今日はNHKの「朝ドラ」の舞台となっている「黒羽」のお話をします。

 

昨日(3/30)から放送がスタートした「風、薫る」は、明治時代を舞台に、日本初の看護師となる二人の女性が医療看護の世界で奔走しながら成長を描くお話のようです。

 

まだまだ、看護師になるまでに色々な経過のお話が展開されていくと思いますが、その一人「一ノ瀬りん」(見上愛)は現在の栃木県太田原市黒羽に生まれ、その父親(北村一輝)は「黒羽藩」の家老でしたが幕末に武士を止めて農業に身を委ねた人でした。しかし領民たちはその元家老を慕っているようでした。母親「美津」(水野美紀)は旧藩主の一族のお姫様で、農家になっても武家の気位は失っていませんでした。

 

前置きが長くなりましたが、まずは父親が仕えていた「黒羽藩」の「黒羽城(栃木県太田原市黒羽)を紹介したいと思います。

 

中世から黒羽を領地にしていたのが「大関家」でした。この地には、後北条家の勢力が延びて来なかったので、「豊臣秀吉」の小田原攻めの際に、「大関高増・晴増」親子は秀吉に従いました。その弟「資増(すけます)」は、「関ケ原の合戦」で東軍に加勢したことから、「大関家」は7,000石を加増されて2万石を与えられ、幕末・維新までこの地を統治します。

 

「黒羽城」(栃木県太田原市黒羽)は、「松葉川」と「那賀川」に挟まれた丘陵地に築城されました。江戸時代には「本丸」は、周囲を高い土塁で囲まれ、中央には茅葺の「本丸御殿」が建てられました。

 

今も、「本丸」跡の周辺を背の高い土塁が取巻いていて、模擬の「物見櫓」が本丸跡を見下ろしています。また、御殿の絵図も残っています。「本丸」東側の土塁下には、深い空堀が見られます。

 

「本丸」跡の周囲は高い「土塁」、左に模擬「物見櫓」 ↓

模擬「物見櫓」 ↓

「物見櫓」側の土塁上 ↓

「本丸御殿」平面図(現地に掲出) ↓

「本丸」跡と「三の丸」跡の間の堀 ↓

 

当時の「二の丸」は、土蔵と武家屋敷が存在していましたが、現在は黒羽体育館と山村センターの敷地になっています。また「三の丸」跡には、「芭蕉会館」が建っていて、僅かな水をたたえる「水堀」が横たわります。

 

「二の丸」跡 ↓

「三の丸」跡に建つ「黒羽芭蕉館」 ↓

「土塁」跡 ↓

 

「本丸」跡の南側には、大型の角馬出形状である「馬出曲輪」が置かれ、「本丸」との間の「薬研堀」のV字型の堀が今でもよく残っています。

 

「薬研堀」のV字型 ↓

 

その南東側の「三の丸大手」には「黒門」が置かれ「櫓門」が築かれていました。そして更にその南側に現在建っている「大雄(だいおう)寺」は、「出丸」的な役割を持つ敷地となり、「大関家」の菩提寺にもなっています。現在では、大関家各藩主の苔むした墓標が、ひっそりと並んでいます。

 

「黒門(大手門)」跡 ↓

「藩校」跡 ↓

 

今朝の朝ドラ「風、薫る」では、その「大雄(だいおう)寺」の境内で催されていたお祭り風景の中に、今は懐かしい茅葺の「本堂」や「回廊」等が映し出されていました。当寺は見事な伽藍を有していて、殆どの建造物は茅葺で「重要文化財」に指定されています。

 

「大雄寺案内図」 ↓

「大雄寺」内の「大関家」の墓碑群(五輪塔) ↓

茅葺「本堂」(重文) ↓

茅葺「回廊」(重文) ↓

「回廊」の内部 ↓

茅葺「総門」(重文) ↓

茅葺「鐘楼」(重文) ↓

「鐘楼」「回廊」「第二庫裏」 ↓

 

城域には、黒羽藩家老の「侍門」が残っていますが、この門が「北村一輝」演じる元「家老」屋敷門かどうかは判りません。屋根は、重ね板で覆われた「薬医門」になっています。

 

黒羽藩家老「侍門」(薬医門) ↓

黒羽藩家老「侍門」の屋根(木片の重ね合わせ) ↓

 

