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幸せのカタチ

はじめまして。岡山県在住の真利(まり)です。4人の子どもの母として、ダウン症の娘との日々から多くを学んでいます。家族やご縁に感謝しながら、子育て・女性の生き方・人生の学びを発信しています。よろしくお願いいたします。

R3年5月17日

大好きな父を亡くしました





去年の年末まで

元気に仕事をしていた父ですが

今年に入りガタガタと体調を悪くし

闘病生活を送っていました





《貧血》と父から告げられていた病名は

《骨髄繊維症》という病名でした






今年に入ってからは病状が進行し

《骨髄異形成症候群》になっており

白血病の前段階。






完治する治療法は骨髄移植しかないそうで

高齢の父は「ビザーダ」という

抗がん剤治療を勧められ

ICも簡単に終わりそのまま治療へと進みました





1回目の投与後、心不全や肺炎を併発し

ビザーダの副作用により命の危険にさらされ





追加治療は難しいとの判断…





肺炎も完治しないままに転院を勧められ





この時

父はそこまで予後が悪いと知らなかったし

病状も悪かったので

転院をどうするか家族みんな悩みました






父は輸血が頻回に必要で

安全に輸血をしてもらえるところとなると

実家の近くではなかなか

受け入れ先が決まりませんでした






私は緩和ケアをずっと望んでいたけど

緩和ケアでは通常輸血をしないそうで

終末期だけれど緩和ケアには入れない

輸血は延命治療とみなされてしまうとのことでした





血液疾患の終末期の患者さんたち

その家族はどんなケアを受けてるんだろう…





コロナ禍にあって

父の入院中、側にいられなかったので

父が苦しそうにしている姿は見なかったけど

電話では「しんどいなー」ということも

「今日はえらい」という日もありました






最終お世話になった病院は

緩和ケア病棟もある病院で

父に告知を全て行った上で

緩和ケア病棟への転棟を提案してくれました

輸血も必要に応じてしてくださるとのこと






父は私のお腹にいる赤ちゃんに会いたいと

なるべく一般の病棟でと希望していました





でも

緩和ケア病棟へ行くことも了承しており

亡くなる日

本当は緩和ケア病棟へ転棟する日でもありました






私の念願だった緩和ケア病棟へ

行くことはなかったけれど

入院中、緩和ケア病棟の看護師さんや

チームの方にお世話になったと聞いています






父がなるべく苦痛から解放されるように

関わっていただけたなら

私も父も幸せです







お父さん




お父さんが会いたがっていた

赤ちゃんがもうすぐ生まれるよ





楽しみにしていてね





4/29
主治医の先生から連絡あり
今後の治療方針について相談がありました





今の病院に入院しておくか
それとも元々お世話になっていた病院に戻るか
どちらがいいかと




ただ、今の病院にお世話になるのなら
父に全て予後も含めた告知をしなければならない
とのことでした




元々私は両親が癌になったら
緩和ケアに早い段階でお世話になりたいと
思っていたのですが




父の場合
きちんとした病状説明を通院期間中
私はもちろん、父自身も受けておらず
今年に入り、急に病状が悪化してしまい
急変の可能性があると言われる状況だったので
告知のタイミングを逃してしまっていました




父の場合、
骨髄繊維症の通院加療を5年ほどしており
昨年末、骨髄異形成症候群へと移行し
急性骨髄性白血病へと移行してしまった
最後の最後に選択を迫られました




私は大きな病院に父をお願いしたかったので
父自身に告知することを了承しました




母は父が以前から
「悪い話は聞きたくない」
「命の期限は聞きたくない」
そう話していたそうで
最後まで悩んでいましたが
母も同様大きな病院で…と
了承してくれました




コロナ禍の中
独りで受け止めるにはすごく酷な気がして
私もとても辛かったけれど
告知の後、父と電話で話をした時に
「ここの先生はきちんと
話をしてくれるからよかった」




そう父が話してくれたので
とてもホッとした気持ちになりました




認知にも衰えはなかったし
厳格な父だったので
次第に衰えていく自分自身の身体を見たり
感じたりしながら
不安な気持ちや
もう良くなることはないと
感じたいたのだと思います





