sarah‐mercy

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イエスの愛と共に
猫にも花にも愛は注がれている

 時を生かして 

 

(9月21日掲載

台風25号が接近している地域におられる方々の安全のため、被害が最小となるように、

お祈りしています。

 

今は、ヨム・キップル「贖罪の日」に当たる時(日本時間で)です。

ロバート・D・ルギンビル博士によると、今年の秋に最後の七年の艱難期が始まる場合、

その始まりが、それらのユダヤの祭儀暦と重なる可能性が大きいということでした。

つまり、今の教会時代(2000年)は、イエスの十字架、昇天の後の聖霊の降臨から

始まっているので、十字架の死と過越しの祭りが重なるように、

それぞれの祭儀が、これから起こることとも重なるという解釈です。

(イエスの十字架の死がAD33であるなら、2033年の春が2000年目。

そしてその七年前から艱難期が始まる、つまり2026年。

そしてそれに「半時」である半年を加える<黙示録8章1節>

 

前にも分け合ったと思いますが、神の言葉に間違いはないけれども、

別の暦の方で、見るなら十月にそれらの祭りが該当するというケースもあるということです。

ですから、「待って見てみる」必要があります。

十月が終わるまでに何も起こらないなら、博士の解釈、

特に「重なり」の解釈が間違いだった可能性があるということです。 

いずれにせよ、私たちは、いつ主が来られてもいいように備えている必要がありますね。 

 

「これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。

 アァメン、主イエスよ、きたりませ。」

(黙示録 22章20節) 

 

時が短いということを、主の御心のうちに正しく捉えると、

私たちの地上での言動の優先順序が正されるように思えます。 

 

 あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。

 あなたがたのいのちは、どんなものであるか。

 あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。

 (ヤコブ書 4章14節) 

 

 あなたが物を持っている時、その隣り人に向かい、

 「去って、また来なさい。あす、それをあげよう」と言ってはならない。

 (箴言 3章28節) 

 

 あすのことを誇ってはならない、

 一日のうちに何がおこるかを知ることができないからだ。

 (箴言 27章1 節) 

 

 だから、あすのことを思いわずらうな。

 あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。

 一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

(マタイ6章34節) 

 

時の短いこと、また自分の残りの日々の短いことは、

別に闘病生活をしている人や、老齢期の方たちにだけ当てはまるわけではないことは、

特に、こうした災害が頻発する時代にあっては、理解できます。

上記の聖句は、全ての人に当てはまることです。 

 

私たちは、今日が最後の日であっても、信仰のうちに平安をもって過ごせるということは、

天地を造られた主との平和、交わりの内にあることによって可能です。

自分のうちにまだ告白していない罪や、また主の御霊が自分にするように、

あるいは心の態度を変えるように促しておられるのに、

それを無視し続けている場合、神よりの平安を持つのは難しいでしょう。 

時のあるうちに、私たちは、御心を行うこと、告白すること、

和解することによって、主との関係を正す必要があります。 

 

 そこでイエスは彼らに言われた、

 「もうしばらくの間、光はあなたがたと一緒にここにある。

 光がある間に歩いて、

 やみに追いつかれないようにしなさい。

 やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。

  光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい」。

 イエスはこれらのことを話してから、

 そこを立ち去って、彼らから身をお隠しになった。

 (ヨハネ12章35-36節) 

 

今残されている時を、賢く用いて、良い備えができますように。 

 

 今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。

 (エペソ 5章16節) 

 

外国にいた孫が、訪問していました。彼が帰ってしまう前に、

「天にまします、われらの父」の冊子を英語で制作してました。

時間があまりないということを意識していたので、優先して行うことになりました。

おかげで、昨夕仕上げることができ、お別れ会に間に合わせることができました。

今十七歳になる彼から、「ライフ・アドバイス下さい」と言われていたので、

(自分が七十歳になって、老人の部類に入ったこと、意識させられました)

間に合わせたかったのです。

おかげで、お別れ会に集まった皆にも渡すことができました。 

 

時間には制限があるということはわかっていても、その終わりを意識することによって、

優先事項が変わってくる、特に「終わりの時」にあたって主の御心を行うことに関して、

私たちを正しい軌道に保ってくれると思います。

 

 

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過去記事の「ひとしずく」も、どうぞお役立てくださることをおすすめします

