からの続きです
読者からのメール:終末論に関する諸問題-171<i>
https://ichthys.com/e-mails.htm
【2026年8月29日掲載】 からの抜粋翻訳
返信部分は、ロバート・D・ルギンビル博士によります
質問 #1:
[省略]
最近、ここ米国のチャーチ・オブ・クライストのある聖職者が、
イエスは神の御子ではないと主張したという記事を読みました。
また、英国の正教会の別の聖職者は、聖書の三分の一は誤っているので、それを破り捨て、
新しい福音に置き換えるべきだと主張していました。ちなみに、二人とも女性でした。
それがこのことと関係があったのかなかったのかは分かりませんが、
この問題についてのパウロの見解を無視することはできません。
妻と私が聖書を教える教会を探そうとした時、
そのような教会を一つも見つけることができませんでした。
カトリック、正教会、プロテスタント、そして数多くのユダヤ教の諸派、
そのどこでも聖書と矛盾する教理が説かれていました。
妻はオクラホマ州で、実際に聖書を読む指導者を見つけ、その後しばらくして、
私も先生を見つけることができました。
今では、「UFOファイル」が公開され、そこでは「異星人」は私たちよりはるかに
進んでいると主張され、説明を受けたキリスト教指導者たちは、
それを恐ろしいものだと述べています。
そのため、これから新たな異端の波が広く伝えられ、数え切れないほどの人々が
それを信じるようになるのではないかと思います。
これは、パウロが第二テサロニケで書いた「強い惑わし」ではないかもしれませんが、
確かにそう呼んでもよいほどのものです。
そして今度は、1分1ドル99セントで相談できる「AIイエス」まであるという記事を読みました!
先生とご家族が皆お元気で、今年度の学校生活も順調であったことを祈っています。
おそらくもう学年末も近いのではないかと思いますし、
「理不尽な管理職から浴びせられる矢や石」に苦しめられていないことを願っています。
こちらはまずまず順調です。私の湿疹も、一進一退ではありますが、
少しずつ良くなっていますので、不平を言うことはできません。
お祈りをありがとうございます。
私たちの主イエスにあって
返信 #1:
便りをもらえて本当にうれしいです、友よ! [省略]
昔からある「主流派」の諸教会が、真理からこれほど遠く離れてしまったのは
本当に悲しいことです。
いわゆる福音派やそれに類する教会も大してましなわけでもなく、
ただ別の仕方で行き過ぎに陥っているだけです。
(ニューエイジのたわごとも、グノーシス主義と大して変わりません)
私がいつも言っているように、こうしたことすべてが、IchthysやBible Academyのような
ミニストリーがインターネット上に存在している理由を説明する助けにもなります。
私なら、教派に属したままやっていくことは到底できなかったでしょう。
[省略]
UFOについて。
これは間違いなく、これから起ころうとしていることのための下準備の一環です。
人々は、ほんのわずかな具体的証拠さえないのに異星人の存在は喜んで信じます。
しかし、神にしか造ることのできない被造世界が自分たちの周囲の至るところにあるにも
かかわらず、神に耳を傾けようとはしません。
人々が、反キリストが自分自身について語ることを、ほとんど抵抗することなく
受け入れるようになることは容易に想像できます。
しかも、こうしたことはすべて、御霊による抑制が取り除かれる前の今、
すでに起こっているのです。
(リンク参照<リンク先ファイルの60頁-/A5版印刷本の110頁-を参照下さい>)。
[省略]
友よ、そちらの大平原で元気にしていることを願っています。(中略)
こちらでも引き続きお祈りしています――そして、あなたのお祈りにも心から感謝します!
