昨日(4/14)は、首の故障から1年半ぶりの遠征城廻りをしました。

 

少し不安はありましたし、数日前まで雨予報も出ていたので幸先悪いな〜と思っていたところ、天気は快晴ではないものの晴れ間があり、しかも、途中休憩を2度挟みながらも2時間半のお城巡りを完結できたことで、少し自信が取り戻せる1日となりました。

 

7人のグループ訪城で、JR「京橋駅」と「大阪駅」から「紀州路快速」に乗っての遠征でした。

 

当日は、JR「阪和線」の踏切安全確認の為に20分近くの「大阪駅」到着遅延で全員が同じ電車に乗り込めるか心配でしたが、無事同車両に乗車し和歌山へ向かうことができ和歌山駅到着も10分の遅延ですみました。

 

予定のバスには乗れなかったですがタクシーで分乗して、ランチをする市役所”十四階農園”には十分間に合いました。

 

和歌山市役所の最上階にある「十四階農園」レストラン ↓

 

”十四階農園”というブッフェスタイルのレストランは、「和歌山城天守群」が見下ろせる絶好のポジションにあるとのことで人気スポットです。一人1650円で、全種類を食べきれない程の各種料理やデザート、ドリンク(アルコールは別)がいただけます。

 

「十四階農園」 ↓

私はこのプレート2枚の他各種デザートを食べました ↓

 

「天守群」だけでなく、お城がある「虎伏山」の青々した木々、「堀」、「堀」を渡る「御橋廊下」や石垣などを眺めながら食事ができるので、つい食べ過ぎてしまうほどに食欲が湧いてきます。

 

レストランから望む「天守曲輪」 ↓

レストランから望む「天守群」 ↓

レストランから見下ろす「御橋廊下」 ↓

レストランから見下ろす「砂の丸」跡 ↓

 

約1時間後の12時40分、7人がお腹を満たして、いよいよお城巡りに向かって「レッツラゴー」しました。

 

この「レッツラゴー」に反応した一人がいました。

 

NHKBS朝7:45からの「心旅」に出演の俳優「田中美佐子」さんが、当日の自転車旅に出発する際の掛け声です。

 

個人が心に残っている風景等を訪れて欲しいとの手紙の要望に応える番組で、素朴な日本の風景の中を走る自転車旅で、私もお城巡りでレンタサイクルを使い各所を廻っていたのでその風景に共感するものがあります。

 

また、65歳にもかかわらず可愛さと陽気さと人なつこさが溢れ出ている「美佐子さん」のパワーには、毎日元気を貰っているね-と話が盛り上がりました。

 

少し話がそれましたが、私達は「西之丸庭園」から出発。石組を配した池泉回遊式庭園で「内堀」を池に見立てて庭園の景色を取り込んでいます。

 

石組を配した池泉回遊式庭園 ↓

 

池には復元の「鳶魚閣(えんぎょかく)」が風流さを醸し出しながら池の上に佇み、その奥には「西之丸」から御殿があった「二之丸」に「堀」上を斜めに架かる復元「御橋廊下(おはしろうか)」が見える絶景ポイントでもあります。

 

「鳶魚閣」と「御橋廊下」 ↓

 

「御橋廊下」は屋根と壁で囲った「廊下橋」で、当時藩主やその家族が「二之丸御殿」から遊興施設・エリアであった「西之丸御殿」「西之丸庭園」へ行き来する為に設けられた橋でした。床は斜めになっているので滑り止め防止用の薄い板を貼っています。当時、足袋を履いて上がり降りするのはたいへんだったやろね〜と話しながら上がって行きました。

 

復元「御橋廊下」内の壁と窓 ↓

復元「御橋廊下」内(二之丸側から下っている) ↓

 

上りきった脇の石垣はザラザラ感のある「砂岩」が積まれていて、これからみていく石垣の石とは少し様相が違いました。

 

「砂岩」の石垣 ↓

 

「二之丸御殿」跡から、その敷地の南側は「天守曲輪」や「本丸」が築かれている「虎伏山」の山肌です。

 

