(ひとしずく・ペテロシリーズ#34<iv>)~善を行うことによって~  | sarah‐mercy

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ペテロシリーズ#34<iv> 

 

クリスチャンの行動規範  (第一ペテロ2章11-25節) 

                                                                                                ロバート・D・ルギンビル博士からの翻訳 

 

善を行うことによって愚かな人々の無知を黙らせなさい(15節): 

 

 神の御心は、すなわち、あなたがたが善を行うことによって

 愚かな人々の無知を黙らせることである……

第一ペテロ2章15節) 

 

このシリーズの初めから述べてきたように、

ペテロがこの手紙を書いた主な目的の一つは、

手紙を送った信者たちが耐えていた苦しみに関して、

彼らを慰め、励まし、備えることでした。

 

私たちの証しに非難をもたらしかねないあらゆることを避け、その代わりに、

言うこと行うことすべてにおいてイエス・キリストの愛と憐れみを表すことは、

普通の状況でも難しいものですが、政府機関、雇用主、あるいは家族(親や夫など)

といった権威ある立場の者から不当な扱いを受けている場合には、特にそうです。

そのため、ペテロがこの重要な問題についての論述を、

すべての正当な権威に正しく服従する必要性を取り上げることから始めたのは、

疑いなくそのためでしょう。

しかし同時に、私たちがその権威の下にない人々に対しても含め、

すべての人に対してキリスト者らしく振る舞うことが、私たちのキリスト者としての

証しの極めて重要な部分であることも事実です。

そこでペテロは今、正当な権威との関係だけではなく、

生活のあらゆる領域におけるキリスト者としての

正しい行動という一般的な主題に戻っています。 

 

未信者が私たちの信仰について否定的な憶測をするのをやめさせることは、

生活のあらゆる領域における「神の御心」であり、それは「善を行うこと」によってのみ

成し遂げることができます。

この「善を行うこと」は、何よりもまず「悪を行うこと」を避けることです。

すなわち、イエス・キリストに従う者にふさわしくないことを行ったり、

言ったりすることを避けることです。

(そして、この二つを実行するためにも有益なこととして、

そのようなことを「考える」ことも避けるべきです)

つまり、私たちのキリスト者としての証しを汚しかねないものを何であれ避けることこそ、

私たちを中傷し、それによって私たちの主をも中傷しようとする者たちを「黙らせる」

最善の方法なのです。

何と言っても、私たちはこの世における主の使節なのです。

第二コリント5章20節; エペソ6章20節; 第一ペテロ2章21節

 

そして悪しき者とその手先は、私たちを主の御前で訴える材料にしようと、

私たちの側のどんな悪事をも常に探し求めています。

黙示録12章10節; ゼカリヤ3章1節, 第一ペテロ5章8節参照)

それだけでなく、私たちを見ている人々の心と思いの中で、「キリスト者」という名に

悪い印象を抱かせる材料にも利用しようとしています。

反対に、私たちがその行いにおいて主を映し出すなら、私たちの生き方による証しは、

真理を照らし出す強力な力となります。

マタイ5章14-16節; エペソ5章8節; ピリピ2章15節

そして、それが一貫して敬虔な仕方でなされるなら、多くの意味で、

これこそ最も効果的な伝道となります。

しかし、私たちの行動が平均的な未信者の行動とそれほど違わず、

あるいはそれほど優れたものでないなら、その証しは不十分なものとなるでしょう。

そして、真理について疑いを抱いている人や、真理に敵意を持っている人は、

たとえ私たちの言葉がどれほど恵みと真理に満ちていたとしても、

その言葉よりも私たちの不十分な行動のほうを重く見るであろうことは間違いありません。 

 

積極的な意味で「善を行うこと」とは、神が私たち一人ひとりに与えてくださった方法で、

神のご計画を推し進めることです。

これには、いつの時代のすべてのキリスト者にも当てはまる

いくつかの基本的なことが含まれます。

すなわち、霊的に成長すること、日々の歩みにおいてキリストを第一とすること、

そして聖霊から与えられた賜物に従って主のために実を結ぶことです。

 

それが祈りによるものであれ、励ましによるものであれ、

御言葉を通して霊的な導きを与えることによるものであれ、

(それぞれに与えられた賜物と機会に応じて)

あるいはキリストにある兄弟姉妹の必要を満たすための物質的な援助によるものであれ、

(それは彼ら自身の霊的成長、前進、そして実を結ぶ働きのために必要なものです)

そのような敬虔な応答のすべてを通して、

私たちはキリストの愛を具体的に示すことになります。

 

そして、この「良い行い」による証しもまた、未信者の世が無視したり

軽く見たりすることのできないものです。

しかし、私たちは同時に、高慢ねたみ、そしてサタンの影響のために、

そのような真にキリスト者らしい「善」の行いそのものが、

未信者の世からさらなる反対を招く原因となる場合さえあることを

心に留めておく必要があります。

もしそうなったとしても、私たちがこのように「キリストの苦しみにあずかる」ことは、

それだけいっそう、私たちに対する主の喜びとなり、また私たちの永遠の報いに

つながるという事実によって、勇気づけられることができます。

ローマ8章17節; 第二コリント1章5節; ピリピ1章29-30節, 3章10節; コロサイ1章24節;

