができたとき、

「困った子」だった子が、
「困っている子」として見えてくる。

 

 

その見え方の変化が、
子どもとの関係を変えていく

最初の一歩になるのかもしれません。

 

 

 

そして同じように、

先生も、教師である前に

ひとりの人間です。

 

 

そこには

毎日子どもたちと向き合いながら、

「どうしたらいいんだろう」
「もう限界かもしれない」
「本当は、この子とつながりたい」

と悩んでいる一人の人がいます。

 

 

 

 

今回、声をかけてくださった先生、
そして一緒に学んでくださった先生方、
本当にありがとうございました。

 

 

こうして、学びが一人から一人へ、
そして学校の中へと広がっていくことを、

とても嬉しく感じています。

 

 

これからも、子どもの表面上の

行動だけを見るのではなく、
その奥にある「その子の内側にある世界」

にも目を向けながら、
先生自身の心も大切にしながら、

「どうしたら、この子と

つながることができるだろう?」

を、一緒に探究していきたいと思います。

 

 

 

 

 


みなさんは
連休はいかがお過ごしでしたか?

 


私はこの連休中、以前から
興味があった「断食」に
参加してきました。

 


今日は、そのときに感じたことを
少し綴ってみたいと思います。

 

 


 

 


これまでも断食には
とても興味があったんですが、

 

「何も食べられないなんて、
つらいんじゃないかな」

 

「お腹が空いて、
耐えられないんじゃないかな」

 

そんなふうに思っていて、
なかなか一歩を踏み出せずにいました。

 


そんな私が、今回は
思い切って参加してみました。

 


そして……
結果、すごくよかったです!

 


今回参加したのは、
何も食べずにひたすら
我慢するような断食ではなくて、
酵素ドリンクや梅醤番茶、
玄米スープなどをいただきながら、
胃腸をゆっくり休ませていきました。

 


そして、HALE PLUMERIAという
素敵なサロンを貸し切って、
サウンドヒーリング
映画上映会
エジプト香油のブレンド体験
梅醤番茶づくり
温泉などを楽しみながら、
こころと身体を整えていきました。

 

 

 


 

 

サロンの空間もとても心地よくて
いつもの日常から少し離れて
自分自身にゆっくり
意識を向けることができました。

 


参加者のみなさんとの
おしゃべりも楽しくて、
「食べられなくて、つらい……」
ということは全然なく、
むしろ楽しくて、
あっという間の時間でした。

 

 

 


 

 

今回、改めて感じたのが、
私たちは、思っている以上に
「食べること」に囲まれて
毎日暮らしているんだな

ということでした。

 


今の飽食の時代、
テレビをつけても、
雑誌を開いても、
SNSを見ても、
おいしいもの、
話題のスイーツ、
人気のお店……。
「食べること」の情報が
たくさんあふれています。

 


もちろん、食べることは楽しいし、
私もおいしいものを食べることや
子どもたちと一緒に
カフェ巡りをすることも大好きです。

 


でも、
そんな「食べること」から、
いったん離れてみる時間も大切なんだな
と今回感じました。

 


特に私は、ストレスがたまると、
ジャンキーなものや甘いものを、
ついつい食べてしまうことがありました。

 


お腹が空いているわけではないのに、
「なんとなく食べたい」
「夕飯の後お腹はいっぱいなのに、
甘いものが欲しい」
と、気づいたら口に入れている
そんなこともよくありました。

 


でも、今回食べることから
少し離れてみることで、
私は、本当にお腹が
空いているわけではないのに、
疲れていたり
ストレスを感じていたり、
感じたくない感情から逃げていたりして
それを、食べ物で
埋めようとしていたのかもしれないな
と思いました。

 

 

 

 

 
そして断食をしている間に、
少しずつ身体の感覚が
変わっていきました。

 


今回、手作りの
梅醤番茶をいただいたんですが、
その一杯が、身体の中に
じわーっと染み渡っていって

「ああ、身体が喜んでいるな」
と感じました。

 

 


いつもなら何気なく
飲んでいるものも、
身体を休ませていると、
ひとつひとつの感覚が
とてもよくわかりました。

 

 

 

 


 

断食が終わって
最初にいただいた、
おかゆ。

 


これがもう……
たまらなくおいしかったです!