それを医師から言葉にして伝えてもらうべきか
隠しておくべきか…
すごく葛藤しましたが
きちんと伝えることで
父には辛い思いをさせたと思うけれど
しなければならない話や
伝えたかったことを
私も母もできて
今は《良かった》と思えています




筋肉質で
大きな背中
大きな存在だった父が痩せ細っていく
その姿を見るのは
とても辛いことでした



でも懸命に生きようとする姿
《生きること》を教えてくれた父を
今では誇りに思います




仕事にも遊びにも一生懸命で
障がい者福祉にも懸命に取り組み
みんなに優しく
みんなのために生きる
人としての在り方を
父から教えてもらいました




父に恥じない生き方を
私はまたここからスタートさせないと





まだまだ教えて欲しいことが
沢山沢山あったけれとけれど
別れは突然やってくる
寂しいけれど
仕方がないね




でもきっと
お父さんは近くにいてくれてるような
そんな気がしています

R3.5.19 葬儀が無事に終わりました





父が亡くなって

日増しに父がいないということを実感して

寂しさが募ります





父が亡くなって見送るまで

私自身もとても辛かったのですが

何より息子たちが私の想像以上に悲しみ

涙している姿を見るのがとても辛かったです





長男は父が大好きで

休みの日になれば毎週ひとりで

私の実家で1日中父と過ごしました





次男も本当は一緒に過ごしたかっただろうけど

父のことを思うと2人とも預けるのは

とても大変なので長男だけという日が

ほとんどでした





私が一緒に過ごせる日や

どうしても2人ともお願いしないといけない日は

父と2人の息子の3人で

川や公園やいろんな所に

虫取りや魚釣や自転車に乗ったり

私とはできない遊びを

沢山してもらっていました







息子たちのおかげで

毎週のように実家に帰り

父と会って話すこともできて

一緒にご飯を食べることもできて

ありがたい時間が過ごせたなと思っています







父のアルバムの中に

父と過ごす子どもたちの写真が沢山ありました




2人に見せると

「楽しかったー!」とすぐに返事がありました





父も仕事が忙しかったけれど

私が困った時

息子たちが会いたいと言った時




二つ返事で

「連れておいで」と言ってくれました





こうやって遊んでくれていたんだなと思うと

胸がいっぱいになります




父のおかげで私も今まで頑張れました





仕事に子育てに

一生懸命向き合えました



幼い頃から私が父と過ごしたように

息子たちも沢山遊んで

おいしいものを食べて

一緒にお風呂に入って

楽しい時間を過ごしていたのだと思います





しばらくまた寂しさと向き合う日々





大切な人を亡くすのはとても辛いことです






5月17日 1:45

急性骨髄性白血病による多臓器不全のため

父が旅立ちました





恐怖や悲しみでしかなかった

父との別れですが

今はとても穏やかな気持ちでいます





それはきっと

これまでの間

たくさん涙を流しましたし

父との思い出を振り返って

気持ちの整理をする時間もありましたし






何より父に感謝の気持ちや

伝えたかったことを

伝える事もできたからかもしれません






まだ実感がないのかな?とも思うけれど

寂しがりやの父が1人で闘病生活を送ることから

解放されたかと思うと

やっと帰って来てくれたと思うと

ホッと安心したような気持ちでいます





コロナ禍にあって