  第二テモテ2章12節; 第一ペテロ4章12-13節; マタイ10章38節, 16章24節

マルコ8章34節, 10章21節, 10章38-39節; ルカ9章23節, 14章27節; 使徒行伝5章41節;

  第二コリント4章10-11節; ガラテヤ6章17節; 第一テサロニケ1章6節

第二テサロニケ1章4-5節; 第二テモテ3章12節参照)

 

私たちが善を行うなら、最後には主が私たちの正しさを明らかにしてくださり、

それを明るみに出してくださることを、十分な確信をもって信頼することができます。

詩篇112篇1-10節参照) 

 

 主はあなたの義を光のように、あなたの正しさを真昼のように明らかにされる。

詩篇37篇6節 /NKJV訳) 

 

 心のまっすぐな者たちはこれを見て喜び、悪しき者たちはみな口を閉ざす。

詩篇107篇42節 /NIV訳) 

 

自由を悪の覆いとして用いないこと(16節): 

 

 ……自由な者として行動しなさい。

 しかし、その自由を悪の覆いとして用いることなく、

 神のしもべとして行動しなさい。

(第一ペテロ2章16節

 

イエス・キリストを信じる者として、私たちはモーセの律法から解放されています。

それは、イエス・キリストがその犠牲によって、すなわちその血によって、

私たちすべてのために十字架上で死なれたことによって、

律法の要求を満たしてくださったからです。

ローマ4章14節, 6章14節, 7章4節, 8章2節, 10章4節

ガラテヤ2章19節, 3章13節, 4章3-7節, 5章4節, 5章18節; へブル7章12節, 10章1節)。 

 

 この自由のために、キリストは私たちを自由にしてくださったのです。

 ですから、[その自由のうちに]しっかりと立ち、

 再び奴隷のくびき(すなわち、律法)につながれてはなりません。

ガラテヤ5章1節) 

 

この自由は実にすばらしい祝福です。

それによって今日の私たち信者は、律法の制約や規定に妨げられることなく、

御霊に促されるままにイエス・キリストに仕えることができます。

しかし、自由は機会を与えてくれる一方で、神にかなった、聖別された、

正しい仕方で注意深く用いなければなりません。

このことはパウロも明確に述べています。 

 

 兄弟たちよ。あなたがたは自由を得るために召されたのである。

 ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛によって互に仕えなさい。

ガラテヤ5章13節) 

 

私たちは、自分自身の楽しみを追い求めるためではなく、

キリストに栄光を帰すために召されています。マタイ16章24節

罪深い性質の欲するままにふるまうためではなく、

ではなく御霊に従うために召されているのです。ガラテヤ5章16-25節

したがって、私たちクリスチャンに与えられている自由は、

意味のない自己満足のためではなく、イエス・キリストに仕えるために

用いるべき賜物なのです。

 

ペテロがこの節で明らかにしているように、キリストのしもべであること」

「自由を覆いとして用いること」は、互いに両立しない行為であり、

まさに正反対の方向を指しています。

ですから、自分の欲望に従い、自由を利用して自分自身を喜ばせるのではなく、

私たちの主人であるイエス・キリストを喜ばせたいのであれば、

主に仕え、主のために働く、真に良いしもべでなければなりません。

マタイ16章24節; マルコ8章34節; ルカ9章23節

それこそが、私たち皆が待ち望んでいる「よくやった!」という言葉をいただく道であり、

マタイ25章21-23節; ルカ19章17節豊かな永遠の報いを受ける道なのです。 

 

 だから、[神の]良い働きをすることに疲れ果ててはならない。

 なぜなら、あきらめないならば、[定められた]時に、

 私たちは[報いを]刈り取ることになるからである。

ガラテヤ6章9節) 

 

#34<v>に続く下差し

 

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右差し「ダーク・トゥ・ライト」https://darktolight.jp

私達が主の御声を聞くことにおいても成長できますように。

また、ご意見、ご感想のある方は、

shizuku365@proton.meまでご連絡ください。

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 わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、

神に対するキリストのかおりである。

(第2コリント2:15)

 

感謝します

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何だか、いい香りがする~イエローハーツと思ったら…

 

 

 

庭の金木犀が咲きだしたよ黄色い花キラキラ

香りが先にきて、金木犀に花が咲いているのに気づいたよイエローハーツ

 

 

 

 

 

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シルバーウィークに入っていますが

台風の大雨は明日の午後には接近するようです台風

そして今日も一日雨降り☔

 

なので、兄から届いた栗を冷凍しておいたものを少しづつ出して

長女さんと一緒に栗の皮むき🌰

私が外側の皮を剥き、長女さんが渋皮を剥く

ちょっと面倒くさくて手間のかかる作業だけど

子供の頃は、祖母も母も一日中こんな作業をしていたような…

 

「きっと、私がいなくなった時に、

こうして一緒に栗の皮を剝いたなぁ~って思い出すのかなぁ?」

言ったら、

「その時には、栗も届かなくなっているし、多分自分で買うこともないけど

栗の季節に店頭に並べられるのを見て思い出すかも・・・」

等と、たわいもない話をしながら剝いていたら

あっという間に剥き終わる

 

おやつは、甘く煮た栗を、シュークリームに入れて

頂きました🌰コーヒーロールケーキ

美味しかったですハート

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はんぺんもおやつのチュール食べたかなハート

今日もありがとう~ラブラブ