中国の拡張政策はなぜ止まらないのか | 真面目に脱線話@リンガランド英語塾

真面目に脱線話@リンガランド英語塾

英語や芸能など、思いついたことを適当に書いていくという、そういうブログです。

前回の記事を見た方からメッセージで意見を頂戴しました。かいつまんで言うと、「中国が領土拡張と世界的な経済支配を目指しているのはわかったが、では、どうして中国がそういった行動をとるのか知りたい」とのことでした。



たしかに今の中国の動きには、孤立を深めるだけであまり合理的ではないものが散見されます。ただ、このことについてはすでに本ブログでは断片的に書いていて、とくに新しい知見などはないのですが、せっかくいただいたご意見なので、ご質問にお答えする形でまとめてみることにしました。



ご存じのように、中国には伝統的に中華思想があります。中華思想は中国が世界の中心である(べき)という考え方で、文化的にはもちろんのことと、政治的にも経済的にも中国が世界の中心であると考えます。



実際、中国は四大文明発祥の地で、以来、東アジアの先端を走る大国であり続けました。中国は伝統的に朝貢(ちょうこう)外交をとり、中国皇帝に朝貢するかぎり数倍~数十倍の宝物を下賜する懐の大きさを見せて、強面になるのを避けた外交スタイルをとりました。





これは、短期的には経済的には小さくない損失もありますが、長期的に見れば軍を遠征させて支配するより、はるかにコストの低い賢いやり方です。



ただ、中国がこういったスタイルをとってきたのは、経済合理性のためばかりではないでしょう。むしろ、辺境国に「徳」を与えているという自意識を満たすためではないかと思います。中華思想において中国は世界の中心にあり、皇帝はその中国の中心にいる人物なので、恭順を誓うかぎり強者の立場から弱者をいたわるという建前を国内外に知らしめるためという動機のほうがより強かったのではないかと想像しています。



でも、近代になると、中国に起こった2つの戦争のために、一時的に中華思想を捨てなければならなくなりました。それが、アヘン戦争と日清戦争です。



アヘン戦争は、ご存じのように、イギリスが中国との貿易で大幅な赤字を出していたので、それを解消するためにアヘンを売りつけ、1840年にそれを禁止した清との戦争になったものです。清はアヘン戦争で徹底的に痛めつけられ、1842年に清側に圧倒的に不利な不平等条約である南京条約を締結することで決着しました。



日清戦争は1894年に始まった朝鮮半島(李氏朝鮮)の権益をめぐる日本との衝突です。列強にやられっぱなしだったとはいえ、いみじくも「眠れる獅子」を自認していた日清戦争敗戦のインパクト、はアヘン戦争の比ではなく、清の消滅を招いた大きなきっかけとなりました。



中国側から見れば、この敗戦は「世界の中心であるべき中国が、辺境の小国にすぎなかった日本に負けた」という重大な意味がありました。また、清の敗北はロシアの南下を招き、清は身動きがとれない状態に陥りました(そして、ロシア南下を食い止めるために日本がおこなったのが1910年の日韓併合です)。



この中国の危機を脱するべく画策されたのが、1911年から始まる辛亥革命です。中心となった人物として袁世凱や蒋介石らもいますが、なんと言っても孫文の存在が大きいでしょう。



ここで1つ留意したほうがいいのは、日本と戦争したのはあくまで孫文が作った中華民国=国民党であり、現在の中華人民共和国=中国共産党ではないことです。実際、戦後に国連の代表となったのは現在の中華人民共和国ではなく、中国共産党に敗れて台湾に逃げた国民党の中華民国です。中国共産党の中華人民共和国が国連に加盟し常任理事国になったのは1971年(アルバニア決議)のことです。



最近、習近平が戦後70周年を期に強弁しているように、中国共産党が日本と戦ったわけではありません。中国共産党はむしろ日本軍との直接対決をなるべく避けて、のちに「勝利者の果実」を国民党から奪ったと言うほうが現実に近い気がします。