 

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あと残された「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズでは、毎回各お城毎に「その他城郭建造物」をお届けしています。併せて、そのお城の特徴的な建造物や普請物の写真もモニュメント的に掲出していきます。

塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

只今、沖縄のお城「城(グスク)」における「城壁」を投稿しています。沖縄の「城(グスク)」には、「土塀」による「城壁」は殆ど見ることができませんが、石による「城壁」は各所のお城(グスク)で目にすることが出来ます。

 

しかも、石の城壁によってお城(グスク)の周囲を取巻いていますので、まるで「万里の長城」の小型版の様相を見ているようでもあります。

 

2022年〜23年にかけて投稿した「石垣シリーズ」では、「石の加工程度・積み方」の項目で沖縄の「城(グスク」の紹介をしましたが、「城壁」については触れていませんでしたので、今回のシリーズで紹介しています。

 

本日は「糸数城」(沖縄県南城市玉城糸数)です。今まで見てきた「琉球王国のグスク及び関連遺産群」ではないですが、かなり迫力がある石の「門」と「城壁」を構えています。

 

当城(ぐすく)は、三山(北山、中山、南山)に分かれていた14世紀(1300年代)前半に築城され、「玉城按司(あじ)」の三男の「糸数按司」の居城であったということで、沖縄県南部では最大級の「グスク」です。

 

「城(グスク)」の構造(縄張り)は簡単ですが、西側の断崖絶壁を取り込み、東側には一箇所の「城門」を設けていてその両脇から石の「城壁」が延びています。

 

当城は「石門」は「切込接・布積み」ですが、「城壁」は小さなゴツゴツした石灰質の石を加工しないで積上げています。

 

「石門」両脇の「城壁」 ↓

「正門」から北へ延びる「城壁」(城内側から) ↓

「正門」から北へ延びる「城壁」(門外側から) ↓

南側の「アザナ」と「城壁」 ↓

「外郭」の「城壁」 ↓

 

沖縄には、以上のグスク以外にも石の「城壁」が見られる所が多数存在していますが、私が訪城した「グスク」は以上ですので、これ以上紹介できないのは残念です。

 

 

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こんばんは! NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」を見ましたか-!

 

戦国時代を「豊臣秀吉」と「豊臣秀長」が兄弟で手を取り合って立身出世して、天下統一事業を成し遂げていくというのが基本的なお話ですね。

 

今日のお話は、「織田信長」の妹「お市」の嫁ぎ先である「浅井長政」が居住している「小谷城」へ、「信長」のお供で「木下藤吉郎・小一郎」も登城したお話でしたね。

 

しかし、「信長」を良く思わない「長政」の父親「久政」が不穏な動きを見せていて、次回辺りでは何らかの衝突の気配が漂っていました。

 

ということで、本日はドラマで登場した「小谷城」(滋賀県長浜市湖北町)を、今まで掲載してきたブログから貼り付けましたのでどうぞご覧ください。

 

 

 

 
また、「織田信長」が「足利義昭」の為に築いた「二条御所(旧二条城)」(京都府京都市上京区)についても、下記からご覧ください。

 

 

 

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池田市内の「ソメイヨシノ」スポットと言えば、五月山と呉羽の里。

 

今日は「呉羽の里」の桜並木を散策して、桜を堪能しました。

 

満開近い「ソメイヨシノ」が道の両脇から覆いかぶさって、訪れた花見客を楽しませてくれています。

 

 

 

 

 

 

 

明日から3日間、天気が悪くなる予想ですが、これから満開ですので、当分桜を楽しめそうです!

 

 

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塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

只今、沖縄のお城「城(グスク)」における「城壁」を投稿しています。沖縄の「城(グスク)」には、「土塀」による「城壁」は殆ど見ることができませんが、石による「城壁」は各所のお城(グスク)で目にすることが出来ます。

 

しかも、石の城壁によってお城(グスク)の周囲を取巻いていますので、まるで「万里の長城」の小型版の様相を見ているようでもあります。

 

2022年〜23年にかけて投稿した「石垣シリーズ」では、「石の加工程度・積み方」の項目で沖縄の「城(グスク」の紹介をしましたが、「城壁」については触れていませんでしたので、今回のシリーズで紹介しています。

