(ひとしずく・<14>ヘブル4章12-13節C後半)~完全な愛は恐れをとり除く~ | sarah‐mercy

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からの続きです

 

パウロのヘブル人への手紙4章 <14>

                                                                               ロバート・D・ルギンビル博士著

 

IV.節ごとの注解 

 

十二節 – 十三節 <C>後半

(12)というのは、神のみことばは生きており、

 力があり、どんな両刃の剣よりも鋭く、

 霊とその地上的いのちとを切り分け、

 また骨とその髄とをも切り分けるほどにまで貫き通すからである。

 [それは](すなわち、良心のうちに宿るみことばは)

 心の思いと考えとを見分ける者として働くのである。

(13)また、被造物のうちで、御前に見えないままでいられるものは一つもない。

 すべてのものは、この方の目の前に裸にされ、あらわにされているのである。

 私たちはこの方に対して申し開きをしなければならないのである。

(ヘブル4章12-13節) 

 

<C>前半からの続き

したがって、私たちの主がすべてをご覧になっており、

何一つとしてその御前に隠れているものはないということ(本章の文脈:へブル4章13節

絶えず思い起こすことは、信者にとって常に行っているべき、

きわめて重要で価値あることです。

 

人生には多くの気を散らすものがあり、私たちの心の「高地」

常に支配下に置き、私たちの内なる人の焦点を、私たちのために死んでくださった方、

そして私たちが何にもまして愛しているその方に据え続けることは、

確かに容易ではありません。

この戦いにおいて完全な者はだれもいません。

しかし、これはすべての信者が絶えず取り組むことを決意しなければならない戦いです。

 

主と共に歩む歩みにおいて気を緩めるなら、

主のみことばを取り入れることにおいても気を緩めるようになり、

それはやがて、真理を自分の生活に適用することにおいての緩みへとつながり、

さらに罪深い行動をいっそう起こしやすくし、告白と悔い改め、

そして主のもとへ立ち返ることを、いっそう起こりにくくしてしまいます。

主へと私たちを近づけていく成長の徳ある循環の代わりに、

いったん誤った方向へ自分を向けてしまうと、この世への逆戻りという悪循環が

始まってしまうのは、あまりにも容易なことです。

そしてそれは、もし矯正されることがなければ、自らをますます勢いを増しながら

進行していきます。

 

この人生が私たちの選択にかかっている以上、

また悪魔の反逆によって始まったこの闘争において自由意志こそが争点である以上、

御霊は私たちに強制されることはなく、

神は私たちの思考と行動において大きな余地を与えておられます。

やがて、これまで見てきたように、神の懲らしめは加速していき、

極端な場合には、悔い改めて御霊にあって救い主に従う唯一の道へと立ち返ることを

拒み続ける信者は、「死に至る罪」か、あるいは背教か、

いずれかの選択に直面することになります。[1] 

 

このことを知り、誤った道の恐るべき結末をしっかりと心に据えておくことは、

すべての信者にとってきわめて有益です。

これこそが、神への敬虔な畏れの本質です。

すなわち、私たちが正当な理由をもって神を畏れるのは、私たちを真に恐れさせ得る事柄が、

すべて私たちの益のために存在していること――私たちがあの暗く危険な道へと向かうことを、

そもそも考えさえしないように守るために存在していること――を知っているからなのです。 

 

 愛には恐れがない。

 完全な愛は恐れをとり除く。

 恐れには懲らしめが伴い、

 かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。

(第一ヨハネ4章18節

 

このしばしば誤解される節が示しているように、

信者は主を恐怖の対象としておびえるのではありません。

むしろ私たちは、そうするように定められているとおり、

自分のいのち以上に主を愛するのです。マタイ22章36-38節

 

神はあらゆる点で善であられます。

私たちの天の父は愛そのものであり、すべてのことにおいて私たちの最善の益だけを

望んでおられ、またその益のために万事を働かせておられます……

すなわち、神を愛する者たちのためにです。ローマ8章28節

 

私たちが地上の父を愛し、(少なくともその原則を理解し)それでいて、

重大な過ちを犯した場合に父が懲らしめを与え得ることゆえに父を敬っていたのと同じように、

それ以上に、私たちは天の父とその御子とを愛すべきです――

神が私たちの身代わりとして、ご自身が深く愛しておられた御子をさばくことによって、

私たちを火の池から救い出してくださったゆえに――

そして同時に、善い、神への敬虔な、畏敬の念をもって神を畏れるべきです。

(メシヤについて「彼は主を恐れることを喜びとする」とあるように:イザヤ11章3節[NIV])

それは、不当な罰が下されるかのような無分別な恐怖ではなく、

もし私たちが主とその御子、すなわち私たちの愛する主に従うべきところで従わず、

反逆的であることが明らかになるならば、完全な父が必ず私たちにもたらされるであろう、

正しく、また慈しみに満ちた、愛に基づく懲らしめに対する、

神への敬虔な理解に基づく畏れなのです。 

 

 わたしはその子らを死をもって打ち殺す。

 そうすれば、すべての教会は、

 わたしが心と思いを探る者であることを知るようになる。

 そして、わたしはあなたがた一人ひとりに、

 その行いに応じて報いるのである。

(黙示録2章23節/NKJV訳) 

