9月22日 ~ 楽壇の”ゴッドファーザー” スターン 没 | Wunderbar ! なまいにち

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まだまだひよっこですがクラシック大好きです。知識は浅いがいいたか放題・・・!?

皆さま、今日もお元気でしたか?お月見

台風12号台風が来るみたいですね。今回は予想では関東方面へ向かって来るようなので、その地域の方々はどうぞ十分に備えをされて気を付けてくださいね。被害が少ないことを祈っています・・・

 

 

「今日はなんの日」のコーナーです。

参考にしたのは、近藤憲一氏著「1日1曲365日のクラシック」という本で、それをお題に書いています。(写真はwikipediaなどwebからお借りしました)

 

今日、9月22日は・・・アメリカのヴァイオリニスト 「アイザック・スターンの命日」 です。

 

Isaac Stern: 1920.7.21-2001.9.22; アメリカのヴァイオリニスト

 

今年はアイザック・スターンの生誕100周年!!クラッカークラッカークラッカー

(なのに近藤先生はまたもや命日でスターンのことを取り上げるとは・・・にやり)

スターンは20世紀のアメリカを代表するヴァイオリニストです。ユダヤ人だった彼は、演奏活動を通して平和活動も積極的に行いました。何度も来日しており日本人にもなじみ深い巨匠でした。

 

 

アイザック・スターンは、1920年7月21日にポーランド領(現在はウクライナ領)のクレメネツでユダヤ人の両親のもとに生まれましたが、生後10か月(14か月という記載も)で家族とともにサンフランシスコへ移住しました(その後の歴史を考えると、ご両親は賢明だったんだな~と思いました)。

母親から早くから音楽の手ほどきを受け、1928年(8歳)でサンフランシスコ音楽院に入学、ヴァイオリンを学びました。1936年2月(15歳)にサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番を演奏してデビュー。その時サンフランシスコ響を指揮して共演したピエール・モントゥーは、

「彼は現代の真に偉大なヴァイオリニストのひとりであると躊躇なく断言します」と語って、わざわざ他の指揮者に推薦状まで書いてくれたそうです。

 

1937年(17歳)にはカーネギーホールにデビューしました。

ひらめき電球このカーネギーホールについては、1950年代末に老朽化した同ホールが解体の危機に見舞われた際に、スターンは救済活動に立ち上がりました。彼は保存運動に乗り出し、有力な企業経営者、政治家、銀行家などを巻き込み、ついにニューヨーク市がホールを購入、保存すうことが決定しました。1960年(40歳)に同ホールの理事長に就任しました。現在カーネギーホールにのメイン・オーディトリアムは彼の名前が付けられているそうです。

 

戦時中は健康上の理由で軍隊には入らず、代わりに戦地で慰問演奏を行いました(激戦地のガダルカナル島などにも行ったそうです)。戦争が終わると世界各国で活動(生涯訪れた国と地域は30にも及びました)しました(ユダヤ人としてドイツやオーストリアでの演奏は晩年になるまで拒否したそうですがその後は訪れました)。

晩年にはアメリカに亡命していたバルトークとも会っています。スターンは、バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番を『ブラームス以来の傑作』と語っているそうです。

 

スターンは後進の指導にも熱心でした。

1979年(59歳)に中国政府に招かれ、演奏旅行と同時に中国各地でヴァイオリンの指導を行いましたが、その模様をおさめたドキュメンタリー映画「毛沢東からモーツァルトへ (From Mao to Mozart)」は、翌年のアカデミー賞で最優秀長編記録映画賞を受賞しました。

また、才能ある若者がいれば時間を作って演奏を聴き、教師を紹介し、必要なら金銭的援助もしたといいます。それはヴァイオリニストに限りませんでした。スターンの力添えもあり、ズーカーマン、パールマン、五嶋みどり、ヨーヨー・マ、ブロンフマンなどたくさんの演奏家が世に出ました。

 