それともう1つ、孫文の中華民国の開明さは中国史において例外であるということです。孫文はハワイのホノルルで教育を受け、香港で医学を学び、日本に亡命して宮崎滔天(とうてん)などの全アジア的なスケールの大きな思想を学び、日本人の妻と愛人を持つ、この頃のエリート中国人としては豪快で陽気、型破りな人物でした。



中華思想を脱し、グローバルな視点から中国を見られた孫文の国民党の思想は中国では根づかず、「共産主義」というイデオロギーの器には盛られてはいるものの、毛沢東の個人崇拝を土台にし、「皇帝」を戴いていた伝統的な形態に戻ってしまったと考えるべきでしょう。



中国を考えるうえで中華思想のほかに私が重要だと考えることがもう1つあります。それは、中国が必ずしも漢民族の国家ではない時期があるという点です。



隆盛を誇った唐のあとは、宋(漢民族)→元(モンゴル)→明(漢民族)→清(満州族)と、中国は何度も「異民族」に支配されています。漢民族の観点からは、中華人民共和国の前の国家は清でなく明であり、その前は元ではなく唐と宋です。



秦の始皇帝が万里の長城を作ったのは匈奴など屈強な北方民族を恐れたからです。以来、漢民族は何度も国家を建設しながら異民族の侵入の恐怖が消えることはありませんでした。中国が伝統的に飽くなき領土拡張と、それに相反するかのような朝貢外交をとってきたのもそのためです。



だからこそ、アヘン戦争(イギリス)と日清戦争(日本)という想定外の出来事が「異民族侵入の恐怖心」を倍増させたのは想像にかたくありません。しかも、それまでの異民族は漢民族化によって勇猛さを弱体化させますが、日英両国が持ちこんだ「帝国主義」は中国にとってコントロール不能で得体の知れない不可解さがありました。





また、それまでの中国の領土拡張の対象はあくまで「大陸」でした。イギリスと日本という海洋国家に侵略されたことで、その対象が海洋に向かい、領海拡張への新たな動機づけとなりました。



また、1950年代後半から中国は同じ共産主義国であるはずのソ連と対立し、1972年にはアメリカと友好条約を樹立するに至りました。これも共産主義の路線対立と言うより、中華人民共和国がそもそも共産主義国家ですらなく、清に続く漢民族国家に過ぎなかったからでしょう。そもそも共産主義をとれば、その元締めであるソ連には永久に頭が上がらないことになり、中華思想と相容れないのです。



このように考えると、中国の領土拡張の野望が止まらない理由がわかります。1つは中華思想による覇権奪取の願望、2つめは異民族(とくに日本とロシア)への恐怖の克服です。



また、漢民族国家の観点からは中華人民共和国の前の国家は清でなく明や唐や漢です。彼らは琉球を明が支配していたと信じこんでおり、それだったら沖縄は中国のものだという発想になります。



つまり、私たちは中国を「開放型共産主義国家」とか「日本からの独立を果たした革命国家」などと見るのではなく、唐→明→中華人民共和国と変遷していった漢民族国家として今後の政策を立てるべきだというのが私の考えです。



中国の各国家はほぼ例外なく権力腐敗によって最後に崩壊します。習近平がそれと同じ轍を踏まないように苛烈な腐敗撲滅に乗り出しているのも、それを熟知しているからなのでしょう。彼にとってはすべてが敵であり、心を緩められる時間など一刻もないだろうと想像しています。



「沖縄はもともと中国のもの」「共産党は日本軍を撃退した」などといった「伝説」で国内を一枚岩にまとめて外に目を向けさせ、拡大路線をはかる以外に、数々の矛盾を覆い隠す方法はないのかもしれません。



ネイティブ発想でやりなおし英文法-リンク


にほんブログ村 <br /><br /><br />英語ブログ 英文法へ にほんブログ村 英語ブログ やり直し英語へ

Image(s): FreeDigitalPhotos.net



【新刊翻訳書のお知らせ】

『世界のトップエリートが絶対に妥協しない小さな習慣』(大和書房)を出版いたしました。ウォール街のトップエリート女性が書いた、「どうやったら目標を100%成功させて、人生を大きく好転させるか」を解説した本です。多くの人に役立ちすばらしい本ですので、ぜひご一読ください。くわしい内容については→こちらまで。