「二之丸御殿」跡 ↓

「二之丸御殿」脇に咲き乱れていた「シャクヤク」 ↓

 

そこには、「豊臣秀長」が築いた頃のモノと思われる「野面積み石垣」が山肌に沿って見られます。石の種類はこの地で採れる「緑泥片岩(結晶片岩)」でびっしりと覆われ、角部は鈍角状(鎬積み)で大きな石を交互に積上げる古い工法です。

 

「秀長」時代の「緑泥片岩」による「野面積み石垣」 ↓

「秀長」時代の「緑泥片岩」による「野面積み石垣」 ↓

角は鈍角の「鎬積み(しのぎつみ)」 ↓

角は鈍角の「鎬積み(しのぎつみ)」 ↓

 

これらを見学した後、「二之丸」跡から「御蔵之丸」跡に入る左側には「一中門」跡の石垣が見られます。「一中門」は、北側にある復元「大手門」から直進に南方向に築かれた門でその脇には「太鼓櫓」も建っていたようです。

 

今回、前述したように市役所「十四階農園」で食事した後「西之丸」跡から入城したことから「大手門」は帰りに寄る予定をしていました。(実際は、最後皆さん疲れ果てて「大手門」まで行けず帰りのバスの車窓からの見学になりました)

 

「一中門」跡石垣の「二之丸」跡側には、今まで見た石垣とは全く違う石と石の間に全く隙間の無い「切込接布積み」に近く、しかも「亀甲積み」が見られますが、完全な亀甲型になっていないので「亀甲崩し」と言われています。

 

「一中門」跡の石垣で「亀甲積み」が」見られる ↓

 

そしてその南側には大きな「虎」が寝そべる「虎伏(こふく)像」があります。「天守曲輪」「本丸」が築かれた小山は「虎が伏せた姿」に似ているので「虎伏山(とらふせやま)」と呼ばれていたので、「虎伏像」が作られたようです。

 

「虎伏像」 ↓

 

この後、「御蔵之丸」跡を抜けて「岡中桝形」へ入って行きますが、次回に投稿したいと思います。

 

 

 

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昨日で、「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズは完了しました。

 

私が訪れた北海道から沖縄までのモノで151城をピックアップしましたが、他にもあるかもしれません。ここで一旦終了して、「総集編」を掲載したいと思います。

 

「城郭建造物」というのは、「天守(御三階櫓)」「櫓」「門(櫓門、城門)」「御殿・居館(御亭、茶室、能舞台)」「番所」「蔵」を一般的に言いますが、それ以外の建造物を「その他の城郭建造物」として採り上げましたので、それの私なりの定義を今一度記載しておきます。


塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げています。「塀」には白漆喰や下見板張りの「土塀」や板張りの「板塀」、石壁による「石塀」の他に、石を積上げた石壁による「石塁」で「城壁」となっているモノも採り上げました。

次に「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届けしました。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等は数少ないですが掲載しています。
 

松前城 ↓

五稜郭 ↓

辺切地陣屋 ↓

弘前城 ↓

根城 ↓

秋田城 ↓

亀田陣屋 ↓

盛岡城 ↓

花巻城 ↓

山形城 ↓

出羽松山城 ↓

米沢城 ↓

仙台城 ↓

白石城 ↓

会津若松城 ↓

二本松城 ↓

白河小峰城 ↓

相馬中村城 ↓

宇都宮城 ↓

壬生城 ↓

結城城 ↓

水戸城 ↓

館林城 ↓

 

 
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「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズは、北の北海道から南の沖縄まで見てきましたが、昨日から途中の県で抜けているお城がありましたので、数城の「その他の城郭建造物」を投稿しています。


塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

本日は「大野城(き)」(福岡県福岡県糟屋郡、太宰府市、大野城市)です。「日本100名城」に選定されています。

 