 

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台風の大雨が降る前の空

 

(台風の備忘録)

昨日はニュースでも御覧のように、台風通過に伴い

各地で被害の爪痕を残しましたね

わが家も、階段上の北の窓から雨漏りが始まり、下の部屋の押し入れに及びました

(大家さんに修理をお願いする予定です)

 

先回の環状降水帯の時は、たまたま三男さんは休みだったので、ニュースで見るだけでした

今回は、新しいレインウエアを買って大雨に備えたのですが

帰り道、いつもの道路は通行止めになっていた為、別のルートを通ると

街灯は無く真っ暗で、どこが冠水してるのかも分からない状態だったそうです

その時、後ろから、やはりルートを変えて来た大型トラックが近づき

道路に溜まった水が波のように押し寄せてきた瞬間にバイクのハンドルを取られて

思いっきり右前方に投げだされ、水の中にダイブ💦全身水びたしです💦

トラックがすぐに停車したので、幸い交通事故にはならなかったことが何よりです

トラックのライトの明かりで、バイクを起こしエンジンが無事か確認し

何とか帰宅することが出来ました

溜水のおかげで、擦り傷は免れましたが、右ひじと右骨盤辺りが赤くなっていたので

すぐに湿布を貼ってあげました

今朝は良く晴れて、バイクのエンジンも大丈夫だったようで出勤しました

 

「災難だった」と言うけれど、私はこれだけで済んだことをむしろ感謝しました

命が助かったのは、神様の憐れみです

こういうことは、経験してみないと分からないことで

危機感も持てないものです

どちらかと言うと、三男さんはかなり甘く見ていたようですから

それが一番、心配だったのです

家族のグループラインで、朝、まだ台風が上陸する前に

「気をつけてね、祈ってるよお願いと送信すると

長男、次男、四男さんからはすぐに返信がありましたが

三男さんだけ返信しませんでした

口で言っても届かないことが、今回の事で少しは用心するようになってくれたことでしょう

 

 

 

 

 

新潟の兄から新米が届きました飛び出すハートおにぎり

いつもありがとう~ハート

 

前日に「明日午前中に届くから!もしかすると午後になるかも」と電話が来て

“台風なのになぁ…”と思ったのですが、

雨が降り始める前に、宅配が来てくれたのでホッとしました

「台風なのに大変ですね、ありがとうございます!」と声をかけると

「午後は臨時休業になったので、午前中にお届けできて良かったです」

「それは良かった、大雨の中の配達は危険ですものね」と伝えると

「ありがとうございます!」と、重いお米もきびきびと持って

家の中に入れて下さいました

 

すぐに兄にお礼の電話をして、少し話したのですが

(畑の罠にイノシシがかかったことや、

もち米を買っていた農家さんが、もう田んぼ辞めたので、今年は餅つき出来ないから

お正月の繭玉を飾れないし餅も送ってあげられないとか、等々…たわいのない会話)

 

電話を切った後に、色々な思いが押し寄せてきて泣けてきました

それは、悲しい涙ではなく、感謝と癒しと和解の涙です

兄とは、お互いに口に出せていない、言葉にできない傷が

長い間心の隅にあったのだと思います

そんな思いが、解けてきて涙となって癒されたのだと思います

感謝しますハート

 

新米で栗ご飯を炊こうっと音符

 

 

 

ネコよかったにゃピンク音符

きょうもありがとう~ラブラブ

 

からの続きです

 

ペテロシリーズ#34<v> 

 

クリスチャンの行動規範  (第一ペテロ2章11-25節) 

                                                                                                ロバート・D・ルギンビル博士からの翻訳 

 

すべての人を敬い、兄弟たちを愛しなさい(17節): 

 

 すべての人を敬い、[信者である]兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。

(第一ペテロ2章17節前半) 

 

この節によれば、神の目には、すべての人間が基本的な敬意を受けるに値します。

私たちは皆、神のかたちに造られており、創世記1章26-27節;第一コリント11章7節参照)

イエス・キリストは、これまで生きた一人ひとりすべての人間の罪のために死なれました。

(例えば、ヨハネ1章29節12章47節;第二コリント5章14-15節,5章19節;

第一テモテ2章4-6節;へブル2章9節,7章27節;第一ヨハネ2章2節,3章5節

 