 


おかゆのひとくちを
ゆっくり口の中で味わっていると、
お米の甘さが、ものすごく
甘く感じられました。

 


甘いお菓子を食べたときよりも、
ずっと甘くて、
ずっとおいしい。

 


「お米って、こんなに甘かったんだ!」
と驚きました。

 


そして、
ほんの少しの量なのに、
「ああ、もう十分」
と感じて
ちゃんと満たされるんです。

 


いつもなら、
「もう少し食べたい」
「甘いものも欲しい」
と、ついついたくさん食べてしまうのに、
お腹を休ませた後は、
ほんの少しの自然な食べ物を、
一口一口味わうだけで、
身体も心も満たされていく。
その豊かな感覚がとてもうれしかったです。
 


断食をする前は、
「食べない=我慢」
だと思っていましたが
実際に体験してみると、
私にとっての断食は、
我慢する時間ではなくて、
体の細胞の感覚を取り戻す時間でした。

 


胃腸を休ませることで、
身体の小さな変化に気づきやすくなる。
食べ物の味を、いつも以上に感じる。
少ない量でも満たされる。

 


そして、
「私は今、本当に何を欲しているんだろう?」
と、自分自身の心の声にも耳を傾けられる。

そんな時間でした。

 


もちろん、断食の感じ方や身体への影響は
人それぞれだと思いますが
私自身は今回、
身体を休ませることで、
身体とのつながりが戻ってきたような感覚
がありました。

 


これからは、
「何を食べるか」だけではなく、
「何を身体に入れるか」
「何を見て、何を聴いて、何に触れているか」
そんなところにも少しずつ目を向けながら、
自分の身体をもっともっと
慈しんでいきたいと思います。

 

 

 

身体は、毎日休むことなく、
私を生かしてくれているから
もっと身体の声を聴いて、
もっと身体と仲良くなっていきたい。

そんなことを感じた、
とても豊かな連休でした🌿

 


今度は夫も誘って
一緒に参加してみたいです!

 

 

 


 みなさんも、
よかったら今日は少しだけ立ち止まって、
ご自身の身体の声を聴いてみてくださいね🌿

 


 みなさんも、
ご自身の身体と仲良く、
心地よく過ごせますように。

 


最後まで読んでくださって、
ありがとうございました。

 

 

 

 

 

先日、以前から
関わらせていただいているNさんから、
娘さんが外国へ一人で留学したという
嬉しいご報告を聞かせていただきました。

 

 

その娘さんは、小さい頃

「学校に行きたくない」

「教室が怖い」

と言って、
ひとりで教室に
入ることができなかった
お子さんでした。

 

 

それが今では、

外国へひとりで留学する。

 

 

その姿を想像しただけで、
胸がいっぱいになりました。

 

 

Nさんは、笑いながら、

「大化けしました(笑)」

と話してくださいました。

 

 

その言葉を聞いて、
私も思わず笑ってしまいました。

 

 

Nさんから
こんなメッセージもいただきました。

 

 

======

 

昨日心に残った
"生命は諦めず叫び続けてる"
という言葉が
あの頃の子どもと重なり

あの小さな身体で
"学校嫌だ、嫌だ!"
って抵抗し続けていた
どうしようもない日々の裏側には
子どもの大切な願いや
大きな可能性が同時にあったこと。

 

 

うろたえる私の絶望の日々にも、
親の未熟さを受けとめてもらいながら
共に成長し、私自身が育ち直し
自分とつながりたい願い
つながる機会を
もらっていた(もらっている)ことの
日々に感謝が湧いています。

 

 

美香さんから学びながら
安心につながらせて頂き
その安心感から子どもに達と共に。

 


連鎖する安心とそれを土台に
共にあるものを感じ合うことの
パワフルさを実感中です。

 

========

 

 

 

そのときに
Nさんが話してくださった言葉が、
とても心に残りました。

 

 

「大化けしたけど、じゃあ私、
何をやっていたんだろう
って振り返ってみると

みかさんに安心をもらって、
その安心をもって、
ただただ娘と一緒にいただけなんですよね」

と話してくださいました。

 

 

何か特別なことをしたわけじゃない。

娘を変えようとしたわけでもない。

無理に学校に行かせようとしたわけでもない。

 

 

ただ、一緒にいた。

 

 

苦しいときは一緒に苦しんで、

うまくいかないときは一緒に悩んで、

その時々を、娘さんと一緒に過ごしてきた。

 

 

Nさん自身の言葉では、

「苦楽を共にした。ただそれだけなんです」

と。

 

 

その話を聞いて、私は
本当に胸がいっぱいになりました。

 

 

・

 

 

私たち親は

子どもに何か困ったことがあると、

「どうしたら、この子を変えられるんだろう」

と考えてしまいます。

 

 

学校に行けるようにしなくちゃ。

自信をつけさせなくちゃ。

できることを増やさなくちゃ。

この先、困らないようにしてあげなくちゃ。

もっとうまく社会に

適合できるようにしてあげなくちゃ。

 