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

              ↓

城内に建つ「城郭建造物」はありませんが、山頂を中心に、約6.8㎞の距離の尾根から谷を巡る「石塁による城壁」や「土塁」で外周を取り巻いています。
 
「百間石垣」「水ノ手石垣」「屯水石垣」など7か所に石塁による「城壁」が残りますが、特にお城の中央を走る道路沿いの最も北側に残る「百間石垣」の城壁は見事です。
 
百間ということで約180mもの城壁がうねりながら山を上がっていく姿は、当時の人が積上げたモノとは思えない程の技術力です。
 
「百間石垣」の一番端 ↓

「百間石垣」が山に沿って昇っていく ↓

「百間石垣」が続いていく ↓
「城壁」途中の石積み ↓
「城壁」途中の石積み ↓
山の上でウネッて築かれた「城壁」 ↓
「城壁」途中の石積み ↓
「城壁」途中の石積み ↓
「城壁」途中の石積み ↓
「城壁」途中の石積み ↓
「城壁」途中の石積みを近くから見ると ↓
「城壁」途中の石積みを近くから見ると ↓
 
 
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こんばんは! NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」を見ましたか-!

 

戦国時代を「豊臣秀吉」と「豊臣秀長」が兄弟で手を取り合って立身出世して、天下統一事業を成し遂げていくというのが基本的なお話ですね。

 

今日のお話は前回の続きで、「浅井家」が裏切ったことを当初信じることができなかった「織田信長」ですが、浅井長政の室であった妹「お市」から送られてきた両側を結ばれた豆袋によって、「朝倉方」と「浅井方」による袋の鼠状態になったことを理解することとなりました。

 

「京」へ逃げることを決断した「信長」は、「秀吉」に「殿(しんがり)」を任せ、二刻(ふたとき=約4時間)の時間稼ぎをするように命じます。

 

「秀吉軍」は、軍師「竹中半兵衛」の策によって二刻を「金ケ崎城」で踏ん張り、その後「京」へ無事帰還しました。

 

この「金ケ崎城」での戦闘が、本日のメインの舞台となりました。「金ケ崎の退き口(のきぐち)」です。

 

這う這うの体で「京」へ帰還した「秀吉・秀長」は「信長」から酒を振舞われ、この功績が今後の「豊臣兄弟」の出世の糸口となるようです。

 

次回は、怒り狂った「信長」は、「浅井長政」への報復を行うべく「姉川の合戦」が予定されています。

 

ということで、先週早まって掲載した「金ケ崎城」(福井県敦賀市)を、再掲載したいと思います。

 

 

 

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「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズは、北の北海道から南の沖縄まで見てきましたが、昨日から途中の県で抜けているお城がありましたので、数城の「その他の城郭建造物」を投稿しています。


塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

本日は「屋嶋城(き)」(香川県高松市屋島東町)です。

 

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

              ↓

城内の「城郭建造物」はありませんが、復元修築された「懸門」跡があり、そこから高松市内を見おろせる絶景ポジションです。
 
復元修築された「懸門」跡 ↓
 
「その他の城郭建造物」は、その「懸門」の両脇に翼状に拡がる復元「城壁」ですが、「内托式」と呼ばれ自然地形を活用して斜面にもたれさせかけた構造となっています。また、城壁の所々に排水溝のような穴も設けられています。
 

これらは、当時「百済国」から多くの亡命者が倭国に流れてきて、朝鮮方式の築城技術を伝えたようです。

 

「懸門」跡 から延びる石壁の復元「城壁」 ↓

「懸門」跡 から延びる石壁の復元「城壁」 ↓

「懸門」跡に向かって石壁の復元「城壁」 ↓

石壁の復元「城壁」 ↓

 
 
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「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズは、北の北海道から南の沖縄まで見てきましたが、昨日から途中の県で抜けているお城がありましたので、数城の「その他の城郭建造物」を投稿しています。


塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

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本日は「御着城」(兵庫県姫路市)です。

 