病院での面会はリモートのみ

父に会えないこの5ヶ月の間とっても寂しくて

とても辛い時間でした





当たり前に会えること

直接会って言葉を交わせることが

どれだけ幸せなことか





これまで過ごして来た時間が

本当に大切な時間だったと気付かされた

そんな日々でした





たくさんのお気遣いを頂けたこと

支えてくださった友人や家族

私の周りにいてくれる皆さんに感謝です





また父の闘病生活について

私のこれまでとこれからと

このブログで綴っていけたらと思います




私の子どもたちも
父からたくさん愛情をもらって
たくさん可愛がってもらって
とっても逞しく大きく育ってくれています




私が今頑張れるのも
私がみんなに褒めていただける
私の良いところ
全て父からもらったもの
教えてもらったことです




父に感謝して…
最後のお別れをしようと思います


今日は私の誕生日
お父さんと一緒に過ごす誕生日は
何年ぶりだろうね



帰って来てくれてありがとう








主治医の先生に
「怖いのは出血と感染症」と
告げられていました



急性白血病になり
全ての血球が下がってしまい
輸血をしなくては命が繋いでいけなくなった父



4/27(火)朝から鼻血が止まらなくなり
救急車で別の病院に搬送されました




県内でも大きな病院を転々とする父
今回もまた別の病院に
お世話になることになりました




やっとやっと止まるまで
6時間程…




転院先の病院を探すのに時間がかかったと
先生から説明がありました




父の状態で受け入れ可能なところ
耳鼻科の処置ができる先生がいらっしゃるところ




岡山県内では限られるようでした




受け入れ先が決まり
鼻血も無事に止まり
ひとまず安心。




処置が終わった父に会わせてくださったのですが
すでに輸血を始めていてくれました




受け入れてくださった病院の皆様に
心から感謝します




医師という仕事
看護師という仕事
本当に尊いです









ここのところ、父との思い出を思い返したり
父の好きなところを考えたりして
涙が自然に流れます




沢山喧嘩もしたし
反抗期の頃なんて父のことが大っ嫌いだったのに
なんて身勝手な娘なのかと思いながら




父に大切に育ててもらったこと
沢山愛情を持って育ててもらったことが
とても嬉しくありがたいことだなと
心が温かくもなります




幼い頃から私の隣には父がいてくれました
自営で会社を営んでいた父
自宅に隣接した仕事場で作業をしていました
外に出て行く時は仕事について行ったり
休日のソフトボールにも一緒に行ったり




小学生の頃はほぼ毎日
スイミングスクールに通っていたので
お迎えは父が来てくれました





車だったり
自転車だったり
飼っていた愛犬を連れてきてくれたり…





すごく幸せだったな。





「サンタさんってどうやって世界中の子どもたちにプレゼント配るんだろう??」って
そんな話をしたり
「私の家には煙突がないけど、サンタさん大丈夫なのかな??」って話をしたり





当たり前にある毎日が
とってもとっても幸せだったんだなって




懐かしい気持ちと
父への感謝の気持ちが溢れます




私は父と過ごす時間が長かったので
お母さんと仲良しの友人が羨ましかった




けれど今は大好きな父と
気の合う父と
一緒に過ごせた時間がとってもありがたかったと
その分、とっても寂しくて
いつか父がいなくなったら
困った時、辛くなった時
私はどうやって乗り越えていくのだろう…と
すごく不安になります