神はすべての人が救われることを望んでおられるのですから、

エゼキエル18章23節;マタイ18章14節ヨハネ12章47節;使徒行伝17章27節;

第一テモテ2章4節;第二テモテ2章24-26節;第二ペテロ3章9節;哀歌3章33節参照)

信者が少なくともなすべきことは、すべての人を、

キリストによって造られ、イエスがそのために死なれた、神にとって大切な者として、

ふさわしい尊重と敬意をもって扱うことです。 

 

 「人の血を流す者は、人によってその血を流される。

 神がご自分のかたちに人を造られたからである。」

(創世記9章6節 /NKJV訳) 

 

上の聖句が示しているように、基本的な敬意とは、

他の人々の基本的な権利を侵害しないことに表れます。

その第一で最も重要なものは生きる権利であり、それに続くのが、

その肉体の命を維持するために必要な、自由と財産に関する基本的な権利です。

(これが第十戒の目的です)

それによって、すべての人がイエス・キリストにおいて神に応答する十分な機会を持ち、

私たちすべてのために主が死んで備えてくださった永遠の命を得ることができるのです。 

 

 主はカインに言われた、

 「あなたの弟アベルは、どこにいますか」。

 彼は言った、「知りません。わたしが弟の番人なのでしょうか」。

創世記4章9節/NKJV訳) 

 

上の節をほんの表面的に読むだけでなく、少し注意して見れば分かるように、

他の人々に対する基本的な敬意とは、その人の「番人」となるために、

その人の事柄に介入することによって示されるものではありません。

むしろ、神がその人に与えておられるこの地上での生涯を、神がお許しになる限り

生きていくために必要な基本的なものを、その人から奪わないことによって示されます。

それは、その人が神に立ち返り、救われることを願ってのことです。

使徒行伝17章26-27節

したがって、すべての人を敬うよう命じているこの節は、慈善活動をしたり、

いわゆる「善行家」になったりすることについて述べているのではありません。

むしろ、他の人々が自由に行動し、自ら選択することができるように、

その人のプライバシーと基本的な権利を尊重することについて述べているのです。

それは、私たち自身も他の人々からそのようにしてもらいたいと願うのと同じです。

(これが、いわゆる「黄金律」の本当の意味です。マタイ7章12節) 

 

他の人々の生活に不当に干渉することを避けることに加えて、

すべての人を敬意をもって扱うというこの命令には、

私たちが接する人々に対する態度において、あらゆるえこひいきを避ける必要がある

というもう一つの側面があります。特に信者に対してはそうです。

使徒行伝10章34節ローマ2章11節;エペソ6章9節;コロサイ3章25節) 

 

 わたしの兄弟たちよ。

 栄光の主であるわたしたちの主イエス・キリストへの信仰を持ちながら、

 人を分け隔てしてはならない。

ヤコブ2章1節 /NKJV訳) 

 

貧しい人が軽んじられ、富んでいる人が特別扱いされるという例ヤコブ2章1-13節

において、ヤコブが語っているのは、ある人々を、その世的な地位だけを理由に

過度に敬ったり、特別な利益を与えたりする一方で、同じような地位を持たないというだけの

理由で、他の人々、とりわけ他の信者を不利に扱うことです。

同様に、パウロもローマ12章16節で、

「高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと交わりなさい」(NKJV訳)と言っています。すべての人を敬う場合と同様に、特に信者についても、ここでの要点は、

その人たちを積極的に探し求めて社交的な付き合いをすることではありません。

そうではなく、自分と同じ階級や社会的地位にない人、

自分より貧しい人、教養の少ない人、異なる民族の人などをも受け入れ、

世の基準から見て「価値が低い」というだけの理由で、

御霊によって私たち一人ひとりに委ねられている神にかなった奉仕を、

その人たちから差し控えないことなのです。 

 

 律法全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」

 という一つの命令を守ることによって全うされるからである。

ガラテヤ5章14節 /NIV訳) 

 

「隣人」とは、何よりもまず他の信者たちのことです。ガラテヤ5章13-14節

そしてここに、今考察している節第一ペテロ2章17節における「敬う」という命令と

「愛する」という命令との違いがあります。

すべての人間は私たちの敬意を受けるに値します。

私たちは、主が望んでおられるのと同じように、彼らが救われることを願っています。

(そして福音を受け入れる意思のある人なら、誰にでも喜んで福音を伝えます)