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

              ↓

 
三重三階の城郭建造風の「姫路市役所 東出張所」 ↓
 
「その他の城郭建造物」は、「御着城」のものではないですが、城内跡には1828年に「姫路藩」によって旧西国街道の「天川(あまかわ)」に架けられた石橋の「天川橋」が移築されています。
 
1972年の大水で中央部が崩壊したので解体して現在地に移築したとのことですが、橋桁の石には「文政11年2月成 石工 瀬助、仲右衛門」と刻まれています。橋脚は五脚で曲線を描いています。

 

城内跡に移築された「天川橋」 ↓
城内跡に移築された「天川橋」 ↓
城内跡に移築された「天川橋」 ↓
城内跡に移築された「天川橋」 ↓
橋桁の石に刻まれた「文政11年2月成 石工 瀬助、仲右衛門」 ↓
 
 
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「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズは、北の北海道から南の沖縄まで見てきましたが、昨日から途中の県で抜けているお城がありましたので、数城の「その他の城郭建造物」を投稿しています。


塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

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本日は「明智城」(岐阜県可児)です。「続日本100名城」に選定されています。

 

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

              ↓

城内で見られる「城郭建造物」は、大手門跡に建つ模擬「冠木門」です。
 
摸擬「冠木門」 ↓
「明智城跡」碑 ↓
城内散策マップ ↓
 
「その他の城郭建造物」は、「本丸曲輪」から南側少し段下の「馬場」の敷地際に建てられた再現「馬防柵」です。
 
「逆茂木」に3本の横木を咬ませ、更に斜めの添え木によって支えをしているのが今までの柵と少し違います。
 
「本丸曲輪」跡の下段に「馬防柵」が見える ↓
正面が再現「馬防柵」 ↓
「馬場」沿いに再現された添え木付き「馬防柵」 ↓
 

 
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昨日(4/7)のお話ですが、息子ファミリーが夕方から「大坂城公園」(大阪府大阪市中央区)へ桜を見に行くけど一緒に行かない? とのラインが入り二つ返事で参加すると返信しました。

 

16時半頃にお迎えがあり、一路「大坂城公園」へ。途中渋滞があり、女の子の孫ちゃんがソワソワ。

 

というのも、天守が建つ「大坂城本丸」内の「ミライザ」1階で開催中の「コナンショップ」が17時半で閉店となるらしく、本日の花見のもう一つの目的でもあったようでした。

 

「天守」に近い駐車場に停めれなく、「森之宮」に近い駐車場(三の丸の南東)に停めたので、ショップ閉店時間まであと僅か20分しかありませんでした。

 

孫ちゃんの折角の楽しみに、私も必死になって応援すべくそこから長い階段を上がり、坂道を足早で進み、辛うじて「ミライザ」に到着したのが閉店時間10分前を切っていました。

 

 

孫ちゃんは、お気に入りの品を選び、ゲットすることができ、また「コナン」が写る写真前で記念写真も撮ることができて大満足、私もファミリーも滑り込みセーフで歓喜に沸きました!

 

物色中の孫ちゃん ↓

コナン大坂城バージョンの写真前でパチリ ↓

コナンの紙袋 ↓

 

17時半を過ぎて「天守」前に出ると、多くの殆どインバウンド観光客で埋まり切っていました。「天守」で記念写真を撮り、その後は「天守」北側の「極楽橋」を渡り、「青屋門」を潜って「外堀」沿いに植わる「ソメイヨシノ」を見に行きました。

 

インバウンドの人・ひと・ヒト ↓

桜と天守 ↓

「天守」前でパチリ ↓

西側の石垣 ↓

南西隅の「天守」 ↓

「極楽橋」を渡った所からの「天守」 ↓

 

「コナンショップ」までは足早に歩いたこともあり、身体を温まっていたのですが、陽が沈むにつれて寒さが身に染みてくるようでした。

 

東側の「外堀」越しからの「天守」 ↓

 

「ソメイヨシノ」は、午前中の強風にも耐えてまだまだ満開状態で鑑賞できたし、「堀」の端には、強風に耐えれなかった花びらが集まっている「花筏(はないかだ)」も目にできて大変いいお花見ができました。

 

「外堀」沿いの「ソメイヨシノ」 ↓

「艮櫓」台と桜 ↓

「玉造門」跡下の桜群

「玉造門」跡下の桜群

「外堀」南端に「花筏」が浮かぶ ↓

 

夕食は、千里中央から北に進んだ所にあるお寿司屋でお腹を満たし、20時過ぎに家まで送って貰いました。

 

先日のブログでも書いたと思いますが、今年は、本当に良く桜を愛でることが出来た春でした!