 

本日は「首里城」(沖縄県那覇市)です。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として「世界遺産」であり、「日本100名城」に選定されています。

 

前回も記載しましたが、「琉球」は、14~15世紀初頭にかけて、「北山」「中山」「南山」が覇権を争う戦国時代で、「中山」の「王武寧(ぶねい)」がいち早く、「明」朝に対して琉球の覇者としての地位を認めてもらい(冊封-さくほう)、明皇帝に忠誠を誓って(朝貢-ちょうこう)貿易面でのメリットを享受しました。

 

しかし、1407年に南部の「尚巴志(しょうはし)」が「中山」の拠点を攻略しその覇権を手に入れて、本拠地を「首里城」に移し、その後整備と強化を進めます。そして1416年に「北山」を平定、1429年に「南山」を平定して琉球を統一しました。

 

その後、「尚円(しょうえん)」のクーデターによって、「第一尚氏王朝」は崩壊して、「第二尚氏王朝」となり、その後はその子孫が続きます。

 

ただ、1609年に薩摩軍が琉球に侵攻したことで、当時の「尚寧(しょうねい)」は、薩摩軍に連行され「徳川家康・秀忠」と謁見し、薩摩の琉球政治下に組込まれるとともに、中国(明から清へ)にも朝貢する二重の従属的関係を続けることになります。

 

1879年に、明治新政府は、19代「尚泰(しょうたい)」に対して「首里城」の明け渡しを迫り、琉球王国は崩壊します。

 

太平洋戦争末期に、沖縄守備軍が、「首里城」の地下に司令部壕を造ったことで、アメリカ軍に攻められ「首里城」は消滅してしまいました。

 

2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして世界遺産に登録れました。これは、首里城の「復元された建物」ではなく、その「正殿基壇の遺構」が文化遺産としての価値があると評価されたためで、その上に「正殿」を始めとして、城郭建造物が次から次へと復元されました。

 

ところが2019年10月の火災で主郭部が焼失し、現在その復元が進み、つい最近には「正殿」の外観が出来上がってきています。

 

「首里城」の立地と縄張りは、丘陵地を上手く活かして造成し、西側がお城の大手で、「中山門(ちゅうざんもん)」を起点にして「綾門大路(あやじょうふみち)」が延びて「中山門」と同形式の「守礼門」がありました。

 

そして「内郭」と「外郭」で構成されていて、「内郭」は主に「政治・行政の空間」、「祭祀の空間」、「居住の空間」の大きくは3区画で構成されています。

 

「外郭」は、「内郭」を取り囲むように築かれその間には幾つかの建物が建ち、地形は「内郭」よりも低くなっていました。

 

前述したように2019年の火災で、「正殿」を始めその周囲の「城郭建造物」が焼失し復元が進められていますが、焼失を逃れた「櫓門」等の建造物が多数建っています。それらは、以下のURLをクリックしてご覧ください。

 

「正殿」(焼失前) ↓

復元「守礼の門」 ↓

「園比屋武御嶽石門」 ↓

 

「首里城」の「櫓門(楼門)」 ↓

 

 

 

 

それでは、「首里城」の石の「城壁」を見て行きます。

 

「綾門大路(あやじょうふみち)」の「守礼の門」を通り抜けてで復元「歓会門」に入ると「外郭」が拡がります。「歓会門」から「円覚寺」跡方向からの入口である復元「久慶門」を繋ぐ「城壁」は曲線を描きながら延びて行きます。「城壁」は本土で見られる「切込接・布積み」です。

 

「歓会門」両脇の「城壁」 ↓

「歓会門」から「久慶門」に至る緩やかな「城壁」 ↓

「歓会門」と「久慶門」の間の「外郭」(「歓会門」の左奥には「主郭」部の「城壁」) ↓

「久慶門」両脇のうねる「城壁」 ↓

「右掖門」から「久慶門」に至る道沿いの「城壁」 ↓

 

「首里城」を守る聖域で、神女達が王家反映・航海安全を祈った「御嶽」が多くあるエリア「京の内」南側の「城壁」は、曲線を多用して「犬走り」のような段が設けられています。

 

「京の内」内の「城壁」(「犬走り」のような段が見られる) ↓

 

