皆さま、連休中いかがお過ごしでしょうか![]()
今日は「敬老の日」![]()
じーちゃん、ばーちゃん、いつまでも元気でね!
といっても、私のじーちゃん、ばーちゃんたちはとっくにあの世です![]()
母方のじーちゃんとばーちゃんは特に大好きでした。なんなら両親より好きなくらいでしたw
自分が天国に行ったら(行けたとしたら)、真っ先にふたりに会いたいです![]()
さてさて、「今日はなんの日」のコーナーです。
参考にしたのは、近藤憲一氏著「1日1曲365日のクラシック」という本で、それをお題に書いています(写真はwikipediaや観光サイトなどwebからお借りしました)
今日、9月21日は・・・スコットランドの詩人・小説家の「ウォルター・スコットの命日」です。
Sir Walter Scott: 1771.8.15-1832.9.21; スコットランドの詩人・小説家
ウォルター・スコットはロマン主義作家として歴史小説で名声を博し、イギリスの作家としては存命中に国外でも成功を収めた初めての人気作家だそうです。当時の読者大衆には絶大な人気を誇りました。
なぜ彼がこのシリーズに登場したのか、それは今日の曲、ドニゼッティの歌劇「ランメルモールのルチア」の原作者だからです![]()
ウォルター・スコットは、1771年8月15日にスコットランドのエディンバラで12人兄弟の9番目として生まれました(兄弟のうち6人は幼少期に夭逝)。父は弁護士で母はエディンバラ大学医学部教授の娘というエリート一家でした。
1歳半(3歳とも書いてある)で小児麻痺にかかり左足が不自由となり、療養のためスコティッシュ・ボーダーズ地方にある祖父母の家で7歳まで過ごしました。この間にスコットランドの昔話や歴史に親しみました。
1778年(7歳)でエディンバラのグラマースクールに入学。1783年(12歳)にエディンバラ大学古典学科に入学しますが、健康を害して2年後に中退して父の法律事務所で働き、1792年(21歳)に弁護士の資格を取得しました。一方ではゲーテやシラーなどのロマン派文学にも惹かれ、ゲーテなどの作品を英訳して出版しました。
1797年(26歳)に旅行先のカンバーランドで出会った、フランスから亡命していたシャーロット・シャーパンティアに出会って結婚、その後エディンバラ南のラスウェイドに住みました。
1799年(28歳)にはセルカーク州知事代理に任命されました。
かつての級友バランタインの出版社に出資、共同経営者となって、1802年-03年(31-32歳)に「スコットランド歌謡集」全3巻を出版、翌年ワーズワースと知り合い、生涯交流を続けました。 1805年(34歳)に出版した物語詩「最後の吟遊詩人」がワーズワースらから評価され名声を高め、その後も創作活動に力を入れ、「湖上の美人」などを発表しました。
一方弁護士職も続け、1806年(35歳)からスコットランド最高民事裁判所の高級書記官を生涯に渡って務めました。(のちにセルカーク州の司法行政長官も兼任)
1811年(40歳)にアボッツフォードの邸宅(後述)を購入。
1813年(42歳)に桂冠詩人に擬せられますが辞退。
戦争の影響でバランタインの出版社の経営が悪化、救済のために1814年(43歳)に歴史小説「ウェイヴァリー」を無署名で発表、これが好評でその後も次々と歴史小説を発表しました(後に1827年(56歳)に作者が自分であることを公表)。1820年(49歳)ジョージ4世からサーの称号を与えられ、エディンバラ学士院の院長に就任。
バランタインの出版社は1826年に破産宣告を受け、共同経営者だったスコットはその債務の返済のために作品を書き続けました。スコットは、『この右手で返済する』と言って、超人的な執筆をつづけ、借金を完済したそうです。
しかし、この激務がたたったのでしょうか、1830年(59歳)に脳卒中を起こし、翌年保養のためナポリに滞在しますが数か月後に孫の死を知ってアボッツフォードに帰郷、その数週間後の1832年9月21日に61歳で他界しました。ドライバラ寺院のスコット家の墓地に埋葬されました。
スコティッシュ・ボーダーズのメルローズのドライバラ寺院にあるスコット家の霊廟
