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我が子は大学で「言語」を学びたいと言い続けているのですが、かなり多くの人に「大学で言語だけを習いたいの?」と否定的なニュアンスで言われます。
また何を専攻したいかと聞かれて「言語」と言っても「言語学?」とか「文学?」とか「地域研究?」などと聞き返されたりします。日本の大学では「外国語大学」という言語に特化した大学があるし、「外国語学部」という専攻もありますよね。アメリカの大学にも「World Language Department」という学部があったりしますが、言語を習いたいなら語学学校でいいじゃないかと思う人もいるようです。
私も20代の頃、同じようなことを言われました。私は芸術学部を卒業したのですが、大学時代の専攻に直結する職業を選んだわけではなく、20代半ばで「通訳になりたい」と思って、通訳養成学校に通いました。母に「将来、通訳になりたいから、英語を一生懸命勉強している」と言ったら「通訳になるよりも通訳してもらえる人になりなさい」と言われました。
今になるとその言葉の意味がよくわかるのですが、20代の頃、ましてや高校生の時に「言語を学んで多言語話者になりたい」と言ったときに同じようなことを言われてもまったく響かなかったと思います。
娘はさらに「どうして自分は英語と日本語を同時に習得できたのに、他の言語、特にスペイン語はまったく習得できずにいるのか」が知りたいようです。そうなると「言語習得」とか、さらには「認知科学」とかを学ぶ必要が出てくるわけですが、何を習えば自分の疑問が解決できるのかなんて、今の時点ではわかりませんよね。
最近 娘は自分が「記憶力が悪い」のではないかとかなり落ち込んでいます。私が話す娘の子供の時の思い出を「全然覚えていない」ことが多いからだそうです。普通ならかなり強い記憶に残りそうなことを「全然覚えていない」というので、時々心配になることもありますが、二言語を習得するために「記憶機能」のほとんどの部分を言語習得に使ってしまったのかなと思うこともあります。
その反面、見たものを非常に鮮明に覚えていることが多く、たいてい一度行った場所には迷わずに行けるし、アプリの使い方なども一度使ったものは難なく使いこなしています。自分でも記憶力に他人と違うメカニズムというかプロセスがあることを意識しているのではないかと思って、だからこそ「どうしてある言語は覚えられるのに別の言語はまったく記憶に残らないのか」に興味があるのかもしれません。
ところで話を戻して「通訳になるよりも通訳してもらえる人になりなさい」という亡き母の言葉ですが、私にはこう言った母の気持ちが本当によくわかります。自分の考えをしっかり発信できたら、誰かがきっと他の言語に訳してくれて多くの人が耳を傾けてくれるんですよね。でも私はこの言葉を娘に言いたいのではなく、娘が「AIや翻訳者に自分の創造物(小説や音楽など)を訳してもらうのではなく、自分の言葉で発信したい」と思っているのなら、「多言語を習得することがゴールではなく、その能力を使って世界に自分を発信しなさい」と言いたいです。
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