 

 

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「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズは、北の北海道から南の沖縄まで見てきましたが、昨日から途中の県で抜けているお城がありましたので、数城の「その他の城郭建造物」を投稿しています。


塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

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本日は「墨俣一夜城」(岐阜県大垣市墨俣町)です。

 

当城は、1566年に美濃国(現在の岐阜県)「斎藤家」へ侵攻するにあたり、誰もが二の足を踏んだ敵前の場所に、「木下藤吉郎(秀吉)」が一夜にして砦を築くことに成功します。所謂、「墨俣一夜城」です。川の上流から木材を筏として組んで流し、下流で築城を進めるという奇策は、「藤吉郎(秀吉)」の存在を「織田信長」に示した最初の功績と言われています。

 

立地と縄張りは、「長良川」と「犀川」の合流地点辺りに、単郭で柵と木でできた建物が建つだけの砦でした。

 

当時の「砦」の絵図(現地に掲出絵図) ↓

 

城内の「城郭建造物」は、歴史資料館である模擬「墨俣城天守・付櫓」が建ちますが、本来は砦であったので全くの摸擬になります。

 

歴史資料館として使用されている摸擬「天守」 ↓


「その他の城郭建造物」は、「犀川堤」から「犀川」を渡る「太閤出世橋」が架かります。橋には「秀吉」の馬印である「瓢箪」が「擬宝珠」替りに飾られ、渡り切った所には「太閤秀吉」像が迎えてくれます。

 

誰もが「太閤出世橋」を渡り切ることによって、「誰もが出世できますように」との願いが込められているそうです。

 

馬印「瓢箪」が擬宝珠替りに付く「太閤出世橋」 ↓

馬印「瓢箪」が擬宝珠替りに付く「太閤出世橋」 ↓

 

模擬「天守」が現在建つ敷地の東側から北側にかけては、当時の「砦」のイメージを再現する為に、「斎藤勢」の騎馬隊を防ぐための高さ1間、地中3尺の松桧木を打込み、藤つるで巻いた「馬柵」が設けられています。

 

再現された「馬柵」 ↓

再現された「馬柵」 ↓

再現された「馬柵」 ↓

 

 
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「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズは、北の北海道から南の沖縄まで見てきましたが、昨日から途中の県で抜けているお城がありましたので、数城の「その他の城郭建造物」を投稿しています。


塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

本日は「荒砥城」(長野県千曲市)です。

 

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

              ↓

城内の「城郭建造物」は、発掘調査等に基づいて再現された「主殿」「兵舎」「物見櫓」「城門」が建ち、中世の城郭とはこんなんだったのかと理解を深めることができるお城です。
 
「一の郭」の再現「主殿」 ↓
「二の郭」の再現「櫓」 ↓
「二の郭」入口の再現「城門」 ↓
 
「その他の城郭建造物」は、「城門」から繋がり各郭を取巻く「逆茂木」風の「木柵」が当時の防御施設であることをアピールしています。沢山の「逆茂木」を立てて三本の横木を咬ました構造です。
 
「城門」から繋がる「木柵」 ↓
「城門」から繋がる「木柵」 ↓
「櫓」手前の「木柵」 ↓
「一の郭」の周囲を囲う「木柵」 ↓
「郭」を囲う「木柵」(沢山の「逆茂木」が並ぶ) ↓
「郭」を囲う「木柵」(沢山の「逆茂木」が並ぶ) ↓
 

 
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