父が元気だった頃は
考えもしなかったけれど
いつも私を支えて励ましてくれたのは
父でした





よく叱られることもあったけど
いつも笑って
「頑張りなさい」そう言ってくれました





1日1日が早く過ぎていく…
1週間前の今頃、輸血の後発熱したと連絡あり
自宅に帰って一晩実家で過ごしました





こうやってあっという間に
時間が過ぎていくと思うと
とってもとっても怖い…




今は父にお腹の赤ちゃんの
名前を考えてもらっています




父が私にプレゼントしてくれた
《まり》という名前が大好きだから
赤ちゃんにも大切な名前を
父からプレゼントしてもらえたら嬉しい




1番の私の夢は
父に赤ちゃんを抱っこしてもらうこと。




あと1ヶ月。





毎日神様にお祈りしています

















今日も晴れ。
澄み渡った空に心地いい風



大好きな季節なはずなのに
心はちっとも晴れない




昨日父に電話をしたら
一昨日とは全く違う声になっていて
「また肺炎になってるらしい…」
そう言う父。




先週末からの熱は
きっと肺炎によるもの。




だんだん悪くなってたんだなって
すごく切なくなった。




あの時父は帰りたいって言ったから
大丈夫かなって
肺炎になりかけてる可能性も
十分考えられたから私もすごく悩んだ





けれど父の《帰りたい》っていう
気持ちをできるだけ尊重したかったから
私は実家に連れて帰った





あの時の選択で良かったのか
もしもっと早く入院していたら
少しは違ったのかな





生きていると色んな選択を迫られる
小さなことから大きなことまで





今は父の命に関わる
究極の選択の連続





1番いい選択をしたいけれど
それで本当に良かったかどうかなんて
後になってみないとわからない。




そのとき選んだ選択が
1番良かったって思えたらいいな





そんなふうに思いながら
色んな選択と決断をしてる





父に代わって





父の最期をできるだけ楽に
できるだけ寂しくないように





父らしく
旅立ちのときを見送りたいから




今日、父は輸血のため病院へ
そして再び入院となりました




私は仕事で送れなかったので
叔父が送ってくれました




ふらつきと血圧の低下があり
入院は嫌だと言っていた父も
「今日は入院かな…」と言っていたそうで
入院の荷物も持って出たとのこと。




車の中では酸素も吸っていたそう。




血小板が7000とかなり低かったそうで
やはり入院になりました
血小板の正常値:15万〜32万




血小板は出血を止めるために働く
大切な血球
そんな大切な血球がここまで下がってしまうということは
癌化した白血病細胞が
どんどん増えてるのだと思います





貧血の値は聞いていないけど
こちらも悪くなってると叔父が言っていました





入院してしまうとコロナの影響で
会えなくなってしまうのが
とても辛く寂しい





良くなって
退院できる病気ならいいのですが
父の場合悪くなると止められない病気だから




終末期の入院
もっと家族との時間が持てたらいいな









旅立ちの時
見送る時









それまでの時間
苦しくて寂しくて辛いその時間を






お別れの後
見送った後
悔いが残らないように
またいつか新たな一歩が踏み出せるように





それまでの時間
大切にできる環境が整うといいな






私は今
側に居られないことが
とても辛い






寂しがりやの父を
1人にしてしまってることがとても辛い








昨夜、輸血後発熱があったと
21時前に母から電話がありました




私は急いで実家へ…




夜間訪問看護師さんに来ていただいて
病院に連絡してくださり
経過観察。




本日の朝、父を連れて病院へ


去年の夏。
父は息子を連れて川に行ってくれていました
週末仕事で、なかなか子どもたちと遊べない私に変わって
父がいつも遊んでくれていました




骨髄異形成症候群から白血病になった
父の闘病生活、自宅介護について
綴っています




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昨日輸血したにも関わらず
血小板がとても低かったです。





CRP(炎症反応)も少し上がっていました





入院も勧められたけど
父が家に帰りたがったので
先生も許可してくださり
家に帰りました




父は車椅子に座って私の横で
「赤ちゃんを見るのが目標。
高望みはできないと思うから。」




そう話しました



私は笑ったけど
涙が溢れそうになるのをグッと堪えるのに
必死だったよ。。。




お父さん。
無理はして欲しくない
辛い思いはして欲しくない。




だけど
1日でも長く
できるだけ長く




できればあと何年も…




ずっと元気でいて欲しい












骨髄異形成症候群から白血病になった
父の闘病生活や介護のことを綴っています




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父は2016年に近くの病院で貧血を指摘され
大学病院を紹介されました
そこから詳しい検査のため、
他にも大きな病院に紹介になったことも




確定診断がいつついたのかわかりません。




私は大した病気だと
思っていませんでした




父もそのようでした




今の主治医の先生からの説明だと
骨髄線維症として治療をこの4.5年受けており
去年の年末には骨髄異形成症候群へと…




2016年
父が貧血を指摘された頃




そこから今へと繋がっている





私は何をしていたんだろう?




何のために看護師になったんだろう?




頭の中がグチャグチャになりました




2016年。
その年は娘を産んだ年でした



ダウン症のある娘
多血症
冠動脈開存症
多呼吸
低血糖
左耳難聴
低緊張



生まれた時から様々な問題を抱え
NICUへ入院となり
発達の問題を抱え
これからどうやってこの子と
上の子どもたちを育てていこうか
悩みに悩んでいた時期…




がむしゃらに子育てに仕事に
なんとか子供達を育てなければと
色々なことに模索していた時期でした




それでも
どうしてもっと父の身体のことを
気にかけてあげられなったか
受診について行って
一緒に先生の話を聞いてあげられなかったか




それだけが心残りで
後悔しています




もし皆さんのご両親が病気になったら
ご高齢であればある程
しっかりしているように見えても
ぜひ受診に一緒に行ってあげてください




しっかり理解して
治療に専念して
ストレスない日常生活を送れるように
サポートしてあげてください




いつかくる永遠の別れの時に
なるべく悔いを残さないように…




最後の最後まで
ご両親がその人らしく人生を全うできるように




子供としてサポートできたら、
出来る限りのことをしてあげられたら




悲しみも寂しさも
少しは違うのかなと思います