
自分のその「もう一つの声」を
例えるなら…
色で言えば「緑色」と言うのが
一番近いように思えた。
(※上手く説明出来ないのだが…)
その内、自分のものではない感情の
イメージが湧いてきたのと同時に…
スイッチを入れていないのに自分が
スピリチュアル・カウンセリングの
セッションをしている時のような状態
になっていることに気が付いた。
「嘆き」に似た感覚。
もしかして、これって…
弘法大師様の???
「言葉ではない」もの凄い情報量の
「イメージ」が…。もし自分がもっと
霊的に凄い人間ならば、全て回収
出来たのかも知れないのだが・・・
まだまだ修行が足らんなと思いながら
自分なりに解釈をしてみたところ
こんな感じだった。
大師様がこの高野山を開いたのは
この世に生きる人々の為であって
この世を去った者がその権力や地位
名声を後世に遺す為のものではない
ということ。
この場所(高野山)で修行している
僧侶が決して高尚な存在ではなく
みな、高尚ではないからこそ修行
しているのだということ。
高野山に限らず、それぞれの場所
に於て、沢山の普通の人々が祈り
を捧げているということこそが尊く
素晴らしいのだということ。
国や宗派を超え、全ての幸せの為に
皆が祈り、助け合うという世の中を
作らなければならないということ。
それらを人々に伝えなさいと僕に
おっしゃった様に感じた。
僕をわざわざ高野山に呼んだのは
きっと伝えるという「小さな役目」
を果たさせる為であって、僕以外
に恐らく、沢山の人間に呼び掛け
ているのだと理解した。
だが、しかし…問題は
その後である。
ハッキリと僕への個人宛だと解釈
しなければならない『メッセージ』
らしきモノが飛び込んできた。
弘法大師様が僕に与えて下さった
そのメッセージを端的に言えば…
「簡単に死ねると思うな」
という感じのものだったのだが…これを
受け取ってすぐに「本当の意味」が
わかった。
このブログの前半で書いていた
自身の寿命の話。
逃れられない「宿命」と受け入れた
57歳という期限。
それを何とか自分なりに理解する
為の発想として、実は…マイナス
的な思考をひとつだけ隠し持って
いたのが・・・。
当然、それを誰にも言ったことは
ないし、あえて言うべき事でも
ないということは理解していた。
それは…
「早くこの世を去るという事は
さっさと修行を終えて天に帰れる」
という自身の甘い考え方で、まさに
そこを指摘されたと思った。
つまり
簡単に死ねないという意味とは…
「今世に生を受けたのは修行の為で
それを早々に終わらせて、修行を終了
するのではなく、やるべき事をやり
成すべき事を成す為にまだしばらくは
天に帰れるなどと思うな」
というものなのだと理解した。
僕にとっては一番痛いところを
突かれたような気分だったのだが
まだまだ先を見据えて生きなければ
ならないのだと感じて、正直なところ
戸惑いを隠せなかった。
考えもしていなかった「老後」の事。
大人になって行く子供達を見守れる事。
もしかしたら…彼らの結婚式や
孫の誕生に立ち会えるかも知れない
という「諦めていた希望」や
自分の親や家内よりも先に
旅立たねばならないかも知れなかった
という「申し訳ない気持ち」
色々な複雑な「想い」が交錯して
声を殺して少しだけ泣いた。
「生きてもいいんだ」とその時…
生まれて初めて思い、厳しくも、慈愛に
満ちた弘法大師様に、もう一度合掌し
心から感謝して御廟の前を離れた。
さらに時計廻りに進むと、「地下法場」に
続く階段があり、そこには燈籠堂の地下室
が存在する。
その地下室には奉納された沢山の燈籠と
通路の両側に「身代わり大師」と呼ばれる
小さな弘法大師像が並んでいるらしい。

(※ネットより拝借した画像)
何故か階段を降りる気にならず
そのままスルーして更に時計回りに行くと
燈籠堂の正面に出たのだが…
正直、驚いた。
最初に見た御堂と全く違って見えたのと
同時に、先程のイメージが蘇った。
『この場所(高野山)で修行している僧侶が
決して高尚な存在ではなく、みな、高尚
ではないからこそ修行している。』
確かに「宗教ビジネス」という感は決して
拭えないが、僧侶達に不謹慎だと言える
程に自分の人間性が優位であるとは到底
思えないし、彼等もまた自らと同じ不完全で
あるが故に「修行」の身なのだと感じた。
もう一度御堂の中に入り、静粛な気持ちで
手を合わせた。

御堂から暫く歩いて、中の橋からバス乗り場
に向かうと、タイミング良く停車していたその
バスに乗り込んだ。
程なく出発したバスに揺られながら
少しずつ怒りが収まって行くのを感じた。
のだが…
「七福神巡り」をする為に向かった
“ある寺”で、まさかの怒り再燃か?!
やはりただでは帰してはもらえなかった
「その内容」が次回…明らかになる。
つづく