また、スターンは映画「屋根の上のヴァイオリン弾き」(1971)のサウンドトラックの独奏ヴァイオリンを担当したことでも有名です。

この映画はウクライナの小さな村に住むユダヤ人一家の運命を描いたもので、ローマ時代に皇帝ネロのユダヤ人虐殺があった時に、逃げまどう群衆の中でただ一人屋根の上でヴァイオリンを弾いた男がいた、という故事を描いたシャガールの絵をヒントを得たものです。同名のミュージカルが有名ですが、1964年のブロードウェイでのミュージカルの初演を観たスターンは、この登場人物たちと似た境遇の両親を持っていたため強い共感を感じ、その後も観るたびに涙を流したそうです。

 

スターンは東京でもこのミュージカルを観劇して、主役(デヴィエ役)の森繫久彌氏と会ったそうです。その際、スターンは目を潤ませながら、『あなたはユダヤ人だ』と言ったそう。

森繫氏が「ノー、日本人です」と答えると、『そんなはずはない。あれだけの表現ができるのはユダヤの血が流れているからだ。私はユダヤ人だからよくわかる。』と言ったそうです。そして森繫氏に抱きついていきなりキスしたんだそう。びっくり 森繫氏はスターンと知らずに変な奴が現れたとすごく嫌悪感を持ったらしいですww

でも森繫氏がその後スターンが世界的なヴァイオリニストということを知ってからは、すっかり打ち解けてふたりは何度も会って食事をしたりする親しい仲になったそうです。

スターンは、森繫氏にこうも言ったそうです。

『あなたのためなら、眠りにつくまでの間何時間でもヴァイオリンを弾き続けますよ。』

 

日本には何度も来日し、深い関係を築きました。

1985年(65歳)には広島で行われた「平和コンサート」に参加。

1996年から開始した「宮崎国際音楽祭」では初代音楽監督に就任。翌年には勲三等旭日中綬章を受章しました。

2000年には80歳で来日、来日記念アルバムもリリースされました。

 

80歳来日記念アルバム

 

2001年の今日、9月22日に、アメリカ同時多発テロから11日後のニューヨークで心不全のため亡くなりました。81歳でした。 翌年宮崎県は県民栄誉賞を彼に遺贈しました。

 

コネチカット州リッチフィールドにあるMornigside墓地にあるスターンのお墓

 

 

彼の使用したヴァイオリンは、1737年製のグァルネリ・デル・ジェズ”バネット子爵”と1740年製のグァルネリ・デル・ジェズ”イザイ”でした。

彼は古典的作品に加え、アルバン・ベルクやストラヴィンスキーなど20世紀の作曲家たちの作品も積極的に演奏、録音しました。

 

彼は多忙な生活の中で次第に練習時間が少なくなり、大指揮者ジョージ・セルから、「君が他のことをやめて、もっと練習していれば世界一のヴァイオリニストになれたのに」と言われたこともあったそうですが、スターンは、次のように書いています。

『もし私が自分の人生を音楽に限定していたら、遅かれ早かれ私はどうにかなっていたでしょう』

彼にとっては練習と同様に平和活動や後進の指導なども同じように大切だったのでしょう。

彼は自伝も書いています。

 

アイザック・スターン著 「すばらしきかな、わがヴァイオリン人生」(清流出版)

 

 

それでは今日の曲です。彼が演奏したチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲より第3楽章です。

 

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35より 第3楽章 (9分29秒)

/ アイザック・スターン (vn)、バーンスタイン&ニューヨーク・フィル

 

実際に演奏する姿も観たいですよね~音符

 

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 K.216 (26分51秒:第2楽章;10分11秒~、第3楽章;18分14秒~) / スターン(弾き振り)  (1996年3月14日 宮崎)

 

これは第1回宮崎国際音楽祭でのライブではないでしょうか。76歳のときの演奏です。

 

若きもぎぎが吹いてる~~!! で、で、もぎぎのちょっとしたソロに、スターンが振り返ってもぎぎに向かってウインクべーっだ!してるのビックリマーク(4分20秒あたりからご覧ください。ウインクは4分40秒あたりです) いや~んラブラブラブ

 

 

『誰かの演奏を聴いたときに、この人のビブラートはいいな、とか、この人の指は良く回るな、などというように何か1つのポイントに耳が行くということは、それはその人の欠点かもしれない。 すべての要素は音楽を表現するための道具。相互的にバランスが取れていないと音楽に没頭して聴くことができない。何かが1つ飛び出ていてはいけないのだ。』  (アイザック・スターン)