イエスにあって
質問 #2:
異星人の話には私も注目しています。今回、小預言書を通読していて、
当時の人々も今日の人々と同じように邪悪だったのだということに、ようやく気づきました。
実際、これまでいつの時代も違っていたのかどうか、私には分かりません。
結局、「今あるものは、すでにあったもの」なのですから。
今日、目立って違う唯一のものは、この異星人についてのたわごとです。
政府や聖職者たちが、この「啓示」をどう扱うのか興味があります。
このことに気づくまでこんなに時間がかかってしまって、すみません。(中略)
私たちの主にあって、
返信 #2:
「これまでいつの時代も違っていたのかどうか、私には分かりません」について。
違っていた時代を探すなら、エデンの園までさかのぼらなければならないでしょう。
「今日、目立って違う唯一のものは、この異星人についてのたわごとです」について。
しかし、これさえも言葉の問題です。
悪霊たち(下級の神々、ドリュアス、ネレイスなどなど)とは、
別のところから来た人間ではない存在でなくて何でしょうか?
異教における物事の描かれ方にせよ、グノーシス主義の空想にせよ、そこには、
人間ではない超越的な存在が私たちと関わっているとされる構図があります。
「異星人」という言い方のほうが、多少は科学的で、神学的ではないのでしょうが、
(あえてそのように言うなら)結局のところ、あなたが正しく表現しているように、
どれも同じ類いの「たわごと」にすぎません。
(中略)
イエスにあって、 ボブ・L.
質問 #3:
そのように考えたことはありませんでしたが、悪霊は異星人ということになりますね。
そして、もし彼らが私たちに見せている写真が本物で、(それも疑わしいですが)
ハリウッドやAIによって作られたものではないのなら、(まあ、どちらも同じようなものかもしれませんが)私もそれらは悪霊だと思います。
返信 #3:
悪霊が人間の目に見える形で(異星人として)現れた出来事が聖書にあったかどうか、
思い出そうとしているところです。
選ばれた天使たちは、神からの知らせを伝える時に何度も姿を現しています。
(特にキリストの誕生の時がそうです)
しかし、現在のところ、神が定められた規則のもとでは、
悪霊たちは(異星人として)自分たちの姿を現すことを許されていないと私は思います――
光のない底知れぬ所に投げ込まれる危険を冒さない限りは。
(ルカ8章31節参照)
艱難期に聖霊による抑制が取り除かれた時に何が起こるのかについては、
実際にその時が来るまで待って見なければなりません。
(リンク参照<リンク先ファイルの60頁-/A5版印刷本の110頁-を参照下さい>)
イエスにあって
質問 #4:
興味深い考えで、私もそれまで考えたことがありませんでした。
私にも、そのような例は思い浮かびません。私にとって関係のある事実は、
悪霊が追い出されることがあり、また人間に取りつくことができるということでした。
もし先生が理解しておられるとおり、悪霊が自分たちの姿を現すことを許されていないのなら、UFO/異星人の話はでっち上げということになります。
これが、作られたプロパガンダだと私に確信させることが二つあります。
1)最初の発表以来、UFO関連のプロジェクトに携わっていた18人の科学者が
不可解な原因で死亡しています。
これほど短い期間に、関連する研究に携わる18人もの人が死亡したというのは、
到底信じがたいことです。
2)これらの映像の中には、瞬間的に加速する様子を映したものがありますが、
そのような加速は生身の生物なら死んでしまうほどのものです。
結局のところ、ハリウッドはもう一世代にわたって異星人を作り続けてきました。
AIがあれば、モデルか『スター・トレック』の一話でも学習させれば、
あとは安価に自分たちで作り出すことができるでしょう。
もしほかの世界が存在するのであれば、
聖書にもそれについて述べられているだろうと思います。
私たちの主イエスにあって
返信 #4:
これほどありそうもないことについては、私自身は、
それを信じないための理由をわざわざ探そうとは思いません。
人々がありとあらゆるたわごと――偽り――を信じる一方で、
真理には抵抗するというのは驚くべきことです……
聖霊が彼らの心の奥底にその真理を証ししておられるにもかかわらずです。
しかし、それが自由意志というものです……そして、心のかたくなさです。
そして、それこそが私たち全員がこの地上にいる理由なのです。
すなわち、私たちに与えられた神のかたちを用いて、
神を選ぶか、神に反対するかを選択するためです。
もう一つ、気づいたことがあります。
人類の歴史において、誰かが秘密を守り通すということ自体、非常にまれです。
まして、大勢の人々がそろって一つの秘密を守り続けられる可能性が、
いったいどれほどあるでしょうか?