「京の内」から「外郭」へ出る「木曳門」は長く延びる「城壁」を刳り貫いた「アーチ門」です。

 

「京の内」の「城壁」 ↓

「城壁」を刳り貫いた「木曳門」 ↓

 

 

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昨日は、昼から陽射しも良くなってきたので、我が家から西側の高台である「緑丘」から「水月公園」(大阪府池田市)をブラっとウオーキングしました。

 

大阪では「大阪城公園」の標本木で開花宣言を行うようですが、昨日(3/26)に桜の開花を発表していました。平年よりも1日早いそうです。

 

池田市内の「ソメイヨシノ」も、あちらこちらでチラホラと開花が進んでいました。

 

「ソメイヨシノ」だけわかりました ↓

 

 

桜の種類は色々あるようで、少し前には関東で「河津桜」が満開になったニュースをよく目にしましたが、関西では「河津桜」はあまり目にしないようです。

 

ということで、昨日はウオーキングしながら多種類の桜を意識しながら歩いてみると、結構色々な「桜」が咲いているのに気づかされました。

 

ただ「桜」と思って写真を撮りましたが、「バラ科」の他種類かもしれませんね〜  

そこはお許しを!

 

 

 

 

 

 

 

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塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

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只今、沖縄のお城「城(グスク)」における「城壁」を投稿しています。沖縄の「城(グスク)」には、「土塀」による「城壁」は殆ど見ることができませんが、石による「城壁」は各所のお城(グスク)で目にすることが出来ます。

 

しかも、石の城壁によってお城(グスク)の周囲を取巻いていますので、まるで「万里の長城」の小型版の様相を見ているようでもあります。

 

2022年〜23年にかけて投稿した「石垣シリーズ」では、「石の加工程度・積み方」の項目で沖縄の「城(グスク」の紹介をしましたが、「城壁」については触れていませんでしたので、今回のシリーズで紹介しています。

 

本日は「座喜味(ざぎみ)城」(沖縄県中頭郡読谷村)です。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として「世界遺産」であり、「続日本100名城」に選定されています。

 

沖縄は、13世紀(1200年代)に「北山(ほくざん)」「中山(ちゅうざん)」「南山(なんざん)」の3つの王国に分かれていたことは既に記載しましたが、「座喜味城」は、1400年代初期の頃に、按司(あじ、領主)であった「護佐丸(ござまる)」が、中山国王の「尚巴志(しょうはし)」の命令で築城したと言われます。

 

「護佐丸」が、「中城城」に移った後も1500年代前半まで使用されていましたが、その後は周辺住民の「御嶽(うたき)」という礼拝所となっていたそうです。

 

縄張りは、「一の郭」と「二の郭」からなる単純な造りですが、二つの郭を取り巻く曲線のウネリを多用した「城壁」は非常に美しく「城壁」の幅は広いです。

 

城壁には「アーチ門」が繰り抜かれ「一の郭」「二の郭」それぞれ一箇所のみあります。

 

「二の郭」の「城壁」 ↓

「二の郭」の「城壁」 ↓

「二の郭」の幅広い城壁の上 ↓

「一の郭」の「城壁」と「アーチ門」 ↓

「一の郭」の「城壁」の上 ↓

「一の郭」の「城壁」に刳り貫かれた「アーチ門」 ↓

 

 

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塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

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只今、沖縄のお城「城(グスク)」における「城壁」を投稿しています。沖縄の「城(グスク)」には、「土塀」による「城壁」は殆ど見ることができませんが、石による「城壁」は各所のお城(グスク)で目にすることが出来ます。

 

しかも、石の城壁によってお城(グスク)の周囲を取巻いていますので、まるで「万里の長城」の小型版の様相を見ているようでもあります。

 

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本日は「今帰仁(なきじん)城」(沖縄県国頭郡今帰仁村)です。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として「世界遺産」であり、「日本100名城」に選定されています。

 

沖縄は、13世紀(1200年代)に「北山(ほくざん)」「中山(ちゅうざん)」「南山(なんざん)」の3つの王国に分かれていたことは、既に記載しましたが、「今帰仁城」は、「北山王国」の王「北山王」の居城でした。

 

しかし、1416年に「首里城」を拠点とする「中山王国」の「尚巴志(しょうはし)」によって攻められ滅亡し、以降は「北山監守」が置かれていましたが、1609年の「薩摩藩」による「琉球侵攻」の後1665年に廃城となりました。