 

しかし、すべての信者は私たちの愛を受けるに値します。

私たちは、彼ら自身の益のため、イエス・キリストの教会を建て上げるため、

そして私たちのために死んでくださった主の永遠の栄光のために、

彼らが霊的に成長し、前進し、実を結ぶことを願うのです。

このためであることは間違いないでしょうが、ペテロ「敬う」をアオリストの相で置き、

(一般的で、一度限り確立された状態を示しています)

一方「愛する」を進行的な相で置いています。(継続して行うべきことを示しています)

すべての人を敬うことは、その人たちの自由意志による選択を守ることに関係しています。

(私たちの行いによって福音の真理を証しし、また、

それを望む人には言葉によっても証しします。マタイ7章6節

 

兄弟たちを愛することは、御霊が私たちに与えてくださった賜物を、

主が私たちを召してくださった奉仕を通して用いることにより、彼らが霊的に成長し、

前進し、実を結ぶ機会を最大限にすることと深く関係しているのです。 

 

イエスは三度目に言われた、「ヨナの子シモンよ、わたしを愛するか」。

ペテロは、「わたしを愛するか」と三度目に言われたので、心を痛めてイエスに言った、

「主よ、あなたはすべてをご存じです。

わたしがあなたを愛していることを、あなたはご存じです」。

イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい」。

(ヨハネ21章17節/NKJV訳) 

 

 

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昨日は一日中、静かに雨降り☔

今日は台風の影響で土砂降り台風

地域の避難警報の放送が朝から流れていますが

私の住んでいる場所は、土砂崩れする崖も、氾濫する川もないので

木枠の窓からの雨漏りを防ぐ為に、タオルを詰めるだけです

三男さんの今までのレインウエアでは中まで濡れる為に

新しいのを買って、今朝もバイクで出勤しましたが

午後からの強風と豪雨に耐えられるだろうか…

外回りのお仕事、通勤通学、通院等…また家の中にいてさえも

皆さんに保護がありますように

お祈りしていますお願い

 

一昨日の晴れ間にウォーキング

ヒマワリヒマワリ向日葵の足元に、ヒガンバナも咲いてるね

 

 

 

 

 

 

 

 

ねこちゃん、急いでお家に帰ろうとしているねダッシュ

また来るねバイバイ

今日もありがとう~ラブラブ

 

からの続きです

 

ペテロシリーズ#34<iv> 

 

クリスチャンの行動規範  (第一ペテロ2章11-25節) 

                                                                                                ロバート・D・ルギンビル博士からの翻訳 

 

善を行うことによって愚かな人々の無知を黙らせなさい(15節): 

 

 神の御心は、すなわち、あなたがたが善を行うことによって

 愚かな人々の無知を黙らせることである……

第一ペテロ2章15節) 

 

このシリーズの初めから述べてきたように、

ペテロがこの手紙を書いた主な目的の一つは、

手紙を送った信者たちが耐えていた苦しみに関して、

彼らを慰め、励まし、備えることでした。

 

私たちの証しに非難をもたらしかねないあらゆることを避け、その代わりに、

言うこと行うことすべてにおいてイエス・キリストの愛と憐れみを表すことは、

普通の状況でも難しいものですが、政府機関、雇用主、あるいは家族(親や夫など)

といった権威ある立場の者から不当な扱いを受けている場合には、特にそうです。

そのため、ペテロがこの重要な問題についての論述を、

すべての正当な権威に正しく服従する必要性を取り上げることから始めたのは、

疑いなくそのためでしょう。

しかし同時に、私たちがその権威の下にない人々に対しても含め、

すべての人に対してキリスト者らしく振る舞うことが、私たちのキリスト者としての

証しの極めて重要な部分であることも事実です。

そこでペテロは今、正当な権威との関係だけではなく、

生活のあらゆる領域におけるキリスト者としての

正しい行動という一般的な主題に戻っています。 

 