陰謀が現実の世界よりも文学や空想の中ではるかに多く見られる理由の一つは、
そこにあります。
イエスにあって、 ボブ・L.
ーーーー
質問 #5:
こんにちは、ルギンビル博士。
ヤコブ4章13-17節で、ヤコブは読者であるユダヤ人信者のうち、
裕福な人々と貧しい人々の両方に語っていたと考えるのは正しいでしょうか?
この箇所を学んでいると、これらの言葉を裕福な人々だけに限定するのは、
どうもあまり意味が通らないように思えます。
というのも、私の理解では、貧しい信者たちの中には、自分たちが直面していた試練に対して
良くない反応をし、(裕福な人々からの)迫害や、社会の下層階級にいることに
伴う苦しみから逃れようとしていた人たちもいたからです。
そのため彼らの中には、その過程を通して主が自分たちを顧みてくださることに
信頼するのではなく、(彼らの中のある者たちがより裕福になることが
主の御心であったかどうかにかかわらず)自分のことは自分で何とかし、
自分の運命を自分で支配しようとする者も出てきたように思えます。
富を望むことや計画を立てること自体が間違っていたのではなく、その背後にある、
神への信仰と畏敬を欠いた、傲慢で誇る態度が間違っていたのです。
恐れから生じた主への信仰と信頼の欠如によって、これらの貧しい信者の中には、
自分たちの境遇から何とか逃れようと必死になった者もいたのかもしれません。
それは主が彼らの益のために用いておられた試練でしたが、彼らの中には、
それを喜ぶのではなく、(ヤコブ1章2節)悪いものとして受け止めていた者もいたのでしょう。
そういうわけで、13-17節のこれらの言葉は、裕福な人々だけに限定されたものではなく、
今述べたような理由から、貧しい人々にも向けられていた可能性が高いと
先生はお考えでしょうか?
つまり、これらの言葉は、裕福な人にも貧しい人にも、それぞれの置かれた状況に応じて
当てはまるとお考えでしょうか?
先生のために祈り続けてきましたし、これからも祈り続けます。
キリストにあって、
返信 #5:
あなたに同意します。確かにヤコブは、この手紙の中で「裕福な人々」や
「えこひいき」について多くのことを語っています。
しかし、商売のための旅に出るには、ある程度の資力があり、まったくの「極貧」ではない
必要はあったでしょうが、当時、そのような旅をするために、私たちが(そして当時の人々も)「裕福」と呼ぶほどの人である必要は必ずしもありませんでした。
辺境で毛皮を取る猟師でも、同じようなことを言ったかもしれません――
そして彼らは、裕福なことで知られていたわけではありません。
また、「私たちの時は御手の中にある」(詩篇31章15節)ことを認めずに、
自分のことを自分の手で何とかしようとするこの態度こそが問題だという点にも同意します。
私たちは皆、絶対的に主を必要としています。
意識して主に頼れば頼るほど、それだけよいのです――なぜなら結局のところ、
私たちがこれまでに受けたすべての良いものも、経験したすべての救い出しも、
主から直接与えられたものだからです。
すべての良い贈り物、すべての完全な賜物は上から来るのであり、
移り変わる影のように変化することのない、天の光の父から下って来るのである。
(ヤコブ1章17節/NIV訳)
主を完全に信頼するというこの見方は、霊的な成長、前進、実を結ぶことにとって、
いつの時代にも極めて重要なものでした。
そして艱難期には、その重要性はいっそう増すことになります。
「あなたが受けようとしている苦しみを何も恐れてはならない。
見よ、悪魔はあなたがたを試すために、あなたがたのうちの何人かを
獄に投げ入れようとしている。
そして、あなたがたは十日の間、艱難に遭うであろう。
死に至るまで忠実でありなさい。
そうすれば、わたしはあなたに命の冠を与えよう。」
(黙示録2章10節/NKJV訳)
[省略]
友よ、私もあなたのために祈り続けています。
イエスにあって、 ボブ・L.
