PL学園のエースだった上重さんの甲子園での活躍は松坂世代に夢中になった者としてはいまだに記憶に新しく、残念な負傷のあと違った分野で成功していたことを喜んでいただけに、この報に触れたときは少なからずショックを受け、残念に感じた。
今後しばらくは上重アナについては悪いニュースばかりが出てきて、理不尽に悪人呼ばわりされていくだろう。だから、ここでは、事件そのものには触れないことにする。
いや、1つだけ言いたいことがある。ただし、上重アナ自身のことではない。
とあるバラエティ番組で(日本テレビではない)、この件の法的な問題についてある弁護士のコメントが出ていた。それは、かいつまんで言うと、「法的には全く問題ない。単に社内的な問題として議論される」というろくでもないコメントだった。だが、家族でもないスポンサー会社の会長が利子をとらないでお金を貸すのは、実体を伴った便宜供与になりうるのではないか(しかも、金額は1億7千万円である)。
もちろん意見は自由だが、あくまで法律のことを尋ねているときに、自分の独断しかありえないと言い切るのは何のつもりなのか。テレビという数百万人以上が目にする大きなメディアで、グレーゾーンにあることについてバランスを欠いた意見を無責任に出さないでほしいものだ。
さて、今回、この件について取り上げることにしたのは、報道されている一連の上重アナの行動が、典型的なtaker的行動だと感じたからである。
takerとは「もらうのが好きな傾向がある人」のことである。
本ブログでは何度も紹介しているが、『Give & Take』が世界的なベストセラーになった若き天才心理学者アダム・グラントが定義したように、人間はその行動パターンによってgiverとtakerとmatcherの3つに分類できる。giverは「与えるのが好きな人」、takerは「もらうのが好きな人」、matcherは「与える量ともらう量は同じくらいであるべきだと考える人」のことである。
私の観察でも大多数の人はmatcherで、giverとtakerではtakerのほうが多い。また、普段はmatcherでも愛娘に対してはgiverになったり、普段はgiverでも時間を守らない人にはmatcherになるなど相手によっても変わることも多いので、あくまで「傾向」にとどまる。
上重アナを典型的なtakerだと感じたのは、とくにその会長の高級車で通勤していたという情報からである。
高級車を借りることは無利子マンションよりはるかに強いtaker傾向を示す行為である。マンションはマンションそのものが担保になるので、そのまま返せば終わりであるが、高級車については普段から自損や事故のリスクなどがあり、借りたものをそのまま返せないどころか、それより大きな迷惑をかけるリスクがある。
そう考えると、某社会長は(少なくとも「有名アナ」に対しては)giverであり、上重アナがtakerだと考えないとこの関係は成り立たない。matcherであれば1億7千万円のマンションや高級車の日常使用など、心理的な負担が大きすぎるはずだ。
ところで、takerはナルシスト的な傾向がある場合が多い。たとえば、人を惹きつける容姿の男の子は、幼いときからちやほやされて、与えられることは当然の権利だと信じて疑わない。
それを回避するのが「しつけ」の役目である。ここで親までがその容姿のために一方的なgiverになってしまうと、その子は成人しても、日常生活でtakerのままになってしまうといったことがあり、あとで問題が起こる。
「自分の美しさをgiveしているのだが、takeするのは自分の権利」という行動原理が働くと、ナルシストになる。核家族化以前は、「親の親」が同居していたので親の行きすぎた行動を是正しやすかったのであるが、親と子しかいない環境だと子供をナルシストにしやすい。
注意すべきは、一般にイメージされるナルシストとは違い、「私は美しい」とうっとりすることは、この「ナルシスト」とは直接は関係がない。あくまでgive & takeであるべき人間関係において、好意や利益の交換ができず、ブラックホールのように一方的に好意を飲みこむだけの者である。
ナルシストの中に自己演出が上手な者が意外といるものだ。と言うのは、自分の持っている容姿や才能といった美点を大きく見せることでtakerの地位を保ちやすいからである。幼いときにそのことに気づいた子供は、大人を含む相手の喜ぶ行動というものを認識しやすく、自分の「商品価値」を巧みに利用できる割合が一般より高いと考えられる。