 

「今帰仁城」の縄張りは、北側に広大な「外郭」を備え、兵士の調練場として使われていた「大隅(うーしみ)」の城壁が囲います。この一段上の郭が女官邸があった「御内原(うーちばる)」と「大庭(うーみゃ)」とが隣り合わせに並びます。

 

そして「大庭」の少し高くなっている場所が「本丸」に当たる「主郭」となり、こちらに大きな2基の建造物が建っていたようです。「主郭」の南端には「門」があり、そこを潜り抜けると、最も南側に位置する「志慶真門(しけまじょう)郭」が目の下に拡がります。

 

縄張図(斜め左下が北方向) ↓

 

「今帰仁城」には、城郭建造物は建っていませんが、特徴的なモノとして石でできた「平郎門(へいろうもん)」が修築されています。この門の両脇には「城内」側の両脇に「銃眼」を備えた石でできた「部屋」があります。

 

「平郎門」(左側に「銃眼」が見える) ↓

「銃眼」がある石積みの部屋 ↓

 

「今帰仁城」も、石で出来た「城壁」が見事で、まるで「万里の長城」の小型版を見ているようです。特に「大隅」を囲う「城壁」、「志慶真門(しけまじょう)郭」を取巻く「城壁」は「万里の長城」を彷彿とさせる光景です。

 

「外郭」周囲の石の「城壁」 ↓

「大隅」を囲う「万里の長城」の様な「城壁」(御内原から望む) ↓

「大隅」を囲う「万里の長城」の様な「城壁」 ↓

「志慶真門(しけまじょう)郭」を取巻く「城壁」(「万里の長城」を彷彿とさせる) ↓

「志慶真門郭」を取巻く「城壁」(「万里の長城」を彷彿とさせる) ↓

「志慶真門郭」を取巻く「城壁」(「万里の長城」を彷彿とさせる) ↓

 

「主郭」周囲の「城壁」は、上部がゴツゴツした石で覆われ、上記の郭周囲の「城壁」と少し異なっているようです。

 

「主郭」周囲の「城壁」 ↓

「主郭」周囲の「城壁」 ↓

「主郭」周囲の「城壁」から「志慶真門郭」へ下る ↓

 

 

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塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

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お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

前日から、沖縄のお城「城(グスク)」における「城壁」を投稿しています。沖縄の「城(グスク)」には、「土塀」による「城壁」は殆ど見ることができませんが、石による「城壁」は各所のお城(グスク)で目にすることが出来ます。

 

しかも、石の城壁によってお城(グスク)の周囲を取巻いていますので、まるで「万里の長城」の小型版の様相を見ているようでもあります。

 

2022年〜23年にかけて投稿した「石垣シリーズ」では、「石の加工程度・積み方」の項目で沖縄の「城(グスク」の紹介をしましたが、「城壁」については触れていませんでしたので、今回のシリーズで紹介しています。

 

本日は「勝連(かつれん)城」(沖縄県うるま市)です。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として「世界遺産」であり、「続日本100名城」に選定されています。

 

1300年代の初めに築城され、1400年代初めには「阿麻和利(あまわり)」という按司(領主)が居城しました。

 

そして、「阿麻和利」は、朝鮮や中国との交易などによって力を蓄えるようになると、「首里城」王の傘下にあった「中城」の「護佐丸」を攻め立て滅ぼすことに成功し、更には「首里城」の王にも戦いに挑みますが、彼は討ち死にして「勝連城」は廃城となりました。その後は、地元民の信仰の場「御嶽(うたき)」となります。

 

「勝連城」の縄張りは、五つの曲輪で構成されていて、最高所を「一の曲輪」として、南側に向けて順番に「二の曲輪」「三の曲輪」「四の曲輪」と低くなりますが敷地の面積は大きくなっていきます。そして、五つ目の曲輪「東の曲輪」は高い丘上になります。

 

全体の模型(左側が東の曲輪、中央が四の曲輪、右側が一~三の曲輪)

右から一の曲輪~三の曲輪図 ↓

 

当城も「中城城」と同様に「城郭建造物」はありませんが、各郭を取囲むようにして石の「城壁」が見られます。

 