未信者が私たちの信仰について否定的な憶測をするのをやめさせることは、

生活のあらゆる領域における「神の御心」であり、それは「善を行うこと」によってのみ

成し遂げることができます。

この「善を行うこと」は、何よりもまず「悪を行うこと」を避けることです。

すなわち、イエス・キリストに従う者にふさわしくないことを行ったり、

言ったりすることを避けることです。

(そして、この二つを実行するためにも有益なこととして、

そのようなことを「考える」ことも避けるべきです)

つまり、私たちのキリスト者としての証しを汚しかねないものを何であれ避けることこそ、

私たちを中傷し、それによって私たちの主をも中傷しようとする者たちを「黙らせる」

最善の方法なのです。

何と言っても、私たちはこの世における主の使節なのです。

第二コリント5章20節; エペソ6章20節; 第一ペテロ2章21節

 

そして悪しき者とその手先は、私たちを主の御前で訴える材料にしようと、

私たちの側のどんな悪事をも常に探し求めています。

黙示録12章10節; ゼカリヤ3章1節, 第一ペテロ5章8節参照)

それだけでなく、私たちを見ている人々の心と思いの中で、「キリスト者」という名に

悪い印象を抱かせる材料にも利用しようとしています。

反対に、私たちがその行いにおいて主を映し出すなら、私たちの生き方による証しは、

真理を照らし出す強力な力となります。

マタイ5章14-16節; エペソ5章8節; ピリピ2章15節

そして、それが一貫して敬虔な仕方でなされるなら、多くの意味で、

これこそ最も効果的な伝道となります。

しかし、私たちの行動が平均的な未信者の行動とそれほど違わず、

あるいはそれほど優れたものでないなら、その証しは不十分なものとなるでしょう。

そして、真理について疑いを抱いている人や、真理に敵意を持っている人は、

たとえ私たちの言葉がどれほど恵みと真理に満ちていたとしても、

その言葉よりも私たちの不十分な行動のほうを重く見るであろうことは間違いありません。 

 

積極的な意味で「善を行うこと」とは、神が私たち一人ひとりに与えてくださった方法で、

神のご計画を推し進めることです。

これには、いつの時代のすべてのキリスト者にも当てはまる

いくつかの基本的なことが含まれます。

すなわち、霊的に成長すること、日々の歩みにおいてキリストを第一とすること、

そして聖霊から与えられた賜物に従って主のために実を結ぶことです。

 

それが祈りによるものであれ、励ましによるものであれ、

御言葉を通して霊的な導きを与えることによるものであれ、

(それぞれに与えられた賜物と機会に応じて)

あるいはキリストにある兄弟姉妹の必要を満たすための物質的な援助によるものであれ、

(それは彼ら自身の霊的成長、前進、そして実を結ぶ働きのために必要なものです)

そのような敬虔な応答のすべてを通して、

私たちはキリストの愛を具体的に示すことになります。

 

そして、この「良い行い」による証しもまた、未信者の世が無視したり

軽く見たりすることのできないものです。

しかし、私たちは同時に、高慢ねたみ、そしてサタンの影響のために、

そのような真にキリスト者らしい「善」の行いそのものが、

未信者の世からさらなる反対を招く原因となる場合さえあることを

心に留めておく必要があります。

もしそうなったとしても、私たちがこのように「キリストの苦しみにあずかる」ことは、

それだけいっそう、私たちに対する主の喜びとなり、また私たちの永遠の報いに

つながるという事実によって、勇気づけられることができます。

ローマ8章17節; 第二コリント1章5節; ピリピ1章29-30節, 3章10節; コロサイ1章24節;

  第二テモテ2章12節; 第一ペテロ4章12-13節; マタイ10章38節, 16章24節

マルコ8章34節, 10章21節, 10章38-39節; ルカ9章23節, 14章27節; 使徒行伝5章41節;

  第二コリント4章10-11節; ガラテヤ6章17節; 第一テサロニケ1章6節

第二テサロニケ1章4-5節; 第二テモテ3章12節参照)

 

私たちが善を行うなら、最後には主が私たちの正しさを明らかにしてくださり、

それを明るみに出してくださることを、十分な確信をもって信頼することができます。

詩篇112篇1-10節参照) 

 

 主はあなたの義を光のように、あなたの正しさを真昼のように明らかにされる。

詩篇37篇6節 /NKJV訳) 

 

 心のまっすぐな者たちはこれを見て喜び、悪しき者たちはみな口を閉ざす。

詩篇107篇42節 /NIV訳) 