 

そんなふうに、

「今の困った状態」から
「望ましい状態」へ、

子どもを動かそうと
してしまうことがあります。

 

 

親としては、当然の
自然な気持ちだと思います。

 

 

私自身も、子どもに
何か不快なことが起こると、

「何とかしてあげたい!!」

と即座に思います。

 

 

でも、子どもが大人に
無理に変えようとされなくなったとき、

安心して自分のまんまで
いられるようになったとき、

その子の中にもともとずっとあった
命の力のようなものが、

少しずつ出てくるのかもしれません。

 

 

その娘さんが、

小さい頃に教室へ
一人で入れなかったことと、

今、外国へ一人で留学していること。

 

 

一見すると、

まったく別の姿に見えますが

でも、その間に、

「別人になった」

わけではないのだと思います。

 

 

もともとその子の命の中に
内在していた、

感じる力

考える力

自分で選ぶ力

世界に出ていく力

生きる力

そういう命のPowerが、

Nさんとの安心できる
関係性という土台の中で、

少しずつ育って
発揮されていったんだと思います。

 

 

だからこそ、

今、目の前にいる
子どもの姿だけを見て、

「この子はこういう子」

と決めつけなくても
いいのだと思います。

 

 

今できないことが、

ずっとできないとは限らない。

今、立ち止まっていることが、

その子の可能性の限界ではない。

 

 

子どもには、

私たちにはまだ見えていない
可能性と未来がたくさんあることを
信頼したいですよね。

 

 

 ・

 

 

そして私は、

Nさんが言ってくださった

「みかさんにもらった安心を持って、
ただ娘と一緒にいた」

という言葉にも、
大切なものを感じました。

 

 

子どもに安心を与えようと思っても、

「このままで大丈夫なのかな」

「この先どうなるんだろう」

「学校に行けないままでいいのかな」

そんな不安な気持ちが出てくるのは、
当然だと思います。

 

 

だからこそ、

子どもに安心を与えなければ!

と頑張るのではなくて、

まず親自身が、

「大丈夫。」と安心できる
場所や関係性を持つこと。

 

 

そして、その安心を少しずつ持って、

子どもの隣にいること。

 

 

それだけでも、

子どもにとっては
大きな支えになるのだと思います。

 

 

・

 

 

今回のご報告を聞いて、

「子どもを変える」って、

本当はどういうことなんだろうな、
と考えました。

 

 

もしかしたら、

子どもを変える必要なんて
ないのかもしれません。

 

 

「その子がその子のまま、

安心して自分でいられる
時間を重ねていく。」

 

 

その中で、

その子自身のタイミングで、

その子の命の力がちゃんと
必ず芽吹いていく。

 

 

親にできるのは、

その力を無理やり
引っ張り出すことではなくて、

その子の隣に共にいて、
共に命の中にあるものを感じて
一緒にその時間を生きること

なのかもしれません。

 

 

「大化けしました」

というNさんの言葉を聞きながら、

私は、

もともとその子の中にあった
たくましい生命力が、

Nさんとの日々の関わりの中で
受け取った安心感の中で
大きく花開いていったんだろうな

と感じました。

 

 

子どもの可能性って、

本当にすごいですね!!

 

 

だから私たちにできるのは、

子どもの未来を決めることではなく、

その子の命を信頼すること。

 

安心できる場所をつくること。

 

そして、

その子の中にある可能性を、
その子自身が見つけていく時間を
待つこと
なのかもしれません。

 

 

今回、こんな素敵なご報告を
聞かせていただけたことが、

私は本当に嬉しかったです。

 

 

そして何より、

「ただ一緒にいた」

というNさんの言葉が、

ず~~っと心に残って
感動と共に響いています。

 

 

子どもが苦しいときも、
うまくいかないときも、
すぐに何かを変えようとするのではなく、

ただ、その子の隣にいて、
共に在るものを感じて
一緒にその時間を過ごす。

 

 

そんなふうに大人が
子どもと関わることができたら、

子どもにとって、どれほど
安心できる時間になるんだろう。

 

 

そして、

誰もが子ども時代に、
そんなふうに大人に
あるがまま受け止めてもらえたら、
どんなに幸せな
子ども時代を過ごせるんだろう。

そんなことを思いました。

 

 

それが、私がこの仕事を通して
いつも願っていることの
核心なのだと思います。

 

 

「大化けしました」
と笑って話してくださったNさん。

 

 

そして、

今、遠い外国で、

自分の人生を自分の足で
歩いている娘さん。

 

 

その姿に、

心からエールと祝福を
送りたいと思います。