この中にウォルター・スコットのお墓があるようです
彼の代表作は、叙事詩「湖上の美人」(1810年)、歴史小説「ウェイヴァリー」(1814年)(スコットランドとイングランドの戦いを題材にしたもの)、歴史小説「ランマームーアの花嫁」(1819年)(ドニゼッティの歌劇「ランメルモールのルチア」の原作)、「アイヴァンホー」(1820年)(サクソン人とノルマン人の抗争を描いたもの)、「ミトロジアンの心臓」(1818年)(嬰児殺しの罪に問われた実在の女性ヘレン・ウォーカーを題材にしたもの)などです。
特に、「ウェイヴァリー」小説シリーズは、出版史上、初の(近代的な意味での)”ベストセラー”の登場といわれています。エディンバラで刷られた本は船積みされてロンドンへ送られましたが、風波で遅れると読者はやきもきし、ロンドン港に入って2,3時間もしないうちに首都のあらゆる本屋で入荷が広告されたといいます。
彼の肖像画はスコットランド銀行発行のすべての紙幣に使用されているそうです。
また、キルトやタータンチェックがスコットランドの国民的衣装として知らしめたのもスコットのおかげだそうです(スコットがキルトスカートをスコットランドの民族衣装としたそうです)。
彼は、イングランドによるスコットランド併合(1707年)を支持し、イギリス王室への忠誠を通じてスコットランドの繁栄を期待したといわれています。
彼はペンネームで執筆することを好み、"The Great Unknown"と呼ばれたそう。ワシントン・アーヴィングもスコットを”現代のシェークスピア”と呼んで慕い、ペンネームを多用したそうです。
エディンバラにあるスコット記念塔
記念塔の中心にはスコット像があります
この記念塔は彼の偉業を称えて1840年から建設開始、1846年に公開され現在ではエディンバラのシンボルとなっています。高さは約60メートルもあり、作家を記念した塔としては世界最大だそうです。この塔には上ることも可能で、上までいくとエディンバラの景色が一望できるそうですよ~。所々でスコットの著者に出てくるキャラクターが展示されているそうです。
前述した「アボッツフォードの邸宅」について・・・
スコットは1811年(40歳)にメルローズ近郊に120エーカーの土地を購入して、ゴシック調の大規模な邸宅を1824年(53歳)に完成させ、「アボッツフォード邸」と呼びました。この邸宅はヴィクトリア朝時代の建築に大きな影響を与えたといわれているそうです。
現在は資料館として一般公開されており、図書室には9千冊もの蔵書が保存されているそうです。
アボッツフォード邸(1844年)
(ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット撮影)
現在のアボッツフォード邸
内部の様子
この庭もスコット自らが設計したそうです
敷地内にある広い森にはスコット自身が植えた木もあるそう。
動画の方がもっとすごい邸宅ってのがわかると思います![]()
アボッツフォード邸 (2分27秒)
なんだか最後は観光サイトみたくなっちゃいましたが
、それでは今日の曲いきます。
ドニゼッティの歌劇「ランメルモールのルチア」から「狂乱の場」です。
この歌劇は、スコットの歴史小説「ランマームーアの花嫁」(1819年)を原作として使われました。
17世紀のスコットランドを舞台に、兄と敵対する男に恋したルチアが、兄が企んだ攻略結婚に悩み、ついには発狂して新婚の夜に相手を刺し殺し、自分も狂い死にしてしまうという悲劇の物語です。歌唱力と演技力に加え、20分近くもひとりで歌い切る体力が必要な超難役といわれています。
ドニゼッティ:歌劇「ランメルモールのルチア」より「狂乱の場」 (19分25秒)
/ ナタリー・デセイ (ルチア)、パトリック・サマーズ指揮 (2011年 メトロポリタン歌劇場)
私は前にナタリー・デセイさんのソロ・リサイタルを聴いたことがあるんですが、その時も本当に素晴らしい歌声でした![]()
『 最良の教育とは、人が自分自身に与える教育である 』 (W.スコット)