 

自由を悪の覆いとして用いないこと(16節): 

 

 ……自由な者として行動しなさい。

 しかし、その自由を悪の覆いとして用いることなく、

 神のしもべとして行動しなさい。

(第一ペテロ2章16節

 

イエス・キリストを信じる者として、私たちはモーセの律法から解放されています。

それは、イエス・キリストがその犠牲によって、すなわちその血によって、

私たちすべてのために十字架上で死なれたことによって、

律法の要求を満たしてくださったからです。

ローマ4章14節, 6章14節, 7章4節, 8章2節, 10章4節

ガラテヤ2章19節, 3章13節, 4章3-7節, 5章4節, 5章18節; へブル7章12節, 10章1節)。 

 

 この自由のために、キリストは私たちを自由にしてくださったのです。

 ですから、[その自由のうちに]しっかりと立ち、

 再び奴隷のくびき(すなわち、律法)につながれてはなりません。

ガラテヤ5章1節) 

 

この自由は実にすばらしい祝福です。

それによって今日の私たち信者は、律法の制約や規定に妨げられることなく、

御霊に促されるままにイエス・キリストに仕えることができます。

しかし、自由は機会を与えてくれる一方で、神にかなった、聖別された、

正しい仕方で注意深く用いなければなりません。

このことはパウロも明確に述べています。 

 

 兄弟たちよ。あなたがたは自由を得るために召されたのである。

 ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛によって互に仕えなさい。

ガラテヤ5章13節) 

 

私たちは、自分自身の楽しみを追い求めるためではなく、

キリストに栄光を帰すために召されています。マタイ16章24節

罪深い性質の欲するままにふるまうためではなく、

ではなく御霊に従うために召されているのです。ガラテヤ5章16-25節

したがって、私たちクリスチャンに与えられている自由は、

意味のない自己満足のためではなく、イエス・キリストに仕えるために

用いるべき賜物なのです。

 

ペテロがこの節で明らかにしているように、キリストのしもべであること」

「自由を覆いとして用いること」は、互いに両立しない行為であり、

まさに正反対の方向を指しています。

ですから、自分の欲望に従い、自由を利用して自分自身を喜ばせるのではなく、

私たちの主人であるイエス・キリストを喜ばせたいのであれば、

主に仕え、主のために働く、真に良いしもべでなければなりません。

マタイ16章24節; マルコ8章34節; ルカ9章23節

それこそが、私たち皆が待ち望んでいる「よくやった!」という言葉をいただく道であり、

マタイ25章21-23節; ルカ19章17節豊かな永遠の報いを受ける道なのです。 

 

 だから、[神の]良い働きをすることに疲れ果ててはならない。

 なぜなら、あきらめないならば、[定められた]時に、

 私たちは[報いを]刈り取ることになるからである。

ガラテヤ6章9節) 

 

#34<v>に続く下差し

 

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 わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、

神に対するキリストのかおりである。

(第2コリント2:15)

 

感謝します

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何だか、いい香りがする~イエローハーツと思ったら…

 

 

 

庭の金木犀が咲きだしたよ黄色い花キラキラ

香りが先にきて、金木犀に花が咲いているのに気づいたよイエローハーツ

 

 

 

 

 

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シルバーウィークに入っていますが

台風の大雨は明日の午後には接近するようです台風

そして今日も一日雨降り☔

 

なので、兄から届いた栗を冷凍しておいたものを少しづつ出して

長女さんと一緒に栗の皮むき🌰

私が外側の皮を剥き、長女さんが渋皮を剥く

ちょっと面倒くさくて手間のかかる作業だけど

子供の頃は、祖母も母も一日中こんな作業をしていたような…

 

「きっと、私がいなくなった時に、

こうして一緒に栗の皮を剝いたなぁ~って思い出すのかなぁ?」

言ったら、

「その時には、栗も届かなくなっているし、多分自分で買うこともないけど

栗の季節に店頭に並べられるのを見て思い出すかも・・・」

等と、たわいもない話をしながら剝いていたら

あっという間に剥き終わる

 

おやつは、甘く煮た栗を、シュークリームに入れて

頂きました🌰コーヒーロールケーキ

美味しかったですハート

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はんぺんもおやつのチュール食べたかなハート

今日もありがとう~ラブラブ