もちろん上重アナが「ナルシスト」だと言いたいのではない。むしろ、「あの」松坂大輔と対等に投げ合った名投手であり、その名選手が大学時代の故障を乗り越えて人気アナウンサーにまでのし上がったのだから、間違いなく相当の努力家だろう。少なくとも一般の人たちに一方的に悪く言われるような人物であるはずはない。
ただ、松坂投手が途方もない金額を手にしたように、上重アナにとって「人に注目される」という目的を達したあとの「果実」は、野球漬けだっただけに受け取ってしかるべきものだと認識されてもおかしくはない。プロ選手は結果で稼ぐ職業であって、アナウンサーも同じようにとらえてしまったのかもしれない。
takerであることは必ずしもマイナスにはならない。takerだからこそ一般の人にはできない努力できるのが、まさにプロスポーツ選手である。ただ、ショービジネスに関わりながら「サラリーマン」に過ぎないアナウンサーは、プロ野球選手と違い「実績」が純粋に数字では表しにくいぶん、taker傾向が強いとやっかまれて足を引っ張られる可能性が高まる。
それが表に出たのが今回の上重アナだろう。
ところで、私はTBSアナウンサーの安住紳一郎さんの大ファンであるが、安住アナのラジオ番組を聞いていると、彼がしばしばgiverであることがうかがえるエピソードが出てくる。
たとえば、昨年のリスナーの番組ツアーで、場所が八丈島に決まって参加者の負担が多額になりそうだというとき、安住アナはイベント出演を交換条件に、そのツアー代金をTBSラジオに負担させたのである。また、会社の懐をだけでなく、ツアー参加者のドリンクを出して自分の懐もきっちり痛めているのである(後記:参加者の中に高いお酒をたくさん注文した人がいて、十数万円にもなったとか)。
こういった行為は一見すると一方的な損に思えるが、リスナーの感謝とともに自分の満足感も高められ、さらには誰も不愉快にしない質の高いエンターテイメントとして話のネタにすることができる。その場では時間的にも金銭的に損をしているが、長期的に見ればプラス面もある。こういった行動が取れる人は、無意識にそのほうが自分にもプラスになることをわかっている。
ただでさえ忙しいのに、さらに自分を忙しくし、自らの財布からも出費するというのは、やはり安住アナは「他人が喜ばせるのが好き」というタイプのgiver的傾向のある人物であるのは間違いがない。
もしかしたら、安住アナの場合はすこし特殊例と言えるかもしれない。自分をよく見せるのではなく、自分をよく見せようとする自分をありのままに(≒滑稽に)描くことで相手に喜んでもらうという、ちょっとねじれた部分がある。
安住アナと上重アナのどちらがアナウンサーとして上か下かはというのは棚上げにするとして、言葉でエンターテインメントを紡ぐプロとしては、安住アナはほかのアナウンサーとは比較にならないほどに高いレベルにあると思う。それはアナウンス技術以上に、「たしょう自分を犠牲にしても、プロとして人を喜ばせたい」という意識があるかどうかにかかっている。
個人芸が大切なプロ選手なら「自分をよく見せたい」というナルシスティックな気持ちから成功する可能性もあり、またそれはそれで大きな魅力ともなりうる。だが、組織に属する局アナ(=社員としてアナウンサー)はそれでは周りから浮いてしまい、長い期間にわたってよい仕事はできない可能性もある。
エンターテイメントとして「自分をよく見せよう」と「見ている人を喜ばせよう」という意識のあいだには微妙な、それでいて根本的な差がある。ショービジネスで活躍する以上、安住アナにもナルシスト的な要素はあるが、安住アナにはそれすらエンターテイメントにするgiverとしての力がある。それが彼をして不動の人気アナにせしめている原動力になっているのではないか。
若い上重アナにはまだまだ大きな未来がある。野球選手だったころから引きずっている自分のナルシズム的な価値観を乗り越えるほどの自己変革をなしさえすれば、まだまだ世間はまた上重アナを支持してくれるのではないだろうか。上重アナは同じくらい苦しい状況を、これまで努力で乗り切ってきているわけであるから。

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