 

上に掲げたのは、同じように反逆的であった一派に向けて語られた

イエス・キリストの言葉です。

 

私たちは、思いと心の中においてさえ、その方に対する反逆を隠すことはできません。

どれほど小さな罪であっても、その方の御目を逃れたものは一つもありません――

そのすべての罪のために、その方は死なれたのです。

まして、言葉と行いにおける露骨な不敬が、この世の畏るべき救い主から恐るべき応答を

引き起こさないはずがあるでしょうか。

この点を正しく認識しなかったことが、エルサレム教会の大多数をして、

この事柄において私たちの主を試みることへと導きました。

神のことばの剣がその口から出ているその方と黙示録1章16節,2章12節,2章16節,19章15節

剣を交えるとは、なんと愚かなことでしょうか。 

 

 

(8)あなたは、私たちの咎を御前に置き、

 私たちの隠れた罪を御顔の光の中に置かれます。

(9)私たちのすべての日は、あなたの憤りの下に過ぎ去り、

 私たちは自分の年を、ため息のうちに終えます。

(10)私たちの齢は七十年、健やかであっても八十年

 しかし、その最も良い時でさえ、労苦と悲しみにすぎません。

 それはたちまち過ぎ去り、私たちは飛び去るのです。

(11)だれが、あなたの怒りの力を知るのでしょうか。

 あなたの憤りは、あなたが受けるべき畏れにふさわしい大きさです。

(12)どうか私たちに、自分の日を数えることを教えてください。

 そうして私たちが、知恵の心を得ることができるようにしてください。

(詩篇90篇8-12節/NIV) 

 

 

(1)主のことばが私に臨んだ。

(2)「人の子よ、イスラエルの地に対して、主なる神はこう言われる。

 『終わりだ。終わりが、この地の四隅に臨んだ。

(3)終わりが今、あなたに臨んでいる。

 わたしはあなたに向かって怒りを解き放ち、

 あなたの行いに従ってあなたをさばき、あなたのすべての忌むべきわざに報いる。

(4)わたしはあなたをあわれまず、惜しむこともしない。

 わたしは必ず、あなたの行いと、あなたの中にある忌むべきわざとに報いる。

 そのときあなたは、わたしが主であることを知る。』」

(エゼキエル7章1-4節/NIV) 

 

 そのほかの者たちは、馬に乗っておられる方の口から出るによって殺された。

 そして、すべての鳥が彼らの肉を飽きるまで食べたのである。

(黙示録19章21節/NIV) 

 

実に、「神の御前には、隠れた被造物は一つもない。

すべてのものが、私たちが関わりを持つその方の御目の前に、裸であり、

あらわにされている」のです。

へブル4章13節;ヨブ31章4節34章21節詩篇33篇13-15節,44篇21節,139篇3節,

箴言5章21節,15章3節;エレミヤ16章17節,23章24節,32章19節;ダニエル2章22節

マタイ10章26節;マルコ4章22節ルカ8章17節12章2節参照)

 

ついには、あらゆる思いと動機が明らかにされ、

伝道の書12章14節;ルカ2章35節ローマ2章16節;第一コリント3章13節,4章5節;ユダ1章15節

ついには、すべての人がさばかれ、ダニエル12章2節;ヨハネ5章27-29節;黙示録20章11-15節

ついには、この一時的な世界に属するすべてのものが滅ぼされます。

第二ペテロ3章10節;へブル12章25-29節

これらすべてを知っている私たち信者は、いったいどのような者であるべきでしょうか。

第二ペテロ3章11節

 

主を誘惑し、試みるのではなく、

その御臨在の現実に対して自らを盲目になるのでもなく、

自分の良心聖霊の証しとを無視するのでもなく、

むしろ「恐れとおののきをもって自分の救いの達成に努める」ことに

熱心であるべきではないでしょうか。ピリピ2章12節

 

また、出エジプトの世代の否定的実例を心に刻み、彼らが主の大いなる忍耐を

極みに至るまで試みた結果、どのようなことが彼らに起こったのかを

思い起こすべきではないでしょうか。

その答えが、考え得るかぎり最も力強い「然り!」であることは明らかです。

しかし、その答えを与えるためには、

私たちの自由意志による信仰を働かせる必要があります。

それも、単に形式的に、あるいは最初だけではなく、

私たちが主を顔と顔とを合わせて見るその時に至るまで、

一貫して、そして決意をもって歩み続けることが求められているのです。 

 

 しかし私たちは、後ずさりして滅びる者に属するのではなく、

 信仰をもっていのちを得る者に属するのである。

(へブル10章39節/NIV) 

 


[1] BB 3B『罪論』第IV章6節「背教と死に至る罪」を参照のこと。 

 

<15>に続く 下差し

 

 

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 主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、

主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。
 

主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、

主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。

(詩篇19:7~8節)

 

感謝します

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いつもお読みくださりありがとうございます

今日はパート<14>を2回に分けてお届けしましたが

長い文章なので読むだけでも大変なことだと思います

 

しかし、この真理の御言葉がこの先の道しるべとなり、力となり、

命となることができますようにハート

 

お祈りしますお願い

 

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わが家のお庭のハナニラ

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はんぺん、おとなっぽくなったねハート

今日もありがとう~ラブラブ