「三の曲輪」の「城壁」 ↓

「三の曲輪」の「城壁」 ↓

「二の曲輪」の「城壁」 ↓

 

こちらの「城壁」は、「中城城」のモノよりも幅があるように見え、特に最高所にある「一の曲輪」を下から見上げると「城壁」そのものが「要塞」のように見えます。

 

「三の曲輪」から「二の曲輪」を通過して「一の曲輪」に繋がる「城壁」 ↓

「城塞」に見える「一の曲輪」の「城壁」 ↓

「城塞」に見える「一の曲輪」の「城壁」 ↓

「一の曲輪」の「城壁」 ↓

「一の曲輪」の「城壁」 ↓

 

 

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あと残された「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズでは、毎回各お城毎に「その他城郭建造物」をお届けしています。併せて、そのお城の特徴的な建造物や普請物の写真もモニュメント的に掲出していきます。

塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

本日から、沖縄のお城「城(グスク)」における「城壁」を見て行きたいと思います。沖縄の「城(グスク)」には、「土塀」による「城壁」は殆ど見ることができませんが、石による「城壁」は各所のお城(グスク)で目にすることが出来ます。

 

しかもそれによってお城(グスク)の周囲を取巻いていますので、まるで「万里の長城」の小型版の様相を見ているようでもあります。

 

2022年〜23年にかけて投稿した「石垣シリーズ」では、「石の加工程度・積み方」の項目で沖縄の「城(グスク」」の紹介をしましたが、「城壁」については触れていませんでしたので、今回のシリーズで紹介していきます。

 

まず本日は「中城(なかぐすく)城」(沖縄県中頭郡北中城村)です。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として「世界遺産」であり、「日本100名城」に選定されています。

 

沖縄は、13世紀(1200年代)に「北山(ほくざん)」「中山(ちゅうざん)」「南山(なんざん)」の3つの王国に分かれていました。

 

お互いに独立していたので、各国王は王国としての存在を認めてもらえるように、当時の「元」や「明」と朝貢貿易をしていました。その為にも「王国」の中心である「城(グスク)」を築城して、国王はそこに居住していました。

 

そんな中で「中城城」は、1300年代に地元の豪族が築城し、1440年頃には「琉球」の築城名手「護佐丸」によって、整備拡大されました。その後、「琉球王朝」の傘下に置かれ、「正殿」跡には行政施設として「番所」を設けて管理されました。

 

更に歴史に出てくるのが、1853年にアメリカの「ペリー」艦隊が「琉球」に上陸して、この「中城城」の調査が行われました。

 

「城(グスク)」の縄張りは、「一の郭」「二の郭」「三の郭」とほぼ一直線に段々と下る「連郭式」で、その周囲には「南の郭」「西の郭」「北の郭」が南から西側の守りを固めました。各郭の周囲は、琉球「城(グスク)」の特徴である曲線使いの「城壁」によって囲われています。

 
当城には「城郭建造物」はありませんが、真中が曲線になった「三の郭石垣」「二の郭石垣」は良く写真で紹介されていて、石積み技法は「相方積み」の綺麗な積み方となっています。
 
「三の郭石垣」(この上が「三の郭」) ↓
「二の郭石垣」(この上が「二の郭」) ↓
 
石による「城壁」は、郭毎の出入口となっている石でできたアーチ状の石門から両脇に延びて各郭を囲います。郭の形はスクエアではないので、郭の敷地の曲線的な凸凹に沿ってウネウネと美しい「城壁」が延びていきます。
 
「北の郭」の「裏門」とそれに続く「城壁」 ↓
「北の郭」の「城壁」と「アザナ(見張台)」 ↓
「北の郭」の「城壁」と「アザナ(見張台)」 ↓
「二の郭」の城壁(奥下は「三の郭」) ↓
「二の郭」の城壁 ↓
「二の郭」の城壁
 
「中城城」の「二の郭」の「城壁」越しに見下ろす「中城城港」周辺の街並みと海は素晴らしいものがあります。
 
「二の郭」の城壁から「中城城港」方向を見下ろす ↓
「二の郭」の城壁 ↓
「二の郭」城壁が「一の郭」へ繋がる「石門」に繋がる ↓
「一の郭」の「城壁」 ↓
 
 
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