あと残された「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズでは、毎回各お城毎に「その他城郭建造物」をお届けしています。併せて、そのお城の特徴的な建造物や普請物の写真もモニュメント的に掲出していきます。

塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届します。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

只今、沖縄のお城「城(グスク)」における「城壁」を投稿しています。沖縄の「城(グスク)」には、「土塀」による「城壁」は殆ど見ることができませんが、石による「城壁」は各所のお城(グスク)で目にすることが出来ます。

 

しかも、石の城壁によってお城(グスク)の周囲を取巻いていますので、まるで「万里の長城」の小型版の様相を見ているようでもあります。

 

2022年〜23年にかけて投稿した「石垣シリーズ」では、「石の加工程度・積み方」の項目で沖縄の「城(グスク」の紹介をしましたが、「城壁」については触れていませんでしたので、今回のシリーズで紹介しています。

 

本日は「今帰仁(なきじん)城」(沖縄県国頭郡今帰仁村)です。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として「世界遺産」であり、「日本100名城」に選定されています。

 

沖縄は、13世紀(1200年代)に「北山(ほくざん)」「中山(ちゅうざん)」「南山(なんざん)」の3つの王国に分かれていたことは、既に記載しましたが、「今帰仁城」は、「北山王国」の王「北山王」の居城でした。

 

しかし、1416年に「首里城」を拠点とする「中山王国」の「尚巴志(しょうはし)」によって攻められ滅亡し、以降は「北山監守」が置かれていましたが、1609年の「薩摩藩」による「琉球侵攻」の後1665年に廃城となりました。

 

「今帰仁城」の縄張りは、北側に広大な「外郭」を備え、兵士の調練場として使われていた「大隅(うーしみ)」の城壁が囲います。この一段上の郭が女官邸があった「御内原(うーちばる)」と「大庭(うーみゃ)」とが隣り合わせに並びます。

 

そして「大庭」の少し高くなっている場所が「本丸」に当たる「主郭」となり、こちらに大きな2基の建造物が建っていたようです。「主郭」の南端には「門」があり、そこを潜り抜けると、最も南側に位置する「志慶真門(しけまじょう)郭」が目の下に拡がります。

 

縄張図(斜め左下が北方向) ↓

 

「今帰仁城」には、城郭建造物は建っていませんが、特徴的なモノとして石でできた「平郎門(へいろうもん)」が修築されています。この門の両脇には「城内」側の両脇に「銃眼」を備えた石でできた「部屋」があります。

 

「平郎門」(左側に「銃眼」が見える) ↓

「銃眼」がある石積みの部屋 ↓

 

「今帰仁城」も、石で出来た「城壁」が見事で、まるで「万里の長城」の小型版を見ているようです。特に「大隅」を囲う「城壁」、「志慶真門(しけまじょう)郭」を取巻く「城壁」は「万里の長城」を彷彿とさせる光景です。

 

「外郭」周囲の石の「城壁」 ↓

「大隅」を囲う「万里の長城」の様な「城壁」(御内原から望む) ↓

「大隅」を囲う「万里の長城」の様な「城壁」 ↓

「志慶真門(しけまじょう)郭」を取巻く「城壁」(「万里の長城」を彷彿とさせる) ↓

「志慶真門郭」を取巻く「城壁」(「万里の長城」を彷彿とさせる) ↓

「志慶真門郭」を取巻く「城壁」(「万里の長城」を彷彿とさせる) ↓

 

「主郭」周囲の「城壁」は、上部がゴツゴツした石で覆われ、上記の郭周囲の「城壁」と少し異なっているようです。

 

「主郭」周囲の「城壁」 ↓

「主郭」周囲の「城壁」 ↓

「主郭」周囲の「城壁」から「志慶真門郭」へ下る ↓

 

 

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