ーーーー
質問 #6:
どうか、どうかお願いします。私のメッセージに書いたことは真実です。
私はただ確信が欲しいのです。
私が犯したオカルトの罪について答えてください。
その後は、もう何も質問しません。先生がとてもお忙しいことは分かっています……。
(中略)キリストにある愛と感謝を込めて。
私が現在通っている教会は英国にあります。
それで、もし神が何かの律法や儀式を付け加えることにそれほど厳格であられるのなら、
罪を繰り返してきた私の人生に加えて、オカルトにまで関わった私を
憐れんでくださるでしょうか?
[省略]
このことは先生を驚かせたかもしれません。
神は、あの恐ろしい罪を私から赦してくださったのでしょうか?
[省略]
ボブ先生の愛と尊いミニストリーに感謝します。
兄弟よ、どうか返事をください。
返信 #6:
今日の世界には、ニューエイジの教え、カルト組織、
そしてオカルトを行う人々やその行為があふれています。
これらは、未信者を奴隷にし、信者を無力化しようとする悪魔の企ての主要な手段です。
もちろん、こうしたものはすべて罪です。
そして私たちは、罪についてすでに詳しく話してきました。
(リンク先の『聖書の基礎第3部B: 罪論――罪についての聖書研究』をお読みください)
聖書は、私たちが罪から離れ、その罪を主に告白するなら、
赦されるとはっきり述べています。(以前のメールを参照)
私たちが罪Yよりも罪Xについて強い罪悪感を感じるからといって、
神にとって何か違いがあるわけではありません。
また、私たちが罪だと気づきさえしなかった罪Zもあります。
たった一つの罪でさえ、私たちを罪に定めるには十分だったのです……しかし幸いなことに、
私たちの救い主は、私たちのすべての罪のために十字架で死んでくださいました。
罪の告白と悔い改めについて大切なのは、自分の過ちから学ぶことです。
(何かをやめることが難しい場合には、神からの懲らしめも、そのための助けとなります)
あなたの場合、これはずっと昔のことです。
パウロの勧めに従って、「後ろのものを忘れ」(ピリピ3章13節)、前へ進み始めることを
強くお勧めします――過去の行いについての罪悪感に心を奪われ続けているなら、
前へ進むことはほとんど不可能だからです。
わたしは自分の罪をあなたに知らせ、わたしの咎を隠さなかった。
わたしは言った、「わたしのそむきの罪を主に告白しよう」と。
すると、あなたはわたしの罪の咎を赦された。セラ
(詩篇32章5節/NKJV訳)
もしわたしたちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方であるから、
わたしたちの罪を赦し、すべての不義からわたしたちを清めてくださる。
(第一ヨハネ1章9節/NIV訳)
追伸:
そして覚えておいてください。私たちは自分の罪を主に告白するのです。(詩篇51章4節参照)――ほかの人々がそれを知る必要はありません。
(そして多くの場合、罪を他人に「打ち明ける」ことは、かえってほかの人々の
信仰を弱めることにもなり得ます)
イエスにあって、 ボブ・L.
171<ii>に続く![]()
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「ダーク・トゥ・ライト」https://darktolight.jp
私達が主の御声を聞くことにおいても成長できますように。
また、ご意見、ご感想のある方は、
shizuku365@proton.meまでご連絡ください。
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わたしがすでにそれを得たとか、
すでに完全な者になっているとか言うのではなく、
ただ捕えようとして追い求めているのである。
そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。
兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。
ただこの一事を努めている。
すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、
(ピリピ3:12~13)
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ツユクサ
ヘクソカズラ
ハナトラノオ
少し肌寒い朝を迎えていますが
明後日はまた気温が上がるようです
今日から9月ですね
今月もよろしくお願いします
ロジャーくんもね![]()
また来るね![]()
今日もありがとう~![]()





